【 deCONstruction 】
◆IGEMrmvKLI




112 :No.28 deCONstruction 1/5 ◇IGEMrmvKLI:08/03/17 01:44:37 ID:Cegf/ica
1 根
 やはり、まだ在った。問題は、どこに在るのか。である。ソコを特定できたなら、たとえ宇宙の果てで
あっても、物理的には行くことも可能であろう。しかし、ソコはどこにもないかもしれない。あるいはソ
コはあらゆる場所なのかもしれない。今、私の目の前に在るように。
 私が喘いでいる。実際に感じていたのかはもう覚えていないが、私の耳にはわざとらしく聞こえる。す
ると、仕草のひとつひとつが、私のものではないように思える。ひょっとしたら私ではないのかもしれな
い。いたって平均的などこにでもいるような体に、特徴は何も見当たらないし、同じような映像は世の中
に数えきれないほどに存在する。被写体もその運動も何一つ個性的でない極めて凡庸な映像からは、何一
つ私を確証づけるものを見出すことができない。なぜ顔が見えないのだろう。顔にかけられたモザイクは、
個人が特定されないためのものであるが、それは私(彼女)の人権を尊重したために用いられたのでなく、
素人らしさを出すための演出でしかないことが、今はっきりとわかる。
 しかし彼女は私である。客観的な証拠などなくても、それが自分であるかどうかを判別することは容易
である。幼稚園や小学校のアルバムの全体写真で自分だけが際立って見えるように、自分を判別する能力
というのは確かに存在する。ただ、もしかしたら同じような経験を持つ人は皆、これを見て同じように思
うのかもしれない。しかしそれこそ、これが私でなければいいのに、と思う私の無意識が勝手に作り上げ
た虚構の思考でしかないのかもしれない。
 いい加減にしなければ、きりがない。ともかくURLは記録した。少なくとも、客観的に彼女を私だと識
別できる記号がない以上、友人関係や世間体には何の問題もない。私がこの映像の存在を消し去りたいの
は、個人的な問題でしかない。これがかつて在ったということに関しては、後悔していないし、これがな
ければまとまった金を得られずに、十年前に実家に帰っていただろうから、今ここに私はいない。ただ、
すでに私が過去のものとした出来事が、私の知らないところで現在進行形だったことが許せないだけだ。
たとえば昔少しだけ付き合ってすっかり忘れていた男が、十年たってもまだ私の写真を大事にとっている、
と知ったような気持ち悪さがある。はっとして時計を見ると、もう出かけなければならない時刻だった。

2 困
 想像していたよりもずっと、みんな若かった。ネットにおいて相手の正体がわからないことは百も承知
だったが、だからこそ性別も年齢も様々な人たちがいるのではないか、と早合点していたことが悔やまれ
た。わざわざ遠方から来た人もいて十人ほどが集まったが、性別こそまばらであるものの、みんな私より
一回りほど年下の二十歳前後の若い人たちだった。
 そのうえイメージと現実のギャップがすごい。少年少女とパソコンや携帯電話などの現代テクノロジー

113 :No.28 deCONstruction 2/5 ◇IGEMrmvKLI:08/03/17 01:46:17 ID:Cegf/ica
を、細い線と淡い色で七十年代の少女マンガのように表現するFLOWerさんが、男性であるという可能性
は考えていたものの、まさか野球部で汗を流す坊主頭の高校生であるとは、想像もつかないことだった。
「猫目翡翠さんっすか? この前俺の絵褒めてくれて嬉しかったっす。あざっす!」
 発せられた声がまた、肩書きにぴったりの、体育会系口調の大きな声だった。
 それにしても、素性を知らなければチンピラにしか見えないこの少年が、本当にあのかわいらしく幻想
的なイラストを描くFLOWerさんなのだろうか。私が彼をFLOWerさんだと思う根拠は、本人がそう名
乗ったことと、昨日BBSで「オフ会のために花柄のシャツ買っちゃいました((o(^∇^)o))わくわく」という
FLOWerさんの書き込みを見て、花柄のシャツを着ているのが彼だけだったためであるが、BBSでもひょ
うきんな書き込みをしている絶リンダさんあたりが、同じ書き込みを見てFLOWerさんの振りをしている
だけかもしれない。だったら書き込み自体も絶リンダさんのいたずらだったかもしれない。
 しかししばらくすると絶リンダさんがやってきた。絶リンダさんは、二十歳の女子大生だった。しかも
きれいで巨乳の。ハンドルネームは自分のあだ名であるリンダから取ったのだという。あだ名の由来は見
た目から納得の山本リンダらしい。劇画的な画風で男性どうしの裸体の絡みを描き、田亀源五郎を敬愛し
ている、とBBSで言っていた人には、とても見えない。結局そんなものなのだろう。この状況で他人を疑
いだしたら、逆に私だって猫目翡翠だとは証明できない。
 絶リンダさんが最後の一人だったらしく、今日の企画者兼幹事である管理人の紫紫さんに従って、私た
ちは予約していた店に行く。レンガを模した外壁の下に鉢植えの花が並んでいる小さな洋食屋だった。ド
アにはクリスマスでもないのに手作りのリースがかかっている。ファンシーなぬいぐるみやお菓子を好ん
で描く、紫紫さんらしい選択だと思った。紫紫さんの絵であれば、ぬいぐるみの解けた縫い目の間から必
ずリアルな臓器がはみ出ていることが、少し私を不安にさせたが、さすがに紫紫さんでもゲテモノを出す
店をオフ会の場所には選ばないと信じたい。

3 今
 場違いだったかもしれない。前菜のサーモンと大根の紫蘇風味サラダを食べながら私はそう思った。年
齢が一人だけ離れていることもあるけれど、何より私がイラストを描いていないのが、致命的だった。
 イラスト投稿サイト「夢幻絵画館」は、イラスト投稿用の掲示板(シネマギャラリー)と、メッセージ
用の掲示板(シネマBBS)の二つのメニューから成る単純なサイトだ。ちなみに掲示板の名前にシネマと
ついているのは、紫紫さんによると、絵画館と書いて「えいがかん」と読むかららしい。サイトにはどこ
にもそんなことは書いていないので、言われなければ絶対に皆「かいがかん」と読むだろうが。
 私はそこで、シネマBBSにイラストの感想を書いていた。偶然に訪れて、なんとなく感想を書いたとき、

114 :No.28 deCONstruction 3/5 ◇IGEMrmvKLI:08/03/17 01:46:37 ID:Cegf/ica
思いもよらぬ好評を受けたので、なんとなく居着いていた。もちろん、今日も来ている常連の人たちのイ
ラストが、ありきたりでない上趣向がバラバラで面白かったからこそ、感想を書こうと思ったのだが。
 それぞれのプライベートに立ち入らないことが、BBSに注意書きとして書かれていたためか、ここでも
交わされる話題が創作のものばかりだと、私には積極的に入って行きづらかった。ネットならまだしも、
リアルで批評なんて(しかも十歳以上も年下に)、オフ会では完全に空気が読めていない。
「猫目さんは、ご自分では描かれないんですか?」
 急に、隣に座った紫紫さんが私に話題をふってくれた。気を使わせてしまったかもしれない。紫紫で「む
らさきゆかり」と読む彼は二十五歳で(この場では私に次ぐ年長者だ)、モデルをしているという。男性モ
デルはさっぱりわからないけれども、なるほど。モデルという顔立ちと体型をしている。どこかで見たよ
うな気がしました。と現役男子高校生のFLOWerさんが言っていたから、それなりに活躍している人なの
かもしれない。年下ではあるけれど、初対面だし管理人さんだし、私は敬語で答えた。
「昔はよく描いてたんですけれども、今はもう全然。……実は東京に出てきたのは、イラストレーターを
目指して専門学校に入ったからなんです。けれど才能なくて、今は普通の会社員ですけれども。絵画館に
居ると、なんだか懐かしくて。一応専門の勉強もしていたから、突っ込みたいこともあったりで」
「猫目さんのご指摘は本当に的確で、僕もとても参考になっています。絵だって、趣味としてまた描き始
めればいいじゃないですか。プロを目指していた方だったら、絵を描くこと自体はお好きなんでしょう? 
是非今度サイトに書いて下さい。きっとみんな喜びますよ」
「趣味程度には、ちょこちょこと描いているんです。ただ、こんなこと言ったら、皆さんに大変失礼かも
しれないんですが、私個人的に、本当に個人的に、描いたものをネットにアップロードすることに抵抗が
あるんです。今日みたいな形で、実際にお会いしてお見せするとかなら、全然構わないんですが」
「管理人としては少し寂しいですけれども、色々な考え方がありますからね、お気になさらないで下さい。
それにしても羨ましい人生ですね、夢を追いかけることが許されるなんて。……すいません、話題を変え
るつもりが、今度は僕が失言をしてしまいましたね」
 私たちは向かい合って笑った。これでチャラだ。紫紫さんは、私だけに気まずい思いをさせないために、
わざとそう言ってくれたのかもしれない。だとしても、夢を追いかけることが許されるなんて、という表
現が少し気にかかった。紫紫さんは、夢を叶えてモデルになったんじゃないのだろうか。私は絵画館のル
ールを思い出す。プライベートの立ち入ったことには口を出さない。今しがた紫紫さんも、そのルールを
守ってくれた。だから私もできるだけ誠実に、悪く言えば遠回しに、返事をする。
「結局イラストレーターの夢は叶えられなかったんですから、羨ましいだなんて。私の方こそ、夢を実現
されてモデルになってらっしゃる紫さんを、羨ましいと思いますよ」

115 :No.28 deCONstruction 4/5 ◇IGEMrmvKLI:08/03/17 01:47:38 ID:Cegf/ica
 必殺聞かなかった振りである。
「いえ、僕はモデルになりたくてなったわけじゃないんです。きっかけもスカウトでしたし。……それに、
そろそろ潮時かと思っているんです。自分の考えていた以上に順調に来てしまいましたからね」
 聞きようによっては嫌みにしか聞こえないのだが、話しかけているはずの私を見ずに、どこか遠くを見
ているような紫紫さんの表情が気になった。だからこそ、それ以上は聞けない。紫紫さんが現状に何か不
満を持っている、と推測できただけで良しとしなければならない。それがルールだ。
 酒が入ってくると私も陽気になって、皆に打ち解けることができた。いつのまにか、盛り上がってる他
人の話に割り込み、茶々を入れるようになっていた。サイトでのご意見番キャラに似たようで似つかない
おばさんキャラとすっかり化していたが、おばさんだからそれでいい。
 二次会でFLOWerさんに酒を飲ませようとして「猫目さん、さすがに高校生は駄目です」と誰かに必死
で止められた辺りから記憶が怪しく、それは誰だったのだろうと考えてみるも、どうしても思い出せない。
そういえば絶リンダさんの胸を揉んだような気がしてきた。若くて張りのあるおっぱいの感触が、手に残
っている。完全におばさん通り越してオヤジ化してた、はあ。けれど久々に心から楽しめた時間だった。

4 魂
 私の映像が削除されていた。三ヶ月も探し続けやっと発見してから、たった一日で。私に見つかったか
ら消えた、と人為的な要因を考えるのは、あまりにも馬鹿げている。あるいは、映像が消える直前に私の
前に姿を見せたのだ、と運命論的に捉えることも、間違っている。
 事実はおそらくこうだ。私が映像を見つけたのは偶然の出来事で、それはジャングルで幻の鳥を探すよ
うなものだった。ある木の枝に鳥を見つけたとしても、すぐに飛び立ってしまうかもしれないし、運良く
観察することができたとしても、次の日に同じ場所で見られるとは限らない。近くを探しても、まずいな
いだろう。私の映像は、絶滅を期待されている絶滅危惧種の鳥なのだ。たとえ昨日の映像が、よく似た別
の種だったとしても、それは変わらない。
 映像は繁殖を繰り返すかもしれないし、繰り返さないかもしれない。昨日私の見た映像は、子孫を残し
ていなければいいのだが。五年後に南米あたりで異常発生なんてことだけは、勘弁願いたい。
 とりあえずわかったのは、映像が十年間では絶滅しなかったということだ。生物の絶滅を定義づけるた
めに、環境庁の基準においては、最後に目撃されてから五十年を経なければならないらしい。私が映像を
見たのが昨日で最後だとしても、私が死ぬころにならなければ、あれが絶滅したとはいえない。
 つまり一生私は、この世にあの映像が存在しているかもしれない、という不安を持ち続けたまま、生き
ていくことになるだろう。それはとても小さく個人的で、日常的には思い返されることはない数多の不安

116 :No.28 deCONstruction 5/5 ◇IGEMrmvKLI:08/03/17 01:47:54 ID:Cegf/ica
の一つに過ぎないが、映像の存在の可能性がある限り、私から離れてはくれない。
 だとすれば、開き直ってしまうのかも手かもしれない。どうせ消えてくれないのなら、どちらにしろ同
じことだ。つまり、映像の存在を私が認めること。

5 痕
「本日いっぱいを持ちまして、夢幻絵画館を閉館させていただきます。一年半に渡る間の、みなさまのご
協力とご愛好に感謝いたします。 管理人・紫紫」
 私がBBSのこの書き込みを見たとき、「本日」はもう二時間しか残っていなかった。「いきなりどうした
んですか?」とか「オフ会やったばかりじゃないですか!」とか、いくつかその後に書き込みはあったが、
サイトの一大事にしては反響が少なかった。きっとまだ見ていない人もいたのだろう。多くの住人が知ら
ないままでいたに違いない。
 次の朝跡形もなく消えていたページに、何も知らないままアクセスした人は、何が起きたかわからない
まま、どうすることもできないでいただろう。誰かと話そうにも、その誰かがどこにいるのかさえ、わか
らないのだから。
 巧妙だと思った。これはきっとオフ会の前からの計画だったのだ。今から考えれば、プライベートを詮
索しないというルールと決めた紫紫さんが、オフ会をやろうと言い出したこと自体がおかしかったのだ。
オフ会のときに仕事が「そろそろ潮時」だと言っていた紫紫さんの頭には、絶対にこのサイトのことも浮
かんでいたはずだ。
 しかしだとしたら、なぜ紫紫さんはオフ会をやったのだろうか。サイトをやめるつもりなら、何の前触
れもなく、消してしまえばよかっただけなのに。しばし考えて、再びオフ会の紫紫さんの台詞を思い出す。
紫紫さんは、夢を追えた私の人生が羨ましい、と言った。紫紫さんは何か理由があって自由に生きること
のできない人なのではないか。それを隠すために、プライベートの詮索は禁止としておきながら、本当は
みんなと会いたかったのではないか。だから最後にオフ会を開いたのではないか。こんなのは、全部ただ
の推測だ。結局のところ、紫紫さんが何を考えていたかなんて、誰にもわからないのだ。わかったからっ
てどうなるというものでもないし、そもそも紫紫さんは、わかってもらおうとは絶対に思っていない。
 私はブラウザを閉じると、マイピクチャを開き、ダウンロードしてあった、絵画館のイラストを見回っ
た。紫紫さんの、内蔵の飛び出したクマのぬいぐるみの絵は、紫紫さん自身を表しているのではないか、
と思われたが、たぶんそう思われることを紫紫さんは嫌がるだろう。しばし眺めたあと、私はイラストを
端からゴミ箱へ入れていった。そうしても何の意味もないのはわかりきったことなのに、それが私の仕事
であるかのように、黙々と作業を続けた。



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