【 音速の恋人 】
◆QIrxf/4SJM




59 :No.15 音速の恋人 1/5 ◇QIrxf/4SJM:08/03/23 23:25:23 ID:DSEkF2jw
「僕のお父さんは、人間で唯一、ヴェロシティ・ドラゴンを見たんだ。僕が轢き殺されたその瞬間にね」とラナ少年は言い、目の前の焚き火に枯木を投げ込んだ。
 彼の濡れている髪の毛は、炎を反射してきらきらと黒く光っていた。脱いだシャツを左手に持ち替えて前髪をかきあげると、その整った可愛らしい顔をゆがめてくしゃみをした。
 ヴェロシティ・ドラゴンを見ることはできない。音よりもあるいは光よりも早く走り抜ける彼らの姿を、人間の動体視力は捉えることが出来ないのだ。砂埃が立ち、遅れてやってくる轟音、加えて残された足跡を見て、人々は音速の地竜を信じ始めた。
 少年と背中合わせに座っているのは、リディアという少女である。彼女も同じように服を全部脱いで乾かしながら、控えめなくしゃみをした。
 二人のいる小さな洞窟は暖かかった。外を見れば、相変わらず大雨が降り続いている。どうやら、朝までこの洞窟を出ることはできそうにもなかった。幸運にも、洞窟には焚き火に使える枯木がたくさんある。以前にも誰かがこの洞窟で雨宿りをしたのかもしれない。
「本当に、ドラゴンに轢かれたの?」リディアは後ろの少年に対して言った。長い金髪を右側にまとめておろすと、丁寧に絞って水気を切った。頭を振れば、水分を含んだ天然の巻き毛が、綺麗な螺旋を描く。
 ヴェロシティ・ドラゴンは心優しい。何も食わず、何も殺さず、ひたすらに地上を走り続けている。数種存在するドラゴンの中で唯一、空を飛ばす、姿すら見せないのだ。
「もちろん。ドラゴンは僕を轢いた瞬間に急ブレーキをしたんだ。そして、砕け散った僕の体をかき集めて、血の涙を落とした。お父さんは腰を抜かしていたんだって」ラナは自慢げに胸を反らせた。「僕には、ヴェロシティ・ドラゴンの血が流れているんだ。それが、僕の秘密」
 小さな雨宿りの洞窟で、身動きの取れない二人がしたことといえば、秘密の共有だった。彼らの生きてきた十二年は、それぞれの秘密を持たせるのには十分な長さだった。
「どういうこと? じゃあ、音よりも速く走れるの?」リディアがくしゃみをすると、早熟な胸が揺れた。「いつも、屋根の上で寝てばかりいるのに」
「もちろん。気がつかなかった?」
「今、頑張って信じようとしているところよ」リディアはラナのぬくもりを背中で感じ、頬を赤らめた。彼はいつも授業を抜け出して、昼寝ばかりしている。誰にも見つからずに抜け出せるのは、ドラゴンの血のおかげなのかもしれない。
「僕は誰よりも速く走り、空は飛べないけれど、ドラゴン譲りの魔法だって使うことが出来る。ほら、火をつけたでしょ。でもね、走り続けることは出来ないんだ。靴が破けると、お姉ちゃんが悲しむから」ラナはニヤリとした。「それで、リディアの秘密は?」
「あたしは、」リディア少女が言う。「泥棒の娘よ。パパもママも、泥棒をしているの。私はいつもお留守番をして、尋ねてきた保安官に、昨日は一緒に寝ていたんだって証言するのよ」
「へえ、共犯者じゃないか。すごい」
「そんなことないわ。あなたの秘密のほうがすごい」と少女は言った。「靴底がダイヤモンドでできていたら、ずっと走っていられるんじゃないかしら。そうは思わない?」
「そうかもしれないね」
「あたし、あなたよりもすごい秘密を聞いたことがないわ。だって、ヴェロシティ・ドラゴンに轢かれて、生き返ったなんてね」
 ラナは機嫌よく顔をほころばせて、焚き火を見つめた。リディアは秘密を信じてくれる。
「僕、リディアのために走ってもいいよ」
「ありがと」とリディアは言った。「ちゃんと晴れるかなあ」
「晴れるさ。寒くはない?」
「うん、平気よ」
 二人の手が重なった。真っ赤になった二つの顔はそれぞれ別の方向を向きながら、ごつごつの岩肌を見つめている。
 雨はまだ降り止まない。

 結局二人は夜明けまで洞窟の中で過ごすことになった。早めに目を覚ましたリディアが、ラナを起こす。
「ママたち心配しているかしら」
 二人はすっかり乾いた服を着て、焚き火に水をかけた。
 洞窟を出て森を抜けると、歩きなれた街路に突き当たる。

60 :No.15 音速の恋人 2/5 ◇QIrxf/4SJM:08/03/23 23:25:42 ID:DSEkF2jw
「じゃあ、また学校でね。秘密、絶対に内緒だよ!」リディアは言った。
「うん。誰にも言わないよ。バイバイ!」
 ラナは大きく手を振り上げて、リディアの姿が見えなくなると、踵を返した。靴を脱いで中に入った小石を出すと、紐をしっかり結んで履きなおした。
「さて」ラナは大きく伸びをした。「まずは帰ってお姉ちゃんに謝らなくちゃ」
 大きく息を吸い込むと、全身に力がみなぎってくる。目は熱くなり、滑らかな最短ルートが光って映る。ラナは辺りに誰もいない事を確認して、地面を蹴った。
 家までは三秒とかからなかった。徒歩では十数分かかる距離でも、ヴェロシティ・ドラゴンの力をもってすれば一瞬のものにすぎないのだ。
 ラナはポストに手紙が入っていないかどうかを確認して、ドアを開けた。「ただいま」
 家の中は静かだった。汲み置いている井戸の水で顔を洗い、歯を磨いた。できるだけ、物音を立てないように廊下を歩く。
「ちょっと、今帰ったの?」
「は、はい!」体を強張らせてラナが振り向く。そこには、おたまを持った手を腰に当てて、ふくれっ面をした姉が立っている。
「もう! 本当にこの子は」彼女はおたまを振り上げた。「だらしがないんだから!」
 ラナは殴られる覚悟をして目を瞑った。歯を食いしばって、衝撃に備える。
 しかし、ラナを襲ったのはおたまの鋭い衝撃ではなかった。柔らかな温かみが体を包んだのである。
「馬鹿――」姉の声は弱々しく廊下に響いた。「本当に、ウチの家系の男にはロクな人間がいないんだから」
 ラナは顔を上げて、彼女の顔を見た。こぼれ落ちそうな涙を一生懸命せき止めているような表情をしている。
「ごめんなさい」ラナが言うと、姉は体を離した。
「さ、ちゃんと学校には行ってもらいますからね! 昨日のスープ、一つも減っていないんだから、責任とってもらうわよ」
 その日の朝ごはんは、少しだけ豪華だった。山菜をたっぷりつかったスープに、サンドイッチ。ホットミルクは少しぬるくて、口当たりがちょうどよい。
 ラナはリディアのことはふせて、森でキノコ狩りをしていたのだと告げた。姉はもう二度と一人では行かないようにと忠告をしたが、それ以上の追求はしなかった。
 ラナは素直に頷く。彼女の言うことはちゃんと聞かなくてはならないのだ。二人暮らしで面倒を見てくれている姉に、心配や迷惑をかけるのは好ましくない。
 二人の両親はというと、ドラゴンの魅力に取り付かれて、どこかへ行ってしまった。ドラゴンならここにいるのになあ、とは息子の本音である。
 ラナは服を着替えて、家を出た。学校までは、ゆっくりと歩いていけばいい。本気を出して走れば時間はかからないけれど、ぬかるんだ道のせいでせっかく着替えた服を台無しにするのは気が引けたし、走ればその分腹が減る。
 ラナは一限の予鈴とともに学校へと踏み入った。階段を上がって、本鈴には間に合うように廊下を歩く。
 そこはいつになく騒がしかった。ラナは首をかしげながら、教室の前に立つ。騒音は間違いなく自分の教室から発せられている。
 思い切ってドアを開けると、クラスメイトたちの視線がラナに集まり、教室は静かになった。
 辺りを見回し、泣いている女の子を目にする。頭の横で二つに結った巻き毛が揺れている。リディアだった。
「どうしたんだい?」ラナは歩み寄り、彼女の肩に手を乗せた。
 クラスメイトたちが冷やかすようにして一斉に喚きだした。
 彼女は赤い目をしたまま、敵意のある表情をラナに向けて、席を立った。
「ちょっと、リディア!」ラナは歩き去っていく彼女の腕を掴んだ。が、リディアはぎりりとラナを睨み、腕を振り払って教室を出て行った。

61 :No.15 音速の恋人 3/5 ◇QIrxf/4SJM:08/03/23 23:26:05 ID:DSEkF2jw
 ラナはわけのわからないまま、黒板に書かれている文字を発見した。『泥棒娘リディアは朝帰り』
 途端、彼女が泣き、そして自分に対して敵意を抱く理由を理解する。しかし、それは濡れぎぬなのだ。自分以外に事実を知り、それを黒板に記した人間がいる。
 あわてて黒板の文字を消し、騒ぎ立てるクラスメイトたちを眺めた。
 それはすぐに目に入った。教室の隅っこに立っている女子三人組が、意地悪そうな笑みを浮かべていたのである。中心にいるのはアンネ・ドハーティ。保安官の娘だ。
 ラナはこみ上げる怒りを抑え、アンネに近づいた。「どうしてこんなことをするんだ!」
「な、なによ!」アンネは一歩下がり、その間に取り巻きの二人が立つ。「私がやったなんて証拠はないでしょう!」
「あれは、僕たちだけの秘密だったんだ!」ラナは身を乗りだし、アンネのことをにらみつけた。「きみなんか知るはずもない!」
「ひ、秘密? 本当のことなの?」アンネからはだんだんと血の気が引いていった。「どうして、あんな子なのよ!」
「しっかりして、アンネ」
 彼女は取り巻きの二人に支えられて、教室を出て行った。
 辺りはさらに騒がしくなっていた。誰も彼もがラナに対してからかいの言葉を投げつけている。が、どれもラナの頭には入らない。
 本鈴が鳴って教師が入ってくると、クラスメイトたちは一瞬で大人しくなり、席に着いた。
「ラナ・オーンショー、席に座りなさい」と教師が言う。
 ラナはそれを無視して、教室を出た。

 リディアの誤解を解くために、ラナは急ぎ足で学校を出た。普通の速さで走るのが非常にじれったい。音速で走る姿を人に見られるわけにはいかないのだ。
 ぬかるんだ道が、ラナの速度を奪う。通い慣れたはずの道が、ひどく険しかった。だが、しっかりと残っているリディアの足跡を追って、走り続ける。
「そんなの、関係ない!」ラナはついに、力を使った。
 リディアの家にたどり着くと、ドアを叩いて、名前を呼んだ。「リディア、僕だよ! ラナだよ! 開けておくれよ!」
 反応は無かった。誰も出てこない。ラナはドアノブをひねり、靴の泥を落としてリディアの家に入った。
 廊下を進むと、すすり泣く声が聞こえてくる。「ママ、パパ」
 ラナはそっと部屋のドアを開けて、テーブルに突っ伏しているリディアを見た。
 静かに寄っていくと、リディアの背中をさすってやった。
「触らないで」と嗚咽交じりにリディアが言う。「二人の秘密だって言ったのに」
「僕は、誰にも秘密を喋ってないよ。本当だ。お姉ちゃんにさえ、リディアのことは言ってないんだ」
「アンネは言ったわ。この、泥棒娘って」
「彼女は、保安官の娘だよ。きっと彼女のお父さんが何かを知っていたんだ」
 しばらくリディアは顔を伏せたまますすり泣いていたが、やがてゆっくりと顔を起こした。袖で涙を拭い、ラナを見る。
「本当に誰にも言ってないの?」
「きみと別れてから、お姉ちゃんにしか会ってないし、言ってもない」ラナは真剣な面持ちで頷いた。嘘偽りは無い

62 :No.15 音速の恋人 4/5 ◇QIrxf/4SJM:08/03/23 23:26:32 ID:DSEkF2jw
 二人はしばらく見つめあった。
 リディアが申し訳なさそうに口を開く。「ごめんなさい。決め付けたりして」
「信じてくれる?」
「うん」リディアは頷いた。「パパとママはね、今、スティーフェル美術館まで出張しているのよ。二千五百カラットのダイヤモンドがあるの」
「すごい!」
「あたし、二人にお願いして、少しだけ分けてもらうつもりよ。あなたの靴底に、ダイヤモンドをくっつけるの。そうしたら、ずっと走っていられるでしょう?」
「うん!」ラナは少しずつ元気を取り戻していくリディアを見て、強張った肩が緩んでいくのを感じた。
 リディアは涙を拭い、乱れた髪の毛を結いなおした。
「そろそろ、学校に戻ろうか」
「ええ」
 二人はリディア宅を出た。庭の芝生には、雨が残っていて、あちこちに蛙がいる。
「あ、今日の新聞」とリディアは言って、ポストから新聞を取り出した。
 一面に書かれている記事が目に入る『スティーフェル美術館に百二十のトラップが完成。デビルズ・ダイヤ、連日の泥棒対策か』
「ちょっとまって、この記事――」ラナは言った。「トラップが百二十!」
「た、大変! ママたちが狙っている美術館だわ!」
「もしかして、二人はこのことを知らない?」
「どうしよう!」リディアは今にも泣き出しそうな顔で、ラナに飛びついた。「このままじゃあ、パパもママも捕まっちゃう!」
 ラナは決意をする。これ以上、リディアは泣かさない。わかった。僕が何とかする」

 ラナは目を瞑り、美術館を思い描いた。大きく息を吸うと、大地から力を吸い上げているかのように、力が溢れてくる。
 ゆっくりと目を開ければ、美術館までの最短かつ最速の道が光の絨毯となって浮かび上がってきた。
「じゃあ、行ってくる」
 ラナは地面を蹴った。視界は色とりどりの雪崩のように流れ、光の道だけが眼前に続いている。一歩一歩それを追って、走り続けた。
 美術館は馬車でも二日はかかる距離にある。しかし、ラナに流れるドラゴンの血をもってすれば、それすらも数秒とかからない。
 あっという間に美術館の前にたどり着くと、客を装って中に入った。警備員のほかにも、数名の保安官がいる。人員もいくらか補強されたのかもしれない。
 パンフレットを確認して、ダイヤの位置を調べた。大広間に、ぽつねんと置かれているらしい。手の届くところまで、客を寄せないようにしているようだった。
 百二十のトラップを全てラナが受ければ、リディアの両親はトラップを受けずにすむはずだ。
 ラナは、警備にあたっている保安官に尋ねた。「ねえ、トラップってどこにあるの?」
「あっちへ行け! ガキに構っている暇は無い!」
 ラナは手当たり次第に美術館の壁を小突いてまわった。怪しい地下室に入って、照明を落としてみると、大きなブザーが鳴った。

63 :No.15 音速の恋人 5/5 ◇QIrxf/4SJM:08/03/23 23:26:49 ID:DSEkF2jw
 大きく息を吸って、足に力をこめる。辺りは真っ暗だが、ドラゴンは夜目がきく。
「よし!」思い切り地面を蹴った。美術館の中を音速で駆け回り、ダイヤのフロアを目指していく。
 ダイヤを囲っている柵を飛び越えると、数多くの罠が発動した。矢が飛び、床が抜け、ガスが出る。もちろん、人間の作った罠ごときで、ドラゴンのスピードを捕らえられるはずも無かった。
 数秒後には、広間の真ん中に置かれたダイヤを囲むようにして、辺りはトラップの残骸で溢れていた。
 しばらくはダイヤのまわりをぐるぐると走り回っていた。二千五百カラットは嘘でも誇張でもなさそうだった。真っ暗でも、その輝きは失われていない。
 ダイヤを盗んで帰ろうか。そう思って手を伸ばすが、すぐに引っ込める。リディアの両親の仕事がなくなってしまう。
 ラナはそのまま美術館を出て、止まらずにリディアの家に戻った。
 ドアを開けると、リディアが出迎えてくれる。ラナはどこもかしこも泥まみれになっていた。
「おかえり」
「もうダメ」と言って、ラナはその場に倒れこんだ。「お腹すいたよ」
「靴、破れちゃってる。あたしが繕ってあげるね。でも、その前にサンドイッチがあるから。お腹すいたんでしょ?」
 ラナは廊下に倒れたまま、リディアの作ったサンドイッチを食べた。
 とても静かな時間がすぎていく。ラナは廊下に寝転んだまま、夕方までリディアと話をした。
 しかし、穏やかな時間も壊されるのは一瞬だった。
 誰かが、家のドアを叩き始めたのだ。
「あけなさい!」
 ラナは大口を開けた。姉の声だ。
 二人は顔を見合わせて、呆気にとられている。
 やがて勝手にドアを開けて、彼女は家に侵入してきた。
「ラナ、まってくあんたって子は! 学校を休んで、リディアちゃんの家に転がり込むなんて!」と、鬼気迫る姉の怒号が耳を貫く。「しかも、あんた、アンネちゃんの気持ちを台無しにしたそうじゃない!」
「いや、その、」ラナは頭に疑問符を描いた。「アンネ?」
「女の子をフるにしても、断り方ってものがあるでしょう。それに、何なの、その格好は! どろんこの服、ボロボロの靴、どうしてくれるの!」
「ご、ごめんなさい!」あまりの姉の迫力に、ラナは思わず立ち上がった。
「リディア! 逃げるよ!」
 ラナは、呆然と立ち尽くしているリディアを抱きあげた。
「ちょっと」リディアは顔を赤らめて、両手をラナの首にまわす。
 二人は裏口から飛び出した。
 後ろからは、おたまと鍋のふたを持って、鬼のような形相の姉が追いかけてくる。
「とりあえず、言い訳を思いつくまで逃げるんだ!」
 やっぱりダイヤを持って来ればよかったなあ、と思うラナ少年だった。



BACK−嘘◆iwRfrgecCQ  |  INDEXへ  |  NEXT−ブリリアントレディ◆0CH8r0HG.A