【 ゆりかごに揺られる 】
◆fSBTW8KS4E




27 :No.06 ゆりかごに揺られる 1/3 ◇fSBTW8KS4E:08/04/06 00:15:11 ID:tBFmZvQG
「俺はゆりかご世代、お前はベビーベッド世代だろうが」
 父がよく言っていた。
「ベビーベッドなんて誰が考えたんだ」
 誰もいなくなった工場で、そう漏らした父は、手紙だけを残して旅に出て行った。
「俺の人生ゆりかごから墓場まで、俺次第。だから一人旅」
 六十過ぎの男が書いたようなものには見えなかったが、家からは大きめのリュックと父
の服が消えていた。母は二回目よ、なんて言って学生時代の父の前科を語り始めた。
「あの人はそういう人。ちゃんと戻ってくるのよ」
 快活な笑みに、僕はそれもそうだな、なんて思って、春休みの間にすることがないから、
工場の片づけを申し出た。
 工場の中はもう動かない大型の機械が二、三個あり、大半のスペースを使っている使わ
なくなった木材の山があるだけだ。機械の方は来週業者が運んでくるので、木材を処分す
るだけだった。
 処分すると言っても小さくして、薪として近隣の人に配るだけだ。春休みの運動として
は悪くない。
 僕は外の薪割り場まで台車に木材をのせは込んでから、物置から薪割り用の斧を出した。
 まず長さを三等分にして薪割りがしやすいようにする。そのあと、台の上に一本置き、
斧を噛ませる。しっかりと固定されたのを確認してから、大きく振り下ろすと、綺麗に二
つに割れた。拾い上げ、木材を運んできた台車に並べる。
 そのまま二本目に取りかかった。単純な作業は僕にあっていて、気持ちが良い。
 薪を割りながら、頭は父親のことを考えていた。変な人ではあった。クラスメイトの父
親よりも年を取っているくせに、人一倍若くあろうとしていた。
 役員会では積極的に活動したり、イベントがあると全力で盛り上がっていた。六十年な
どという時代の中には、青さが流れていた。
「俺はゆりかごを作って揺らすことしか脳がない。お前は俺のようになるなよ」
 そう言ったのは僕が高校に入る前だった。未だに意味を理解しきれていないが、恐らく
父は僕の好きなようにしろと言いたかったのではないだろうか。自分で答えを出すように
斧を振り下ろした。いい音がして、二つに崩れる。
 父が、ゆりかご工場を閉鎖させようと決意した日を考えてみる。最後まで粘ったのだろ
う。涙こそ見せないが、きっとだだをこねる子供のように、皺の一つ一つから全てが反抗

28 :No.06 ゆりかごに揺られる 2/3 ◇fSBTW8KS4E:08/04/06 00:15:27 ID:tBFmZvQG
したんだろうな。
 工場は取り壊された後、買取待ちの更地とされることが決まっていた。一本一本と薪を
割るのは、とても時間のかかる作業だ。それでもいずれは終わるのだろう。長い間働いて
きた父も工場も、今僕の手によって終わりへと向かわされているのだ。
 そう考えると、斧を持つ手が重くなってきた。僕は父に終わりを告げてやれるほど、若
くはないと感じていた。

 おもむろに僕は、積んだ木材に残っていたエンジンオイルをぶちまける。そして手元の
紙くずにライターで火を点け、それを木材の山へと投げつけた。
 マッチに火が点くときのような軽い爆発音が響いたと思ったら、あっという間に木材の
山は赤い熱に包まれた。
 火は生き物のように上を目指す。工場の天井にまで着きそうなほどの勢いだった。
 何故こんな事をしているのだろうか。気づけば文字通り火の海だった。
 後悔も感動もなく、むせかえるなか床に横たわった。皮膚が火傷しているのか、鋭いか
ゆみのようなものが走ってきた。
 仰向けに寝ると、少しだけ昔のことを思いだした。記憶もない頃、父が作ったゆりかご
に揺られた僕のことを。
 工場全体にはもう火がまわっていた。天井を火が走っていくのが見える。端にある大き
な蛍光灯が崩れていった。頭上では木材が爆ぜる音と共に落下音がする。続いて反対側の
蛍光灯も落ちてきた。
 そろそろ僕の意識も危ない。真上にある蛍光灯を睨む。お前が、全てを終わらせるのか。
 眺めていると一際大きな音で、蛍光灯は落下を始めた。血流が駆け抜け、ゆっくりと迫
ってくる蛍光灯を睨む。
 鼻先まで、僕は目を開けていた。

――ダンッ
 いつの間にか運んできた木材も減り、僕はこれで最後だと認識する前に斧を振り下ろし
ていた。
 どうやって僕が木材を消化していったのか、経過を覚えていない。着ていたTシャツは
汗でぐっしょりだ。今日はこれぐらいにしておこう。

29 :No.06 ゆりかごに揺られる 3/3 ◇fSBTW8KS4E:08/04/06 00:15:45 ID:tBFmZvQG
 家に戻ると、今日はせっかく薪があるんだし、五右衛門風呂にしましょう、と母が長い
間使っていなかったドラム缶を指さした。父がテレビドラマに影響されて作ったものだ。
作ったというほどしっかりした作りではない。
 ホースを引っ張り、中に水を並々に入れる。ジャンケンの結果僕は最初に薪をくべる係
だった。
 水がお湯になるまで結構な時間がかかり、母が入る頃には外は真っ暗になっていた。
 脚立をバスタオル一枚の姿で上る母に大丈夫かよなんて思いながら、湯加減を聞く。
 母の身体が木底と沈むと共に、お湯がだんだんと溢れてくる。火が消えないように僕は
薪を突っ込んだ。
「最高ね」
 母は満足そうに呟く。実際満足なのだろう、頬に流れた涙を僕は見ないふりをする。用
意していた三脚に腰掛け、空を見た。黒にに輝く北斗星が、いつもの父のように見えて目
を瞑る。
「淋しくないの?」
 僕は父の不在を母に尋ねた。母は少しだけ微笑んでから答えた。
「人類のゆりかご、って言葉知ってる?」
「聞いたことはある、かも」
「どこかの国の、頭が賢い人の言葉よ。人類のゆりかごっていうのはね、地球のことを指
しているんだよ。あの人がどこかに行っているとしても、地球というゆりかごはどこから
でも揺らすことが出来るの」
 そこで言葉は途切れ、母はお湯を手ですくい顔に浴びせる。
「あの人は今も私たちを乗せたゆりかごを、揺らせているつもりよ」
 母の声と、薪の焼ける音が響く夜だった。
 母は僕と違い父をわかっている。
 父は僕と違い若く過ごしている。
 明日も薪割りを頑張ろう。少しだけぬるくなった湯船で、僕はゆりかごに揺られる地球
を考えていた。



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