331 :1/3:2006/07/08(土) 22:14:25.89 ID:tEu145nu0
お題:雨宿り
「夏の欠片」
ぽつぽつと曇り空から唐突に降り出した雨は瞬く間に豪雨へと姿を変え、ただでさえ湿気っていた大地を無駄に豪快に潤していく。
それを天の恵みなどとご大層に表現する人間も居るのだろうが、私のような中学生帰宅部にとってはただの迷惑以外の何者でもない。
こんな日に限って傘を持っていなかった私は、額にべったりと張り付いた前髪を払いながら、悪い視界の中を全力で疾走する羽目になっていた。
普通なら鞄を頭上に掲げて雨を防ぐ所なのだろうが、生憎と私の鞄はそんなに分厚いものでもなく、ただの手提げレベルである。
傘代わりにしようものなら、中身まで完全にぐしゃぐしゃになってしまうだろう。
肌に吸い付いてくる雨水で濡れた制服は体温を奪うどころか、全力疾走している事も相まって息苦しい程に蒸し暑い。
いっそ下着だけになって走ってやろうかとも考えたが、よく考えてみればそれはただの痴女である。
こんな狭いコミニュティの中でそんな事をしでかしてみれば、恐らく次の日には下着姿で全力疾走する女の存在が島中に広まってしまうだろう。
あるいはそれが私であると限定されてさえいるかもしれない。恐ろしきは孤島の噂パワー。この島に置いて隠し事なんか不可能なのだ。
近年舗装されたばかりの真新しいコンクリートの道。
以前と比べればかなり歩き易いが、周りにはその他の文明の利器は存在しない為、この道はどこか閑散としているように思える。
道路を挟む鬱蒼とした島の緑は、きっとこのコンクリートの存在を恨めしく思っているのだろう。
本当の意味で私たちが自然と共存していた時代は、きっととっくに終わってしまっている。
332 :2/3:2006/07/08(土) 22:14:47.61 ID:tEu145nu0
「は、はぁ、は。疲れたぁ」
結局頭からつま先まで完膚なきまでにびしょ濡れになってしまった私は、それでも、ようやく一息吐ける場所を見つけて駆け寄った。
それは通学路の途中にある古びたバス停だ。普段は見向きもしない場所だが、こんな状況にはありがたい。
私はそのおんぼろ屋根の内側に入り、必死に息を落ち着かせる。
意外にも雨漏りはしていなく、硬い地面がむき出しになっている。
纏わり付く水気たっぷりの制服を思いっきり絞ってから、私はどっかと椅子に座り込んだ。
そこで初めて気が付いた。長椅子の隣に、何か茶色をした大きな物体が乗っかっている。
「何これ?」
どうやらそれは茶色いビニールに包まれているようだった。ぺらりと捲ると、肌色の足。
「ひ、人っ!?」
間違いなく人のようだった。身体の大きさからして、おそらく小さな子供だろう。
恐る恐るその足をつついてみると、ぴくんと反応して足を引っ込めてしまった。一応安心。死体ではない。
多分、寝ているのだろう。耳を澄ませてみると微かに吐息が聞こえた。
私は音を立てないように椅子から立ち上がって、その子の頭の方へと回りこむ。
ビニールと捲くって見ると、陶磁器のように白く可愛らしい顔が目に入った。
はて。こんな子この島に居ただろうか。この島の子供は基本的に日焼けしているし、そもそも数が少ないので皆顔を憶えている。
とすると、観光客か何かだろうか。このビニールは雨合羽なのだろう。
やけに大きい気がしたが、もしかすると父親のでも借りているのかもしれない。
思わぬ先客に驚いたが、どの道私がここで雨宿りする事には変わりない。
起こしてやろうかとも考えたが、それは雨が止むか、弱くなってからでもよさそうだった。
この子はあんまりにも気持ちよさそうに寝ている。何だか微笑ましくて、起こしてしまうのが躊躇われた。
私は再び椅子に腰を下ろす。隣では、茶色い合羽にくるまった小さな子供が眠っている。
それは何だかどこかのお話のようで、私は少しだけ、そんな陶酔に浸ってしまったのだった。
333 :3/3:2006/07/08(土) 22:15:11.69 ID:tEu145nu0
「……ん」
眩しさで目が覚める。どうやら、少し眠ってしまったようだった。まだよく回らない頭が状況を把握しようと奮闘する。
赤くなり始めた太陽の光。そうか、雨が上がってるんだ。
理解すると同時に、思いっきりくしゃみが出た。肌寒さに愕然とする。そりゃ、こんな格好で眠れば身体も冷えるか。
立ち上がって、ぼきぼきと背骨を鳴らす。
ようやく思考がはっきりしてきたと思った時、隣に居たはずの子供が消えている事に気が付いた。
眠ってしまった事を後悔する。あの子が起きたら、少しだけ話をしてみたかった。
「あれ?」
ふ、と気付く。長椅子の上、あの子が寝ていた辺りに、何か小さなものが乗っかっていた。
それは、まだ硬く成り掛けの、真新しい、蝉の抜け殻。
そうか。もう、そんな季節なんだ。
何となく上機嫌になって、私はそれをそっと掌に乗せる。持って帰ろうと直ぐに判断した。
雨上がりの夕暮れの道。私はにやにやと笑いながら家路に着く。
どこからか。まだ若い蝉の鳴き声が、聞こえたような気がした。
終。