【 Shooting Star 】
◆WGnaka/o0o




287 : ◆WGnaka/o0o :2006/07/08(土) 19:01:30.08 ID:GsCfm1Ut0
 深い藍色に染まった夜空を見上げた。
 煌々と輝く星たちと彼方まで広がる大気に取り囲まれていると、なぜだか不意に孤独感さえ覚える。
 初夏特有の生温かいそよ風が、天に向いた僕の鼻先をかすめていく。
 鼻腔内で広がった香りの中には、僅かながら雨の匂いが混じっていることに気付いた。
 その風はさらに別のものを運んで来たようにも感じる。
 体中に纏わり付くような湿り気を帯びた重い空気。星たちが呑み込まれ始めた朧雲。
 明日は雨になりそうな気配に予感めいたものが脳裏に走った。
 見上げていた視界を星空から引き剥がし、踏み止めていた足を前に押し出し再び歩み始める。
 家路へと急ぐ足取りは重いのは、きっと憂鬱な気分だけのせいではないのだろう。
 ぬめりとした嫌な湿気が、月光で創られた僕の影を追い駆け続けていた。
 それはまるで、もう二度と逃がさぬようにいつまでも。

   【 第15回品評会お題「雨宿り」/ Shooting Star 】

 今日一日の終業を告げるチャイムが、ここ2−Cの教室内に木霊した。
 今では唐突に移り変わってしまった鉛色の空が、大粒の雫をその手から溢れさせる。
 朝には快晴だったはずの空を見て、昨日の予感が外れたことに安堵していたのも馬鹿らしくなった。
 僕は教室の窓から見える分厚い雨雲を眺めながら、これからのことを考えて小さく溜め息をこぼす。
 天文部の部室に行くには重過ぎる腰を無理に上げ、薄っぺらな鞄を抱えて教室を後にした。
 同級生たちで溢れかえる廊下を歩いていると、窓ガラスを叩く雨の音が激しくなった気がする。
 天体観測を楽しみにしていた部長の悲しそうな顔が思い浮かんで、もう一度溜め息を吐いた。

 僕が所属している天文部はその名の通り、天候が悪ければ大した部活動も出来なくなってしまう。
 メインは屋上に出て天体望遠鏡による星などの観察観測だった。
 それが出来そうにないときや外に出られなかったりすれば、薄暗くて狭い部室内でのミーティングになる。
 ハッキリ言って天体観測の出来ない天文部なんていうのは、弱小卓球部のやる気無い幽霊部員と同じ。
 現にミーティングと言っても、ただ雑談してお開きになるくらいのものだった。
 部員の九割が女生徒の中で、聞かされたくも無い話の聞き役をするのも拷問に近い。今更後悔遅し。
 有意義な部活動と呼べるものは、そんなときに全く得られないこともほとんど。
 だがしかし、文化祭の時期になると雰囲気は一変して、緊張感漂うミーティングに早変わりする。


288 : ◆WGnaka/o0o :2006/07/08(土) 19:02:03.40 ID:GsCfm1Ut0
 僕らの天文部が唯一その存在感を露に出来る、年に一度の素晴らしい校内行事だからだ。
 文化祭までおよそ三ヶ月。それゆえに最近の部長は毎日のように天体観測をしていた。
 なんでも七月下旬から見え始めるペルなんとか流星群の詳細を、文化祭の場で発表したいとのことだ。
 流星群の天体写真を撮ることが一番の目的らしいが、未だにそれらしいものすら遭遇出来ずにいた。
 同級生の女子部員に聞けば、期間内で数分数秒程度にしか現れないし、天候も左右されるという。
 それを聞いただけで頭痛がしてくるほどの低い確率だと、全くの素人である僕でも判った。
 そんな流星群を先々週から追い続けている部長は、やはり凄い人なんだと改めて思う。
 女性特有の強さというか、本当に好きだからこそ湧き上がる情熱とも言うべきか。
 とにかく、部長の真剣さは入部して三ヵ月のペーペーな僕にでも伝わってくる。
 一人夜遅くまで残り観測を続け、その日見えた星々をレポート用紙に記録していく。
 ときには休みの日でさえ学校に訪れるほどだった。もしかしたら風邪を引いても学校に来そうだ。
 何が部長をそんな風に駆り立てるのか、今の僕には見当もつかなかった。

 雨音が窓ガラスの向こうで鳴り響いていた。だいぶ弱まったとはいえ、雨はまだ降り続いている。
 天井の半面だけ灯した蛍光灯の光に映し出されるのは、部室に残った僕と部長の二人だけ。
 部長に雨が止むまで居残りさせてくださいとお願いした結果、このような有り得ない状況に。
 本当なら帰りたいところだったが、なぜか僕はこの選択肢を選んでしまった。
 最初は数人居た雨宿り組みも、そそくさと僅か数分で逃げて行った。なんとも薄情な奴らだ。
 女子部員たちが気を利かしたとか言ってきそうで後が怖い。部室に木霊するのは僕の溜め息ばかり。
「あっ……」
 窓枠に張り付いて空を見上げていた部長が小さく声を漏らした。
 僕は座っていた椅子から腰を上げて窓際へと近付いていくと、目の前に広がった光景に唖然とする。
 大きく裂かれた雨雲の隙間から、光り輝く小さな雨雫が幾重にも降り注いでいた。
「ね、ねぇ見えてる? 見えてるよねっ」
「見えてますけど……なんですかあれ」
「ペルセウス座流星群だよ。今年はこんなに早く見られるなんて――そうだっ、観測しなくちゃ」
「部長、そんなことしてたら終わっちゃいますよ」
「でも――」
「いいんですよ。たまにはゆっくりしても」


289 : ◆WGnaka/o0o :2006/07/08(土) 19:02:29.36 ID:GsCfm1Ut0
 僅かな時間でも長く瞳に焼き付けたくて、初めて遭遇したペルセウス座流星群の雨を見つめ続ける。
 肩を並べて空を仰ぐ僕たち二人には、無粋な言葉すら必要なかった。
 一つ欲を言えば、こんな部室内で雨宿りついでに見ることより、屋上へ出て満天の星空の下で見たかった。
「終わっちゃったね……」
 流星群の映し出されていたスクリーンが閉じ、数分前と同じようにまた雨が降り始める。
「まいったなぁ……これじゃ、まだ帰れないじゃないですか」
「ふふ、そうね。でもおかげでいいモノ見れたし、感謝しないとだね」
 窓から飛び込んでくる僅かな雨を受けながら、湿りを帯び始めた空気の中で部長と笑い合う。
 もう僕は、雨の空気に嫌な感情を覚えることもなかった。
「あーあ、もう一度見たいなぁ……」
「見れますよ。まだ終わったわけじゃありませんから」
「ん、卒業まで時間はあるし、ペルセウス座流星群も一度きりじゃないし……ありがとう」
 雨で少し濡れた部長の顔が今まで以上に優しく微笑んだ。蛍光灯の白光で、部長の小さな唇が色めき立つ。
 照れて赤くなった僕の顔を悟られないように、雨空へと視線を逸らして苦笑いを受かべるしかなかった。
 多分もう二度と来ないだろう二人だけの時間。なんとも言えないむず痒い感覚を噛み締めて味わう。
 雨宿りという口実がなければ、得られなかったであろうものを全て思い出に変えて。
 いつしか部長の跡を継げられるように、今はそれだけを考えて部活に没頭しようと思った。
 何より部長の一番は変わることなく、ずっと『天体観測』なのかもしれない。
 認められる日が来るまで、僕の叶わぬだろう想いを今日見た流星群に連れて行ってもらおう。

「部長、そろそろ帰りましょう」

 雨宿りして立ち止まっている時間さえ、今は惜しいのだから。



  了



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