【 carpo 】
◆twn/e0lews




337 :carpo ◆twn/e0lews :2006/06/18(日) 19:38:24.19 ID:g+tKKeXQ0
 明日死ぬとしたら、貴方は何をする? フローリングの床に座りながら、彼女は至極真面目な顔でそう尋ねてきた。
だが、突然そんな事を聞かれた僕は言葉を返す事が出来ない。何言ってるの? 口には出さないがきっと今の僕はそんな顔をしている。
そんな僕の様子を見て、大学のラテン語でホラティウスをやったのよ、と彼女は答えた。
「メメントー・モリー――いずれ死ぬ事を忘れるな、汝死を思え――って意味らしいけど、それについて色々考えてね」
 僕は笑って、彼女を背後から抱きしめるようにして床に座る。
「なるほど」
 手を彼女に回し、右手を腰に、左手で胸の辺りを撫でながら言う。そういう気分ではないと言う事だろうか、彼女は僕の左手を軽く叩いた。
「割と真面目?」
「真面目よ、だから今は駄目」
 僕は少し考えるフリをする。
「何だってまた死ぬ事を考えるんだろうね、どうしようもないのに」
 僕は呟く様に言う。彼女は僕の左手を撫でながら、先程軽く叩いたところにキスをした。
「カルペ・ディエム……要は明日死ぬかもわからないから今日を楽しめ、そう言う事じゃないの?」
 僕は、ラテン語は難しいから理解出来ないよと冗談交じりに返し、キスされた方の手で彼女の髪を撫でた。
黒い髪は細く、甘い体臭がして、僕はふと、彼女が花の様に思えた。


338 :carpo ◆twn/e0lews :2006/06/18(日) 19:39:00.09 ID:g+tKKeXQ0
「どうせなら何か洒落た事でも言いなさいよ。明日死ぬとしたらその前に私に愛の言葉をありったけ捧げておくとかね」
 彼女は僕の右手を抱きしめながら言う。僕は苦笑しながら、そんな事出来る訳がないと言った。
「どうして?」
 僕の胸に体を預けるようにして、彼女は尋ねる。彼女の背中は、或いは春に降る日差しよりも柔らかく、冬に感じる陽の温もりよりも温かいと思う。
「一日程度で終えられる程、僕の想いは軽くないって事さ」
 彼女が体を震わせて、その振動が僕に伝わる。笑うなよ、ご希望通り精一杯洒落た言葉だよ?
「そうね、有難う」
 彼女はそう言って、僕の胸の中で目を閉じた。窓に掛かった青いカーテンが揺れ、風が髪を揺らす。
彼女の髪が揺れる度、甘い匂いが僕の鼻を刺激して、やはり彼女は花なのかも知れない。
僕は彼女を見つめ、死を思う。目を閉じた彼女は時が止まったようで、美しい。このまま世界が閉じるなら、それが一番の幸せかも知れないと、僕は思った。
「ねえ」
 僕は静かに声を掛ける。何? 彼女はゆっくりと、しかし確かに答える。
「何がしたいか、解ったよ」


339 :carpo ◆twn/e0lews :2006/06/18(日) 19:39:16.67 ID:g+tKKeXQ0
 化粧をしていない肌は、しかし滑らかな面を見せている。
「教えてくれる?」
 薄く開かれた目蓋の奥に、黒く、仄かに茶色い線の入った瞳が見える。
「君を殺したい、そう言うんだ」
 淡いピンクの唇が、僅かに震える。
「もし許可したら?」
 細く、しかしはっきりと通った鼻先からは、下顎に向けて一本の直線が通っている。
「そうだな、首を絞めると思う」
 僕は髪を撫でていた手を止め、白い、柔らかな首を撫でる。
「苦しいのは嫌よ」
 頬が窪み、彼女の体は少しだけ揺れる。
「僕は何よりも、君を残して死にたくないんだ。それに――」
 起きあがった彼女が、瞳を覗き込む。底の見えない黒に、僕は囚われる。それに?
「どんな愛の言葉より、それが一番僕の思いを伝えてくれる」
 彼女は怖いと言って、けれどその手は僕の頭に回されている。
「愛しているじゃあとても足りないから。だから僕は、君の命を摘む」
 重なった唇は甘く、温かく、どこまでも僕を溶かす。そうして、彼女と共に、僕は死を思う。僕はきっと、死の間際、世界に咲く、唯一の花を摘む。







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