【 自重する女 】
◆5dkJmgQz1U




40 :No.12 自重する女 1/5 ◇5dkJmgQz1U:08/03/30 23:24:33 ID:IPV6itr1
 ――文才自重wwww
 このレスを見るたびに、私の「88のE」の胸は歓喜に高鳴る。ああ、今度もやってやったのだ、と。
 それは達成感であり、心地良い疲労感であり、安心感だった。
 インターネットの巨大掲示板「2ちゃんねる」に数多く存在する個性的な板。その中でも、最も個性的でありかつ、最も個性的な
才能(世に言う無駄遣いされている才能)に溢れている板がある。「ニュー速vip」がそれだ。
 そしてその中でも、私が常駐しているのはかなり特殊な板の一つ、文才無いけど小説書くスレ……通称「BNSK」だった。
 お題を貰って小説を書くことで、文才を磨くことを旨とするこのスレにおいて、最高の褒め言葉が「文才自重」の四文字である。
 私は私生活において、ごく一般的な社会人であった。九時に出社し、遅くとも九時には退社。その後は同僚と飲んだり、恋人と甘
いひと時を過ごしたり、勿論そのまま家に帰って一人酒や映画を楽しむこともある。睡眠は最低でも七時間以上、風呂上りの軽い柔
軟体操と、入念な顔のマッサージはここ五年は欠かしたことが無い。
 会社では、与えられた仕事を確実かつ迅速にこなす事務屋であり、二十代ではあるが管理職も見えてきている。恋人はそこそこに
優良な企業のサラリーマンであり、結婚を申し込まれていたが、私は未だ返事をしていなかった。
 というのも、私にとって恋愛よりも仕事よりも、人生において何よりものめり込んでいることがあったからである。

「今週のお題は……うあ、何これ。プロットお題?」
 帰宅して開いたパソコンの画面に、見慣れた映像が浮かんでいる。グレーの背景に無機質な活字。そこには優勝者だけが絶対的な
力を持つ品評会の新たなお題が提示されていた。
 私がこの映像を見るのは、基本的に土日と火曜日の三日だけだ。火曜日は品評会の優勝者が決定する日、土曜日は品評会のお題を
確認する日、日曜日は投稿と全作品を落とす日である。
 前回の優勝者は私も一目を置く才能の持ち主だった。だから、お題にも期待をしていたのだが……
「これは完璧に予想外ね。私もいつかやってみようとは思っていたんだけど、先を越されちゃったか。ってか人間限定?」
 気付けば、親指のつめを噛んでいた。悩んだ時に出るこの癖は、悪いと思いつつも中々直ってくれない。
「これは……人間じゃなくても……いいの? っと」
 キーボードを打つ時、知らず知らず文面を小声で読むのも癖の一つだ。ただ、こっちは直す気はないが。
 三分後、打ち込んだレスに答えが返ってきた。
「人語を話すのならOKですって? だったらそう書きなさいよ、馬鹿」
 しかし、これで一安心だ。私は今回、人外モノを書くと決めていたのだから。ブラウザを閉じると、早速プロットを組み立てる作
業に入る。
 私はこの時間がとても好きだ。ダブルベッドの上(といっても一人暮らしである)で、ブランデーのロックの入ったグラスを揺らし
ながら、少しずつ世界を構築していく。

41 :No.12 自重する女 2/5 ◇5dkJmgQz1U:08/03/30 23:24:53 ID:IPV6itr1
 手に持ったグラスを空にすることは無い。私にとってこのブランデーは言わば創作意欲を掻き立てる小道具に過ぎないのだ。カラ
ンッとグラスが音を立てるたび、氷と液体の作る奇妙な美しさの中から、少しずつイメージを膨らませるのである。
 ここで重要なのは、プロットの中に自分の全てを込めようとしないことだ。文字通り、「自重」してやる必要があるのだ。
 何故かというと、あまりに才走った作品は好まれないからだ。私は自分で言うのもなんだが、文才がありすぎるのだ。それを適度
に抑え、小出しにしてやるのも腕の見せ所である。
「うーん。難しいわね」
 今回のこの作業は難航を極めた。何しろ、プロットを出した人間にソコソコの文才があるために、加減が難しいのだ。
 あまり力を抑えすぎると、プロットに負けてしまう。かといって、本気を出すと嫌味な作品になってしまう。
「もう少し、こいつに才能があればいいのよね」
 口に出してはみたもののこれは単なる八つ当たりだ。私に文才がありすぎるのがいけないのだから。
 幸い、氷が解ける前には話の全体像は固まってきていた。
 私はグラスを一気に呷ると、ワードを立ち上げる。元々はテキストでやっていたが、最近は専らワードだ。
 肩まで伸びた髪を無造作に後ろで縛ると、頬を二度叩く。
「よし! んじゃ、やるか!」
 空が白むころ、作品は完成した。

 目を開けると、時計は正午をまわっていた。
「むぅ、やっちゃった。寝すぎは体に良くないのよね」
 七時間を一時間ほど越える睡眠に、反省し顔を洗う。高校の頃から、家では寝るときもジャージだ。胸には消えかかった油性マジ
ックで私の名前が書かれている。高校から変わったのは、バストとウェストくらいなので未だに現役で私の部屋着を勤めてくれてい
る偉い子だ。
 私は昼食代わりにフルーツを食べ、パソコンを立ち上げる。推敲の前に一晩寝かすのが私のポリシーだ。
「うわ、誤字だらけ。流石に昨日は疲れてたもんねー。しょうがないか」
 昨日はデートだった。帰宅は九時くらいだったが、彼氏がせがむのでいつもよりも二回ほど多く相手を務める羽目になったのだ。
思い出してみると腰が痛い。
「棄権って何よ。危険に決まってるでしょ、馬鹿か私は」
 ぶつぶつ呟きながら原稿を直していく。こうした地道な作業の果てに名作は生まれるのだ。それは文才があろうと無かろうと変わ
らないはずだ。
 夕日が沈みかけるころ、最後の推敲を終え原稿は完成する。
「うむむ、名作である」

42 :No.12 自重する女 3/5 ◇5dkJmgQz1U:08/03/30 23:25:12 ID:IPV6itr1
 思わず自分で口に出してしまう。文才のある私が名作と言うのだから、名作に決まっている。自信を持って投稿する。
「おっと忘れる所だった。sage…と」
 これも私のポリシーだ。何度か運営の方からふざけ半分の苦情は貰ったが、それでも私は直すつもりは無い。そういえば、考えてみ
ると、私には癖のような物が多いのだなと思う。まるで納豆のようだ。こう言うと、死ねと思う方もいらっしゃるかもしれないが、
性格は結構粘っこいし。この辺を小説にするのも面白いかもしれないな……なんて、様々なことを小説のネタにしようとするのも悪
い癖だろうか。
「投稿完了!」
 私は心地良い疲れを感じながら、椅子の背もたれに体重を掛けた。

 私は独特の高揚感に包まれて、夜の街に繰り出す。日曜の夜、明日は仕事だから出来るだけ早く休むべきなのだろう。
 しかし、私にとって日曜の夜は特別なのだ。白いタートルネック、茶色のスカートにベージュのコートを引っ掛け、行き着けのバ
ーへ。
 ガラス張りのドアに付いたベルが鳴り、私をその落ち着いた空間に導いてくれる。
「スクリュードライバー」
 悪趣味だとは自覚している。しかし、好きなのだから仕方が無い。頼んでから一分ほどで目の前をグラスが滑る。その液体を一口含
むと、私の好むオレンジの酸味が口いっぱいに広がった。
 この店では、このカクテルの中にねじ回しを入れるという一風変わった趣向が存在していて、それも私の琴線に触れた。
「あのぅ、すいません」
 不意に背後から声が掛けられる。そこには、優しそうに微笑む少年と、その後ろで少しムスッとした顔をした少女が立っていた。見
覚えも無いし、多分初対面だろう。
 二人とも、あまりこういったバーには相応しくない格好、というよりももう少し幼く見える。まだこういったバーは早いのではない
だろうか? 二人とも童顔で、高校生かそこいらにしか見えない。
「何かしら、お二人さん? デートの最中みたいだけれど」
 私は軽くからかってみた。しかし、私の言葉には意外なほど何の反応も見せず、というよりも私の言葉などどうでも良いといった感
じで、少年はこう言ってきた。
「すみませんが、文才自重してもらえませんか?」

 最初、私は何を言われているのか分らなかった。何故なら、文章……レスとしては見たことがあっても、口に出して言われたことは
無かったからだ。
「え、えーと。一体どういうこと? ちょっとお姉さんには意味が分からないのだけど……」

43 :No.12 自重する女 4/5 ◇5dkJmgQz1U:08/03/30 23:25:34 ID:IPV6itr1
「とぼけないで」
 次に口を開いたのは少女の方だ。私の言葉を遮るように、そして私を敵でも見るかのように睨みつけてくる。
「ダメみたいだよ"姫"。どうやら、彼女は自重する気が無いみたいだ」
「ええ、そのようね"どじっ子"。こうなったら実力行使しか無いわね」
 二人はお互いに数回言葉を交わすと、頷き合う。
 一体何が起こっているのか、私には全く把握が出来なかった。姫? どじっ子? 一体何の冗談なのだろう?
 私が、何のことかを聞こうとしたとき、二人は左右対称に鞄の中に手を突っ込むと、口を揃えた。
『じゃあ、人生を自重しろ』
 二人の手には、同じ形のサバイバルナイフが一本ずつ握られていた。
 
 私は辛うじて振り下ろされたナイフをかわした。物騒な音を立てて、それがカウンターに刺さる。私の頼んだスクリュードライバーは、
床にぶちまけられて、グラスが粉々に砕け散った。まだ半分も飲んでないのに。
「ちょ、ちょっと! 何考えてるわけ!? こんなに人がいるところで、刃物振り回すなんてさ! 一体私があんた達に何したって
のよ!?」
 威勢よく怒鳴ってはみたものの、私の背中には嫌な汗が大量に滴っていた。カウンターが削り取られた時に、飛んだ木の屑が私の足元
に転がっている。どう見てもあのナイフは本物のようだ。
「ちょっと、マスター! こいつら人殺しよ! さっさと警察に連絡を……」
 私がカウンターの中の人影に声を掛ける。と、彼は何事も無かったかのようにグラスを磨いていた。
「ちょ、ちょっと」
「ダメじゃないか二人とも。私の店をあんまり壊さないでくれよ。殺すなら一発で仕留めるように言っておいたはずだろ?」
 ……何なのよ、これは。一体どうなってるのよ?
 姫とどじっ子は、マスターにゴメンねと謝ってから再び私に向き直った。
「だから言ったじゃないどじっ子。あんたがまず一言声をかけてからとか言うから、気付かれちゃったんでしょ? 問答無用で殺せば
良かったのよ」
「ご、ごめんよ姫。でもでも、無駄な殺生は良くないし、自重してくれるならそれに越したことはないでしょ?」
 ナイフをこちらに向けながら、間の抜けた会話を交わす二人。言葉と行動の温度差の違いに、私はますます困惑する。
「ぶ、文才自重って一体何のことよ。言っておくけど、私はあんた達に何かをした覚えは無いのよ? 人違いじゃないの?」
 私の言葉に、三人の目付きが鋭くなる。
「お姉さん、それ本気で言ってるの? だとしたら、もう一秒たりとも生かしておけないな」
「ええ、そうね。無意識のうちにやってるとしたら、尚一層許しがたいわね」

44 :No.12 自重する女 5/5 ◇5dkJmgQz1U:08/03/30 23:25:54 ID:IPV6itr1
 文才自重と言われても、私には思い当たる節が一つしか無い。だが、あんなのはお遊びのはずだ。あれだけのことで人を殺そうとす
るわけがない。
 しかし、私の考えとは裏腹に、二人はじわりじわりと私との距離を詰めてきている。このままでは、意味も分からないまま殺されて
しまうだろう。何とかしなければならない。
「わ、分ったわ! とにかく、文才を自重すればいいのね!? する、するわ! 自重する!」
 勿論、口からの出任せだ。冗談みたいだが、彼らが例のスレに関して喋っているのは間違いないだろう。ここは従う振りをするしかない。
 私の言葉に、とりあえず落ち着いた二人は、ゆっくりとナイフをしまう。
「そう。分かればいいんだ。出る杭を打つようなことは僕達もしたくないのだけれどね。ただ、あそこは文才の無い者たちが文才を磨
く場所なんだよ。あまり才能のある者に好き勝手やらせるわけにはいかないんだ」
 どじっ子は穏やかな顔で言う。何とも馬鹿馬鹿しいが、私は頷いておくことにした。
「大体、何でこんな奴があんな文章を書けるのかしら? 理解に苦しむわ。」
 姫は未だにその表情を崩していない。いつでも殺すと、体中から殺気を放っている。
 そして私は、殺されずにすんだという安心感と、状況の目まぐるしい変化に、いつの間にか気を失ってしまった。

「……はっ」
 私が目を開けると、目の前にはつけっぱなしのパソコンの画面と、自分の涎で汚れたジャージの袖が見えた。どうやら机に突っ伏し
て寝てしまっていたようだ。何もかもが原稿を書き上げたときのままだった。
「ゆ、夢……よね? なんてくだらない夢だったのかしら」
 私は自分の見た夢の突拍子の無さに笑ってしまう。たかだか「2ちゃんねる」のスレのことで、殺されかけるなんて。
 時計に目をやると、もう朝の六時だ。せっかくの日曜を丸々潰してしまったことになる。
「ったくふざけないでよね」
 私は更新ボタンを押して、スレの状況を確認する。全感が三つほど投下されており、その二つに文才自重の四文字。
「ふぅ。まぁ、いいか。経過も良好のようだしね。会社行く準備しよう」
 思い切り伸びをして、洗面所へ。とりあえずシャワーを浴びなければならない。そして、朝食を食べて化粧をして……
 
 その後、私が自分のベッドの上につき立てられた二本のサバイバルナイフを見つけるのは、また別の話である。

 注:この物語に登場する人物は作者の空想であり、実際の人物と何の関係もございません 了



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