【 老人のカメラ 】
◇JCWbU82M0




113 :老人のカメラ 1/2:2006/06/26(月) 00:01:23.79 ID:JCWbU82M0
 彼にとって、カメラは眼なのか、それとも脳なのか。それは今も分からない。

 彼と出会ったのは昨年の秋、近所の小さな公園だった。
 小さな池と紅葉した木々の見渡せるベンチは私にとってとても居心地がよく、その日も座ってただぼうっとしていた。
 私の目の前を小さな影が通った。背骨の曲がった老人。首からはカメラを提げ、おぼつかない足取りでその辺を歩き回っている。
 小さな公園である。大して写すものないだろうに、老人は時々立ち止まっては辺りを写していた。
 それも紅葉や池だけではなく、空や地面や、一体どんな被写体があるのかわからないような空間にまでシャッターを切っていた。
 そして、毎回シャッターを切るたびに、満足そうにうなづいていたのだった。
 私には彼が何を写したいのか、そしてなにがそんなに満足なのかも分かりはしなかった。
 ただ、彼のその姿や表情がやたら目に付き、私は目が離せずにいた。
 そうしてしばらくの間四方八方を写していた老人は、やがてその手を止め、ゆっくりと私の座るベンチの隣に座った。
 


114 :老人のカメラ 2/2:2006/06/26(月) 00:02:40.91 ID:JCWbU82M0
「ご精が出ますね」
 少し悩んだが、私は彼に話しかけてみた。
「えぇありがとう。あ、一枚」
 そう言うと老人は私に向けてカメラを向け、シャッターを切った。そんな会話のはじめ方を私は未だかつて知らない。
 面食らってしばらくは口のふさがらなかった私だが、気を取り直し彼に問いかけを行ってみた。
 果たして彼が何故そのような行為をしていたのか、その理由を聞いてみたかったのだ。
「何を写されていたんですか」
 私からの(私からすれば当たり前の)問いかけに老人は少し間を置いて、笑顔で答えた。
「えぇ。何を写していましたかねぇ」
 それを聞いていたというのに逆に問われてしまった。
 私は少し困りながらも、もう一度何を写していたのかと訊いた。老人は少し黙って一言、
「まぁ・・・全部ですかな」
 こう答えた。
「全部ですか。それは・・・」
「私の見たもの、見た風景、全部ですよ」
 彼はにっこりと笑いながら答える。その表情には、一点の曇りもない。晴れ晴れとした表情である。
 私は悩んだ。この老人には問いかけては無礼になるかもしれない質問だったからである。しかし、訊かずにはいられなかった。
「一体、何故全部を写したいのです?」

 老人はゆっくりとうつむき、そして顔を上げ、シャッターを切った後の表情を見せてから答えた。
「老い先みじかいからのう。老人ホームに入るのですよ。それに、もう目も利きませんからのう。」
 私は、その老人という写真家を、そして彼のカメラを、今も忘れる事が出来ない。



BACK−最後の作品◆5fNG9NZYL  |  indexへ  |  NEXT−先駆者の想い◆ZEFA.azloU