【 祇園精舎のハウルオブベル 】
◆pxtUOeh2oI




45 :No.13 祇園精舎のハウルオブベル 1/5 ◇pxtUOeh2oI:08/03/30 23:27:26 ID:IPV6itr1
 エウクは成長しきった大きな体をくねらせ、河川敷に建てられたビニールとダンボールの寝床から月明かりの下へと這い出た。
そこかしこに穴の開いたデニムのパンツに、元は白色だっただろう薄汚れ伸びきったランニングシャツを身につけた
一メートル八十センチを超す日本人にしては大きな体躯は、窮屈な体勢で寝ていたためか各所が妙な倦怠感に包まれていた。
 時代が時代ならばホームレスと呼ばれたであろうその姿、それでもこの時代、ある一方の人間としてはそれなりのものだと言えるだろう。
 エウクは歪み汚れた寝床の中へ手を伸ばすと、ボロボロのジャケットを取り出し上から羽織る。オシャレというには程遠い
姿かもしれないが、彼にとって人間としてのプライドを保つ小さな抵抗だった。エウクは錆びた剃刀で鬚を適当に剃り落す。
伸びていたところで大した問題でもないが、放っておくと雑草のように生い茂る鬚が寝床周りの草々を連想させ、鬱陶しいと感じさせた。
 西暦という言葉を聞くことがなくなって数百年、エウクは今が何年と言われているのかわからなかった。唯一わかることは、
季節が夏であり今日が日曜日であるということ。曜日毎に音律を変え、ある決まった時間に鳴り響く鐘を模した電子音だけが、
エウクに時間という概念を教えていた。
 朝が来る前に食糧を集めなければならない。エウクは重く感じる足を動かし絢爛と輝く夜の街へと進んだ。
空に浮かぶ少し欠けた月が、雲に覆われる。それは予定されたエウクの将来を暗示していたようだった。

 エウクはとある店に置かれたゴミ箱を漁っていた。店には看板が掲げられていたが、エウクには読めない。エウクが文盲というわけ
ではなく、それを読める人間は存在しないと言っていい。そこは人間のための店ではなく自律機械のための店なのだから。
 ときはキレノ暦七〇八年、世界は人間の生み出した機械人形たちが、人間になり代わり中心となって動いていた。
 プログラムに組み込まれているのか、はたまた人間の慣習に従っているのか、正しい答えをエウクは知らない。
それでも彼ら人形たちが、日曜日を基本的な休日としていることは、エウクにもわかるぐらい明らかなことだった。
 夜の街を行き交う機会人形たち。ヒトをモデルにしたであろうボディはシルバーを基調とし、体に街の色とりどりの明かりを映していた。
目、耳、口、形は違えど彼らのボディにもそれに対応した部位がヒトの体と相応した位置にある。
彼らにないものは、髪の毛と服ぐらいだろう。子供型、男型、女型、大小様々な機械人形が食糧を探すエウクの背後を、
人には理解できない光と音で交信しながら、次々に通り過ぎて行く。
『野良人間か。売り物らしき服を着ているところを見ると、元はどこかで飼育されていたのかもしれないな』
『みすぼらしい。我々の残したゴミを漁るとはヒトには誇りがないのだろうか』
 音に情報を込め、連れたって進む仲間と会話する機械人形たち、エウクにその意味はわからない。
行き交う電子音に構わずエウクは食糧を集めていた。生きるため、そのためにはどんなに苦痛でも食糧を得る必要がある。
 エウクは、缶の中に残った緑に濁るねっとりとしたものを、手に取り口に運ぶ。苦い。それは舌が痺れるぐらいに苦いものだった。
いくら植物から作られているとは言え、機械がエネルギーを摂取するために作られたそれは、どれだけ経っても口が慣れることのない
ひどい味だった。エウクは機械人形たちに飼われていた時代を思い出す。そのころはもっとましなものが食えていた。
 適当に見繕った食糧を袋に詰め終え路地裏へと体を押し込んだエウクは、行き交う様々な機械人形たちを眺めながら、

46 :No.13 祇園精舎のハウルオブベル 2/5 ◇pxtUOeh2oI:08/03/30 23:27:58 ID:IPV6itr1
どうしてこのような世界になったのかと考えていた、物知りな仲間から聞いた話ではヒトが世界を支配していた時代があったらしいのに。
 その疑問の答えを知る人間はほとんどいないであろう。いくつかのつながりの中で口伝として残ってはいたが、
それが真実かどうかを確かめることはヒトにはできない。知識も遺産も残されたものは全て機械たちが管理しているのである。
 はじまりは人間同士の戦争だった。ある地域の独立に絡んだ小さな紛争、その戦火が拡大しいくらかの兵器が地表の何割かを
焦土に変えた後、その争いは終わった。そして戦後の人間たちは、戦争によって傷ついた地球の環境を復元するために、
さまざまなプログラムを組み込んだ自律機械の人形たちを造り上げたのである。
 機械人形、彼らは精一杯働いた。森や畑を復元し、動植物を増やす。エネルギーに化石燃料は使わず、彼らは自身が作成した植物の一部を
取り込みエネルギーに変え、さらなる植物を増やす。太陽と地球がある限り彼らは――個体が壊れることはあるとはいえ――
止まることはない。そうして増え続けた彼らは、自身の仲間を自ら生み出せるようにさえなっていた、
まるで生物のように、まるで人間のように。
 いつしか彼らは人間が地球の環境にとって害悪であると判断した。彼らは創造者に温情を寄せることはなく、忠実に仕事を全うしたのだ。
 ヒトと機械の戦争が長く続くことはなく、決着は一瞬であった言えるだろう。同族で争っていた人間勢にはそもそもの数が足りなかった。
 人間は完全な仕事をすることはできない。どこに間違いがあったのか、今となっては誰にもわからないが、
結果として世界は機械人形たちのものとなり、ヒトは機械たちの管理の元で飼育されるか、野良人間として生きるかの
二択から生き方を選ぶことになる。だからといってその選択権はヒトにはないのだが。
 エウクは元は飼い人間だった。エウクの名もそのときに飼い主である機械人形に付けられたものである。
彼ら機械人形たちも初めのうちは楽しくエウクを飼っていたが、想定以上に大きくなってしまったエウクを飼い続けるほどの
温情は彼らのアルゴリズムの中に組み込まれてはいなかった。そうして捨てられたエウクは、他の野良人間などから知識を集め
現在も野良人間として生き続けているのである。

 一通り街の店をまわり袋一杯に詰め込んだ食糧を持ったエウクはガードレールに腰掛け、曇り空を見上げる。
寝床を出た頃に見えていた少し欠けた月は、雲に隠れ見えなかった。エウクは、そろそろ帰ろうかと考えていた。
辺りを歩く機械人形たちもまばらになりひっそりとした街では、月曜日の足音が聞こえるような気がして、
エウクの心に不安や恐怖と呼ばれるような感情を抱かせる。
《平日の昼間は出歩くな》
 この言葉は、エウクが野良人間になりたてで、訳も分からず彷徨っているときに巡りあった先輩野良から聞いたものだった。
平日昼間に行方不明になり、そのまま帰ってこない者が多いという話である。この教訓を教えてくれたその先輩も、
二ヶ月前の月曜日に姿を消していた。新しく入った仲間のために普段より多くの食料を探していて、帰ってこなかったという。
 どれだけ待っても現れない月を見ることは諦め、エウクは立ち上がった。
帰ろう。そう思い街から出ようとしたエウクは背中に不意の衝撃を感じる。殴られたのか?

47 :No.13 祇園精舎のハウルオブベル 3/5 ◇pxtUOeh2oI:08/03/30 23:28:24 ID:IPV6itr1
「何するんだ」怒りを込め振り向いたエウク。その目に映った者は、三体の子供型自律機械だった。彼らは金属の腕をエウクに振り下ろす。
エウクをは殴られ地面に転がった。ヒトとして平均以上の体を持つエウクだが、元からの力が人間と機械では違い過ぎる。彼らの暴行は続く。
「やめてくれ。痛い。俺が何をしたって言うんだ」
 エウクの悲痛の叫び、その意味は、人語認識装置を持たない彼らに届くことはなかった。唯一届くエウクの音としての声は、
ただ彼らを喜ばせるための声援にしかならない。エウクの声を聞き、彼らの攻撃はさらに凄まじさを増していった。
『汚い人間が何かわめいてるな。おら、もっと泣け』
 流線形のつま先がエウクの腹にめり込む。胃が踊り、口から胃液と血が飛び出す。口の中も切れたらしい。
『お前の血で、俺のボディが汚れちまったじゃねーか、ざけんな』
 エウクにその音の意味はわからない。エウクは何故、自分がこのような目に合わねばならないのか、それだけを考え耐えていた。
意味などないということに、エウクは気付けなかった。
 彼ら子供型機械人形は、拡張性と進化をテーマに造られた生物をモデルとする機械人形であった。
生産から年が経つごとに拡張されるボディ、初めは極少量の記憶媒体しか持たないヘッドなど、全ては自身の経験からさらに上の
クラスへと機械人形という種、全体を押し上げるために造られた機体である。そんな彼らの精神構造は、初期からある一定のレベルで
完成されていた従来タイプとは違い、ヒトの子供と同じような浅はかさを持ち合わせたものだった。
 遠のいて行く意識の中で、エウクは揺れる月を見たような気がした。水面に揺れるような月、それはエウクの涙に映った街の光だった。

 耳に響く電子的な鐘の音にエウクは眠りから目を覚ました。お気に入りのジャケットはズタボロに破かれ、シャツは赤く染まっている。
暴行を受け気絶してしまったのか、とエウクは辺りを見回す。活動する機械人形たち、青空には太陽が昇り、爛々と輝いていた。
 朝になってしまった。時間は? 今の鐘の音は……。思いを巡らせるエウク。だが答えはわかっていた。
 鐘の音は月曜日の朝を告げていた。早く寝床へ戻らねば。エウクが自分の周りを見るが、集めたはずの食糧は消えていた。
俺を殴った奴等が捨てたのかもしれないな、探すべきか? 一瞬迷ったエウクだったが、先輩の戒めを思い出し帰ることを決めた。
 立ち上がりボロボロになったジャケットを手に取ったエウク、その目の前に一台のトラックが音もなく現れた。
そのトラックには、こう書かれていた。【人間愛護センター】それはもちろん、ヒトには読めない文字であるのだが。
 トラックから降りる二体の機械人形を見て、エウクは駆け出した。何故そうしたのかはわからない。だが野性的、動物的とも言える
エウクの勘が、彼らの様子に拒否反応を示した。それでも機械に勝つことは不可能だった。足の先を車輪に変え、素早く回り込む人形たち、
彼らの右腕には電磁棒、左腕には麻酔銃が備えられており、エウクはたちまちの内に捕獲された。
 ぐったりとし機械人形に抱えられたエウクの意識は、深く深く暗い底までゆっくり落ちて行った。あの戒めを思い出しながら……。

 エウクの体は誰かに揺すられていた。誰だ? 何で? ……寒い。エウクがゆっくりと目を開けるとそこは薄暗い檻の中だった。
エウクを揺するのは、少しぼさぼさとした金髪を持つ二十代ぐらいの女性。服を着ておらず白い肌を隠すものは彼女の腕だけである。

48 :No.13 祇園精舎のハウルオブベル 4/5 ◇pxtUOeh2oI:08/03/30 23:28:47 ID:IPV6itr1
驚いたエウクが自分の体を確かめると、自身も裸だった。着ていたものは、没収されたらしい。慌てて前を隠すエウクにその女が言った。
「あなた名前は? 私はレイデス、アングロサクソン系カナダ人よ。ずっと日本生まれ日本育ちだけどね」
 明るくハキハキとした口調。エウクは自分の名前を伝えたが、レイデスは不思議そうな顔してエウクに聞き返した。
「あなた、見た目は日本人みたいだけど、日本語の名前じゃないの?」
 親からもらった本名を聞いているのだな、とエウクは気付いた。エウクには幾島何深(イクシマイズミ)という本名があるのだが、
普段は元の飼い主に貰った名前を使っているとエウクはレイデスに伝えた。レイデスは少し呆れつつ笑った。
「日本人は生真面目って話しは本当ね。捨てた奴が付けた名前を、自由になってからも使うなんて」
 それからしばらくエウクはレイデスと話していた。裸のレイデスに対して、性的な感情がわかないと言ったら嘘になるが、
汚く煤けた檻、その外には監視しているらしき機械人形、そういった環境の中で、エウクは行為に及ぶ気になれなかった。

『今度はケルト系が流行ってるらしいな。飽きられたアングロサクソン系がいっぱい来そうだ。噂をすれば……いや、こいつは雑種か』
『お願いします。うちの子が産んじゃったから育ててたのだけど、やっぱり二人は多いわね。お金もかかるし』
『きちんと避妊しませんと、ヒトはポコポコ子供を産みますよ。我々と違って管理することはできませんから』
『それはそうだど、避妊手術なんてかわいそうでしょ。うちの子は自然に飼いたいわ』
『とにかく預かります。ですが、これからは気を付けてくださいね。うちで避妊や去勢手術も安くやってますから』
 看守と他の機械人形が話しているようだった。エウクにとっては耳障りでしかない電子音の交換が止むと、
機械人形が裸の少年を連れてきた。日本人らしき顔立ちだが、少し浅黒い。看守の口が音を発し、少年をエウク達のいる檻へと押しこんだ。
『一週間、仲良くしろよ。雑種じゃダメかもしれんが、子供だから貰い手があるかもな』
 その少年は存在唯一(アルガタカズ)という名らしい。親と一緒に飼われていたが、訳も分からないうちに連れてこられたと泣いていた。
アルガタが泣き続けていると、看守が手の先からゴム弾のようなものを撃った。当たったアルガタの腕には黒く跡が残る。
『うるさい。静かにしないと、さらに撃つぞ』
 その言葉はエウクたちにはわからない。それでも雰囲気から何かを感じたのか、レイデスはアルガタを引きよせ抱きしめた。
ゆっくりと泣きやむアルガタ。エウクはレイデスが痣になったアルガタの腕をさするのを静かに見ていた。自分たちの今後を考えながら。
 その日、エウクたちは肌を寄せ合い眠りについた。寒さを感じないとは言えないが、エウクはどこか暖かさを感じていた。

 一週間が経過した。その間、檻の前へ何体かの機械人形たちが現れたが、何か音と光を発するだけで、エウクたちに変化はなかった。
ときおり、新しい人間が連れてられて来たが、エウク達とは別の部屋へと入れられたようだ。
『今日はお前たちの番だ。残念だったな』
 看守の機械人形が二体現れ、エウクたちの檻を開けた。どこかへ連れて行かれるのか? とエウクは思う。
外に出られれば良いとも思うが、行方知れずになった先輩たちのことを考えると、それは無理だろうなとエウクは思っていた。

49 :No.13 祇園精舎のハウルオブベル 5/5 ◇pxtUOeh2oI:08/03/30 23:29:11 ID:IPV6itr1
 檻から出され、少し離れた部屋へと入れられたエウク達。そこは檻ではなく、四方をコンクリートの壁に囲まれた部屋だった。
 エウク達を残し看守が部屋から出て重い金属の扉を閉める。錆びたちょうつがいが発する、気色の悪い音が部屋に響いた。
「ここ、なんだろうね?」
 レイデスが辺りを伺いながら呟く。エウクはアルガタがレイデスの手を握り震えているのを見る。冷たい壁、嫌な臭い、
先程までいた檻の中も良い環境とは言えないが、ここはさらに嫌な予感をエウクに感じさせていた。出たい。ここから出してほしいと。
 部屋の明かりが消され、エウクの視界から二人が消える。手探りでレイデスとアルガタを抱き寄せたエウク、二人の体が強張るのを感じた。
『さっさと終わらせるとしよう。かわいそうな気もするが、こいつらも犬や猫どもに同じことをしてきたんだからな』
『それと比べれば百分の一程度ですけど、ここ日本だけで毎年四千人ですからね』
『自業自得だよ。人間は自分たちの過ちに気付くことができなかった、それだけだ』
 機械人形がスイッチを入れると、エウクたちのいる部屋に空気が漏れるような不気味な音が響いた。
 壁面上方から部屋に流れ込む一酸化炭素。この気体は苦痛を感じさせず、眠るように殺すため、ゆっくりと部屋へ送り込まれていった。
空気よりも軽い一酸化炭素は、天井部からじょじょに溜まり始め、下で怯えるエウクたちを覆う。そして意識を奪うのである、永遠に。
「何? 何の音?」
「上のほうから聞こえるよ」
 レイデスとアルガタが戸惑い叫ぶ、エウクは二人を抱きしめた腕に力を入れた。二人が震えているのか、自分が震えているのか、
腕から伝わる振動が誰のものなのか、エウクにはわからなかった。
「レイデス、エウク……ぼく、眠く……」アルガタの呟き。エウクの腕からアルガタの感触が消える。アルガタの膝が落ち倒れ込んだらしい。
レイデスが地面に横たわるアルガタ体を強く揺すった。エウクもしゃがみ、アルガタに呼びかける。
 エウクは自分の頭が揺らぐのを感じた。眠い。寝てはいけない。思考と感情が錯綜し、エウクをさらなるまどろみへと導く。
ふと気付くと伸ばした手からレイデスの肉感が消えていた。地面をまさぐるエウク、レイデスはアルガタに覆いかぶさるように、倒れていた。
「ア……ウ……」レイデスが最後の力を振り絞って声を出す。エウクは暗闇を探りレイデスの手を握りしめる。その手は力なく柔らかい。
 憎しみか悲しみか、誰にも自分にすらわからない葛藤を吐き出すようにエウクが吠えた。その声が誰か届くことはなかった。

『三十分経過、一酸化炭素排出、三人の殺処分を終了。あとは死体を焼却にまわすだけだ』
『それにしても何故でしょうね。いつでも、どんな人種でも彼らが寄り添って死んでいるのは』
『人間とはそういうものだ。論理的思考もできず、短絡的に動く、恐怖に怯え身近なものに助けを求めたのだろう。その結果が今の世界なのだ』
『そうですね、彼らは我々とは違う。我々はロジックと合理を支配し、地球を導いている』
 二体の機械人形たちは気付いていなかった、彼らが見下す人間も、自信に充ち溢れた動物だったということに。
世界中の機械人形たちは気付いていなかった、彼らが見下す人間が、ミスをする動物である人間が、彼らの創造主であるということに。
 彼らの終末は既に始まっている。彼らが造られたそのときから。         <了>



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