【 色の無い彼女 】
◆71Qb1wQeiQ




21 :No.05 色の無い彼女 1/5 ◇71Qb1wQeiQ:08/04/13 00:07:37 ID:00/veSaQ
「なぁ、何が見える?」
 フェンスの向こうを見据えながら、志郎はそんな言葉を投げた。
 ここはとある病院の屋上にある庭園。流行の癒しと環境保全とやらに影響されて緑のデコレーションが施されたその場所には、見渡
す限り誰もいない。せいぜい右腕にギブスを嵌めている志郎がいる程度で。
 だから志郎のつぶやきは、川面に投げ込まれた石のように青い空へと沈んでいく、はずだったのだが。
「んー。あなたと同じだと思うよ?」
 頭上。それも志郎のすぐ真上から、そんな答えが返って来た。
 鈴を転がすようなその響きに、志郎はゆっくりと上を見る。その視線が捉えたのは、天蓋のように覆いかぶさる秋空と、その空に重
力を無視して浮かんでいる一人の少女。
 歳は、志郎と同じくらいだろうか。白い病衣に身を包んでいる少女が、上下逆さまの体勢で志郎の真上に立っていた。しかも手を伸
ばせば届きそうな高さの場所に、当然のごとく堂々と。
 それだけでも十分に非常識なのだが、あまつさえ彼女の身体はうっすらと透けていて、向こう側の青空が見えるのだ。
 まるで異常という言葉を擬人化したかのような存在の彼女に、しかし志郎はまったく動じない。
「同じか? キミは体勢がオレと上下逆じゃないか」
 それどころか志郎は眉一つ動かさず、そんな指摘すらする余裕があった。
「あ、そういえばそうだね。こうするようになって結構たつから、忘れてたよ」
 言いつつ、少女も上を――志郎の立つ病院の屋上を見た。空に向かって流れる長い黒髪が、その動きにあわせてさらりと揺れる。
「何でまた逆さまになってんだ、キミは?」
「ただの暇つぶしよ。普通に飛んでるのも飽きちゃったし」
「なるほど」
 志郎は納得したように頷き、そこで言葉は途切れた。沈黙は、しかし一瞬も続かない。
「……それにしても、あなた、私を見ても驚かないのね」
「ああ、キミみたいな幽霊は見慣れてるんでね」
 その言葉にウソは無い。いわゆる霊感が他人よりも優れている志郎にとって、彼女のような逝き残りは野良猫と同じくらいの頻度で
見かける存在だからだ。
 だが、彼女は不満そうに唇を尖らせる。
「私、幽霊じゃないんだけど」
「え、そうなの?」
 意外な答えに見開かれる志郎の瞳。その目線に合わせるように、彼女は少し高度を下げた。
「そうなの。生霊ってヤツなのかな、ほら」

22 :No.05 色の無い彼女 2/5 ◇71Qb1wQeiQ:08/04/13 00:07:56 ID:00/veSaQ
 彼女は自分の頭上を指差す。そこを注意深く眺めて見ると、つむじの辺りから細い糸のようなものが下に向かって伸びていた。おそ
らく、それが階下にある彼女の身体と繋がっているのだろう。
「なるほど、そりゃ失礼。しかし生霊か。確かに生霊は今まで見た事が無かったな……そうか、だからそんなにも消えそうなのに元気
なのかな、キミは」
「え? 何? どういうこと?」
 今度は逆に彼女が首をかしげる番だった。
「さっきも言ったけど、オレは幽霊を見慣れてる。それこそガキの頃から、色んなヤツを見て来た。燃えさしのロウソクみたいなヤツ
もいたし、キミみたいに元気で理性的なヤツもいた。そして成仏しかけの幽霊は、みんな例外なくキミみたいに白黒なんだよね」
「へぇー」
 端的な志郎の説明に、彼女はまじまじと自身の身体を見回す。簡素な病衣に包まれているその身体は、志郎の指摘どおりに陰影のく
っきり分かれた白黒だった。さながら、マンガの中から切り取って貼り付けたかのような。
「私、体から離れるとみんなこんな感じになるんだと思ってた」
「ああ、確かにこの病院にいるのは、もうすぐ成仏しそうな幽霊ばっかりだからな。そう思うのも無理は無いか」
「ん、そうかも」
 笑いあい、頷きあう二人。その脇を、秋風が静かに通り過ぎていった。まだ少しくすぶっている夏の名残が拭い去るかのように、涼
やかな音を立てて木の葉が揺れる。
「……それにしても久しぶりだなぁ、こうして誰かとしゃべるのって」
 その音色に隠れてしまいそうな声で、彼女はぽつりとつぶやいた。
「そうなのか? こういうのもなんだが、生霊仲間とかは?」
「居ないよ。事故にあって、こんな身体になって、もう三ヶ月くらいになるのかな。それ以来まともに話したのは、あなたが初めてな
んだよね」
 はにかむような、自嘲するような。そんな曖昧な笑みを、彼女は浮かべた。
「そうか。けど三ヶ月も経ってるなら、もうキミの身体は治ってるんじゃないのか?」
「ううん。治ってるどころか、最初から大したケガじゃなかったんだよね。頭をちょっとぶつけたくらいで」
「打ちどころが悪かったのか」
「それも違うみたい。私の身体を見てたお医者さんが、脳波とか身体の状態とか、そういうのは全部正常だって言ってたもの」
「ふーん……」
 その理由が何なのか、志郎はしばし考える。考えながら、人差し指で右腕を包んでいるギブスをつつく。コツコツと、秒針のように
一定のリズムを刻みながら。
「じゃあアレだな、心の問題なんだ」

23 :No.05 色の無い彼女 3/5 ◇71Qb1wQeiQ:08/04/13 00:08:13 ID:00/veSaQ
 そうして十六度ほどギブスをつついた後、志郎はそう結論付けた。
「あ、やっぱりあなたもそう思うんだ。お医者さんもそんな感じのことを言ってたし」
「違うのか?」
 端的に、しかし鋭く切り込む志郎の指摘。
「……ううん、正解。多分私は、生きることを、心のどこかで怖がってるんだと思う」
 言いつつ、彼女は目を伏せた。そのまま足元のずっと下、ふらふらと流れていく雲を見つめながら、逆さまの彼女は続ける。
「昔、ひどいイジメにあってね。それで、ほら」
 彼女は手首を頭上に掲げる。その手首に刻まれているのは、幾条もの痛々しい傷の跡。
「高校にあがってからは、そんなことは無くなったんだけどね。けど、生きるのがイヤだっていう根本的な思いは、私の中にいつまで
もこびりついてた。だからきっとそれが、私が生霊になっちゃった原因だと思う」
 ――ざわり。
 そんな音を立てながら、秋風が走り去っていく。木の葉と志郎の服の裾がはためいたが、彼女の髪はピクリとも動かなかった。
「……折れちゃったんだね。生きる意思とか、勇気とかが。昔のサビが原因で、真ん中からぽきっと。丁度、あなたの右腕みたいに」
 彼女の大切なものと例えられた自分の右腕を、志郎は思わず見下ろす。ただ階段を踏み外しただけのケガを、そんな比喩で包まれる
時が来るとは思いもしなかったからだ。
「なるほど。昔のトラウマが、キミをそんな状態にさせたわけだ」
 志郎は改めて、白黒で逆さまな彼女を見据えた。今にも成仏しそうな幽霊と同じ風体をしている、彼女を。
「……生きてる限り、人は他人と摩擦し、ぶつかり合う。良くあることだ。人の間と書いて人間と読むくらいだからな。だからそれが
怖くなって逃げるのは、別に悪いことじゃないと俺は思う」
 彼女は何も言わない。無言のまま、遠ざかる雲を目で追い続けている。だが、かまわず志郎は続ける。
「けど、キミが逃げ込んだその場所は、立っているだけで命をすり減らす危険地帯だ。今はまだ大丈夫みたいだけど、その身体は成仏
しかけてる。白黒なのがいい証拠だ。多分、キミの死にたいっていうトラウマがそうさせてるんだろうね。本当にそれで良いのか、良
く考えることをお奨めするよ」
 そこで志郎は言葉を切り、きびすを返した。伝えるべきことは全て伝えた、とでも言うように。
「……待って」
 そうして志郎が院内に続く扉に手をかけようとした矢先、弱々しい叫びがその動きを押しとどめた。
「私は、一体、どうすれば良いのかな……?」
 迷いを滲ませた彼女の嘆きに、しかし志郎は振り返らない。
「自分の人生は、結局自分で選択して、自分の足で進むしかないんだよ。例えその先に何があったとしてもね」
 扉を見据えたままそう言い残し、志郎は今度こそ扉をくぐった。

24 :No.05 色の無い彼女 4/5 ◇71Qb1wQeiQ:08/04/13 00:08:27 ID:00/veSaQ
 それから一週間後。
 右腕のギブスを外してもらった後、志郎は何気なく屋上庭園にやって来た。
 申し訳程度の緑がまばらに点在しているこの場所には、相変わらず誰もいなかった。今回は人影だけでなく、彼女の姿も含めてだ。
 それでも志郎は一週間前と同じ場所に立ち、フェンスの向こうを眺める。
 金網をすり抜けて流れてくるのは、どこまでも真っ赤な夕日の光。その赤色に全身を塗りつぶされながら、志郎はゆっくりと右手に
視線を落とした。
 つい先ほどギブスが取り払われた右手。その手を握り、開く。
 違和感はまったく無い。折れた志郎の骨は、完全に繋がったのだ。
「――キミは、繋がったかい?」
 気がつけば、そんなつぶやきを志郎はもらしていた。
 誰に聞かせるつもりもなかったその言葉は、気まぐれに吹いた秋風にさらわれて行く、はずだったのだが。
「んー、繋がっちゃったみたい」
 頭上。しかも志郎のすぐ近くから、控えめな返事が戻ってきた。
 さながらバネ仕掛けのように機敏な動作で、志郎は反射的に上を見た。その視界に映りこんだのは、真っ赤な夕焼けと、崩れていく
飛行機雲。
 そして、はにかむような笑顔を浮かべる、彼女だった。
 相変わらずさかさまで重力を無視している彼女だったが、一週間前とは明らかに違っている点が一つあった。
 精彩が、戻っていたのだ。
「……完全に戻るのは、もう少しかかりそうだけどね」
 少し照れくさそうな表情で、彼女はつぶやく。
「良いんじゃないか? 今はとりあえず、折れたものが繋がっただけでも。進むのは完治してからでも遅くは無いさ」
「ん、そうかもね」
 そうして二人は頷きあい、ひとしきり笑った。

25 :No.05 色の無い彼女 5/5 ◇71Qb1wQeiQ:08/04/13 00:08:43 ID:00/veSaQ
「……それで?」
 机に頬杖をついていたショートカットの女子生徒が、不満げにつぶやいた。
「それでって、何が?」
 不満の理由が分からず、対面に座っていたもう一人の女子生徒が首をかしげた。その動きにあわせて、長い黒髪がさらりと揺れる。
「何がじゃないわよ! それから二人は一体どうなったのよ消化不良も良いトコじゃないの!」
「お、落ち着いてよトモちゃん」
「これが落ち着いていられますかっての! ああもう! 気分転換のハズだったのにどうしてこんな中途半端なモヤモヤを抱えなくち
ゃなんないのよー! そもそも志郎のヤツは相手の名前を知らないじゃん? バカなの!? バカなのね!?」
 うがー、という感じでトモちゃんは叫んだ。じたじたと机の下で足を振り回しながら、力の限りに。
 放課後の図書室という人気の無い場所だからこそ出来る、実に子供じみた芸当であった。
「だって仕方ないじゃない、いくら聞いてもこれ以上は教えてくれなかったんだもの」
 その言葉に、トモちゃんの暴走がピタリと止まる。
「……へ? 教えてくれないって、誰が?」
「お父さん」
「お父さんって、え? 今の話って実話!?」
「らしいよ? 多分、お母さんに聞けば続きが分かると思うな。明日、聞いてこようか?」
 その提案にトモちゃんは一瞬頷きかけ、しかし思いとどまり、眉根にシワを寄せてしばらく思い悩んだのち、力なく首を振った。
「……いや、やっぱ良いわ、うん」
「え? どうして?」
「どうしてって、ねぇ」
 真正面に座る友人を見据えつつ、トモちゃんはため息をついた。結末が分かりきっている話を聞くのは、彼女の趣味に合わないのだ。
「んー。なんだか良くわかんないけど、早く課題終わらせちゃおうよトモちゃん」
「……そだね」
 もう一度ため息をついてから、トモちゃんは手元のノートに向き直った。が、難解極まりないアルファベットの羅列は、五分もしな
いうちに彼女の集中力を根こそぎ奪い去っていく。
 ふと視線を上げてみると、机の反対側ではとある男女の愛の結晶が、一心不乱に教科書をチェックしていた。
「……そこから先は、どこにでもある恋愛マンガみたいな話だったんだろうね」
「え? 何が?」
「や、なんでもないよ。ただの独り言」
 パタパタと手を振り、今度こそトモちゃんはノートに集中した。



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