【 こんばんは 】
◆CCvQ1GyqLM




109 :No.27 こんばんは 1/3 ◇CCvQ1GyqLM:08/03/17 01:41:02 ID:Cegf/ica
 目覚めると、見覚えのない中年男性と床を一つにしていた。俺の顔の間近に、彼の寝顔がある。
 彼を起こさないように、ゆっくりと布団から這い出て、立ち上がり、確認する。やはりその布団には、中年男性が潜り込んでいた。
 枕元の時計を見ると、午前三時。起きるには少々早い時間だった。部屋の天窓から、丸い月が見える。
 しゃがみこみ、恐る恐る彼の頬を軽く叩くと、くぐもった声で二、三度うなった。
「えーっと……」
 うまく言葉が出ない。夢かと思い、自分の頬を強く捻っても、覚めることはなかった。
 腕組みをし、しばし考え込む。いったい彼は何者なのか。
 頭を悩ます俺とは対照的に、足元の彼は安らかな寝顔で、時折寝返りをうつ。
 そうこうしていると、だんだんと腹が立ってきた。
 俺は意を決すると、彼の頬を強く叩いた。
「いたっ!」
 飛び起きた彼は、叩かれた頬をさする。思っていた以上に力が入っていたらしく、彼の頬は赤くなっていた。
「いたたたた……」
「あの、すいません」
 俺が話し掛けると、彼はあまり驚く様子もなく返答した。
「なんだい」
 その間も、彼は痛そうに頬をさすっている。俺は構わず続けた。
「あなた、何者ですか?」
「私? 私は君だよ。見て分からないかな?」
 そう言われても、まったく分からなかった。
 布団に入っているときには見えなかったが、彼はスーツを着ていた。Tシャツにトランクス姿の俺とは似ても似つかない。
「いや、見ても分からないですけど」
「じゃあこれだ」
 腕まくりをして、俺に右の二の腕を見せ付ける。そこには、長いちぢれ毛の生えた黒豆みたいなほくろがあった。俺と同じ。
 驚いて、目を見開いていた俺に向かって、彼は朗らかに言った。
「四十過ぎた今でも、コレがコンプレックスなんだよ」

110 :No.27 こんばんは 2/3 ◇CCvQ1GyqLM:08/03/17 01:41:17 ID:Cegf/ica
 彼はあぐらをかくと、俺にもそうするようにと促してきた。言われたようにすると、俺と彼は向かい合うようになった。
「まあ、信じろと言われても無理な話だろう」
 苦笑しながら話す彼の目尻には、数本のしわが寄っている。俺にはまだ無い。
「いや、まあ、信じますけど……」
「ほう、さすがは私だ」
 そう言って彼は快活に笑う。しかし俺は笑えなかった。
「でも、あなたが俺だったとして、何か用があるんですか?」
「そこだよ」
 笑っていた表情が途端に厳しいものとなる。彼は、緩くなっていたのだろうか、ネクタイを締め直し、俺に告げた。
「選んでほしいことがあるんだ」
「選んでほしいこと?」
「ああ」
 彼は内ポケットから名刺を取り出すと、それを手渡してきた。白い名刺だ。
 俺は書かれている俺の名前の横、その役職を確認したとき、目を疑った。
「政治家、ですか……」
 細かな役柄は表記されていないが、そこには確かに政治家の三文字が刻まれてあった。
「俺、政治なんてまったく興味無いけど、政治家になっちゃうんですか?」
「それを選んでもらいにきた」
 俺は首をかしげた。彼はそんな俺に嘆息する。
「生活に不自由は無い。むしろ、潤いすぎていて恐いぐらいだ。だが、今の私にはコレしかない」
 内ポケットから同じ名刺を何枚も取り出す。それは布団の上で小さな山になった。
「君が望むのなら、私はコレ以外になれるかもしれない」
 その山を見下ろす彼の顔は、なんとなく疲れを感じさせていた。立派にたくわえられた髭も、今ではたくわえさせられたものに見えてくる。
「俺が望むなら、俺はいったい何になるんですか?」
「分からない」
 彼は首を横に振った。

111 :No.27 こんばんは 3/3 ◇CCvQ1GyqLM:08/03/17 01:41:40 ID:Cegf/ica
「無責任だとは思うよ。過去の私にこんな選択肢を押しつけるなんて」
 だが、と彼は口籠もる。
 俺は持っていた名刺をもう一度確認する。そこにはやはり政治家と書かれていた。
 目線を上げると、彼はすがるような表情で俺を見ていた。
「疲れますか、政治家?」
「まあ、ね」
 疲れたような笑いを浮かべる。先程快活に笑っていた様子は今やどこにもない。
 未来の自分と過去の自分が話し合っている。
「汚職疑惑や賄賂疑惑やら、悪い噂には事欠かないよ」
 現実離れしたこの状況で、彼――俺の政治家という役職は事実だった。
 俺はまた名刺に目を落とす。白いだけだったそれは、どこか薄汚れている感じを持っていることに気付く。
 左手で名刺の下半分を掴み、右の人差し指と親指で上端を挟む。
 一度、大きく鼻で息を吸い、口から吐き出す。
 目を閉じ、力をこめ、名刺を引きちぎった。
 目を開けると、もう目の前に疲れた政治家の俺はいなかった。ちぎったはずの名刺も、跡形も無くなっている。布団の上にも――しかし一枚だけ名刺が残っていた。
 俺はそれを拾い上げ、枕元の時計の隣に置く。時計の針は進んでいなかった。
 布団に潜り込むと、足元のあたりが暖かかった。そこは彼が座っていた場所だ。
 騒がしいアラームで目覚めた俺は、体を起こして伸びをする。時計のアラームをきるために向き直ると、その横に何十枚という名刺が積まれていた。
 手にとって、一枚一枚確認する。ミュージシャン、美容師、建築家、教師、ヤクザ、作家、プロ野球選手……長々と続いて、最後に政治家だった。
 およそ俺が考え付く職業が網羅されてある。
 俺は笑いながら、全てを破ってごみ箱に捨てた。
 部屋の天窓から、日の光が差し込んでいる。なぜか胸が清々しかった。



BACK−ライオット・ガレージ・パンクス◆QIrxf/4SJM  |  INDEXへ  |  NEXT−deCONstruction◆IGEMrmvKLI