【 雲の上と雲の下の無責任 】
◆ecJGKb18io




124 :No.31 雲の上と雲の下の無責任 1/5 ◇ecJGKb18io:08/03/17 01:58:07 ID:Cegf/ica
「なあ、真田。神様っていると思うか?」
 真田は研究の途中経過を記録する手を止めて、嶋中の顔を見上げた。彼はこちらには
目もくれずに実験ケースの中を観察している。
「なんだそれは」
「お前は信じてなさそうだよなあ、いかにも。俺は結構信じてる。いや宗教的な意味じ
 ゃなくて、存在として神様は居ると思うんだよ。おい、手を止めるな」
 ペンを握り直して、記入を再開する。先週から始めたばかりの研究は思いの他順調に
進んでいた。ずらっと並ぶ数字はほぼ予測通りのペースで推移している。
「嶋中、お前最近寝てないだろう。なんだったらちょっと休んできてもいいぞ」
 真田は軽い口調で言った。研究に没頭する余り、頭の回路がほんの少しショートを起
こすことなどよくあることだ。事実、嶋中の目元には薄っすらとクマが出来ていた。
「ああ、そうだな。一段落したらちょっと休憩しよう。ここ最近ろくに眠れてないんだ」
「お前が眠れないとは重病だな。なんだ、また振られたか」
「振られるくらいで病んでたらとっくに死んでる」
 嶋中はぶっきら棒にそう言った。そういえば、先月も合コンで知り合った女の子に振
られたらしい。
「神様が居たらお前が二十三回も振られることもないだろうに」
 真田がそう言って笑うと、嶋中は少しも表情を崩さずに言った。
「神様は飽きっぽいのさ」


 大学構内の休憩所には誰も居なかった。広場にはちらほらとスーツ姿の人が歩いてい
たが、おそらく就職活動中の学生だろうと真田は思った。
 自販機のコーナーへ向かい、ポケットから財布を取り出した。いつもの癖でホットの
コーヒーを押しそうになったが、思い直してアイスコーヒーを二本買った。ついこの間
まで凍えるほどであった気温も段々と暖かくなってきている。
 コーヒーの片方を嶋中に投げ渡して、煙草に火を点けた。
「眠れなくて困ってる奴にコーヒーか。デリカシーがないな」

125 :No.31 雲の上と雲の下の無責任 2/5 ◇ecJGKb18io:08/03/17 01:58:25 ID:Cegf/ica
「お陰さまで昨日も八時間ほど眠ったよ」
 嶋中はめりはりのない動作で缶のプルタブを開けると、一口飲んでから大きく溜め息
をついた。ここまで嶋中が疲れているのは珍しいことだった。
「不眠症か?」
「いや、そうじゃない。眠れることは眠れるんだ。俺の寝つきの良さはお前も知ってる
 だろ。起きて寝て起きて寝ての繰り返しだ」
「多周期型睡眠だな。いいじゃないか、赤ちゃんみたいで」
 嶋中は頭を振って、溜め息を吐いた。
「時々お前が羨ましいよ。お前を見ていると悩んでいることがあほらしく思えてくる。
 お前みたいな奴は一生神様の声を聞くことはないだろうな」
「俺もお前が羨ましい。二十三人なんて数の女を好きになれるのは才能だぞ。何度生ま
 れ変わってもそれだけの数の女は愛せそうにない。で、さっきから神様ってのは何な
 んだ」
 冗談でも何でもなかったが、嶋中は皮肉と捉えたようでまた溜め息をついた。一般的
にいえば、移り気が多い奴だと思われるだろうが、それはそれで一つの個性だと真田は
思う。そういう奴は研究にしろ、好奇心が旺盛だからそれなりの結果を残すのだ。
「声だ。聞こえるんだ、声が」
「安いアパートにいつまでも住んでるからだ」
「そうじゃない。防音は完璧だ。神様の声が聞こえるんだよ」
 嶋中は長く伸びた髪を掻き毟りながら言った。
 今度は真田が溜め息をつく番だった。常日頃から変わっているとは思っていたものの
嶋中は根っからの科学者で、宗教を毛嫌いしていたのだ。子離れ出来ない駄目親が科学
の足を引っ張っているんだ、と口癖のように言っていた。
「頭がいかれたと思うか」嶋中が言う。
「むしろまともだと思ったことはないがね」
「俺だってこの間までは神様なんて存在を信じてなんかいなかった。だけどもう三週間
 も続いてるんだ。身体のどこにも異常はない」
「寝てる間に聞こえるんだろう? 夢じゃないのか。衝撃的な夢は一度見ると何度も見
 やすい。脳波の問題だな」

126 :No.31 雲の上と雲の下の無責任 3/5 ◇ecJGKb18io:08/03/17 01:58:45 ID:Cegf/ica
「それは何度も考えた。しかし違うんだ。何がどう違うのかは俺にもはっきりと分から
 ないが、とにかく違うんだ」
 長すぎて重みに耐えられなくなった煙草の灰が、真田の足元にぽとりと落ちた。
「おいおい。科学者が証明出来ないことを言ってどうするんだ」
「分かってる。だがら神様としか思えないんだ。神様が何度も何度も俺に語りかけてく
 るんだ」
 嶋中が再び頭を掻く。どうやら割と真剣に言っているらしい。
「じゃあ仮にお前の言う神様が居るとしよう。その神様とやらは何て言ってるんだ」
「予言だ。未来に起きることを寸分の違いなく言い当てる。株価暴落も、殺人事件も、
 テロも全部言い当てやがった」
 ふと今朝の新聞を思い出した。確かに外国景気の影響で株価は暴落しているし、都心
のほうで殺人事件が起きた。規模は小さいが外国のどこかでテロも起きている。
「なるほど。お前は預言者に選ばれたわけだ」
 だが、予言のからくりなど占いと同じようなものだ。株価なんてここ最近上がった試
しがないし、殺人事件など全国でごろごろ起こっている。テロも同じだ。それらしいこ
とを言っていれば、大体向こうのほうから合わせてくれるのだ。
「まあ信じないだろうな。普通はそうだ。だが、俺は今騒がれてる殺人事件の犯人の名
 前を知っている。三日前にお告げが来たんだ」
 嶋中がじっと目を合わせてくる。その表情に何か不気味なものを真田は感じ取った。
「まさかお前っていうオチじゃあるまいな」
「坂田昭夫。この名前だけ覚えとけ。今日の夜にもう一人殺して、その現場近くで捕ま
 るはずだ」
 



 翌朝、真田がいつものように研究室へ行くと、既に嶋中が来ていた。実験ケースを鋭
い目つきで観察しているようだったが、真田に気が付くとそれを置いて、手を上げた。

127 :No.31 雲の上と雲の下の無責任 4/5 ◇ecJGKb18io:08/03/17 01:59:05 ID:Cegf/ica
「新聞見たか?」
「見たよ。やっぱり高校上がりの新人に期待は出来ないようだな」
 鳴り物入りで入った投手がオープン戦で滅茶苦茶に打たれていた。それまで一挙一投
足をこぞって取上げていたメディアの手の平を返すような叩きぶりは不快だった。
「そっちじゃない」嶋中が怒ったように言う。
「分かってるさ。ちゃんと見たよ」
 坂田昭夫。嶋中が先日言ったのと全く同じ状況で逮捕されていた。所謂通り魔的な犯
行で、とにかく殺せれば誰でも良かったらしい。
「どう思う?」
 嶋中が言う。
 一瞬、試されているのかと思ったが、本気で真田の意見を聞いてみたいという表情だ
った。
「どうもこうもないな。研究内容としては興味深いが、俺はそっちのほうにはあまり深
 くないからな」
 真田がそう言うと、嶋中は声をあげて笑った。
「いや、気を悪くしたらすまん。予想通りの答えだったもんでな」
「その予想はお前のか? それとも神様か?」
「俺のさ。神様なんてろくな予言しないんだ」
「予言するだけしといて自分じゃ何もしないのが神様だからな。で、どうする? 本気
 で神様の研究しても面白いんじゃないか。もちろんお前の肉体提供が前提だが」
 真田は半分冗談、半分本気で言った。科学者としては興味がある。
「いやもう意味がないな。神様ってのはお前の言う通り無責任なやつだ」
 嶋中はまた笑った。真田は言葉の真意が分からずに、首を傾げた。
「ちょっと待ってろ。最後にやらなきゃならんことがある」
「最後ってどういうことだ」
 嶋中はそれには応えずに、歩き出した。そして研究中のモノの前で止まると、それに
向かって喋り出した。
「あのー、こちら神様ですけれども、責任を持って破壊しますねー」
「おい……」

128 :No.31 雲の上と雲の下の無責任 5/5 ◇ecJGKb18io:08/03/17 01:59:22 ID:Cegf/ica
 気でも違えたのかと思った。そして嶋中は少し時間を置いてから、小さなケースに入
っている大切な実験セットを手で壊し始めた。
「おい! 何してるんだ!」
「いいんだよ、これで」
 嶋中は真田の制止も聞かずに、ケースごと破壊した。そして一通り壊し終えると、ポ
ケットから煙草を取り出して、それに火を点けた。辺りにはケースの破片と、中にあっ
た球体の残骸が散乱している。一番美しく、地球と名付けた球体も壊れていた。
 真田は頭に手をやって、溜め息をついた。
「説明してくれるか」
「時が来たんだよ。俺達は神様なんだから責任持たなきゃならないだろう? ちなみに
 ここももうすぐ破壊される」
「分かるように説明してくれ」
「神様は無責任なんだよ。創造したものを破壊することくらいしか責任を取れないんだ。
 この世界もそうして滅びる」
 嶋中はそう言って、煙草を一本差し出してきた。
「……つまり、この世界が終わるってことか? 神様がそう言ったのか」
「そういうことだよ。でもいきなりそう言っても信じないからね。徐々に予言して、受
 けるものに信じ込ませるんだ。だからといってどうなるわけでもないけど、それで責
 任果たしたつもりになってるんだろう」
 真田は煙草を受け取り、自分のライターで火を点けた。
 瞬間、大きな揺れと破滅の音が辺りに鳴り響いた。
「全く無責任だ。最後の一服の暇さえ与えてくれない」嶋中が言う。
 きっとこの世界を創造して破壊するやつは、せっかちなやつなんだろう。
「……全くだ」
 無責任なやつだ、と真田は思った。

 <了>



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