【 謝罪 】
◆8vvmZ1F6dQ




331 : ◆8vvmZ1F6dQ :2006/06/18(日) 18:48:10.60 ID:mZ+0O9dT0
参った。遅刻だ。
いつものデートでの遅刻なら、僕の遅刻に怒る彼女が可愛くて、好きなんだけど。
今日の、彼女の誕生日という日での遅刻は、僕の愛が疑われてしまう可能性がある。
僕はとにかく、急ぐ必要があった。
歩を速めようにも、人ごみが邪魔をして、つんのめってしまう。
一人一人は普通の人間でも、沢山集まり道を塞ぐそれは、蠢く壁と呼ぶほうが相応しかった。
その壁を、燃やしてしまいたい。僕はイライラしていた。

足から腰にかけて、どん、と何かがぶつかった。子供のようだ。
やっと人の少ない道まで出て、ようやく走り出していたのに、と僕は舌打ちをした。
こけて地面に尻を付いている男の子に少し目をやる。やたら小汚い格好をしていた。
そういえば、この辺りには、ホームレスがよくいる。子持ちのホームレスなんかもいて、その子供ではないかと僕は思った。
彼は膝を擦りむいているようだ。だが急いでいる僕は、謝ることもなく、通り過ぎた。
ぐちゃ。何かを踏んだ。思わず歩を止める。同時に、男の子が、大声で叫んだ。
何か面倒に巻き込まれそうな、そんな予感。僕はすぐに足元から目をそらし、再び走り出そうとした。
「待てよ!謝れ!」
子供の少し掠れた声。いつしか彼は僕のジーンズの裾を引っ張っていた。僕は危うくこけそうになった。
「え、ああ。ぶつかって悪いな」
「違うよ、このことだ!」
彼が指差したのは、潰れた箱。隙間からケーキのクリームみたいなものが、はみ出していた。
が、それより何より僕が気になったのは、彼の汚れた手。その手は、僕のビンテージ物のジーンズを、しっかりと掴んでいた。
「うわっ」
咄嗟に、足を思い切り振る。男の子は僕の足から離れ、また地面に尻をついた。彼の体が箱にぶつかり、箱が地面を転がる。
「いってぇ、何すんだよ!」
男の子の叫びも無視し、僕は全力で走り出した。時計を見ると、約束の時間を二分ばかりすぎていた。
ジーンズを見ると、やはり男の子が触った場所に手形が付いてしまっている。僕は苦々しく思った。
「待てよオジサン!」
背後から飛んでくる、声。僕はそれにカチンときた。オジサンだと?これでもまだ十代だ。
これも無視すればよかったのだけど、僕は振り返り、叫んだ。
「うるせえなクソガキ!死ね!」


332 : ◆8vvmZ1F6dQ :2006/06/18(日) 18:50:02.64 ID:mZ+0O9dT0
ぶすり。
振り返って、数秒後。僕の腹には、ナイフが突き刺さっていた。痛い。とてつもなく、痛い。そして、燃えるように、熱い。
なんでこの男の子が、ナイフを持っているのだろう。そして、なんで僕の腹を刺しているのだろう。
「……何やって……んだ、おま……え……」
「ケーキを楽しみにしてたんだぞ、ナツコは……!」
「クソガ……キ」
狭まり行く視界に、男の子の顔が見えた。そして何故か、僕の顔も。ああ、彼はとても怒っているな。そして、泣いている。
僕はというと、歯を食いしばり、男の子を睨みつけている。なんて醜い顔なんだろう。彼のケーキを踏みつけた上に、こんな顔。そして『クソガキ』のセリフ。
完璧に悪役だ。そして悪役のまま、僕の人生は終わりのようだ。さよなら僕。さよなら男の子。そして遅刻してごめんね、僕の愛しい彼女。
視界が完全に、黒に染まった。

闇の中に、光があった。まぶしい。まぶしいけれど、僕はまっすぐそれを見据えた。光の中には、神様がいた。
神様?いや、天使のわっかもないし羽根も生えてやしない。立派な髭もない。
例えるとしたら、去年父が出張先のハワイで買ってきた、ボージョボー人形に似ている。しかし何故か僕はそれを神様だと認識した。
神様はちゃぶ台の前に座り、僕に語りかける。
「死んじゃったけど、何か反省はないかな」
僕は頭を横に振る。神様は続けた。
「死んだ原因は分かるかな」
「ケーキを踏んだから、ですか」
「違う」
せっかく僕が答えたのに、神様はそれを否定した。しかも、それっきり黙ってしまった。楽しそうにくるくる回っている。
仕方なく、僕は口を開いた。
「あのー、じゃあなんで死んだか教えてくれませんか」
「自分で考えろ」
その言葉の途端。僕が立っていた畳(神様は和室に住んでいた)に穴が開いた。人が落ちることのできる穴だ。しかもそれは、僕の真下だった。
叫ぶ間も与えられず、僕は神様の光の届かない、真っ黒の中へと放り投げられた。尻餅をついて地面に落ちた。
どうすればいいのか分からず、とりあえず僕は辺りを見渡す。真っ黒だ。何も見えはしない。
前、後ろ、右、左、下、と見たが何もない。しかし次に上を見た時。何かが、僕の真上に、浮かんでいた。
その巨大な物体に、僕は開いた口が塞がらなかった。


333 : ◆8vvmZ1F6dQ :2006/06/18(日) 18:50:27.30 ID:mZ+0O9dT0
どすん。
五個目のそれも、僕はかろうじてかわした。
岩のようなものが、次々と落ちてくるのだ。僕は必死に走ってかわすしか無かった。次の六個目が落ちてくるのを肉眼で確認し、僕は一歩を大きく踏み込んだ。
と、その時。周りの背景が、明らかに変化した。頭の上には青空が広がり、足元には花が咲いている。踏むたびに花粉が散らばった。
僕の顔の付近を、ちょうちょが飛ぶ。なんてのどかだろう。しかし次の瞬間。僕の上に気配を感じた。例の岩のようなものだ。しかも、今回は三個同時に。
この速度で走っていくと、岩にぶつかってしまう。僕は一旦スピードを緩めた。鼻の先に、岩のようなものが三個同時に落ちる。花粉が辺りに飛んだ。
「……め……な……い?」
その岩のようなものは、よく見ると文字の形をしていた。『め』と『な』と『い』だ。それらが地面をえぐるようにして進み、僕に迫ってくる。
僕は逃げるため方向を変えて足を踏み出した。だが、そこには断崖絶壁だった。さっきまでは、花畑が広がっていたのに。何故?そんな疑問を持ってしまったがために、
僕の体は宙を浮き、崖の下へ落ち、流れる川に飛沫を上げて突っ込んだ。川は深かった。顔をあげるのも困難なほど、流れも速い。水も冷たく、僕は震えた。
だが、目を開けると、案外川の中はクリアに見えた。気泡が無数に浮き、地面を見ると、水草が差し込む陽光を反射していた。
ある意味神秘的なその光景に心を奪われていると、背後で、何かが川に飛び込んだ音がした。そんなことをするのは、僕を追っている、あの文字達しかいない。
やはり、ふりむくと文字がいた。先ほどとは違う文字だ。『ん』と『さ』。ふと、この時、僕はあることに気が付いた。今までの文字を組み合わせれば、ある言葉ができることを。
そしてその言葉には、まだ一文字足りないことを。その言葉は、僕にとって重要な言葉だろう。それさえあの時言っていれば、もしかしたら僕は、死ななかったかもしれない。
この事態はボージョボー人形の神様が、僕にその大切な言葉を思い出させるために、起こしているのだろう。だとしたら、僕は残りの一文字を探さなければならない。
川の流れに必死に逆らい、水面から顔を出す。中にいる時は気付かなかったが、僕は今かなり危険な状況に置かれているらしい。滝が、目の前に迫っていた。
辺りを必死に見回す。川。石。草。文字は、どこにもない。『ん』と『さ』はいつしか流されて見えなくなっていた。
「くそっ、どこにあるんだ!」
滝はもうすぐそこだ。急がなければ。崖の上に目をやるが、太陽の光が邪魔をする。
──太陽?いや、あの光を発しているものは、太陽ではない。あれこそ僕が探しもとめていた、最後の、そして一番最初の、文字だ。
僕はその字を含めた、完成された六文字の言葉を、叫んだ。叫び終わった瞬間、妙に清々しい気分になった。
次の瞬間、僕の体は白黒のトンネルを通り、虹の空を飛んだ。次に何が起こるのか待ち構えていると、僕は赤ちゃんになっていた。
しかしそれも一瞬だけで、超高速で僕は成長していた。中学校を卒業し、高校に入学し、彼女ができて、その彼女の誕生日の日で、僕の成長は、止まった。

「違うよ、このことだ!」
彼が指差したのは、潰れた箱。隙間からケーキのクリームみたいなものが、はみ出していた。
彼の汚れた手が気になったが、そこはなんとか抑え、僕は極力やさしく、言った。
「ごめんなさい」

おわり



BACK−凶器◆Y8.1Oysm9s  |  indexへ  |  NEXT−carpo ◆twn/e0lews