【 Andy. 】
◆IaQKphUgas




11 :No.03 Andy. 1/5 ◇IaQKphUgas:08/04/12 18:16:17 ID:BYK3/TgN
 アンディはマンガを読む。
 毎日、安楽椅子に腰掛け、老眼鏡を鼻に掛け、カーディガンを肩に掛け、ゆったりと読んでいる。
 夜には、子供達が読んでくれとせがみにやってくる。アンディは、個人で孤児院を運営している。お手伝いさんもいるし、いろいろ
な娯楽もあるし、学校にも行かせているが、子供達は大抵全員、夜にはアンディの下へやってくる。そして今読んでいるマンガを、
読み聞かせてくれと頼む。アンディは微笑んで、ゆっくりと読み出す。絵が見えなくとも、子供達は、歯を覗かせてアンディの声を聞
いている。
 アンディは、子供向けのコミックスしか読まない。一応のこと、違うものにも目を通しはする。マンガであれば、なんであれ一度読
んでみる。たとえば、「マウス」も、二巻全てを読み終えた後に、感嘆を漏らしながら、本棚にしまった。しかし以後、二度と開くこと
はなかった。
 アンダーグラウンド・コミックスにだって手を出した。エアー・パイレーツ・ファニーズは、時折含み笑いをし、直後、それを恥じ入
るように顔をしかめる、といったことを繰り返して、最後まで読んでいた。そして「エネルギーに溢れているね」と言って、静かに閉じ
た。そのあと、子供達が見ないように、段ボールの奥にしまい込んでいた。しかし、UGで笑ったのはミッキーマウス関連だけだ。フ
リッツ・ザ・キャットなんかは、終始無表情であった。
 それについて、あるとき客人が、アンディに尋ねた。段ボールを空けながら、「おや、アンディさん、こんなものまでお読みになる
んですか」
「えぇ。エアー・パイレーツ・ファニーズは不覚にも、面白かったですよ、子供達が読むとマズいので、しまっていますが」と、ミッフィ
ーを読みながらアンディ。
「あなたもどうして、聖人君子だと思っていましたが、そういう俗人的なところもあるんですね」
「まるっきり私は俗人ですよ」穏やかにアンディは答えた。
「単にディズニーが嫌いなのですから。「新しい精神」や「総統の顔」なんて作っているし……おまけにソニー・ボノ法ですよ。子供
のための会社ではないです。利権にまみれた、汚い世界だ。マンガに相応しくない」
「でもそれじゃ、ルーニー・テューンズなんかもお嫌いで? ポパイだってプロガバンダになりましたし」
「程度の問題ですよ、程度の」
 とにかくアンディは、マンガは”子供向けである”ことを、異常に拘った。あらゆるプロガバンダはもちろん嫌悪したし、少しでもア
ダルトであると、否定こそしないが、二度と読みはしない。
 ある人はそれを指して「子供のまま」と言い、またある人は、彼が孤児院を運営していることを含め、「ペドフェリアに違いない」と
する人までいた。今回の問題は、後者だ。

 アンディ・デュフレーン氏の下へ、監査員を送るようにとの問い合わせは、過去同一人物から何度もあった。今やそれは拡大し、
ついには多数の”グループ”までもが作られ、動かざるをえなくなるほど、当局の頭を悩ませる存在となってしまった。こんなものは、

12 :No.03 Andy. 2/5 ◇IaQKphUgas:08/04/12 18:16:40 ID:BYK3/TgN
私怨に違いないだろう。どう聞いても、彼はただの人格者に過ぎない。しかし動かなければ信用問題であるし、なによりも、なるほど
確かに人格者ではあろうが、不安材料はある。個人孤児院を運営する老人、おまけに幼児的趣味。この国は、こと幼児への性犯罪
には厳しいのだ。他がどうであろうとも、それだけは守り通すつもりらしい。
 アンディ孤児院は、彼の広い邸宅を、全面改装して作られたものだ。白塗りの壁に、橙の屋根。柊の木が見事な庭には、中規
模の公園があり、今も子供達と保母さんとが、はしゃいでいた。私はチャイムを押した後、それを眺めていた。皆笑顔だ。
「お待ちしておりました、どうぞ」アンディ氏がドアを開け、私を招き入れた。彼は、年の割には、姿勢も良く、顔も精悍であった。
 院内には、多数の孤児達の写真が飾られていた。各々の部屋では、他の孤児達がやはり騒ぎ、保母さんがそれをたしなめてい
る。「どうもすみません。子供達は今日も元気なもので」愛想良く、アンディ氏は笑った。
 しばらく進むと、何やら地味な扉があった。物置かと思ったが、そこがアンディ氏の私室らしく、中へ通された。
 中はかなり広く、そこらに本棚があった。ざっと見渡してみたが、全てマンガだ。正面の窓から午後の気持ちのよい陽が射してお
り、中央の安楽椅子と仕事机との、おだやかな輪郭を浮き上がらせていた。
「さて」アンディ氏は椅子を出して、自分は安楽椅子へ座った。「どうぞお掛けに。すみません、私だけ安楽椅子からで。そうだ、何
かお飲みになりますか?」
「いえ、お構いなく」無愛想に、私は座った。申し訳ないが仕事である。「ご存じだと思いますが、後から他の監査員が参ります。調
査が終わるまで、あなたはここに待機して頂きます」
「あなたが付き人でね。えぇ、存じております」穏やかに言うと、アンディ氏は、手元のマンガを開いた。タンタンの冒険旅行だ。
 しばらく私も、彼も、無言でいた。アンディ氏はもちろん、黙々と本をめくっていた。私は手持ち無沙汰にそれを見ながら、私怨説
を一人拡大させていった。院内の部屋は、どれも開けており、外から丸見えである。いたずらでもしようものなら、即座に見つかる
だろう。唯一閉ざされた空間はこの私室だが、そもそもこの私室には、ベッド一つないのだ! 外がやや騒がしい。となると、他の
監査員達が到着し、聞き込みでも行っているのだろう。
 私の目の前にいる老人は、嘘などつきはしないだろう。しかし、監査員は嘘をつく。最初から”性的虐待をしている老人を逮捕す
る”という目的があれば、達成の手段は嘘をつくことに限る。あのやかましい電話をやませるためには、いっそ逮捕してしまう方が
楽だ。当局は暇ではない。電話を毎日受けるほど暇ではなく、犯罪者を仕立て上げるほどには暇なのだ……
 私はとうとう、憐憫の情が最高潮に達した。まだアンディ氏がそうなるとは限らない。しかし、ならないとも限らない。だとしたら、
どうすればいいのか。様々な思考の波が頭に打ち付けたが、まとまる前に、一つの質問をしていた。
「あなたは、なぜそんなに、マンガに、特に子供向けに拘るのですか?」
 アンディ氏は、最初、いや、二分ほど返事をしなかった。聞こえなかったかのように、まだマンガを読んでいた。私は聞こえなか
ったのだと思い、座り直したが、そこでアンディ氏は口を開いた。
「当局のやり方は、十分に存じております」こうだ。

13 :No.03 Andy. 3/5 ◇IaQKphUgas:08/04/12 18:16:54 ID:BYK3/TgN
「えぇ……まぁ、いえ、そうなるとも限りませんよ……」突然だったので、私は歯切れ悪く、そう答える。
 彼は、老眼鏡を外し、本を閉じて「いえ、そうなるのが当然なのです」と言った。私は当惑した。これは、もしや自供なのだろうか?
 そうなるのが当然とは?
 また彼は、少し押し黙っていたが、苦々しげに、言葉を紡いでいった。
「レッド、という作家をご存じですか? 七十年代のエンターテイメントの寵児、八十年代にはトップとなった」
「あぁ……読んだことがあります」
 著名な作家だ。その過激なテーマと、決して大衆に契合しない姿勢とが、高く評価されていた。あまりにもバイオレンスな作風の
為、度々メディアに取り上げられていたが、本人は覆面作家を守り通した。しかしあるとき、ピタリと発表をやめてしまったのだ。
「作品から影響を受けて、学校を襲った奴がいましたよね」
「えぇ。幼い子供達が、合わせて十七人亡くなりました」
 そうだ、確か九十年代の半ば、彼の著作から影響を受けたとして、作中の人物そっくりに扮した男が、またそっくりな状況を――
つまり学校を襲い、多数の死者を出した。それから、レッドは作品を一切出さなくなった。マスコミと世間のバッシングには回答一
つなく、ただ忽然と姿を消した。時の人は、今やエンターテイメント界の恥部とまで呼ばれている。そんな事件だ。
「私がそのレッドです」
 唐突に、尚かつ無表情で、アンディ氏がそう言った。なんの冗談かと、私がぽかんと口を開けていると、彼は腰を上げ、引き出し
やタンスから、多数の書類を引っ張り出してきた。「”レッド”の生原稿ですよ。担当とのやり取りもあります。当時は全て紙でした」
 それからまた、厚手のブリースケースやら、物置やらから、同じようなものが多数出てきた。その間も、アンディ氏は常に無表情
であった。どうやら、どうも、真実らしい。
「するとあなたが……本当に作家のレッド……」
「えぇ」
 また肘掛け椅子に座り、ゆっくりと彼は言った。この人畜無害そうな老人が、あのレッドなのか。
「わかりました。となると、アンディさん。あなたは」もしや、憶測だが「事件を悔やんで孤児院を?」
 またもや、アンディ氏は無言となった。閉じた本を、再び手に取り、撫でるように眺めている。
 その本を静かに開きながら、また、彼は静かに口を開いた。
「私は、ひどい坊ちゃんでした。実家が大地主でね。おまけに両親は、過保護も過保護でした。だいぶ甘やかされて育ったし、丁
度こんな」彼は、本を掲げた。「本を、潤沢に与えられた。でも私は、学校だけは下町の方へ行ったんですよ。そこで、自分の知ら
ないことを沢山学んだ。学校に、マンガも持って行ったことがあったけれど、とても馬鹿にされて、私は恥ずかしくなった。下校中に
見た、いろいろな光景も、私がマンガで得た”夢物語”が、まるっきり嘘だと教えてくれた」
 彼は本を置き、レッドの原稿を、いくらか取り出して、やはりそれも、撫でるように眺めていた。
「だから、自立して家を出たときに、私はこういったものを全て処分して、マンガなど二度と読むまいと思ったんです。そして、私は

14 :No.03 Andy. 4/5 ◇IaQKphUgas:08/04/12 18:17:10 ID:BYK3/TgN
坊ちゃんである自分から、脱却したいと考えた。もっと下卑た、下種で粗暴な、そういった人間になりたいと思った。その欲望を、
この原稿に全てぶつけたんです。私は、大分いい気になっていた。こんな、紙の上でのことで、本当にそうなったと考えていた」彼
の語調が、震えだした。「そしてあるとき、私の下に一報が入ったんです、あの、例の事件の。意気地なしの私は、卑怯にも衆目
の中に自らを置かなかった、俎上に載せられたのは、覆面としてのレッドだった。しかし私は、自己弁護ですがね、全ての児童の、
葬儀に出て、彼らの親御さんに招待を明そうと考えていた。ですが……」
 原稿を、ぽんと机に置き、今度は何枚か写真を取り出した。事件の被害児童たちです、と彼は注釈し、その中の一枚を指し示
す。
「この子の親御さんを見て、私は恐れを成してしまった。葬儀の日、私は決意を決めて出たのですが、この人が最中に、物凄い金
切り声を上げだした。ついには閉め出されたほどで、私はついて外へ出たんです。本当に、精神が摩耗し、おかしくなっていらっし
ゃった。見ているのも、辛かった。
 それで、その人は、私につらつらと話し始めたんです。亡き夫との間に、やっともうけた一人息子で、とても可愛がっていたこと
や、自分はもう子を産めない身体であることや……私はただ、それを聞いていました。何もできなかったし、頭は真っ白だった。最
後に、彼女はこう言ったんです。『あなたは、とても優しいわ。レッドというあの悪魔も、あなたのようだったら、こんなことは起きず
に済んだのに』と。私はそこで、別れを告げて、家に帰り、全てを完全に捨てた。端的に言うと、最初に申したように、ただ怖くなっ
てしまったのです」
 私は、ただ黙って聞いていた。
「監査員さん、私は卑怯なのです。私は、他人の人生を背負い込む、覚悟がなかった。そのくせ、あんなものを書いて、いい気に
なっていた。自分が良ければそれで善かったのです。おまけに、事が起きた後も、私はとうとう、責任を負うことがなかった。
 ……監査員さん、恐らく、そちらの方にしょっちゅう電話がかかってくるでしょう。私に間して」
「はい」
「それが、先ほど話した女性です。彼女は私のことを知っておられる。最初は、レッドを処罰するように申し立てていた。その後、
血眼で調べて、私がレッドであることを知った」
「ならば、なぜそれを周りに?」
「彼女に会えば、わかると思います」彼はまた、マンガを手に取り、開いた。
「……せっかく多く読んだのだから、こういうものを書いておけばよかった」そしてそのまま、彼は黙り込んだ。どんなに待っても、
今回は、再度口を開くことはなかった。
 携帯が鳴る。調査が終わったらしい。出なければならない。ちらと再度、アンディ氏を見ると、まだマンガを見ている。……ただ、
最初に開いたところから、一ページも進んでいない。
「アンディさん」
 返事はない。

15 :No.03 Andy. 5/5 ◇IaQKphUgas:08/04/12 18:17:58 ID:BYK3/TgN
「マンガ、お読みになっていて」失礼な質問だとは心得ているが、しかし「あなたは、面白いでしょうか」
 アンディ氏は、何も応えなかった。私はそのまま部屋を出て、他の監査員と合流する。
「まるで無駄足だったよ」と、彼が漏らした。私は胸をなで下ろす。やはり、私怨だったのだ、あの女性の。「お前見たかよ、通報し
てきたあの女。ほら、毎回毎回電話してくるさ。まるで気が違ってるよ。目はぐるぐる回ってるし、アンディは悪魔で主の裁きがどう
のこうのとかさ、おかしいよあの女。アンディさんもかわいそうになぁ」と、そこで、外から物凄い怒号が飛んできた。
「また始まった。ほら、あの女だ」見ると、ボロ布のような服を着た、みすぼらしい初老の女性が、つばを撒き散らかして、さかんに
怒鳴っていた。断片的に、意味を成す言葉が聞こえている。「私の子が……悪魔に……偽装して私に近づき……あんなもののせ
いで……」
「こわいよなぁ、現代社会ってのは。なんでああなっちゃったんだろうね」
「……本当に、なんで、ああなってしまったんだろう」
 その後私たちは、帰った。問題の電話は、その後もしばらく続き、結果的に業務妨害として、起訴されるに至った。

 アンディはマンガを読む。
 毎日、安楽椅子に腰掛け、老眼鏡を鼻に掛け、カーディガンを肩に掛け、ゆったりと読んでいる。
 夜には、子供達が読んでくれとせがみにやってくる。アンディは、個人で孤児院を運営している。お手伝いさんもいるし、いろいろ
な娯楽もあるし、学校にも行かせているが、子供達は大抵全員、夜にはアンディの下へやってくる。そして今読んでいるマンガを、
読み聞かせてくれと頼む。アンディは微笑んで、ゆっくりと読み出す。絵が見えなくとも、子供達は、歯を覗かせてアンディの声を聞
いている。
 アンディは、読み聞かせている最中、涙をみせるときがある。子供達は、総出でそれをなだめにかかる。優しく言葉をかける。ア
ンディは、それに対して微笑みながら、尚涙を激しくさせる。



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