【 ラクガキの時代 】
◆/sLDCv4rTY




75 :No.17 ラクガキの時代 1/4 ◇/sLDCv4rTY:08/04/07 00:46:07 ID:6ALZynw7
 小さな窓からあたたかい陽が射してくる狭い部屋の中で、壁にもたれながら僕は手に持った数枚の紙をぱらぱらとめくっていた。
そして、その紙に描かれた非現実的な空間と、その非現実な空間のなかを走る十両の汽車の絵をみていた。
 僕が足を伸ばす畳の上には、渇いたテントウムシの死骸が逆さになって落ちている。そしてその死骸の背中にある赤と黒の綺麗な斑は、かなしいほどに意味が無かった。
 それらの絵は、幼なじみの"彼"からいままでにもらったものをあつめた束だった。
ぱらぱらとめくっていくだけで僕には、彼の画力の進歩がはっきりとみてとれた。
最初の二三枚こそラクガキであるものの、
残りの数枚は技術的な進歩はもちろん、その絵に漂う不思議な魅力さえもがあふれていくように高まっている。
 僕はその中の一枚――――僕と彼が、まだそれほど画力の差が無かった幼稚園の時の(いやもしかすると、
その時からすでにどうしようもない差があったのかもしれない)ものである最初の一枚の絵を取り出して、見てみる。
その「ぼくらのきしゃ」というタイトルの絵は、クレヨンで描かれた、メチャクチャな輪郭とハチャメチャな色使いをした絵だった。
僕は幼稚園児の時の彼の、休み時間を使って何度も何度もその絵を描き直すたのしそうな姿を思い出した。
それを僕は、後ろからみていたような気がする。
 「ぼくらのきしゃ」には、ちょうど「遠近法を説明するための絵」に描かれた木々のような並びで、いびつな建物が並んでいる。
そしてそれらの建物はすべて、灰色か黒のクレヨンで描かれていた。
また、幼い頃の彼はその建物の絵に満足しなかったのか、建物には「あぶらでよごれた、くろいこおじょうたち」という、乱れた文字列が矢印つきで書かれている。
「ぼくらのきしゃ」の真ん中には、建物の並びと直角になる形で、一本の線路が通っていた。
そしてその線路を通るカラフルな汽車が、建物の間からニュルリと頭を出していた。
彼の絵のなかには、必ず汽車が走っていた。どんな絵にも、彼は汽車を必ず描いていた。

76 :No.17 ラクガキの時代 2/4 ◇/sLDCv4rTY:08/04/07 00:46:31 ID:6ALZynw7
 彼がまだ幼稚園児だった頃のその絵を、僕は見ていた。
あのころはまだ、画力だっておんなじようなものだった。
あれから彼はどんどん巧くなり、僕の絵はラクガキのようなまま。いつからこんなにも、差がついてしまったんだろうか……。
 そんなふうにぼんやりおもいながら見ていて、この何枚かの絵のうすっぺらい重みだけが、
僕の知る彼が生きた証だと思うと、かなしくなって、僕は、続きを描きたくなった。
"嘘だ"
 僕が持っている彼の絵の、最初の二枚――彼が幼稚園の時の絵と、小学校二年生の時の絵を僕は取り出した。
そして僕は、その二枚あいだをつなげる何十枚かの絵を描くことにした。ちょうどアニメの中割りのような絵を。
彼の絵にはいつも汽車が走っているから、その汽車が通った場所を描けばいい。
 白い画用紙の上を、プラスチックのシャープペンシルが走っていく。
季節外れなコタツの上に紙を置いて僕は、丁寧に何枚も何枚も描いた。
 いつか汽車は動きだす。パラパラ漫画の要領で、僕のペンによって。
彼の絵は物語のためのものじゃないけれど、終わった彼の物語の為に、僕は、その絵のつづきを描きたくなって。
 描きつづけた。
 シャープペンシルの黒芯だけで描いていたけれど、色は頭の中で決めていた。なぜか、これしかないと思える色が頭に浮かんでくる。
でも浮かぶけれどその色をつくり出せず、(頭に浮かぶ色が鮮明すぎて、少しのちがいでも、トゲトゲしい違和感がでてしまって)、
僕は、シャープペンシルの黒だけで描いた。

77 :No.17 ラクガキの時代 3/4 ◇/sLDCv4rTY:08/04/07 00:47:15 ID:6ALZynw7
 僕の絵の中でそのハチャメチャな汽車はムチャクチャに走りうねり時にポォーと叫んで車輪を回し
そのカラフルな鉄のからだを草原や草原に建つトンネルのなかや太陽のすぐそばを、長い煙をとぎれとぎれに残しながら通っていった。
そして汽車の小さい窓からは、二人の子供がいつも頭を出していた。彼の絵にも、描いてあったように。
 一枚目と二枚目の間を描き終わり、二枚目と三枚目の間の何十枚をも描いていく、そのうちに、手がしびれ、脳もしびれていく。
雲のなかで揺れる黄色い太陽をじっくりと描き、そして思い出した。
"嘘だ"
"僕は、彼になりたかったんだ、ほんとうは僕はかれのように、うつくしいえをかいてみたかったんだ"
「  。」
描きつづけた。

 彼の絵の、ラクガキの時代は三枚ほどで終わり、汽車の質感は現実に近づいていきより精密になっていく。
僕はその質感が描けなくなってくる。別物の絵になってくる。
彼のその絵と比べれば、僕のこの絵はラクガキだった。
 パラパラとやっても、白黒なラクガキのなかに一瞬だけうつる、カラフルで綺麗で、そして幻想的な彼の絵が場違いになっていて、
「彼の絵の続き」ではなく、それぞれが別の作品になっている。価値のないラクガキの束と価値ある数枚の絵との別々の。
無理だ。描きたいけれど、描けない。
 そのうちに、なにを描こうかとぼんやり妄想するだけになる。イメージだけがこぽこぽと涌いてくる。
なんで、絵を見ているだけでこんなにもイメージが沸いてくるんだろう。
休みなしで二日間ずっと描きつづけていたのを急に止めたので気がぬけて、脳がへこんだような感しょくを自分の頭に感じながら、
僕はぼやあ、と考えた。かんがえながらふと畳を見ると、テントウムシの死骸が逆さになって落ちていた。
 ぼぼ、ぼやあ。


78 :No.17 ラクガキの時代 4/4 ◇/sLDCv4rTY:08/04/07 00:47:42 ID:6ALZynw7
 たぶん、ひとつの物にはそのすべてがながれているからじゃないか、とぼんやり僕はおもった。
たとえば「死」という文字には、死に関するすべてが、その細い線のなかにみゃくみゃくと流れている。
ある雌ライオンが一本の細い筋肉となって駆け飛びかかった鹿――――捕食され、金魚のようにビチビチと痙攣して血と涎を飛び散らす鹿や、また、
飼い主である富豪と目にハンカチをあてる執事と大勢の医者に見送られ、すやすやと眠るように死ぬ飼い犬のすがたや、
これから死ぬものやもうしんでしまったものたち、赤と黒の斑、さらにそれらに、
一人の売れない画家を轢き殺した一本の電車さえをひっくるめてのすべてが、そう、一輪の花をもふくめた世の中のすべてが、
「死」という文字の細い線のなかで黒い血として熱くみゃくみゃくと流れている。
それと同じようにこの絵にも「彼」のすべてがながれている、のじゃないかと思った。
ふと、描きかけの、自分の絵を見た。そして僕は、それを破ってゴミ箱のなかに放り込んだ。
彼の絵を押し入れのなかにしまってから、さっき描いた何枚もの絵をつぎつぎに破っていった。
それは"これは僕の物じゃないから"
破って破ってすべてを捨てて、最後の一枚を、見た。
下手すぎる絵だ。無理さ。やっぱり僕は、彼になれるはずなんかなかった。あたりまえだよ。
そう思って最後の一枚も破って丸めて、紙屑であふれているゴミ箱のほうにほおり投げた。陽を射す窓の隙間から、ふらふらとテントウムシが部屋にまよいこんできた。
あたらしい、死骸となる、いきもの。
 放った紙クズはゴミ箱のなかにはいっていなくて、音もたてずに畳の上で静止していた。

 僕の絵は、やっぱりずっとラクガキのままで。



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