【 オート。リバース 】
◆zOa0NSPCeg




60 :No.16 オート。リバース 1/5 ◇zOa0NSPCeg:08/03/30 23:36:41 ID:IPV6itr1
 太陽が沈んだから僕は黒いジーンズを穿いて外に出た。空を見ても何も見えない。
 時刻は六時、大分長くなってきたものだ。もう外は真っ暗、僕みたいな人も見当たらない。
「財布は持ったし、時計は動いてる。煙草は吸えなくなったし、サングラスもかけている」
 オーケぃ行きましょう。誰とも無く呟いて歩きだす。アスファルトに擦れて、もう寿命が短くなってるスニーカーが良い音を立てた。
 通りを歩いていて、行きつけにしていた店が壊れているのを見かけた。確か出来て五年──、と五年だったか。
成程、耐用年数なら仕方ない。壁が溶け出しているのが、僕の目でも見えた。そもそもあれは何を売っていた店だったろう、と考えながら道を急ぐ。
「ねぇ、そこの真っ黒なお兄さん」
 後ろから声をかけてくる人が居た。振り向いた僕の眼に映ったのは、見た目二十歳前後って感じの女の人。多分、僕と同世代だ。
 時計の文字表示を見て、時間の余裕を確認し、それから僕は答えた。何でしょう?
「えぇとね、何でもう朝なのにサングラスしてるんですか──じゃなかった。えと、道を教えて欲しいのですけれども」
 なんか前者も結構本音臭い気がする。ちなみに視界は明瞭だぞ一応。
「何処までですか? あと、お兄さんはやめて下さい」
 でしたら何と呼べば、と疑問符が返ってきた。ご自由に、と僕は投げた。別に謎の男を気取りたい訳じゃない。
「じゃあですねぇ。私の事はアサ、って呼んで下さい。あなたの事はヨル、って呼びます」
 最悪だ。この上なく最悪だ。でも、僕は「じゃあそれで」と相槌を打つ。
「えぇと、じゃあヨルさん。私『インター』まで行きたいんですが」
 続いて聞こえた声に、僕はいぶかしむように顔をしかめた。
「『インター』? 何で、あなた、場所知らないんですか?」
 尋ねてから、少し軽率だったかとも思った。でも彼女は戸惑うような顔をした後。
「あー、その、えっとですね。私、ここの人間じゃなくて、実はその……」
 それを聞いてピン、と来た。きっと彼女は僕と同じ用事があって、あそこへ行こうとしている。
 僕は軽く微笑んで彼女に向き直った。
「あー、実は僕も今から其処に行く用事が有るんですよ。ご一緒しましょうか?」
 アサさん、は一瞬驚いたような顔をした後で「良いんですか?」と顔を輝かせた。
 ええもちろん、と僕は答えて、並んで暗い街を歩き始めた。
 ネオンは昨日より光を増しているように思えた。黒いサングラス越しでも、それは輝いて見える。
「ねぇヨルさん。さっきも質問しかけましたけど、そのサングラスはどうして?」
「あー、今日は特別っちゃ特別なんですけど」
 ちょっと言葉につまる。

61 :No.16 オート。リバース 2/5 ◇zOa0NSPCeg:08/03/30 23:37:00 ID:IPV6itr1
「僕って夜が嫌いでしてね」
「……お名前嫌でしたか?」
「いやいや。夜昼朝の、夜。あれだけ特別暗いのが嫌いだったんですよ。昼とか朝は明るいのにね」
 きょとん、とした顔を見せるアサさん。まぁ、普通は分かんないよなぁ。
「夜を明るくするのが無理なら、全部暗くしてそれを普通にしちゃえ、っていう」
 まぁ何を言っても嘘みたいなものなのだが。アサさんは「そうなんですか……」と分かってないような返事をした。理解の放棄。
 でもこれを言うと一発でみんな分かってくれるんだよね。
「っていうのは建前みたいなもんで。本当に僕が嫌いなのは夜じゃなくて今なんです」
「今、って? 今日ですか?」
 ゆるやかに僕は首を横に振った。
「違います。月曜日の朝。もっと限定すると、十年前の二月二十五日の朝五時十六分」
 笑っていた彼女の表情が、凍りつくのが見えた。
「あなたもあの災害ですよね? 僕の彼女も、その時死にました」
 沈んだ表情に変わった彼女は、噛み締めるように頷く。
 こちらに視線をやっていないのを確認してから彼女の左手を見ると、案の定、薬指に指環が光っていた。
「あなたも、家族──じゃあないですよね」
「恋人、です」
 でした、と訂正する声がやけに小さかった。
「今日も家族には内緒で来ました。と言っても、もう夫だけしか居ませんが」
 もう、ということは。僕は前に向き直り、再び歩き始める。
 遅れて彼女の足音が聞こえた。一人身の僕には彼女の気持ちは分からない。言葉は届かないなら、喋るべきではない。
 無言のまま歩いて、やがてその大きな建物に着いた。元々は県庁だったか。街中で出来るだけ古い建物が選ばれただけだ。
 大規模なリサイクル所。そう言うのは簡単だが、僕たちはこれを『インター』と呼んでいる。
「着きましたよアサさん。ここです」
 彼女はその建造物を見上げた。何も喋らずに、必死に唇を噛み締めていた。
 此処の事を「三途の川」と、笑えない冗談を口にした奴が昔居た。それは、意味合いとしては酷く正しい。
 じゃあこれで、と笑いかけて僕は中へと入っていく。

         ◆

62 :No.16 オート。リバース 3/5 ◇zOa0NSPCeg:08/03/30 23:37:19 ID:IPV6itr1
 五年前。
 地球の周りを回っていた月が砕けた。
 それが原因なのか結果なのかは分からない。調べようもない。
 それから、全てのものが「巻き戻り」始めた。
 朽ちたものは輝きを取り戻し、造られたものは元へと戻り、──死んだものは生き返った。
 今まで流れていたスピードと同じように、時間が逆に戻っているようだ、と専門家は言っていたような。
 建造物は作られた日にちに戻ると、冗談みたいに崩れて果てた。
 埋め立てられたゴミの中から、食物や生命が生まれた。植物から出来たものは全て種に戻り、消えていった。
 墓下から、人間が生き返った。数年経って、自分が若返っている事に気がついた。子供が幼児になり胎児になり、やがて精子と卵子だけの塵に消えた。
「……坂下麻子様ですね、はい。……はい。こちらへどうぞ」
 僕の年齢はもう三十間近だが、見た目は十代前半にまで戻っている。
 さっき別れたアサさんも、実際はそんなところだろう。僕たちはその頃にあの大震災にあった。
「もうご説明は……、はい。分かりました、……お時間は……、左様ですか。分かりました」
 係りの人は、僕の言葉に頷くと部屋から出て行った。この死体が大量に並んでいる部屋から。
 周りには、同じように寝かされた死体に寄り添う人たちがたくさん居る。普段は違うらしいのだが、今日は生き返る人が多すぎる。
「…………」
 目の前にある死体に被された覆いを剥ぎ取った。以前に見た時は全身が焼けていたのだが、もう今は生前の麻子に殆ど戻っていた。
 時計を見ると、五時二十分。あと五分くらいか。忘れようが無い、僕が本当に嫌いなのはこの時間だ。
「……もう、生き返ってるね」
 今の世界では、人を殺すことは『幼衰』以外では不可能になっている。
 しかし今、新しく消費した食物だけは帰らないらしく、人口だけが増え続ける状態では全ての人に食料が行き届かない。
「ねぇ、麻子、聞こえる?」
 その為の取り決め。
『もう、既に死んでいる人たちなのだから、自分たちが生き残る為に、彼らには最後のお別れだけをして、それからずっと土の中で暮らしてもらおう』
 死、はありえない。すぐに蘇ってしまうからだ。傷は塞がるからだ。餓死もしない、ただ、ずっと、死んで生き返ってを繰り返すだけ。
「……ぁ、あ……あ」
 若返っている僕たち生きている人は、以前より多くの栄養を欲するようになっていた。
バランスが取れていないこの異常事態。人々はもう、まともな神経を有していないのだろう。
 このお別れが済んだ後、生き返った人々は深い深い深い穴の底に沈められる。二度と、間違っても出て来れないように。

63 :No.16 オート。リバース 4/5 ◇zOa0NSPCeg:08/03/30 23:37:41 ID:IPV6itr1
 僕の後ろの人たちが、泣きながら何か騒いでいた。別室に移動していく。一緒に、埋るのだろうか。
 お別れの時間は、一人十分。短いと見るか長いと見るか。
「麻子、麻子、ねぇ麻子」
 ──さてそれにしても、僕は本当に運が良かった。
 これだけの人が居たんだ。きっと一人一人確認なんてしなかったのだろうし、それに昔遺体が見つかった時は検死なんてされなかった。
 そして何よりの幸運は、あの時大震災が起きてくれたことと、こんな異常な世の中が訪れたことだろう。
 視界の端で、時計の文字表示が十六分にさしかかるのが見えた。もうすぐだ。
「ぁあ。ぁぁ、あ、ああ」
 うめき声を上げて生き返る麻子を見ながら、僕は一つ溜め息をついた。
「お久しぶり、麻子」
 意識が戻ったらしい。麻子の瞼がゆっくりと開く。その顔は、混乱したまま苦痛に歪んでいた。
「……ぇうっ、ぅ、い、ぃいあたたたたぃたいたいたいたいたい!!!」
 悲鳴を上げるようにして、涙を流す麻子。出産と同じだな、と思う。違うのは、こちらは死ぬ時の痛みに因るものだということ。
「麻子、大丈夫? ねぇ、麻子?」
 僕は彼女に呼びかけながら、係員に渡されていたモノを握りなおした。
「いたい、いぃえぁたた、ぇ、あぅぅぅう、──え?」
 麻子は僕の顔を見て、そしてその顔を大きく歪ませた。
 もちろん、恐怖で。
「──ばいばい」
 僕はそう呟いてから、左手のスプレー缶を麻子に吹きかけた。悲鳴を上げる間も無く、彼女は再び倒れていく。
 彼女の纏っていた布から、少し彼女の腹部と傷跡が見えていた。僕の目の前でその懐かしい傷跡は消えていった。
 あの時、地震の直前に僕が刺した痕。麻子の、本当の、死因。
「…………はぁ」
 僕はもう一度溜め息をついてから、手を上げて係員を呼んだ。当然、凄く悲しそうな表情を浮かべて。

         ◆

64 :No.16 オート。リバース 5/5 ◇zOa0NSPCeg:08/03/30 23:38:01 ID:IPV6itr1
 『インター』とは埋葬の意味。人が含まれたゴミ捨て場に過ぎない。
 建物の外に出ると、当然のように辺りは暗かった。だって、月が出てないのだもの。
 街に出たところにアサさんが再び立っていたので声をかける。お早かったんですね、と。
「えぇと、まぁ。ヨルさんこそ」
 時刻は四時台になっていて、もうこれは朝じゃなくて夜と言っていいんじゃないかと思う。僕の呪縛はようやく解けた。
 日付が変われば日曜になって、また週末が来る。でも、また次の月曜日が来るかどうかは僕には分からない。
「アサさん、戻らなくていいんですか? ご主人心配してません?」
 二十年足らずで確実に僕は死ぬ。でもその前に、こんな世界は確実に滅ぶ。
それが明確になったという点だけは、この異常事態も良いのかもしれない。そう、確かに思う。
「そうですね。私、自分の家に帰ろうと思います」
 科学に限らず全ての分野は発展出来ずに退化だけを続ける。それ故、この事態の解明と解決はとても不可能とされていた。
「ヨルさんは? これからどうするんですか?」
 尋ねられて、少し困った。もう僕もすることが無い。普段からずっと夜を生きてきた僕には、逆に本物の夜には出歩きたくない。
「僕も、……帰ります。家に帰って死ねるまで寝ます」
 呪縛が解けた今でも思う。もうまともに機能しないんだ。はやく滅んじゃえ、世界。
「そうですか、じゃあ私も。……えぇとそうだ、ヨルさん。最後に一つ」
 何でしょう、と僕はサングラスを少しだけ傾けた。
 上半身だけ振り向いた状態で、彼女は微笑んで僕に問いかける。
「ヨルさんどうしてぇ──彼女が『亡くなりました』じゃなくて『死にました』って言ったんですか?」
 それも時間まで正確に、と彼女は笑う。
 ちょっと、動揺、した。
「あー、それは」「いえ良いんです。聞いてみたかっただけですから」
 僕の言葉を遮って彼女は笑った。背を向けて彼女は歩き始める。
 ふと、僕は彼女も本当に、本当に僕と同じ用事でここに来たのではないかと思った。
「…………はぁ」
 また溜め息をつく。確かめようの無い思いつきなんて、無い方がいい。いっそ頭も十代に戻りたいものだ。
 そして世界は、確実に終末に向かって巻き戻っていく。始まりもきっと、そのうち終わる。

                                             了。



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