【 最終手段 】
◆Qvzaeu.IrQ




310 : ◆Qvzaeu.IrQ :2006/06/12(月) 18:12:51.39 ID:T2sM3N5l0
 美希と付き合いだしたとき、あまりの可愛さに食べてしまうかと思った。
 美希にプロポーズしたとき、あまりの愛しさに食べてしまおうと思った。
 今思えば、あのときに食べておけば良かった。家のドアを開けるたびに、そう思う。
 
 昔の美希は、信じられないほどに可愛かった。本気で食べてしまえるんじゃないか? と思ったこともしばしばだ。
 同棲しているときは、仕事帰りには必ず労ってくれてた。
 それが、今は人が仕事から帰ってきても、何の音沙汰もない。リビングで、テレビに噛り付いている。
 なんなんだろうね、この変化具合。結婚してから、まだ3年しか経ってないのに、この神秘。
 お前は、その内専務の奥さんみたいになるのか? 食って寝て食って寝て、人をこき使って。
 それとも、武田さんの奥さんみたいに、人の金を食い尽くすのか? 昼間はレストランで、仲良くお喋り。
 大谷さんの奥さんみたいに、完全放置ってのも考えられるよな。
 俺の苦汁を私腹にして、強くたくましく肥えていくのか?
 それだけは勘弁して頂きたい。あと、50年は連れ添うであろうから。
 新婚の頃の可愛さはないのかい? 
 見つめる視線の先には、俺のことなど意に返さずにテレビを見詰める美希。
 もう帰ってから大分経ちますよ。マジで、お帰りナシか?
「……、ただいま」
「あ、おかえり。いつからそこいた?」
「大分前に」
「ふーん」
 全く、同一人物かと疑いたくなる。つい数年前は、抱きついてきた人なのにな。
 社会の荒波って奴が、俺を飲み込むのが良く解った。
 家族は一番小さな社会の単位とは、よく言ったもんだ。二人しかいない社会で、俺は早くも飲まれてくちゃくちゃですよ。
 酸いも甘しも噛み分ける、とはこういうことを言うのかもしれないな。今が酸いで、昔が甘しだ。


311 :最終手段 ◆Qvzaeu.IrQ :2006/06/12(月) 18:13:21.08 ID:T2sM3N5l0
「いつまで、そこに突っ立っているわけ?」
「ん、あー、取りあえず疲れたから、お風呂に入りたいんだが良いか?」
「駄目」
「な、何で?」
「あのね、光熱費って知っているよね。水を3度あげると、7円も余計にかかるの。5円チョコが余計に買えるでしょ? 10日我慢すれば、もやしが買える計算」
「なるほど」
「で、私は今、お風呂に入りたくない。すると、二人の入浴時間がずれるよね? 追い炊きするよね? だから駄目」
 賢いな、昔は愛すべき馬鹿な子だったのに。
 瞳を閉じれば思い出す、消費税の計算が満足に出来なかった美希。
 5%だから、一割計算して半分が消費税。って何度教えても、理解しなかったのにな。
「解った、じゃあ少し疲れたからそこで休んでいる」
「ん」
 んって、もうちょいなんかこう良い返事があるだろうに。
 俺が疲れてぐったりしていると、キッチンから料理を作る音が聞こえてきた。
 大谷さんなんか、奥さんが料理を作ってくれないので、自分で作っている。
 あの人こそ、その内奥さんのことをロールキャベツにして食っちゃうだろうなあ。離婚する勇気なんかなさそうだ。ましてや、奥さんが強烈だから養育費とかせびられるんだろうな。可哀想に、想像するだけで涙がでてくる。
 専務なんかはたまんないよな。会社で結構デカイ面しているのに、あれだもんなあ。専務の奥さんは酷いからな。色々な意味で。社内で、バレているってのが最高に辛いよなー。
 武田さんの奥さんは浪費家っちゃ浪費家だしなあ。やっぱり、その内スマキにして食っちゃいそうだよなあ。そん時は、武田さん庇ってやろう。
 美希もいずれは、そうなってしまうのだろうか。そん時は、海苔巻きにして食ってしまうか? 最終手段だよな。
「ほら、そろそろご飯できるから運んで」
「はいよ」
「あ、今日は最近疲れているようだからさ。こー、元気が出る奴作ったから。ネットで調べたんだぞぅ、一日中っ」
 にこってキッチンカウンターの向こうで、美希が笑った。
 勢い余って、食べてしまわずに良かったと思った。



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