【 世代交代 】
◆Kq/hroLWiA




43 :No.10 世代交代 1/4 ◇Kq/hroLWiA:08/04/06 16:23:26 ID:Euo0CxTN
 宮川星慈(せいじ)と御崎華菜の二人が高校の校門を出た時には、すでに太陽は西の空でオレンジ色に輝いて
いた。
 眩しく照りつける西日を背にして、二人は高校の隣を流れる新川の土手を上がった。
 夕暮れ時。河川敷の運動公園では、少年野球のチームが野球の練習をしていた。元気が良く、少年達の声は土
手の歩道を歩く二人にも聞こえてきた。
 みんなまだ小学生だろう。全身から汗を噴き出し、捕球の度に体を泥だらけにしても、彼らは全くそれを意に
介することなく、誰もが、ただがむしゃらに練習を続けていた。
 そんな光景を見下ろしながら、星慈は小さく溜息を洩らして、呟いた。
「……終わったんだな」
「先輩……」
 華菜は星慈の顔を見上げた。星慈の声音は弱々しかったけれど、華菜の見た星慈の表情には、後悔や無念といっ
た負の色は無かった。どちらかと言えば、何かをやり遂げた後のような、清々しさが浮かんでいた。
 星慈が所属していた小川高校陸上部が、三年最後の試合を終えたのは、つい一週間ほど前のことだった。中々
の好成績を収めて引退していった星慈ら三年生の送別会が、陸上部の部室でささやかに行われ、今はその帰りだっ
た。
 軒並みの上に浮かぶ大きな夕日が真横から二人を照らし、一本の長い影が、右手の河川敷の方へと伸びていた。
影はゆっくりと、静かに土手の傾斜の上を滑って行く。
 自転車に乗って犬を連れた老人が二人の横を追い抜いていった。遠ざかる白髪の頭を眺めながら、先に沈黙を
破ったのは華菜の方だった。
「先輩は、この後の進路はどうするんですか?」
「んー、やっぱり普通に進学かな。志望校はまだ決めてないけど」
「他の先輩とかは、どうなんですか?」
「他もだいたい同じだよ。みんな進学。あ、けど、佐々木は実家の店継ぐって言ってたかな。あ、あとタクは専
門学校行くとか。何か、ファッションデザイナーになるとか言ってた」

44 :No.10 世代交代 2/4 ◇Kq/hroLWiA:08/04/06 16:24:00 ID:Euo0CxTN
「大木先輩がですか? 似合ってない」
 華菜はそう言って、小さく笑った。華菜の微笑に釣られるようにして、星慈も悪戯っぽく笑みをこぼして、言っ
た。
「だよな。俺もそう思う。けど、本人には言うなよ。アイツはあれで、傷つきやすいタイプなんだよ」
「知ってます」
 くすくすと、二人は無邪気に笑った。だが、会話はそこで途切れた。
 さっきまで聞こえていた少年野球チームの掛け声も、今はもう遥か後方から僅かに聞こえるだけだった。
 静かだった。お互いの呼吸の音が聞こえてきそうなくらいに。
 沈黙に耐えかねたのか、それともただ何となくだろうか、星慈は空を仰いだ。東の空は、もうすっかり紺色に
なっていた。東から西へと、紺から橙への綺麗なグラデーションが出来上がっていた。ぽつぽつとだが、星も見
え始めている。
 地平線近くにまで下りてきた太陽の光を、連なる家々の屋根が眩しく反射させている。その一方で、反対側の
河川敷は、土手の影に覆われてすっかり黒く塗りつぶされていた。
 静謐な時間は、それから五分ほど続いた。そうして、小学校の隣までやってきたところで、星慈は足を止めた。
 星慈の家はこのすぐ近くで、華菜の家は、この先にある鉄道の高架の向こうにある。
 住宅街へと下りる階段の前に立ち、星慈は振り返った。
「それじゃ、俺はここで」
 星慈が一歩踏み出そうとした時だった、華菜が声を上げて星慈を止めた。星慈は驚いて振り返り、華菜の顔を
見た。
「本当に、引退しちゃうんですか」
「そ、そりゃあ、最後の大会が終わったからな」
「私、自信がないんです。チームを、部をちゃんとまとめられるか……」
 今日催された送別会では、部員達が談笑するだけでなく、次の陸上部の部長の選出なども行われていた。次期
部長は、引退する三年生が相談して決めることになっている。そして、新たな部長として選ばれたのは他でもな
い、御崎華菜だった。

45 :No.10 世代交代 3/4 ◇Kq/hroLWiA:08/04/06 16:24:23 ID:Euo0CxTN
 全員一致で決定した次期部長だったが、華菜本人にとっては、それは晴天の霹靂だったらしく、発表後も何か
と遠慮するような発言や素振りを見せていた。
「宮川先輩は、とっても有能な部長でした。人望も厚くて、優しくて、真面目で熱心で。おかげで、先輩達は最
後の大会では凄く良い成績を残しました。けど、私には、そんなこと出来る気がしないんです……」
 華菜は顔を俯かせた。肩までの長さの髪が、顔を覆うようにして垂れてくる。
「私、ちょっと抜けてるところがあっておっちょこちょいだし、頭悪いし。私が部長になんかなったら、きっと、
陸上部は弱くなっちゃいますよ」
 星慈は、少し困ったような表情を見せて、軽く頬を掻いた。
「先輩、辞めないでくださいよ! 先輩達がいなくなったら……寂しいです。先輩が居なくなったら……」
 ぽん、と、華菜の頭に星慈の手のひらが乗せられた。
「残念だけど、俺ら三年の時代はもう終わったんだよ。これからは、御崎ちゃん達の時代だ。大丈夫だって、部
長っつても、それほど大変じゃないから」
「でも……」
「俺だって、最初は不安だったよ。けど、やってみたらそれほどでもなかったよ。それに、ちゃんと他のみんな
が支えてくれる。俺に人望があるって言ってたけど、御崎ちゃんだって十分みんなから慕われてるよ」
「本当……ですか?」
「本当本当。それにいざとなったら、佐々木の奴が残ってくれるよ。あいつ、進学しないからって勉強してない
から、留年しそうなんだよ」
 可笑しそうに言う星慈に釣られて、華菜も思わず笑ってしまった。
「佐々木先輩が残ってくれたら、楽しいですね」
「そうだろうな。まあ、安心しな、御崎ちゃん。俺や他の連中も、ちょくちょく練習に顔出すから、な?」
 そう言って、星慈は華菜の髪をわしゃわしゃとかき回した。いきなりのことに、華菜は「わっ、わゎ!」と声
を洩らすことしかできなかった。
 ひとしきり華菜の頭を撫でた星慈は、ようやく手を離した。

46 :No.10 世代交代 4/4 ◇Kq/hroLWiA:08/04/06 16:24:46 ID:Euo0CxTN
「それじゃあな、御崎部長。がんばれよ!」
「…………はい、宮川元部長!」
 星慈は笑顔で手を振ると、階段を下りていった。
 階段を下りて、横断歩道を渡る。そして住宅街に入っていこうとした時だった。突然後ろから、大きな声で星
慈の名前が呼ばれた。
 星慈が振り返ると、土手の上に立つ華菜の姿があった。
「どうした?」と、少々声を張り上げて、星慈は訊いた。華菜は、何度か口をぱくぱくと動かしたが、声は聞こ
えなかった。聞き逃したのではなく、そもそも声を発していないようだった。
 星慈が立っているところから華菜のいるところまでは結構距離があったため、華菜の表情を正確に捉えること
はできなかったが、夕陽に照らされた華菜の顔が赤く染まっていることだけは見てとれた。
 何かを躊躇するかのように首を振る華菜。さすがにおかしいと思った星慈は、華菜に問いただそうとした。が、
その前に華菜の方が叫んだ。
「あ、あの! そこで待っていて下さい!」
 そう言って、華菜は階段を駆け足で下り始めた。
 一体なんだろう、と怪訝に思いながらも華菜の到着を待つ星慈は、そこであることに気が付いた。
 夕日は、もうとっくに沈んでいたのだった。

おわり



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