【 暗騒音 】
◆WGnaka/o0o




749 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2006/07/16(日) 04:03:22.29 ID:PKvaUnkG0
  【 第16回品評会お題「音」/ 暗騒音 】


 − 1 / Calling −

 もうすぐ夕暮れに移り変わりそうな空の陽光を浴びながら、もう一度私は手紙の文字に目を通す。
 記された無機質なワープロ字は、何度見ても変わることはない。変わるはずなんて無かった。
『7月20日午前5時39分頃 当院の集中治療室にて、長年患われていた白血病により悠治君は――』
 それから先は読みたくなくて、未だ信じられない現実から目を背けた。
 暗闇の彼方で聴こえる木々のざわめきが、訪れる何かを知らせる。それは、唐突にやってくるものだった。
 手にしていた一枚の手紙が、強い夏風に吹かれ舞い飛んでゆく。羽ばたく鳥のように大空へと。
 大声で泣いてしまいたかった。泣き明かせば悲しさなんて無くなりそうなのに、なぜか涙は出てこない。
 こんな結末なんて本当は判りきっていた。知っていたから、もう涙は枯れ果ててしまったのかもしれない。
 望んでいたわけじゃないけど、それでもどこかで変わるかもしれないと期待していたのも事実。
 胸の奥が針で刺されたように痛む。今にでも弱音を吐きそうな唇を噛み締め、言葉を飲み込んだ。
 過去を忘れるための、痛みを和らげるための、現実逃避するためのおまじないをしよう。
 だから私は、誰も来ないこの屋上を選んだ。私だけの秘密を誰かに知られたら、すごく恥ずかしいから。
 震える唇で息を大きく吸い込んで、ゆっくりと気持ちを落ち着かせる。
 今まで気にならなかったセミの鳴き声は、まるで音楽を奏でるように聴こえてくるから不思議だった。
 近くの山間から吹き付ける風が、校舎を駆け上って私の長い髪の毛を揺らめかす。
 通り過ぎるこの風音を合図にして、何度も繰り返したおまじないを始めよう。
 もう私には、これしかないと知っていたから。
 今は無くなってしまった合唱部で培ったものを、何かのために役立てるのは今しかなかった。


 ――ねぇ悠治、私の声……ちゃんと聴こえてる?


750 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2006/07/16(日) 04:05:38.66 ID:PKvaUnkG0
 − 2 / Noise −

 その日、俺は放課後の安らぎをゆったりと過ごそうと決め、屋上へと続く薄暗い階段を上っていた。
 下校する生徒の他愛もない話やら、部活動を勤しむ暑苦しい声を背に受けながら。
 万年帰宅部の俺には残念ながら時間はたっぷりとある。なんとも悲しいことだが。
 ただ帰るだけではつまらないという思惑だけで、校内に残って暇潰しをすることは良くしていた。
 昨日は下級生の教室詮索。一昨日はグラウンドの木陰で昼寝してみたり、その前は保健室で昼寝。
 更にその前は期末試験の点数が悪いとかで、職員室へ呼び出されて担任にコッテリ絞られた。
 最後のは思い出しただけで腹が立つ。第一、俺はああいう所が苦手なんだ。
 なにより成績が良ければ全て良いという、その単純な教師どもの考えがむかつく。
 確かに俺は頭も悪いし運動能力も平凡だが、成績だけで人間の価値を決めるようなここは好かない。
 何度辞めてやろうかと思ったことか。簡単に辞められるなら今すぐにでも辞めたい。
 最低限高校を卒業していないと就職に不利だ――という両親の説得で、嫌々通っているだけだった。
 こんな不自由の縄で縛られた集団生活の何が面白いのだろうか。
 今も遠くから聴こえてくる女子たちの笑い声に、言いようのない不快感さえ覚えるのはなぜだ。
「なんか俺……病んでるよな」
 辿り着いたドアの前で足を止め、溜め息混じりに誰となく呟いていた。
 錆付いたドアノブに手を掛けると、外の熱気がそこからじわりと伝わってくる。
 やっぱり止めとこうかという思いを押し殺して、力を込めて分厚いドアを引き開けた。
 普段から人の出入りが少ないのか、立て付けが悪いみたいに重くて苦労する。
 黒板を爪で引っ掻いたような音で悲鳴をあげそうになるが、なんとかそこを根性で耐え凌いだ。
 まるでこのドアがどこでもドアのように、薄暗い階段から場違いなほどの空間が広がっていた。
 淡いオレンジ色の逆光の眩しさと、バックファイアのような烈風で思わず目を細めながら歩を進める。
 風は吹いているが体感温度はあまり変わらず、もう夕暮れ時というのに夏真っ盛りといえるほど暑い。
 幾重にも聴こえるセミのうるさい鳴き声が、より一層に夏を演出してくれている。
 だらしなく緩めていたネクタイを更に緩め、Yシャツのボタンをもう一個外した。
 なんならもう裸になりたい気分だったが、さすがに校内でそれをやるのも気が引ける。
 もしかしたら誰かに見られるとも限らない。まあ、屋上に来る奴なんて俺以外居ないだろうが。
 また馬鹿なこと考えてるなと思いながら、頭を乱暴に掻いて自嘲気味に鼻で笑ってみる。

751 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2006/07/16(日) 04:06:10.39 ID:PKvaUnkG0
 いっそのこと大声で笑えば、少しは気分的に楽しくなるだろうか。
 どうせこの屋上には俺一人。俺だけに用意されたステージ。観客の居ない寂しい舞台だ。
 そう、誰も居るわけないと思っていた。だから、突然聴こえてきた歌声に、俺はただ驚くしかなかった。


 − 3 / MUSIC −

「Stay 私はここに居るよ 繋いだ手の平を離さないで」
 屋上で悲しそうに佇む少女の紡ぐ優しい声は、華麗な旋律を奏でていた。
「今でさえこの指に微かな感触残るよ 二人目指した場所はどこにも無かったと知った」
 屋上で驚きながら佇む少年の声にならない声は、僅かな風音に混じって消えた。
「Stay 貴方はどこに行ったの 時間が過ぎ去っても忘れないで」
 少女の歌声以外、この屋上に暗騒音は不思議と消え去っていた。
「温もりも優しさも全て貴方に伝えたくて 頼りない歌声がこの空に虚しく響いて」
 伴奏もない歌に耳を傾ける少年は、静かに目を閉じて聴き入った。
「Stay このまま側に居ても 心の痛みさえ消えないなら Don't stay alone 私の声は届かない」
 やがてメロディは途切れ、一瞬の静寂が訪れたあとに日常が舞い戻ってくる。
 幕の下りた舞台に感動した観客から拍手が起こる。
 たった少年一人分ではあったが、それはセミの鳴き声よりも大きいものだった。
 そこで初めて少女は誰かに聴かれていたということを知り、蒼白い顔でゆっくりと振り向く。
「歌、上手いんだな」
 そう声を掛けられた少女の目の前には、感心したような表情の少年があった。
「あ、あのっ……もしかして、き、聴いてました?」
「あーその、聴いてたというより聴こえてきた感じというか。悪気はなかったんだけど、つい……」
 蒼白だった少女の顔は血の気が戻りすぎたように赤く染まり、少年は気まずそうに明後日の方を向く。
 偶然にも出逢ってしまった二人には、短い沈黙さえ永遠とも思えるほどの時間に感じていた。

752 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2006/07/16(日) 04:06:32.51 ID:PKvaUnkG0

 その日を境に二人は、放課後の屋上で逢うことが多くなっていった。
 歌を始めて聴いたときから少年は少女に惹かれ、少女は少年に何か似たような闇を感じて。
 最初のときよりは随分とお互いのことを知り始め、今では照れなく会話もできるほど。
「悲しそうになったら、笑ってみればいい。無理にでも笑顔で立ち向かってやるんだ」
「でも、私はそんなこと……もうできそうにないから」
 そう言いながら視線を落として俯く。少し悲しげな表情だった。
 その姿を見た少年の胸がざわめく。こんな顔をさせたくないと思った。
「じゃあさ、俺が笑わせてやるよ。なんてったって校内一の暇人で有名だからな」
「あはっ、私は今初めて知りましたよ」
 何か自信に満ち足りた少年の顔が可笑しくて、少女は思わず頬を緩めた。
「なんだ、そんな笑い方もできるじゃんか。ついでだ、またあのおまじないを聴かせてくれよ」
「えっ――う、うん、いいよ。どうせだから、一緒にやろう?」
「ああ、こんな奴で良ければ喜んで。弟さんもきっと歌ってくれているさ」
「……ありがとう」
 夕陽の赤紫に染まった屋上に、二人の声がリフレインする。
 世の中のありとあらゆる他の雑音は掻き消え、おまじないだと言う歌は風に乗って想いを刻む。


『ボクはここに居るよ』
 そんな声がどこからか聴こえたような気がして、歌う少女は静かに涙を流す。
 少年の胸に抱き締められながら優しく紡ぐ音色は、いつまでも終わらずに奏で続けていた。


   了



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