【 2001年発のしし座流星群 】
◆pCysik/hpY




79 :No.18 2001年発のしし座流星群 1/5 ◇pCysik/hpY:08/04/07 00:49:55 ID:6ALZynw7
 過去を振り返る、あるいは時間を遡るという行為に対して『弱い』とか『後ろ向き』だとか野次を飛ばす人間が意外と多いこの世の中だが云々。
 そんな書き出しで始まる小説を、ある日わたしはどこかで読んだ。
 読んだ時期も場所も内容もとうに忘却の彼方、だけれどこの一文だけが今、わたしの中にふとよみがえってきた。
 当時これを読んだわたしはどう思ったのか覚えてない、けれど今のわたしはこの一文に(あるいは作者に)対して一言だけ言える。「悔しいけれど、あなたはとても正しい」
 なぜならあの一文はこういうふうに続くのだ。
『しかしその誘惑には誰一人として逆らえない』

「この小説では主人公が自らの過去に強い執着心を抱いていますが、それは何故だと思いますか、あなたの考えを60字程度で書きなさい」

 少し前の現代文の定期試験でこんな問題が出た。問題文は教科書に載っていたものがそのまま、ひどく下らない小説で、主人公が女の人と結婚するに至って昔の恋愛を思い出して勝手に煩悶しているというものだった。
 わたしは悩みに悩んで、結局相当に月並みな答えを書いた。
 配点10のうち6点を貰うようなイヤになるほど月並みな答え、問題文さえ見れば誰もが思いつくような平々凡々とした答え、つまりそれがわたしの全てで限界だ。
 もしも小説の読解に過去の経験がモノを言うのなら、18歳の、自称イタイケで可憐な女の子に書けるものなんてたかが知れている。そう思う。
 たとえおいしいクレープ屋さんを知っていたって、良心的な服屋さんを知っていたって、わたしに言わせれば小説を読むことなんてきっとできない。

 わたしの友だち、ユイカはこの問題にこう返していた。
「人間は未来を見ることができなくて、だから過去を振り返るしかないからです」
 0という数字と○という記号の差異はひどく曖昧だ。わずかに縦に長いだけの楕円形。単純なはずのその図形は見る人によって180度意味を変える。
 もしも答案なしに、そこに書かれた図形だけで0か○かを見分けろと言われたら、たぶんわたしはその日の気分でどちらかに決めただろうと思う。または、ちょっとオシャレにコインを振って、とか。
 けれど彼女の答案につけられていたのは、たぶんというか間違いなく前者に決まってる。
「どちらだかわからない」なんてとぼけられるほど、わたしの心臓は強くできていない。

 たとえ未来が見れたとしてもひとは過去を語るだろう。
『弱い』からであっても『後ろ向き』だからであっても、とにかくそれがひとというものだ。
 そうでも言わないとわたしは今のわたしを説明できない、というのもあるけれど。

 わたしは2ヶ月前のことを語ろうと思う。
 2001年11月19日から見た2ヶ月前。より厳密には68日前の火曜日。
 わたしがお風呂から上がってドライヤー片手に洗面台の前に突っ立っていたその瞬間、この地球の裏側では、何かタイヘンなことが起こっていた、らしい。
 

80 :No.18 2001年発のしし座流星群 2/5 ◇pCysik/hpY:08/04/07 00:50:37 ID:6ALZynw7
「ねえねえサナ、アレさ、生で見てた?」
 アスミは登校したばかりのわたしを捕まえて嬉しそうに訊く。普段からテンションは高いというか高すぎな子だけれど、今日はそれがトップギアに入っているらしかった。なんせ口癖が「なんか面白いことないかなー?」な子だ。
 確かに、面白いことといえば昨晩のあれに匹敵するものはないのかもしれない。
「……『アレ』って?」
「いやいや、そこはとぼける場所じゃないってば」
 そしてアスミはもったいぶったように言う。
「昨日のテロだよ、テロ」
 テロ――2001年9月11日、日本時間深夜、現地時間では早朝、ハイジャックされた二機の旅客機が世界貿易センタービルに突入。ビルは両棟とも炎上、のち崩落。ほぼ同時刻、国防総省にも別の旅客機が突入。
 累計死者は、数千人に上る見込み。
 翌朝のテレビのニュースは、まるでつまらないハリウッド映画の予告編みたいな映像を、何度も何度も繰り返し流した。
「テロ……。あー、あれ、見たよ、生で見た、そんでカゼもひいて」
「生で見た? 見たんだ! いーなぁ羨ましい。アタシだって朝からニュースで100万回ぐらい見たけどやっぱりナンカ違うなーって感じがしてさー、なんていうかな、臨場感、の差、みたいな?
 次に何が起こるかわからないハラハラした感じ、あれって生じゃなきゃ味わえないわけじゃん、そう思うとやっぱりサナが羨ましいっていうか録画でしか見れない自分が悲しいっていうか……っておーい!」
 わたしは鳥のヒナみたいに五月蝿いアスミを放っておいて自分の席に着いた。
 鼻水が気になってとりあえずポケットティッシュを出して鼻をかんで、そして改めて回りを見渡すとクラスじゅうでその話題が渦を巻いていることに気づく。
 受験ムードなんて何とやら。海の向こうの大事件はこんなところにも余波を届けているらしい。
 まぁそんなもんか、なんて思い直して、わたしはくしゃみを小さくひとつすると、とりあえずもう一度鼻をかむ。
 わたしにとってのテロは母の大声から始まった。
 お風呂から上がってドライヤーをかけていると、その起動音の向こうから母の声が聞こえてきたのだ。それもわたしを呼ぶ大声。
「おかあさんなにー?」なんてのんびり返しても「いいから早く来なさい!」としか返事が来ない。
 無視してドライヤーの風を髪に当て続けてると、最後には母が洗面台に突入してきてわたしはそのまま居間まで引っ張りだされてしまった。居間には父と弟がいてわたしは裸じゃなくて良かったーなんて変に安心して、
 そして、テレビ画面の中で燃えさかるビルを見たのだった。

「それで、髪は半乾きのまま長い時間テレビの前に座ってたら、ものの見事に湯冷めしてしまいました、と」
「そういうこと、くしゅん」
 今後の世界はどうなるのか(第三次世界大戦とか、何とか)なんていう真面目なのか冗談なのかわからない議論は朝のうちに交わされつくして、昼休みともなるとクラスにはまたいつも日常が戻ってきていた。
 もちろん話題は尽きたわけではない、けれど案外日常ってやつは簡単には揺るがないもの、らしい。朝の騒がしさは跡形もない。
 海の向こうのテロはクラスの雰囲気を数時間かき乱しただけで、いつもの一日の過程を経るうちに、話題の主役の座をあっさり明け渡してしまったようだった。
 AO入試が近いし記述模試も近い。受験生にはこっちの方が重要だ。
 この前戻ってきたマーク模試の成績は崩れ落ちる貿易センタービルさながらにまさしく大炎上、なんてパンを齧りながら不貞腐れてみたら、また小さなくしゃみが出た。

81 :No.18 2001年発のしし座流星群 3/5 ◇pCysik/hpY:08/04/07 00:51:07 ID:6ALZynw7
「気をつけなきゃだめだよー熱でも出たらタイヘンなんだからさー」
 ユイカはのんびりとお箸を動かしながらやっぱりのんびりと言う。お箸を持つ左手の薬指には指輪が光っていて(輝き方はのんびりじゃない)、わたしはちょっとした出来心で「ユイカは昨日のアレ、生で見てた?」なんて訊く。
「まさかカレと一緒だったから見逃した、とかは……」
 ユイカは困ったように笑って首を振った。
「あははー、ないない、私もおかあさんに教えられてテレビに飛んでったんだよー。すごかったねー、あれは。『皆さん、これは現実の映像です』って、そんなのわかってるのにツッコめなかったもん」
「うんうん、わかる。弟が『オレ、将来は高層ビルに入ってる会社には絶対就職しないから』とか冗談めかして言ってさ……でも家族の誰も笑わないの。あれは可哀想だったなー。そういうわたしも笑わなかったけど」
「それは確かに笑えないかも……って、ティッシュ、いる?」
「ごめん、ほしい」
 しきりに鼻をすすっているわたしを、ユイカが見兼ねて言う。
 わたしはユイカからポケットティッシュを受け取って鼻をかんで、それから、テロのシーンを頭の中で再生しながら窓の外を見て、ふと、そこに展開されてる、あまりにのどかすぎる光景にちょっとだけ戸惑う。
 碁盤の目に広がった住宅街。その向こう側では川が右から左へ流れてて、そのさらに向こうには高層ビルが立ち並んでるのが小さく見える。
 もしも、あのビルに飛行機が突っ込んできたら? なんて妄想は最初から不可能に思える。それほどに窓の外もクラスの中も、もう何もかもが昨日と変わらなくなっていた。
 実は昨夜のアレはアメリカが仕掛けた壮大なお芝居です、なんて言われたら、わたしはきっと素直に信じただろう。
「学校祭が終わるとさ、もうホント、秋って感じだねー」
 ユイカが同じように窓の外を見ていた。持ったままのお箸の間からはご飯がぽろりこぼれて、机の上に落ちている。
「ご飯、落ちたよ」
 わたしはやっぱり月並みなことを言って、同時にテロって言っても所詮は海の向こうだなぁ、なんてやっぱり月並みなことを思う。
 ユイカは慌てもせずご飯をお箸で拾い上げて、少しの間迷ってから(もしかしたら食べようとしたのかもしれない)、お弁当箱の端にさりげなくそっと戻した。
「相変わらずあんたホントにドジだねえ」
「はは……マークシートに名前を書き忘れたことだけは、まだかろうじてないんだけどねー」
「本番でやらかすのだけは頼むからやめてね、一生のお願い」
「うう、なんとかがんばるー」

 何だかんだで、受験に影響が出なければ、わたしはそれでいいと思う。

「んん、何が、かな?」
「あ、声に出てた?」
「……うん、思いっきり」
「いや、テロが、ね、受験に影響しなければ、ってさ」
「それならだいじょうぶじゃないかなー」

82 :No.18 2001年発のしし座流星群 4/5 ◇pCysik/hpY:08/04/07 00:51:31 ID:6ALZynw7
「……なんで?」
「んー」
 ユイカは、ミニトマトをひょいと口に放り込むとこう言うのだった。
「なんとなく、そんな気がふゅ」
 最後、言えてないよ。

 かつて1969年を「ぬかるみ」と表現した小説があった。昭和44年。それはわたしが生まれる15年近く前。
 だから本当にそんな時代だったのかどうか、わたしには判断のしようがない。
 歴史的に言えば、前年の五月革命を受けて学生運動が本格化、確か東京大学の入試が中止された年だったように思う。国内外で頻繁にデモが起こって巻き込まれる学生たちもタイヘンだったろう。
 けれど、海の向こうで打ち上げられたロケットは何と月に到達して、「人類にとっては大きな一歩だ」とか、何とか。
 そのくせ、38万キロ離れた地球にある小さな国ベトナムでは大戦争の真っ只中、文字通り一歩先も見えない戦いが繰り広げられていて、その反対側では世界最強のロックバンドが『愛こそすべて』なんて歌っている。
 そんな時代。
 思い描くだけでアタマが痛くなってきて、ならばわたしは、今日という平和な一日に心からの感謝を捧げてみる。
 ビバ、ラブ&ピース。
 あいにくとわたしたちの時代は、「ぬかるみ」とは果てしなく縁遠い。
 先に何かが見えるわけではないけれど。足どりだけは、不思議ととても軽い。

 これも過去を語る人の特権。それは現在とそれとを比べられること。
 2001年11月19日現在、国内で大きなデモはほとんど起こっていない。
 第三次世界大戦も起こっていない。
 アフガニスタンでは戦争が始まってしまったけれど。
 それはわたしたちの生活にはほとんど影響していない。
 クラスでは何人かが早々と推薦での大学合格を決めて、わたしは今日も積分と英単語と格闘する日々。

 わたしの風邪は結局3日できれいさっぱり完治してしまった。
 海の向こうのテロなんて、結局そんなもんなのかもしれない。

「ねえねえサナ、アレさ、生で見てた?」
「……『アレ』?」
 登校したわたしは教室に入るやいなやアサミに捕まった。いつかと同じ光景。けれど今日のわたしには「アレ」の指すモノの見当がつかなくて、それで真面目に訊き返す。

83 :No.18 2001年発のしし座流星群 5/5 ◇pCysik/hpY:08/04/07 00:52:11 ID:6ALZynw7
「アレって、決まってるでしょ、流れ星! もしかしてアンタテレビも見てないの? どんだけガリ勉してんのさ」
「……あー、あったねそんなのも。真夜中? すっかり寝ちゃってたよ」
 しし座流星群。11月19日午前3時ごろにピークを迎えたそれは、1時間に数千個もの星を降らす、文字通りの星の雨、だったらしい。
 あいにくとわたしは夢の中だったけれど。
「実はアタシね生で見ちゃったんだアレ。ずっと起きててさ3時ぐらいにベランダに出たらマジすごくてさ、明るいから無理かなと思ってたけど案外見えるもんだよもうキレイでキレイで、
 アタシ100個ぐらいお願いしちゃっていや当然間に合わないんだけど、でもマジ感動したっていうかアタシ流れ星見るの生まれて初めてだったし……っておーい!」
 耳元を飛び回るハエみたいに五月蝿いアサミを無視してわたしは席に着く。と、ユイカがわたしのところへひょこひょこ歩いてきて、「流れ星、見てたー?」なんてのんびりと訊く。
「私ねー見てたんだー」
「げー、ユイカもか。なんかわたし損した気分。でもドジなあんたがよく起きてられたねえ」
「うん、えっとねー、一緒に見てたー」と言うユイカの手の指輪が光って、わたしはラブ&ピースの前半分をちょっとだけ呪ってみる。
「あうー、そんな顔しないで」
「けっ、わたしなんか」
 ユイカは前の席にすとんと腰掛けてわたしに向き直った。その笑顔があまりに幸せそうで、わたしもついついつられて笑ってしまう。
 わたしの笑い顔を見て、ユイカはほっとしたように話し始めた。
「でもねー、ほんとにきれいだったんだよ。こう、空の一点からさ、ぶわあって広がるように流れ星が降ってくるの。写真撮るのも忘れてずうっと見入っちゃって、なんか、地球がどこかに向かって進んでるみたい」
「へぇ……」
 わたしはそれを想像してみる。もしも見たことがなくても、18歳の女の子にも、空から降るようなたくさんの流れ星の様子を思い描くことは可能だろうか?
 わたしはユイカの話を聞きながら、目を瞑って、暗闇の中を光の筋が放射状に広がる様子を思い浮かべる。地球がどこかに進んでいる感じ。実際に、それは正しい。
 地球は確かに宇宙の暗闇の中を進んでいる。流星群が発生するのは、星たちが地球にぶつかるというより地球が星たちにぶつかるからだ。
 本物とは違うかもしれないけれど、どうやらわたしにも、想像はできる、らしかった。
「で、あんたお星様見てるのは良いけど、ちゃんと勉強してるの? センターまでもう2ヶ月しかないよ?」
「うーひどい、昨日は一緒に勉強してたんだよー」
「……夜の勉強?」
「あああもうそういう話はちょっとだめー!」
 顔を真っ赤にしてぶんぶん首を振るユイカを見て、ああやっぱり今って平和だなー、なんて根拠もなく思う。
 そして、たぶん明日も平和だ。
 明後日も平和だし、1ヵ月後も1年後もきっと平和だ。
 わたしはもちろん未来が見れない、けれどそんな気がしている。その真偽を確かめるのは未来の人の役目だ。けれど、未来の人が見ても今って平和なんじゃないかなーと思う、ボケちゃいそうなくらいに。
 いまのわたしには結局のところ、現在と過去を語ることしかできない。
 けれど現在と過去のわたしが平和なら、わたしは別に、それでいいのだ。



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