【 和菓子屋 千花 】
◆ZEFA.azloU




761 名前: ◆ZEFA.azloU :2006/06/05(月) 00:08:09.06 ID:8ZFztZd+0

品評会お題:噂   『和菓子屋 千花』



 小学校低学年くらいの時までだっただろうか。

 僕の家は山の中腹にあった。父さんと母さんが、子どもの頃は自然に囲まれた方が良いと言ってそうしていたらしい。

 当然、小学校に通うにも母さんが車で送り迎えをしてくれていた。

 元々内向的だった僕に、そんな特殊な環境下が加わったおかげで、当然友達など一人もできなかった。

 その代わりと言っては何だが、あの頃は自然からの誘惑が非常に魅力的だった。

 美しい草花や木々、動物や虫。僕は毎日のように自然と戯れた。

 学校では変人と噂され、母さんは先生から面談の度に友達ができない事について話されていたらしい。

 そんな僕にも、たった一人だけ友達がいた。

 あれは確か夏休みの頃だったか。優しそうなおばあちゃんと一緒に、同い年くらいの可愛い女の子が家の近くにやってきた。

 僕の住んでいた場所はほとんど村と呼んで相違ない場所だったから、人が増えるのを皆喜んだ。

 二人が引っ越してきた次の日、女の子が僕の所へ来た。

「はじめまして。私チカって言うの。よろしくね」

「……忠信。よろしくね」

 同年代の、それも女の子と話した事なんてほとんど無かった僕に、チカちゃんは優しく接してくれた。

 程なくしてチカちゃんとはすぐに仲良くなり、たっちゃん、ちーちゃんと呼び合う、かけがえの無い友人となった。

 でも、それからしばらくして、僕は町に引っ越す事になった。

 理由は、学校で僕に友達ができないという先生の話から。母さんも父さんも、それを気にしてくれたらしい。

 今にして思えば僕のことを第一に考えてくれていたんだろうが、当時は随分勝手なことをしてくれると思っていた。

「チカちゃん、ごめんね。僕、遠くへ引っ越さなくちゃいけなくなったんだ」

 別れの数日前にこの話をした途端、チカちゃんは泣き出してしまった。

 僕は何かをプレゼントしたいと思って、必死で考えていた。

 とは言え、所詮は小学生。四つ葉のクローバーくらいしか思いつく物は無かった。

 村でガラス工芸を営んでいたおじさんに頼んで、四つ葉のクローバーをガラス玉に入れてもらい、紐を通した。

 別れの日にそれを渡すと、チカちゃんは泣きながらそれを身につけてくれた。

「ありがとう。首輪、大事にするからね。また、絶対会おうね」

 首輪とは変わった事を言う、と間の抜けたことを考えながら、僕は当時ただ一人だった友達と別れたのだった。





762 名前: ◆ZEFA.azloU :2006/06/05(月) 00:08:51.67 ID:8ZFztZd+0

 あれから、もう何年経っただろうか。

 今や僕もすっかり大人になり、スーツで武装し、スケジュールに踊らされ、会社と家を往復する毎日を送っている。

 そんな僕が、今こうして林道を歩いているのには、ちょっとした訳がある。

『会社の近くにさ、小さな森があるじゃん? その奥に和菓子屋があるんだけどさ、そこの店員、狐が化けてるって噂だよ』

 噂好きで知られる同僚から、先日こんな話を聞いたのだ。

 別に噂が好きだという訳でもないし、好奇心から、という訳でもない。

 久しぶりに聞いた森という言葉に、幼い頃の思い出を求めたのかも知れない。

「この辺だと思うんだけどなぁ……」

 地図を片手に、あまり整備されていない道を歩く。移動手段が車になって以来、体力が落ちたような気がしてならない。

 額には汗がにじみ、足はずいぶんと重く感じる。

 でも、車に乗っていては見逃してしまいそうな美しい草花に、心が落ち着く新緑の香り。

 それだけでも、こうして歩いている価値はあるように思えた。

「おっ……見えた、あれだな」

 時間にして30分程だろうか、少し開けた森の中に、ぽつんと小さな店が見えた。

「狐が経営してる……ねぇ。こんな時代だ、狐も人に化けた方が暮らしやすいのかもな」

 噂を思い出して、くすりと笑う。でも実際、こんな時代じゃ狐もお金を出して食べ物を買った方が暮らしやすいのかも知れない。

「ごめん下さい」

 扉を開け、中に入る。最初に目に入ってきたのは、ショーウィンドウに並べられた団子や餅だった。

「おや、お客さんとは珍しい。和菓子屋千花へようこそ……おや」

 奥からやってきた初老の女性が、僕を見るなり動きを止めた。

「……はい?」

 思わず間の抜けた返事をしてしまった僕に、女性は懐かしそうな表情を浮かべながら口を開いた。

「間違ってたらごめんなさいね。もしかして、忠信坊ちゃんですか?」

「え!?」

 今度は、僕がびっくりする番だった。

「し、失礼ですが、僕が小さな頃にお会いしましたか?」

 社会生活の中で自然と身に付いた僕の敬語に、女性は可笑しそうに微笑んだ。

「おやおや、すっかりご立派になられて。ええ、ええ。もちろん知っております」

「はぁ……」





763 名前: ◆ZEFA.azloU :2006/06/05(月) 00:09:15.76 ID:8ZFztZd+0

 どこで会っただろうと考えている僕に、女性はさらに続けた。

「それにしても、びっくりしましたよ。うちのチカが、今日はあなたに会えそうな気がすると噂しておりましてね」

 僕に告げながら、女性がぱんぱんと手を叩いた。

「チカ、チカや。おいでなさい」

 その声を聞いた瞬間、思わず僕はあっ、と大声を出した。

「まさか! おばあちゃん!?」

 僕の声に、女性はただ懐かしそうに僕を見つめていた。

「はい、かか様……あっ」

 のれんを押して、女性がもう一人出てきた。その瞬間、僕の視線は彼女の首元に注がれた。

「あ……」

 四つ葉のクローバーが入った、ガラス玉のネックレス。

「……久しぶり。また、会えたね。たっちゃん」

 にこりと、あの頃と変わらぬ笑顔でちーちゃんが微笑んだ。



 ――噂とは、時に真実を含んでいる事がある。

 そんな事を考えながら、僕は懐かしい『自然』との再開を果たしたのだった。

                             (了)




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