【 SilentGoverner 】
◆2LnoVeLzqY




830 名前:Silent Governer ◆2LnoVeLzqY :2006/07/16(日) 15:12:39.97 ID:vYumBMxf0
あの頃の俺は大馬鹿だった。何もわかっちゃいなかった。
中学生。それは一生のうちで、人が最も単純になるときだ。
だから当時の俺の心理状態を、今の俺は何もかも完全に理解している。
かのフロイト大先生だったら、5秒で答えを出してしまいそうだ。
あのときどうしてそう思ったか、どうしてそうしたか。
それはあまりに短絡的で、そしてあまりにも、救いようがなかった。


小学生の頃から気弱だった俺は、中学生になるなりイジメの格好の的になった。
俺は単純だったが、相手も同じように単純だったのだ。お互いが馬鹿だった。
そのイジメの数々を、今になって説明する気も、そもそも思い出す気もない。
覚えているのは屈辱感と敗北感。相手の言いなり。完全服従。
俺は被支配者だった。
そして支配者は生徒だけでなく、学校で俺を包む雰囲気全てだった。

俺が言うことを聞かないと、俺をイジメてた奴らはいつも机を蹴った。
ガンッ、と、すごい音がした。
その音を聞くと俺はいつも身が縮こまって、一抹の勇気とやらはすぐにどこかへ逃げ去った。
大きな音は、あの頃の俺にとって支配のシンボルだった。
まるで魔法だった。
ガンッ。
それだけで、俺の体は動かなくなった。たったそれだけで、頭の中が真っ白になった。
俺は音を恐れた。
大きな音が、何よりも怖かった。

中世の哲学者は、抑圧された人民は革命を欲すると言った。
俺も心の片隅で、こんな日々がすぐにでも終わればいいと願った。
だけどそれは無理だとわかっていた。俺はあくまで被支配者なのだ。
それがわかっていたからこそ、俺の願いはあらぬ方向へと捻じ曲がってしまったのだ。

831 名前:Silent Governer ◆2LnoVeLzqY :2006/07/16(日) 15:13:16.25 ID:vYumBMxf0

その日俺は掃除当番だった。みんなが帰った後、1人で掃除用具の後片付けをしていた。
それから窓に鍵がかかっているかを確認してから帰るのが、いつもの段取りだった。
鍵はちゃんとかかっていた。外はもう夕暮れで、西の空が朱色に染まっていた。
窓の下はグラウンドで、その向こうの家々の窓には明かりが灯り始めていた。
俺は窓ガラスに触れてみた。ひんやりと冷たかった。
今まで体験したことのないような冷たさだった。
それから指の爪の先で、軽く叩いてみた。
カンッ。
ガラスのように冷たい音が鳴った。
誰もいない教室。静寂を鋭く切り裂くような音だった。
それは何故だか、とても心地よかった。
窓の外には、燃えるような赤が広がっていた。

深夜。俺は学校のグラウンドに立っていた。
校舎に正対して少し見上げると、俺のクラスの窓が目に入った。
静かだった。静寂が全てを覆っていた。
そしてその静寂を、暗闇が閉じ込めていた。
俺は右手に力を込めた。そして握っていたものを、窓に向けて力いっぱい放った。

カシャーン。

甲高い音が、静寂を、闇を切り裂いた。
家々の間を駆け巡り、空を駆け巡り、俺の中を駆け巡った。
冷たい音だった。乾いた音だった。そして、美しい音だった。
音が、全てを包み込むかのようだった。
俺は歓喜した。汗だくになりながら、俺は目を閉じて、神経を研ぎ澄ました。
暗闇も、静寂も、俺のもんだと思った。
俺は支配者だった。暗闇の、静寂の、支配者だった。

832 名前:Silent Governer ◆2LnoVeLzqY :2006/07/16(日) 15:14:12.34 ID:vYumBMxf0

あのとき、確かに俺は革命を欲していた。
だがそれは、下克上のような、絵に書いたが如き革命ではなかった。
俺の願いは屈折していた。俺は、俺の被支配者を求めたのだ。

結局俺はあのあと、音を聞いて飛び出してきた近所の人に発見され、警察に通報された。
警察は俺の行動を、イジメによるストレスから来る衝動的な破壊行動だと見なしたようだった。
そのときの俺は納得いかなかったが、今思えば警察の言うことは当たっている気もする。
俺が窓を割った犯人だということは、いつのまにかクラス中に知れ渡っていた。
イジメはエスカレートした。俺にとって、音は相変わらず支配のシンボルだった。
俺は支配された。そして何度か、また同じように窓を割った。
窓が割れる音は、俺が支配者になる合図だった。
最後の最後まで、現実から逃げる合図だった。


時刻は深夜。余計な物音は、何一つしない。
全面がガラス張りの新しい建物。まだ建設中で、俺の他に人はいない。
その一階のロビーで、俺は改めて上を向く。
俺がいるロビーの中央は吹き抜けになっており、見上げれば天井までも目に入る。
やはりあたりはしんと静まっている。完璧だ、と俺は思う。
時計に目をやる。あと五分。俺は建物から去り、隣の空き地の中央に立つ。
俺の目には、ガラス張りの建物の怪しげな姿だけが映っている。
あと二分。
六時に作業員が去ってから、俺は手早く事を済ませた。
手早く、といっても、終わったのは結局今になってからだった。
だが、丁度良かった。作業が終わった時、あたりには静寂と暗闇が満ちていたからだ。
あと一分。
俺にとって音が支配のシンボルなのは、中学以来変わっていなかった。
そしてまた、俺の馬鹿さ加減も、中学以来変わってないのかもしれなかった。
俺は建物を見上げる。もう、時間だ。

833 名前:Silent Governer ◆2LnoVeLzqY :2006/07/16(日) 15:16:35.60 ID:vYumBMxf0

目の前で、建物のガラスというガラスが吹き飛んだ。
甲高い音が、乾いた音が、冷たい音があたりを駆け巡った。
その音は何重にも重なり、まるでオーケストラの演奏のようだった。
あの頃の俺に足りなかったのは、芸術性だった。俺は芸術を何もわかっちゃいなかった。
俺は歓喜した。汗だくになりながら、目を閉じて、全てを感じようとしていた。
音が、静寂と暗闇を支配していった。



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