【 時代 】
◆7hSueg3E2w




38 :No.09 時代 1/5 ◇7hSueg3E2w:08/04/06 14:57:01 ID:Euo0CxTN
 祖父の言葉をまず最初に引用する。

「個々の変化がなければ、時代の変革はない」

 十二月の初旬の吹雪の夜だった。
酷く酔っ払って帰ってきた父は革鞄を廊下の端に放りながらその言葉を叫び、そして息絶えたように眠った。
 父はパンフレットの作成や編集などを主にした小さな会社に勤めていた。
一週間前に社内で業務転換が決まり、父は事務職に回された。
 父は二日でストックしていた半ダースほどのブランデーを涸れ井戸のように飲み干し、静かに愚痴をこぼした。
一つの時代の変化に父は抗うことが出来なかった。

 その頃には

39 :No.09 時代 2/5 ◇7hSueg3E2w:08/04/06 14:57:52 ID:Euo0CxTN
祖父は既にほとんど口も利けずに病院のベッドの上に横たわっていた。
ガンが胃から肺へと転移し、もはや助かる見込みはなかった。
 いつだったか、私が何気なく祖父の容態について聞くと、父は自分に言い聞かせるように言った。

「治らない病気なんだ」

 見舞いに来た私を、祖父は力のない瞳でただ見つめていた。
それは私にいくらかショックを与え、それから私は一度も祖父の見舞いには行かなかった。
 祖父の病室は何から何までが白で統一されていた。ベッドやカーテンはもちろん、ポットやマッチ箱まで例外なく白だった。これが誰かの

40 :No.09 時代 3/5 ◇7hSueg3E2w:08/04/06 15:00:46 ID:Euo0CxTN
コーディネートだとしたら、さすがに悪趣味だとしか言いようがなかった。
祖父の寝巻の冬の空を剥ぎ取ったような薄い青色が、置き去りにされたように純白の海に浮かんでいた。
 母が玄関で父の介抱している横で、私は粗目のすりガラスに雪がへばり付いては風に掠われていくのをぼんやり眺めていた。
 病室の窓から見える夜景さえもこの吹雪に奪われては、祖父の世界は完全な白に覆われてしまうだろう。

私は幼いながらに祖父を憐れんでいた。泣きたい気にさえなっていた。

 この国の年号が突然に「平成」となった二日後のことだった。

41 :No.09 時代 4/5 ◇7hSueg3E2w:08/04/06 15:01:13 ID:Euo0CxTN
 祖父は地底の奥深くから沸き上がるような呻き声をあげながら壮絶な最後を遂げた。 
 私は病室の外でドアに寄りかかりながら震えていた。
祖父の断末魔は、母の泣き声や医者の叫ぶ声を織り交ぜ、ある種の旋律のように病室の中に響いていた。
耳を塞いでも、それは私の細い指を掻き分け、邪悪な霊魂のようにいつまでも頭の中に渦巻いていた。
そして「祖父の死」という刻印を押され、私の記憶の中に居座ろうとしていた。

 仏間の中央には骨壷が堂々と鎮座していた。祖父が入ったそれに時々目をやりながら、居間の窓から手を伸ばして

42 :No.09 時代 5/5 ◇7hSueg3E2w:08/04/06 15:02:09 ID:Euo0CxTN
植え込みのさるすべりの枝を弄っていた。
葉を一枚むしると父がこれっと上から私の頭を小突いた。
父は私の横に腰を降ろすとライターで長い煙草に火を点け、そっとくわえた。
「俺は爺さんが死んで、新しい時代を迎えることができんのかもな」
「え?」
「昭和は爺さんが死んで終わった。平成は俺の新しい仕事で始まる」
「おじいちゃんが死んだから、昭和が終わったの?」「そうだよ」
「ふうん」
まだチャンスはあるのだ、と父は言うと大きく口を開けて煙を吐き出した。
 日本中でそれぞれの昭和が終わり、平成が始まろうとしていた。



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