【 戦場を超克する音 】
◆Awb6SrK3w6




874 名前:戦場を超克する音 1/4 ◆Awb6SrK3w6 :2006/07/16(日) 19:15:38.29 ID:VQcrElMo0
ある時、チーフ(傭兵隊長)が言った言葉を私は今でも覚えている。
「音がするんだ。『越える』瞬間には」
「え? 越えるって、何をです?」
「そりゃあ、『越える』っていったら『越える』なんだよ」
「はあ」
その時の私にはわからなかった。
だが、思い出すのも不愉快な現実は、私にその言葉の意味を分からせてくれた。

6月の太陽が鎧を纏った私たちを照らす。
「あーっついなー」
チーフは手を扇にしてパタパタと僅かな涼を得ていた。
誰かがそうしろと言っているわけでもないのに、傭兵たちもそれに右にならえと、
気休めの涼しさを求めている。
皇帝と反皇帝諸侯の戦いが始まっておよそ半月。
私たちが加勢する、反皇帝側の諸侯はある一点でその進撃を止めざるをえなくなっていた。
難攻不落の大城塞。古都アルバノの壁に攻撃が尽く跳ね返されていたからである。
今日も戦が始まろうとしている。
反皇帝諸侯直属の兵が城へと再び突撃命令をかけていた。
それを見てチーフは立ち上がる。
「っしゃあ!行くか!」
気合いを自らに、そして周囲に入れる檄を彼は飛ばし、
「おうっ!」
と私たちは拳を突き上げそれに応じるのだった。

875 名前:戦場を超克する音 2/4 ◆Awb6SrK3w6 :2006/07/16(日) 19:15:56.71 ID:VQcrElMo0
攻城戦は非常に時間のかかるものである。
その事は覚悟していたのだが、やはり心は時間が経てば膿んでくる。
私たちは焦れ始めていた。
その空気は私たちには収まらず、どうやらチーフも侵し始めていたようである。
「俺が行く」
チーフは一言呟いた。
「え?」
私はそれが聞き取れず、彼に聞き返した。だが、彼はそれに答えない。
「俺が一番乗りだ」
兜を被り、チーフはゆっくりと城の壁の方へ歩みを始めていた。
「おい、チーフ? どうしたんですかい?」
突撃隊長のポールが呑気に話しかけるが、チーフはそれに返事もしない。
一歩ずつ、鎧を軋ませ、チーフは最前線と向かっていく。
「おい、お前ら。ぼーっとすんな!俺たちも行くぞ!」
それを見て慌てたようにしてビルが私たちに発破をかけた。
「あ、ああ」
ヘンリーはそれに戸惑いながらも応じる。
「私も行きます!」
私はこの流れに乗り、前線へ出ることを訴えることにした。だが、
「お前は捕まるからダメだ」
ポールが私の頭をポンポンと叩き、ガハハと勢いよく笑うのだった。

私は居残り組だった。
何もすることがなく、ただ、先ほど最前線へと赴いていった旅団の兵達の様子を眺める。
チーフの兜は派手な鳥の尾で飾られているので、遠くから見てもはっきりそれと確認することができる。
尾は左右に揺れて一段ずつ梯子を上がっていく。
私はチーフがアルバノの壁を登りきり、一番乗りを叫ぶ姿を想像していた。
そんな時。

876 名前:戦場を超克する音 3/4 ◆Awb6SrK3w6 :2006/07/16(日) 19:16:22.03 ID:VQcrElMo0
「おいおい、あれ! チーフじゃねぇのか!」
「んな、バカな。ありゃ、別の間抜けな野郎だよ」
チーフが梯子から堕ちていた。ふわりと彼の体は空を舞い、群衆の中に消えてゆく。
間の悪いことに、城塞から敵が突撃を始めていた。猛攻に反皇帝の諸侯の兵達が崩れ出す。
まさか!? チーフが!? どうする!?
ただ、私は自分に問う。動揺する心はばくばくと血液を全身に送り込んでいた。
感情は高ぶり、抑えることはできない。馬の嘶き。兵士の悲鳴。剣と剣の打ち合う音。
戦場は地上のあらゆる騒音を集めたかの様な所である。
だが、その中でもはっきりと私は聞き取ることができた。己の限界を、感情が突き抜けた時の音。

プツリ。

ああ、こういう事か。
私はようやくチーフの言っていた事がわかった。確かに、音がする。
私は『越えた』 

得体の知れない活力が全身にみなぎる。次の瞬間、私は全身を覆う鎧の重さも感じなくなっていた。
走り出す。音に速さがあったとしても、今の私ならば越えられる。
「助けねばならない」
たった一つの課題だけが私の『越えた』頭に浮かぶ。
「おい! まさか、お前!」
「お前にゃ、無理だ! 戻れ! 死ぬぞ!」
仲間の諫止も耳に入らない。私の身中に聞こえる音は自らが『越えた』時の音の残響のみである。
ただ、私はアルバノ郊外の草原をその両足で駆けていった。

死線を越える。血が舞い、首が飛ぶ戦場。
チーフの体には深々と、禍々しい矢が刺さっていた。私は地に堕ち伏せている彼を背に負う。
重さも感じない。激しい動悸も私は感じない。ただ、そこにある己に課した、
「彼を助ける」
という目的を果たすのみだった。私はその時、『越えた』人間だった。

877 名前:戦場を超克する音 4/4 ◆Awb6SrK3w6 :2006/07/16(日) 19:16:46.45 ID:VQcrElMo0
夕日が陣営を包んでいる。
今日の戦が終わりを告げ、生死の際を見た人々が戦場より帰ってくる。
いつしか、私は背に負うチーフの重さを酷く感じるようになっていた。
武器を携えた人々の列に混じり、私は自分たちの張った幕まで戻ってくる。
「どっこいしょ」
私はチーフをなるべく慎重に、床に寝かせた。
「ああ、悪いなぁ。今度は、儲かる戦の、はずだったんだがなぁ」
チーフは呻くようにして呟く。
「何もう損したような事言ってるんですか。ゼッタイ儲かります。だから」
「いんや、大損だ。よく、考えて、見ろ。
俺の傷を、治すのに、一体、どれだけ、かかると、思ってるんだ」
息も絶え絶えに、チーフは話し、そして大きく口を広げてニッと笑って見せた。
「……」
それに何とも言えない安堵を感じ、私は振り返った。
幕の外で今日の食糧を煮炊きする音が聞こえる。
腹が減っていたことを私は思いだして、チーフに一声かける。
「それじゃ、飯食ってきます」
普段ならば「ああ」なり、「そうか」なり返答は返す人なのだが。
私は訝り、チーフの顔を見た。
先ほどより、その顔は変わっていない。ニッと笑った満面の笑みである。
「チーフ?」

その時、音がした。
彼の命が燃え尽きる音が。ふつりと。

私は『越える』
感情を抑えることのできない私の体は、その両の目から涙を流し続けた。



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