【 くま 】
◆/sLDCv4rTY




79 :No.20 くま 1/4 ◇/sLDCv4rTY:08/03/31 00:21:34 ID:X/hXXi0w
 月曜日の午前3時、僕は親にみつからないように、しずかに玄関のドアを開け外に出た。
 嫌な学校に行かなきゃならない月曜の朝をむかえるまえに、僕はいつもこの時間、夜のさんぽにいっている。
すこしお洒落をして、死んだ父の形見である大きな探偵帽をかぶって。
学校にかぶっていくとばかにされるから、その帽子をかぶるのは、夜、さんぽにいくときだけにしている。
 そとに出てみると今夜は、夜の真黒な色がすこし変色し、茶色がかって黄ばんでいて、古臭いレトロなかんじがする夜だった。
なにかが焦げたような臭いもちょっとだけしている。
きょうの夜も、いい夜だなあと僕は空をみあげた。
そして大きく一度伸びをすると、警察にこのさんぽをみつかると補導されるから、僕は大きめの探偵帽をぎゅっと深くかぶり直し、硬いアスファルトの上を踏んでいった。
 まず最初に僕は、キーホルダーを売っている自動販売機へとむかった。先週や先々週と同じように、「熊のキーホルダー」を買うために。
 たらりたらりと歩いているうちは、左右の、シャッターの閉まった駄菓子屋や肉屋や、ドアの閉められた喫茶店や眼科をみていた。
みながら、シャッターやドアをすべて閉ると建物は、みんなおなじような箱にみえるな、とおもって、それから僕は、その箱のなかに詰まっているなかみが気になったりした。
閉まった店が並ぶなか、土管だけが置いてある空き地もあった。

 …すこしすると、自動販売機が放つぼんやりとした光が道の先に見えてきた。それと同時に、火の用心のような声が季節外れに聞こえ始めた。
カンカン、と何かを鳴らしてからウニュウニュと何か言っている。僕は歩きながら、彼らは何を言っているんだろうとずっと耳をすましていたけれど、その言葉のなかの単語の破片すら聞き取ることはできなかった。
 そのうちに僕は自販機の前についた。
火の用心らしき声は、聞き取れないままなもののゆっくりと大きくなっていった。

 自動販売機はヴヴヴヴと熱っぽい唸りをあげながら、さまざまな動物を型どった何種類ものキーホルダーを薄い光のなかに並べている。
僕は自販機のコイン投入口に硬貨を何枚か入れてから、一番うえの列の、うんと高いところにあるにある「熊のキーホルダー」のボタンを押そうと、背のびをして指をつきあげてた。
火の用心の声はほんのすぐそこまで近づいていた。僕はまだボタンを押せていなかった。
僕はボタンを必死に押そうとしながらも、
頭の片隅で何を言っているのかを聞こうとした。

80 :No.20 くま 2/4 ◇/sLDCv4rTY:08/03/31 00:21:56 ID:X/hXXi0w
「ウニュウニュ」
僕の背後をダシ ダシ ダシと通っていった「なにか」は、近くにきてもなにを言っているのかわからなかった。
やっとボタンを押せて、ガタラカ ゴッタンとキーホルダーをいれたカプセルがでてきたころには、姿はもちろんのことあの変な声すら聞こえなかった。
 僕はいつも通り、カプセルを開けてキーホルダーの熊の「顔」をしらべようとしたが、これもいつもどおり自動販売機の光だけでは暗すぎてよく見えなかった。
僕は、明るくなる「朝」に期待しよう、と思った。一つでも期待があれば、大嫌いな月曜日の朝でもすこしは楽しく迎えられる。
そうおもって僕はキーホルダーを財布といっしょにポケットの中に入れ、来た道を戻っていった。
焦げたような臭いはいまだに漂っている。
……。
 戻っている途中にふと空き地を見ると、土管の上に一匹の大熊がすわっていて、そのでかい図体につけた短い足をぶらぶらとあそばせていた。
 彼も月曜日の朝が嫌いなのだろうかと僕は思った。

 僕は、喫茶店の前で立ち止まり、植木鉢にかくされているカギを取り出した。いつだったか、隠しているところをたまたま見たのだった。
カギにはキーホルダーがついている。それはニコニコと笑っている熊の頭のキーホルダーで、さっき僕が買ったものと同じ種類のものだった。
 僕はカギ穴にカギを差し込み、ゆっくりとまわす。カギがまわるのと一緒に、熊の頭がぷらぷらとゆれた。
 ドアを静かに引いて、僕は薄暗い喫茶店の中に入っていった。喫茶店の中では、なにかがガタゴトと鳴っていた。
僕はドアに一番近い席に座り、木でできた丸いテーブルに置いてあるロウソクに、これまた置いてあったふるびたマッチで火をつけた。
薄暗い部屋の中でゆれるロウソクの火は、まるで不幸を詰め込んだ一粒の「グミ」であるように見えて、どこか現実感がなかった。
 僕はずっとぼおっとしていた。そのうちに、なにがガタゴト鳴っていたかがわかった。
それは隅に置いてある大きな機械で、張り紙によると熊のキーホルダーを作っているらしかった。機械はガタゴトとふるえつつたまに火花を散らしチラリと光った。
僕はずっとぼおっとしていた。
 いつか人間のおばさんが喫茶店のなかに入ってきた。おばさんは、おばさんとしかいいようがなかいひとだった。
だから僕は、初めましておばさん、と言った。


81 :No.20 くま 3/4 ◇/sLDCv4rTY:08/03/31 00:22:16 ID:X/hXXi0w
 おばさんは笑顔でかるく会釈して、僕と同じテーブルの、僕の向かいの席に座った。
「初めまして」
そう言うとおばさんは、テーブルの隅に置かれた小瓶のふたをカラリとあけて、砂糖のかたまりを指でつまみ自らの唇と唇のすき間にひょいと放り込んだ。
唇は口紅で紅かった。おばさんはその唇を糸のように伸ばして笑顔をつくり、あなたは食べないのかい? と言ってきた。
いっぱい食べてはやく大きくならないとだめよ。天国の動物園で、お父さんもきっとそうおもってるはずよ、とにこやかに言った。
そして瓶をこっちにずるずると寄せた。
僕はそのなかの一粒をつまみ口のなかに放りこみ、おばさんにキスをしてから、さようならと言って喫茶店を出た。
 口のなかにはザラザラとしたあまみが広がっていた。喫茶店の方を振り返ってみると、燃えるロウソクの光と、その光がつくりだすおばさんの影がみえた。

 …喫茶店に居るあいだに雨がふっていたらしく、地面が濡れていることに気がついた。
僕は、雨の日はなんでこんなにも地面のざらつきを感じるんだろうとおもった。
 そんなことをおもっているうちに、僕のよこをさっと、「大人の大熊」が通ったようなきがした。別によくあるあたりまえのことだし、気にしなかったけれど、何匹も何匹も通っていくと、僕もへんにかんじる。
なんで真夜中なのに、大熊だけが何匹も通るんだろう。しかも、みんなひとつの方向に向かって。
 僕は、一匹の茶色い大熊を追ってみることにした。
どうやらそいつは、喫茶店の方向へと歩いて行っているらしい。またそいつは、良く見ると空き地にいた大熊に似ていた。

82 :No.20 くま 4/4 ◇/sLDCv4rTY:08/03/31 00:24:01 ID:X/hXXi0w
 その大熊はなぜか、一歩ごとにどんどん首が細くなっているようだった。違う道にいた他の大熊とも合流し、首が細くなるのと反比例して熊の数は増えていった。そして彼らは、細すぎる首を持った熊の集団になった。
 異常と言える細さになっても、まだ首は細くなりつづけ、熊の数も無数に増えていく。
 彼らのくびは糸のようになり、いつしかやわらかく途切れ、彼らの頭と胴体は別々の生物になった。
よだれを垂らす頭は浮遊しながらおばさんのいる喫茶店に入り、毛深い胴体手足はそのとなりの肉屋に入っていった。
 そして僕は気づいた。
そして、僕はにげるようにはしりだした。
 僕はできるだけなにも見ないように下をむいて、無数に浮遊する頭部と、無表情に歩く数え切れないほどの胴体がいるなかをはしった。
しかし、一瞬、みてしまった。
首だけになったその熊は、その一瞬に、クリっとした黒目をこちらに向けていた。
 僕は走りつづけたまま帽子をぎゅっと深く被り直した。
あの悲しみの眼球は、たぶん、いつか偽物の笑顔をつくるのだろう。
楽しいことなどないのに、ガタゴトと動く機械によって。
 まだ小熊であるぼくも、いつか大人の熊へと成長を遂げるのだろう。
時間によって。いつかの朝に。恐い朝に。 あ
あさがきちゃうよ。
朝が来たら、そして、首だけのえがおに成長する。


 ゆっくりと西の空から明けてきて、僕は走るのをやめてゆっくりとあるくことにした。僕は自分がどこまで来たのかが分からず、目の前には頭や胴体たちこそいなかったが、見たことのない不吉な街が広がっていた。
まだ火の用心みたいなものはつづいているらしく、また聞こえ始めた。
 あ
と気づいて、ポケットのなかのキーホルダーを取り出して見てみる。
けれど、今回のキーホルダーの熊の顔も、僕がさがしていた父の顔とは違い、見知らぬ熊の顔だった。
「ウニュウニュ」
 "なにか"が僕の背後をまた通る。
そのとき、そのうにゅうにゅに混じった父の声をたしかに聞いて、僕はふりかえった。



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