【 夏子 】
◆LBPyCcG946




52 :No.12 夏子(1/5) ◇LBPyCcG946:08/04/06 21:01:50 ID:MI0bEmOL
 思い出す小学生の頃、その時から夏子は、他の女の子達とは違った子だった。昼休みと放課後はい
つも校庭の隅で、1人ぼっちで土を掘り返していた。授業中はといえば、ぼんやりと窓から校庭を眺
めているだけだった。今思えば、その頃から僕は夏子の事が気になっていたのかもしれない。
「何してるの?」
 小さなシャベルを右手に持って、しゃがみこむ夏子にそう話しかけたのは、3年生の夏休みが始ま
る少し前の事だ。夏子はこちらに向き直って、口をへの字にしながら僕の事を見つめていた。その口
を開いたと思えば、
「掘ってるの」
「ふーん……」
 これが僕と夏子の交わした、最初の会話だった。会話と呼べる程、大した物じゃないと思われるか
もしれないが、僕にとっては大切な思い出の1つだ。
 それから短い夏休みが終わって、学校に登校した時、夏子の姿はクラスに無かった。3日経っても
夏子は学校に来ず、先生が夏子の家に行ったという話をしたのは、4日目の朝のホームルームでだっ
た。
 何でも、夏子の両親の話によれば、夏子は毎朝ちゃんと家を出ているのだという。夏子の両親はそ
れを見届けていたので、先生が夏子の家を訪ねた時、一番驚いたのは夏子の両親だったそうだ。それ
じゃあ、夏子は学校に行くフリをして、一体どこに行っているのだろうか。
 その日の学校が終わって、家へ帰る途中、道端で偶然夏子に会った。女の子に似つかわしくない、
泥だらけの格好で、手に持っていたのは土にまみれた皿のようなものだった。僕は今でもその時の光
景をはっきりと憶えている。夕日を背にして、こんがりと日焼けした肌に、土ぼこり。活発な印象を
受けるショートカットの髪型なのに、目は寂しそうにその視線の先を地面に落としていた。
 僕は夏子に声をかけたくてたまらなかった。なのに勇気が出なかった。それがあまりに神秘的な物
だと感じると、きっと人間は、どうする事も出来ないのだ。
 後日、夏子の掘り返した皿が、考古学的に貴重な物であるという事がわかり、ある大学の調査隊が
やって来た。近所で話題になっていたので、僕もその現場に友達と一緒に野次馬に行った。夏子もそ
こにいて、大学の調査隊の人に話を聞かれていた。
 それからも夏子の行動は変わらなかった。地面を弄っている姿を見かけるのは日常茶飯事だった。
その度に声をかけようか迷って、結局何の言葉も出ない僕は、意気地の無い男だと我ながら思う。

53 :No.12 夏子(2/5) ◇LBPyCcG946:08/04/06 21:03:18 ID:MI0bEmOL
 だから中学生になった時、また夏子と同じクラスになれて一番嬉しかったのは、他の誰でもない僕
だろう。その頃になっても夏子は、小学生の頃と大して変わっていなかった。校庭を掘り返しては埋
め、部活にも入らず、時々学校を休んでは遠出を繰り返しているようだった。
 それでも僕と夏子の中に、進展があったのは大きな事だろう。きっかけはほんの小さな事だった。
 夏子は数学や国語等の授業の時は聞いてるのか聞いていないのかわからない様子だったが、歴史の
授業が好きらしく、その時だけはいつも熱心に授業を受けていた。確か1年生の3学期の、中間テス
トが終わった頃だったと思う。夏子はまた、1週間程無断欠席をした。当然、その間の授業は出席し
ておらず、ようやく学校に来た時には、授業はかなり進んでしまっていた。夏子には親しそうな友達
もいないように見え、僕は珍しく気の利いた事を思いついた。
「ノート、見る?」
 と声をかけた時、僕の心臓がバクバクと波打っていたのをよく憶えている。夏子は何も答えず、僕
の顔を不思議そうに見ていた。僕はその雰囲気にいたたまれなくなって、ノートを放るように夏子の
机に置くと、逃げるように自分の席に戻った。でもその時、確かに僕は聞いたんだ。
「……ありがとう」
 消え入りそうな小さな声だった。あるいは、僕以外の人には誰にも聞こえないような、特別な言葉
だったようにも思う。でも確かに夏子は僕に礼を言ってくれたのだ。それが僕にはたまらなく嬉しく、
それから僕の歴史の成績が上がったのも、夏子のおかげなのかもしれない。
 夏子はいじめられていた事もあった。いつからかは、正確にわからないが、それに僕が気づいたの
は中学2年生の3学期だったと思う。元々夏子は、クラスから孤立した存在だったが、クラス全体が、
意識的に夏子を疎外する雰囲気になっていたのはその頃からだ。特に中学生の女子なんてのは、他と
違う人間に対して寛容な心を持ち合わせていない。結局、女子達の夏子に対する陰湿ないじめは、中
学を卒業するまで続けられていた。でも何よりも、僕が今でも恨み、後悔してるのは、それに対し見
てみぬフリをした僕自身に対してだ。
 だけれど夏子は、そんな事に影響される程小さな人間でもなかった。女子達の陰口にも、他愛の無
い悪戯にも大した興味を示さず、近くの山に入っては相変わらずシャベルで土を掘り返していた。
 そして高校時代。僕はまた夏子と同じ学校に通う事になった。いや、事になった、のじゃなくて、
僕が夏子と同じ学校に行ったに過ぎない。その当時の僕の成績なら、もうちょっと上の学校も目指せ
たのだが、どうしても、夏子の事が気になっていた。近いから、なんて適当な理由をつけて、親を説
得した。その頃にはもう、僕の中にある夏子に対しての感情が、他ならぬ「恋」である事に気づいて
はいたが、その想いを夏子に打ち明けるには、やはりまだ勇気が足らなかった。

54 :No.12 夏子(3/5) ◇LBPyCcG946:08/04/06 21:04:28 ID:MI0bEmOL
 クラスの他の女子が、例えば髪を染めたり、アクセサリーをつけたり、化粧をしたりと、日に日に
女の子から女へと変化していく中、夏子だけは全く変わらなかった。でも化粧なんかしなくたって、
僕には夏子が世界で一番綺麗だと言い切れた。
 高校1年生の夏休みに入る直前、僕はそれまでの人生の中で、最も頑張ったと思う。何度も何度も
柱に向かって練習して、ひたすら夏子の様子を伺って、ようやく、美術館で開催されている考古学展
に誘う事に成功した。我ながら、このチョイスは大正解だったと今でも思う。夏子は考古学に興味が
ある。それは間違いない事だった。
 美術館での夏子は、いつもとは明らかに違っていた。子供のように目をキラキラとさせながら、僕
には良さがわからない壷やら何やらをしげしげと見つめていた。僕はそんな夏子の横顔を見るだけで、
美術館に来た甲斐があったと思えた。
 美術館の帰り、僕はついに意を決し、夏子に告白した。僕が何て言ったのか、正直言うとよく覚え
ていない。ただストレートに、好きだから付き合って欲しい。と、伝えただけだったように思う。夏
子の方の返事は、僕にとっては思いもよらない物だった。
「わからない」
 確かに夏子はそう言った。きっとあの頃の夏子には、男女として付き合う、という意味が、わかっ
ていなかった。そんな返事に、僕はどうしていいかわからず、笑って誤魔化した。間抜けな奴だ。
 それからも僕は、夏子を度々誘った。ちょっとでも夏子の興味がありそうな物は逐一チェックし、
出来るだけ2人になれるよう考えて、いろいろな所にいった。一度、夏子のよく行く山に行った事が
ある。そこでこんな事を聞いた。
「どうして土を掘るの?」
 小学生の時の、最初に交わしたあの会話の続きだ。夏子は少し困った表情をした後、こう答えた。
「地面の下には、きっと時代が埋まっているの」
 その言葉の意味が、何を示しているのか、その頃の僕にはよくわからなかった。
 高校を卒業して、夏子が進んだのは、小学生の頃に来た調査隊の大学だった。後から聞いた話では、
小学生の頃から教授に是非と誘われていたらしい。考えてみると、すごい話だ。

55 :No.12 夏子(4/5) ◇LBPyCcG946:08/04/06 21:05:25 ID:MI0bEmOL
 流石の僕でも、夏子と同じ大学へまでは進まなかった。本当の事を言うと進みたかったが、高校の
時のようにはいかなかった。家庭の事情もあって、学費の安い国立の大学に進まざるを得なかった。
そんな僕の楽しみは、月に1回ほど夏子と遊びに行く時だった。そして高校の時よりも進展していた
事は、あの夏子がなんと遊園地に行く誘いに乗ってくれた事だった。更に意外だったのは、僕とジェ
ットコースターに乗る夏子は、確かに楽しんでいた。その遊園地の帰り、3年前の、僕の告白に対す
るちゃんとした返事をもらった。ようやく僕と夏子は、恋人になった。
 なんだかんだで大学時代、僕は幸せだった。夏子と一緒に小さな部屋を借りて、夫婦ごっこを楽し
んでいた。昔みたいに、勝手に土を掘りに遠くまで行って学校を休むなんて事はなくなったけど、夏
子は大学で教授に気に入られているみたいだった。休日もフィールドワークに出かけて、その様子を
楽しそうに僕に話した。
 同棲生活の中で、僕が思った事を少し話そう。夏子はきっと、今よりも昔に意思を置いているんだ。
土の下に眠る「過去」に並ならぬ情熱を抱いている。あの時言った「時代」の意味が、ようやく分か
ったような気がした。そしてその事が、僕には少し悲しく感じるのだが、夏子の笑顔を見れば、そん
な事はどうでもよくなった。
「卒業したら、外国に行こうと思うの」
 僕が卒業論文の提出日に追われている時、夏子はそう切り出した。「調査隊に参加する」「論文が
認められて」「教授も強く勧めている」そんな言葉達が、僕の頭の中を右から左に通り過ぎた。止め
ようと思った、思ったけど、それが不可能な事は、夏子の目を見ればわかる。僕の頼みも、夏子の両
親の頼みも、夏子はきっと聞いてはくれないだろう。
 そして一昨年の今頃、夏子は外国に旅立って行った。僕の方はといえば、普通の会社に普通に就職
して、夏子と暮らした部屋で1人暮らしをしていた。たまに届く夏子からの手紙が、僕にとって唯一
の救いだった。夏子が元気な事は、手紙を通してもはっきりと伝わってきた。僕にとっての夏子とは
一体何なんだろう、そして夏子にとっての僕は、何なんだろう。そんな事を考え出すと眠れなくなっ
た。

56 :No.12 夏子(5/5) ◇LBPyCcG946:08/04/06 21:06:23 ID:MI0bEmOL
 あの電話がかかってきたのは、今からちょうど1年前の事だ。電話口で、夏子のお父さんの声は、
微かに震えていた。僕にはその時の言葉が未だ信じきれずにいる。あの夏子が、死んだなんて、嘘に
決まっている。そのすぐ後、夏子の葬式があったけど、僕はその時の事をよく憶えていない。
 それからの日々、僕はぬけがらだった。その日何を食べて、何時に寝たのかもわからない生活。な
んとか仕事に出ても、下らないミスを繰り返すばかりだった。上司が気を使って休みをくれたが、結
果から言えば逆効果だった。未だ手首に残る傷跡は、今後癒える事は無いだろう。
 また小学生の頃のように、夏子はきっと、僕の知らないどこかで土を掘り返しているに違いない。
僕はそう思う。土の下に眠る物を掘り返しては、あの優しい微笑みを浮かべているんだ。そしていつ
か、泥だらけになりながらも僕の元に戻ってきてくれる。僕はひたすらに、そう願っている。






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