118 名前:食べる1 ◆5GkjU9JaiQ 投稿日:2006/06/10(土) 20:13:21.82 Rx0e6/8OO
「おいしい?」
不安そうに聞いてくるので、私は頷く。
「うん、おいしいよ」
夫は満足そうに笑みを浮かべる。
彼の笑顔を見るのは、好きだ。
もう三十路に入ろうかという年だけど、そこには純朴な少年の面影が残っている。
料理を作るのが趣味で、休日は私の代わりに手の込んだ夕飯を作ってくれている。
こちらは専業主婦なのに頭が下がる思いだけど、キッチンに立っている時の彼は他のどんな時よりも生き生きとしていた。
その様子をダイニングのテーブルに着いて眺めるのは、私の密かな楽しみの一つである。
「そういえば、今度お義父さんがこっちにいらっしゃるって」
「本当に?」
そう答えながら、夫はキッチンに戻る。
オーブンを開いて中身を確認すると、渋い顔をしてこちらに戻って来た。
「まだ十分に焼けてないみたいだ」
119 名前:食べる2 ◆5GkjU9JaiQ 投稿日:2006/06/10(土) 20:14:19.01 Rx0e6/8OO
彼はテーブルの向かいに座り、頬杖をつく。
「親父が来るなら、俺の手料理でも食わせてやるかな」
それを聞いて私は慌てて顔を上げた。
「たまには外食にしようよ。ホラ、あなたも日頃疲れてるんだし」
「え?別にそうでもないけどなあ」
義父には電話で強く言われている。
“倅の料理だけは勘弁してくれ”、と。
目の前にあるのは、黒く焦げたものを浮かべて煮たっている謎の液体。
彼に言わせれば“ミネストローネ”らしい。見た目からは想像もつかなかったけれど。
味の方も、複雑にして怪奇。不味いとは言い切れないのが救いだろう。多分。
全く下手の横好きとはよく言ったものだ。
私が思わずため息をつくと、夫は不思議そうな顔をする。
「どうした?」
「美味しさに思わず溜め息が」
夫は、また嬉しそうに笑った。
惚れた方が負けだとはよく言うけれど。
その笑顔の為に、私は食べるのだ。
―了―