【 昭和式恋愛論 】
◆lnWmmDoCR.




65 :No.15 昭和式恋愛論 1/5 ◇lnWmmDoCR.:08/04/07 00:39:08 ID:6ALZynw7
 窓を開けると、春の、花の香がした。隣の空き地に植えられている桜を見ると、ひらひら、ハナビラを踊らせていた。
桜の禿げていく様を、この頃めっきり薄くなった田舎の父の頭とだぶらせながら、ぼんやりと眺めていたら、
背後からガチガチと机を叩く音がして、携帯のバイブレーションだった。
止まないから電話着信らしかった。鬱陶しいけれど、上司の可能性を考えると無視する訳にもいかなかった。
 拾い上げてディスプレイを見たら、溜息を吐きたくなった。彼だった。
出なければしつこくかけ直してくる事は解りきっているから、仕方なしに通話に応じた。どうせ浮気の謝罪だから、聞きたくなかった。
「何?」
 出来る限りつっけんどんに言った。
携帯を耳に当てながら、このやさぐれた気分を少しでも癒してくれる事に期待して、窓際の花見席に戻る。
『いや……俺だけど』
 世の中で最も非力な動物、例えばヒツジが言葉を喋ったのなら、こんな調子になりそうだった。
長く付き合っていなければ気付けない程に巧く作り込んだ声は、彼からしてみれば常套手段で、私も甘やかしてしまったのだろうか。
「知ってるけど」
 電話を切るべきかも知れない、と思った。聞き続けたら押し通される気がした。
『今日、暇だったりしないか?』
「これから医者と合コンなの、悪いわね」
 医者の知り合いがいたのなら、本当にしてやりたい。
『ごめん』
「貴方の時以来だから、二年ぶり。どんなノリだったか忘れちゃってて、緊張してるの」
『ごめん』
 湿った声が聞こえて、電話越しに泣いているらしかった。泣くのなら初めからやらなきゃ良い、余計に腹が立つ。
「次は無いって、言ったよね?」
 巧い嫌味も浮かばないのに、電話は切れない。
「別れない?」
 こんな女、バカ丸出しだ。自分で思った。
 ひらり、ひらり、散っている。落ちた先に広がる、茶色の土を覆い隠す、桜色の絨毯が綺麗だ。
桜の木は沢山の花を咲かすのだなと思うのは、散ったハナビラを見た時だ。電話の向こうからは何も返ってこない。
待ってしまう自分が、何よりも嫌だ。
 ふと、脇の道路を一組の老夫婦が歩いていて、目に入った。お爺さんは茶色の着流し、お婆さんも同じ色の着物。
地味だし時代錯誤だけれども、衝撃的と言っても良い程に合っていた。目で追うと、やはり空き地に入った。

66 :No.15 昭和式恋愛論 2/5 ◇lnWmmDoCR.:08/04/07 00:39:55 ID:6ALZynw7
和服のせいだろうか、それとも老いた夫婦だからだろうか。ともかく、富士に月見草というくらい合っている気がした。
ここで生活を始めて五年、毎年咲くから毎年眺めているけれど、こんなに桜が栄えて映るのは初めてだった。
 やたらと雰囲気のあるフランス映画を日本式に撮り直すなら、こんな感じだ。
メルシィじゃなくて、ありがとう。タルトじゃなくて、まんじゅう。ハーブティじゃなくて、玉露。
私はタルトとハーブティよりもまんじゅうと玉露が好きだから、見入ってしまった。
『――頼むよ、謝らせてくれ』
 電話を切っておけば良かったと、とても後悔した。玉露とまんじゅうがぶち壊された。
「すごい煩い」
『え?』
「今ね、私、玉露とまんじゅうなの」
『え……まんじゅう?』
 眺めているうちに、お爺さんの着流しも、お婆さんの着物も、相当な年代物な気がしてきた。
無地の地味な着物なのだけれども、吸い付くように、合っているのだ。
あれを着て産まれたのでないだろうかと疑う程に、お爺さんもお婆さんも、着流しも着物も、人と布が一つになったように動く。
『酔ってたんだ。気付いたらそうなってて。だから、ちゃんと俺から白状しただろ?』
 理があるような、無いような、解るような、解りたくないような。
『頼む、もう絶対に女と酒飲まないから。今回もそのつもりだったけど、人数あわせで無理矢理だったんだ。
岡本に、アイツが幹事で、全部悪いから、話せば解る――』
 オカモト、また出た、オカモト。高校からの付き合いだと、その名前を何度聞いた事か。
仲が良いのはよろしいが、合コンなんぞに付き合わされる位なら絶縁して欲しい。
『――今から家出る、三十分で行くから、家に居て』
 言うだけ言って、切られた。腹を立てるべきなのだろうけど、私の習性として、面と向かってでないと怒れない点がある。
今回も、ブッツンとされた瞬間に、怒る気力が萎えてしまって、ため息を吐く位しか出来ない。
 お婆さんとお爺さんは、桜のハナビラをスーパーの袋か何かに拾い集めながら、時折仲良く笑い合ったりして、
もう年なのに、私達よりもカップルやってる、ような気がした。というか、間違いなくカップルやっている。正直言って、羨ましかった。
 「別れよう」と言うべきだろうか、と考えたら、言いたくないと思った。
その程度の事も言えないならば最初から許す事が決まっているようで苛立たしいじゃないか、とも考えたが、「別れよう」とは言えない。
「私もこれから浮気するから」と宣言してみたら、どうだろう。きっと物凄く落ち込んで、嫌がらせとしては最高レベルな気がする。
じゃあそうしようか、と思ったのも束の間、そんな事は安い女しかやらない、そもそも今の考え方って結局許す事が前提じゃないか、
と情けなくなった。終いには、本来ならば一時間はかかる所を三十分で来ると言ったから、事故にあったりしやしないだろうか、

67 :No.15 昭和式恋愛論 3/5 ◇lnWmmDoCR.:08/04/07 00:40:29 ID:6ALZynw7
と不安になった。我ながら救えない、と悲しくなった。
 簡単には許したくないのだけれど、許さないとどうにもならない。
ソクラテス辺りなら巧い事やるのだろうか、生憎と国文学専攻だから気の利いた言い回しなど浮かびやしない。
どうしたものか……なんて感じでやっていたら、春一番。空き地の方から私の窓に流れ込み、ぶわっと、顔面にflower shower。
「not結婚式、yes修羅場前」
 何となく呟いたら、くすくす、笑い声が聞こえて、お婆さんがこちらを見ていた。
私は照れ隠しの為に、かえって何でもない風を装って挨拶する事にした。
「こんにちは」
 お婆さんは空き地とアパートの境にあるフェンスまで近付いて来ると、自分の鼻を指した。
「どうかしました?」
「オハナに、オハナが」
 ちょっと考えてから、お鼻にお花と気が付いて、鼻を触った。ハナビラがぺっとり、張り付いていた。
ますますもって恥ずかしくなり、照れ隠しに、今度は笑った。お婆さんも微笑んでくれたので、良かった。
「それ、どうするんですか?」
 袋に詰められたハナビラを指して、聞いてみた。
「桜茶を入れようと思って……若い人には、貧乏臭いかしら?」
 今度はお婆さんが、照れたように笑った。とてもかわいい人だな、と思った。
「そんな事ないです。良いと思います」
 本当は、サクラチャって何か知らないけれど、このお婆さんがする事に間違いは無いと、根拠も無いのに思った。
お婆さんは有難うと笑ってから、お爺さんの方へ振り返った――その時、私は閃いた。
「あの!」
 この素敵なお婆さんなら、何か素晴らしい一言を授けてくれるのではないか、と。
 私の呼びかけに、お婆さんはゆっくりと振り返る。後光が射しているような気すらした。
「あの、私、彼が浮気して、それで、今から謝りに来るって……あの、別れたくないんですけれども、その……何というか」
 とんでもなく間抜けな若造丸出しになってしまった、と思ったのだが、流石は後光を背負ったお婆ちゃん、小さく頷いて返してくれた。
「ああ……解りますよ。うん、解ります」
「解りますか?」
「はい、うちの人もねえ、若い頃に、そりゃあもう、酷かったので」
 振り返り、お爺さんを見ながら、お婆さんは言った。
お爺さんは、察しが良いらしい、お婆さんから目を逸らして、そそくさとハナビラ拾いを再開した。

68 :No.15 昭和式恋愛論 4/5 ◇lnWmmDoCR.:08/04/07 00:40:50 ID:6ALZynw7
「それで、どうすれば?」
「はあ、そうですね。ちょっと下品ですけれども、よろしい?」
「下品……なんですか?」
「ええ、そりゃもう」
 意外だった。聖母ことお婆ちゃんから下品という言葉が出たのが、意外だった。
しかし聞かずにはいられない、彼はいずれ、もう来るのだ。御願いします、と頭を下げた。
 お婆ちゃんは一呼吸置いて、にっと笑った。
「まず、包丁を用意します」
「包丁……ですか?」
「次に、お互い服を脱ぎます」
「脱ぐ……脱ぐの?」
「次に、男の人のをおっきくします」
「おっきく……ああ、おっきくね」
「次に、ぶん殴って押し倒します」
「ぶん殴る……ぶん殴るですか」
「最後に、おちんぽを斬りつけます。ちょっと血が出る位、あんまり酷くしては駄目」
「おちんぽって……チンコ?」
「出来ないなら、何も言わないで許してあげなさいな。出来るなら、やってよろしい。
要は、相手に対して一生の責任を持てるのか、覚悟の問題です」
 なんという事だろう。聖母が一転、泥臭くなった。
「そんだけやれば、他の女に流れません」
 何とも言葉を返せなくなって、ただただ、唖然としてしまった。
「今の人には、泥っぽくて古臭いだろうし、ちょっと格好悪いですかね?」
 呟くように問いかけて、答えを待たず、華麗に戻っていくお婆さん。
私は、桜のハナビラを拾っているお爺さんに目を向けて、あのお爺さんはチンコに傷があるのだろうか、と考えた。
間違いなくあるのだろうと、そういう目で見ると、お爺さんの動作の一々が、チンコの古傷を庇っているように見えたので、面白かった。
傷物チンコだから、浮気できなくて、お婆さんと結婚したのだとすれば、マーキングみたいな物、な気がした。

69 :No.15 昭和式恋愛論 5/5 ◇lnWmmDoCR.:08/04/07 00:41:13 ID:6ALZynw7
 そうして、考えてみた、割と真剣に、考えてみた。まんじゅうと玉露にあって、タルトとハーブティに無い物を、考えてみた。
そうすると、タルトとハーブティなんて好きでいられるのは若いウチだけじゃないか、と思った。
少なくとも私は、まんじゅうと玉露の世代に憧れている。もう少し、考えてみた。
私と彼は、まんじゅうと玉露になれるだろうかと、考えてみた――考えている途中で、彼の車が着いて、慌てた風に駆けてくる彼を見て、
悔しいが、心中しても良い位に大好きであるし、結婚して、一緒に年を取りたいと思ったので、
タルトとハーブティからまんじゅうと玉露に変わろうと、私は決心した。
 インターホンが鳴ったので、冷蔵庫にあったキュウリで、包丁の切れ味を確認してから、鍵を開けた。
 キュウリのようにまっぷたつにならないよう、気を付けたいと思う。








                       了



BACK−夢の燃え尽きる音◆gaze/VbdM6  |  INDEXへ  |  NEXT−雪夜譚◆NCqjSepyTo