【 あくまでてんし 】
◆sipxtUOeh2




57 :No.13 あくまでてんし 1/4 ◇pxtUOeh2oI:08/04/06 21:25:45 ID:1K9z3lTj
 ネッコ、ネッコ、ネコネコネッコ。ネッコ、ネッコ、ネコネコネッコ。彼女が死んだ。
 交通事故。
 葬式、そして四十九日が終わった今でも実感がない。目の前を過ぎるだけの意味のわからない催しに、涙が流れることはなかった。
 あの日、俺はマドカの手を握り歩いていた。夕暮れの町。忙しかった仕事に目途がつき、久しぶりのデート。夕食の材料を買い込み、
左手に袋、右手にマドカの左手を握り、俺の部屋へと歩いていた。楽しかった。希望に溢れていた。幸せだった。
目の前をゆったりと通り過ぎる黒猫。俺は頭の中では猫の歌がテンポ良く響いていた。それぐらい陽気だった。そしてマドカは死んだ。
一週間後に渡すはずだった結婚指輪を受け取らず、結婚指輪をはめるはずだった柔らかい左手を俺の右手に残して。
 ガソリンの値段に気を取られた車がふらつきセンターラインを少しはみ出す、驚いた対向車がハンドル操作を誤り電柱に衝突、
その拍子に電線が切れ、辺りの街灯が一斉に消えた。結果、それに怯えた子供が公園から飛び出し、避けようとしたトラックが、
黒猫を眺めている俺の横へと突撃した、壁と車体の間にマドカを挟んで。
 これが後になって警察から聞かされたマドカの死亡理由だった。いくつもの偶然が折り重なって起きた事故。
些細なミスの連続によって起きた事故。
 夕暮れよりも赤いその惨状は、俺の目に焼きつき離れることはない。
俺の右手から落ちたマドカの手だけが白かった。そしてすぐに赤く染まった。
夕日なのか血なのかわからない。赤いものは俺の目だったのかもしれない。事実は知らない。知りたくもない。
 俺は、ただただその光景を見て立っていた。猫の歌が繰り返されていた。サイレンが赤かった。

「絶賛絶望中って感じだな」
 黒い顔が言った。逆さに浮かんだ黒い顔らしきものが口とおぼしき穴を広げ言った。
以前よりも仕事に打ち込み疲れ果て、ベッドに横になっていた俺の目の前に、浮かぶ顔が言った。
先程まで、そこに存在しなかったはずの、その黒い顔は何か不思議なものを見るような表情で話しを続けた。
「どうした? 何か言うことはないのか?」
 その顔は逆さに浮かんでいた。いや、浮かんでいるのはボサボサ頭の顔だけではない。
天井から生えるように、くたびれた黒い布が、逆さ頭の上に付いてた。その下に体があるのかもしれない。
「なんだ……お前?」
「天使だ」
 どうみても天使には見えない。悪魔だと言われれば信じたかもしれない。どちらにせよ、どうでもいい。
「じゃあ、悪魔だ。どうでも良いなんて、つれないこと言うなよ。ラッキーなんだぜ。普通は姿を見せない、
適当な願いをかなえるだけの天使が、直接願いを聞いてくれるなんて」
 ケラケラと笑う黒い顔。俺の考えていることがわかるのだろうか。

58 :No.13 あくまでてんし 2/4 ◇pxtUOeh2oI:08/04/06 21:26:41 ID:1K9z3lTj
「そうだよ」
 そうなのか。
「そうなんだよ」
 そのようだな。だが、話しにくいからやめてくれ。
「そうか? 人間は不便だな。口に出すのは億劫かと思いサービスしてやったんだが。嫌ならやめよう」
「それで、悪魔が俺に何のようだ? 命が欲しいならさっさと持って行ってくれ」
 そうしてくれるなら、それが一番良い。マドカのいない世界に興味はなかった。
ただ死ぬ理由がないだけで、生き続ける理由もない。誰かが殺してくれるなら、それで構わない。
「なんで俺がお前を殺さなきゃいけない? 腹が減っているのに、目の前の料理人を殺すバカがいるのか?」
 意味が分からない。俺はただのサラリーマンだし、料理が趣味でもない。むしろ嫌いだ。料理はマドカの趣味だった。
「ただの例えだよ。俺たちの食事は人間とは違う。…………おっと、すまん。つい読んじまった。もうやめるよ」
 人の思考を読んでそれに答える。それを注意する思考を読んで、それに答える。
「俺の目的が知りたいんだったな? 俺は、お前の望みをかなえに来たんだ」
 望み? それなら、
「死んだ女を生き返らせるのは無理だけどな。……そんな顔をするなよ、読んだわけじゃない。
お前の置かれた状況を見れば誰だってわかるだろ」
「なんで俺の望みをかなえるんだ?」
 俺は苛立って言った。何で苛立ったのかはわからなかった。わかっていたけど、認めたくなかった。
そんな俺の内心を見透かしたように悪魔が言った。歪んだ顔は俺を嘲笑っていたようだった。
「天使だって言っただろ」
「悪魔だとも言っていた」
「どちらも同じだろ。天使と悪魔なんて人間が勝手に作った区別に意味はない。
人間にとって言い願いをかなえれば天使と呼ばれ、迷惑な願いをかなえれば悪魔と呼ばれるだけだ。」
とにかく、俺は俺の食糧を得るためにお前の願いをかなえてやるってこと、それだけ」
「食糧? 俺の願いをかなえることと、お前の食事になんの関係があるんだ?」
「俺達の種族は、人間の絶望が食糧なんだよ。食ったところで、人間に変化はないがな」
 悪魔は説明しきったという顔で、逆さに浮いたままニタニタとしていたが、俺には意味が理解できない。
「俺の望みと、絶望になんの関係があるんだ? 願いをかなえたら絶望しないだろ?」
 悪魔の笑いがピタッと止まる。まだわからないのかとでも言いたげに、悪魔が説明を始めた。だるそうだった。
「希望があるってことは、絶望があるってことだろ? お前が喜べば、誰かが悲しむ。

59 :N0.13 あくまでてんし 3/4 ◇pxtUOeh2oI:08/04/06 21:27:37 ID:1K9z3lTj
世界に与えられた希望は、一定量しかないんだ。人はそれを取りあって一喜一憂してる。だろ?
絶望中のお前なら、すぐにでもわかると思って、お前を選んだんだがな」
 呆れた様子の悪魔が言った。悪魔は押し黙る俺を無視するように説明を続けた。
「俺がかなえることのできる願いは確率の関わるものだけだ。どうあがいても無理な願いはかなえることはできない。
例えば、十年以内に百万円を拾うという願いはかなえられるが、今この部屋に、突如として百万円の札束が現れるというのは無理だ。
つまりはお前の女を生き返らせることも無理ってことだな」
 声を立てて笑う悪魔。俺は惨めな気持ちで、顔を伏せていた。
「適当に願いを言ってみろ。しばらくの間はかなえてやるよ」
「それじゃあ……」
 こんなおかしな言葉を普段の俺なら信じない。信じる筈がない。他人がそんなことを言っていたら笑うか、
頭を疑うだろう。それでも俺は信じた。信じられないことが連続した結果、マドカを失った俺には、信じられることと、
信じられないことの区別がつかなくなっていた。そして俺は、悪魔に願いを告げた。

 悪魔と出会って三週間後、悪魔は内に居ついていた。いくらかの願いはかなえたが、気は晴れない。
悪魔にしても、大した願いを言わない俺に対して、少し不満を持っていたようだった。
「今日は機嫌が良さそうじゃねーか。何かあったのか?」
 仕事から帰宅した俺に、悪魔が声をかけてきた。俺の顔が少し赤いことに気付いたのかもしれない。
「同期と飲んできたんだ、ひさしぶりにな」
「その同期って、間宮真美って女か?」
「そうだけど、それがどうかしたか?」
「いや、別に……」
 そう言った悪魔の顔は下卑た笑いを浮かべていた。そして俺は悪魔を問い詰めた。悪魔もそうされることを望んでいただろう。
「何かあるなら言え」
「良いのか? きっと後悔すると思うぞ」
「言え」
 何があるのかわからない。それでも知らなければいけないような気がして、悪魔に迫った。
悪魔はしぶしぶと話し始めたが、どこか楽しそうだった。
「あれな、その女の願いなんだよ。かなえたのは俺じゃないけどな」
 あれ? あれとは何だ? まさか……。
「わかってるんだろ? あんな事故がそうそう起こらないってことは。お前の女が死んだ事故は、

60 :あくまでてんし 4/4 ◇pxtUOeh2oI:08/04/06 21:28:27 ID:1K9z3lTj
お前の同期が願ったから起きたんだよ。お前の同期はそんなことは露にも知らないだろうがな。
お前のことが好きだった同期の女は、お前の隣にいた女に死んでほしいと、ふと思った。人間なら誰だって
少しぐらい考えるその願いを、どこかの天使が気まぐれにかなえてやったんだよ。お前の絶望を食うために」
 言葉はどこかを漂うだけで、頭に入ることはなかった。俺は言った。
「今日の願いだ。間宮真美を殺してくれ」

 その後も願いをかなえ続けた。金を得、出世し、周りから信頼も寄せられていた。それでも充ち足りなかった。
そんな俺に飽きたのか、はたまた他に理由があるのか、俺にはわからないが、悪魔が言った。
「次で最後だ。良く考えて願いを決めろ」
 良く考えろか……どうしてもかなえたい願いは決めてあった。初めて願いがかなったときからずっと考えていた。
「マドカともう一度暮したい」
 俺の言葉に、少し驚いた様子で悪魔が言った。それでも、俺の表情から何かを感じたのか笑ってはいなかった。
「それはできないと言ったはずだ。確率で決まらないものはかなえることはできない。既に葬式まで済ました人間が、生き変える確率はゼロだ」
「いや、できる。あのマドカを生き返らせるのではなく、これから生まれる人間をマドカにすればいい。
マドカと双子のように似た顔を持ち、同じ性格で、名前も同姓同名、さらに同じような環境に生きる人間がこれから生まれる確率はゼロじゃない。
そうすれば、俺はマドカと会える。もう一度、一緒に暮らせるんだ。時間はかかっても構わない。いくらだって待つ。だからこの願いをかなえてくれ」
「わかった。将来、新たに生まれたマドカという女と一緒に暮らす、それが最後の願いだな」
「ああ、頼む」
「かなえてやろう。サービスで生殖能力も保たせといてやる。幸せになりな」

 俺はマドカと暮らしていた。結婚を決めたときには、余りの年の差に周りから驚かれたが、何も気にしなかった。
お金も、地位も、マドカと暮らすときのために、精一杯の努力をして得た。俺はマドカと幸せに暮らしている。そうなるはずだった。
 結果は違った。このマドカは財産目的で俺と結婚していた。外に男を作り、遊び歩いていた。俺に対しての愛は、一切ない。
これが本当のマドカなのか。あの頃は、やさしさはなんだったのか。今ではわからない。
 俺の心を保っていた希望は、絶え消えていた。広い庭、沈む夕暮れを眺めた俺の耳元に、どこか懐かしく聞き覚えのある声が聞こえた。
「絶望を、ごちそうさま」                       <了>



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