283 :1/3:2006/07/08(土) 18:56:50.62 ID:Dw4Wqzjq0
「死は雨上がり」 お題:雨宿り
隠れて様子を探っていると、一人走ってくるのが見えた。
身をかがめたまま、持っていた銃の先を振って場所を知らせる。
ざっと言う音と共に男は滑り込んできた。
「ここで雨宿りか?」
服に付いた土を払う男に、僕は頷いて答えた。
周囲は未だに雨である。
辺りを騒々しい音が包み、視界もあったものではない。
「一体いつ止むのやら」
一息ついて地べたに座り込む男が呟く。
見ると襟についているのは大尉の襟章であった。
「ん?お前はどこの隊だ?俺は200中隊のもんだ」
「212中隊であります」
「隊長はどうした?」
「約15分前であります」
それだけで大尉は察してくれたようだ。
僕は止まない雨を気にしつつ、大尉の顔色を伺う。
それに気付いたのか、大尉が手を上げて何かを見せてくれる。
握られているのは眼鏡、時計、指輪、そして血の付いた手袋。
「俺の部下たちだ」
200中隊は大尉を除いて全滅か。
もっとも、212中隊も残っているのは、最早自分だけだが。
頷いただけの僕に満足したのか、大尉は遺品をポケットに突っ込んだ。
この雨の中で、よくもあれだけの遺品を集められたものだ。
それだけの余裕があるなら部下を助けられなかったのだろうか。
憤りのような、感心のような、何とも言えない気分になった。
そう言えば、それは雨が降り続いたときのブルーな気分に似ていなくも無かった。
284 :2/3:2006/07/08(土) 18:57:32.13 ID:Dw4Wqzjq0
「一本どうだ?」
差し出されたのは煙草。
補給も満足にこない中、嗜好品の類など手に入るはずもなく、
当然の事ながら煙草を吸うのは久方ぶりである。
頂きますと答えて煙草を受け取った。
火は、と探したら、大尉は壁に残っている火種に煙草を押し付けている。
俺もそれに倣って火をつけた。
辺りに立ち込める味気ない煙とは違った、うまい煙が立ち上る。
「ふぅ……。ここも長くは持たんな」
一旦大きく煙を吐き出して、大尉は火をつけた壁を見ていた。
壁の強度を上げる枠だった木は、白い煙を吐きながら黒くなっている。
降り注ぐ雨はまったく止む気配が無い。
今も音が轟き、地面が揺れていた。
すでに勝敗は決している。
各所で自分たちのように隠れて些細な抵抗をしているに過ぎない。
「どうしたものかな」
薄暗い中で煙草の赤い火が、妙に鮮明に映る。
「投降……しますか?」
途中で止めようとしたが続けた。
「それもいいかもな」
大尉はそう言って煙草を地面に放り投げた。
そしておもむろに、一本のペンとしわくちゃの布を取り出す。
「紙は全部燃えてしまってな。もう手拭いくらいしか書く物が無い」
そう言って大尉は布に何かを書き始めた。
久し振りの煙草を惜しんでギリギリまで吸いながら、僕はその様子を見ていた。
耳を劈くような雨音は全く変わらず辺りに響いていた。
285 :3/3:2006/07/08(土) 18:58:30.15 ID:Dw4Wqzjq0
「よし」
大きく頷いて大尉はその布に遺品を載せはじめた。
一つ一つに視線を注ぎ、最後に自分の襟章を載せる。
そして一見雑なようで丁寧に、布でそれらを包む。
大尉は行く気なのだ。
最後の役目を果すために一人生き残ったのだ。
そう気付いたら胸が熱くなり、次には自分もと思う気持ちが湧いてきた。
「大尉、自分もお供し……」
「一つ、頼まれてくれないか」
覚悟を決めて発した言葉は、振り向きもしない大尉に遮られた。
「……何でしょうか?」
一瞬の間を置きつつ、その頼み事は何かと聞く。
「これを届けてくれないか」
振り返った大尉の掌に乗せられた薄汚れた布きれ。
遺品、そしてこれから遺品となるであろう物を包んだ布切れ。
「届けてくれと言われましても」
「頼む」
無理ですと続けようとして、また遮られた。
一文字に引き結んだ唇を大尉はじっと見詰める。
「もし国に戻れたらでいい。届け先は中に書いてある」
一方的にそれを握らされた。
それは思っていた以上に重い気がした。
「それを持って、雨が止むまでここにいろ。頼んだぞ」
そして大尉は銃を背負い直した。
その姿に何か声をかけようとしたが肺に空気が詰まって上手く喋れなかった。
最後に大尉は僕に向き直って敬礼をした。
僕も目じりを拭ってから返礼した。
それから数分の後、一瞬だけ雨足が一際強くなって、それから止んだ。
やるせない長い雨だった。