【 ライオット・ガレージ・パンクス 】
◆QIrxf/4SJM
104 :No.26 ライオット・ガレージ・パンクス 1/5 ◇QIrxf/4SJM:08/03/17 01:37:11 ID:Cegf/ica
赤いギターの女は全てを持っていた。音、金、力、人間が欲する殆ど全てのものを持ち合わせ、赤いギターの中に詰め込んで振り回している。
邪悪な暗喩に満ち、ガラクタとガレキに埋め尽くされたこの街にとって、彼女はグロテスクなものとしてその存在を一際輝かせている。
誰もが憧れを抱き、彼女を求めて夜な夜な荒れ果てた地を徘徊する。あるいは崩れたビルに登り、割れた窓ガラスから地上を見下ろす。
エナメルの赤いハットを被り、攻撃的かつ扇情的な服を着たブルージーンズの女が、赤いギターを肩に提げて立っていないかを血眼になって探しているのだ。
そして、人々は彼女を探求する自分に酔いしれながら、挑発的な表情をした彼女に侮辱的な言葉を投げかけられたいと望む。
「ばかばかしい」と僕は言った。
彼女に対して僕が抱く感情は、決して敬意や羨望などではなく、憎しみに近かった。
赤いギターは、彼女には相応しくない。そう思う。
硬いコンクリートのベッドから体を起こし、僕はマティーニの残りを飲み干した。喉から体の内部へと、焼け付くような感覚が降りていく。
部屋を見渡し、寝る前と同じ場所で目覚めた事を確認する。はかなくも十年前に崩れ去った一軒家の、一階のリビングルームだ。天井は半分だけ残っていて、二階には上がれない。
唯一生き残っているコンセントに電気ケトルを差し、お湯を沸かしてコーヒーを入れた。
コーヒーは薄くてまずい。けれども、何もないよりはマシだった。
地下には親父の集めたジンとベルモットが大量に眠っている。その点において、僕は家族に敬意を払っていた。なかなかできたものではないからだ。
砂利を踏む音が近づいてくる。音は軽く、規則正しい。それが誰の足音であるのかは、すぐにわかった。
「おじゃまします」
聞きなれた女の声がした。高く澄んでいて、いくらか弱々しい。
「ちょっとまって。服を着る」僕は色褪せたTシャツを着て、手櫛で髪の毛を梳かした。パーマのかかった長めの髪は、その一本一本が絡み合って厄介なことになっている。
「いい? 入るよ」
「うん」僕は答えて、髪の毛から手を離した。
「昼寝をしていたの?」彼女はつぎはぎの手提げを足元に置いた。
「まあね」
彼女は相変わらず、暑苦しそうな修道女の格好をしていた。そのヴェールを外せば、艶やかな黒色の長い髪の毛が現れるというのに、ひどく勿体無いことだ。
僕は床に転がっているコップを拾い上げ、そのなかに一のベルモットに対して十五のジンを注いだ。
小指で軽くかき混ぜて、指先を舐める。
「またお酒ばっかり飲んで!」彼女は首からさげたロザリオを握り、顔を突き出した。
「きみも飲めばいい。ジンもベルモットも、溺れるほど残っているんだ」
酒の貴重なこの時代、アルコールに不自由しない僕は類まれなる幸運の持ち主であることは間違いなかった。ジンを一本売り払うだけで、半年分の食料を手にすることだってできるだろう。
けれども僕がそうしない。半年分の食料で生き延びるよりは、一本のジンによって寿命を縮めることを、僕の家族が望んでいるからだ。
「まったく、どうしようもないのね」
「きみこそ、そんな服脱いでしまえよ」
105 :No.26 ライオット・ガレージ・パンクス 2/5 ◇QIrxf/4SJM:08/03/17 01:37:28 ID:Cegf/ica
小さい頃からの彼女を知っている僕にとって、修道女の格好は本当に気に食わないものだった。彼女は家族の食料を手に入れるために、教会に売られていったのだ。一日の大半を拘束されて過ごすことに引き換えて、修道院からの配給を受ける権利を手に入れたのである。
「神に仕える身ですもの」彼女はにこりと微笑み、ヴェールのずれを直した。
「ま、そのおかげで僕も食い物には困っていないんだけどね」
両親に売られた事を、彼女は一つも悪く思っていない。自ら進んで神に身を捧げたとすら思っている。
僕は彼女のことが好きだけれど、それがどうしても気に入らなかった。
「さ、ごはんにしましょ」
彼女はその場に座り込み、手提げを開けて食料を取り出した。
「今日はここで食べても大丈夫なのか?」
「大司教さまが、外出なさっているの。だから、少し長めに出ていてもお咎め無しってわけ」
僕はにこりとして、パンをちぎった。「そっか。そりゃあよかった」
僕はケトルで湯を沸かして、二人分のコーヒーを入れた。ミルクも砂糖もないけれど、パンにはブラックで十分だ。
「ねえ、今日も行くの?」
「うん」僕は壁際に置かれた黒いレスポールを眺めて頷いた。
それは心に決めたことだ。赤いギターの女を見つけ出し、確固たる具象的な殺意をもって、粉々に、粉微塵に粉砕するのだ。
「今日こそをは見つかるといいね」と彼女は言って、パンをかじった。僕は彼女に対して、赤いギターの女を殺しに行くとは言っていなかった。ただ、探しているとだけ伝えたのだ。
「確実に近づいているよ」
それからぼくたちは、ゆっくりと時間をかけて食事をした。まだ家族が生きていたころには、一日に三回も食事をとったものだが、今では一日に一回食事が出来ればいいほうだった。毎日飲酒が出来る分だけ、僕は恵まれている。
彼女の持ってきた食料を全て食らい尽くし、僕はマティーニを飲んだ。
風が吹き、日が暮れはじめて、彼女は立ちあがった。「それじゃあ、私は戻るよ」
「おつとめ、がんばって」
「うん」彼女は少しだけ悲しそうに顔を俯けた。「また明日ね!」
空になった手提げを持ち、彼女は僕に背中を向けた。一歩一歩僕から離れていく。
「また明日!」僕が言うと、彼女は右手を振り上げた。
彼女がいなくなってしまうと、部屋はいつもの退屈な静けさを取り戻した。
赤いギターの女は全てを持っている。僕にはアルコールと黒いギターしかなかった。
僕は黒いレスポールのネックを握り、真上に振り上げた。ここ一ヶ月、五弦は切れたままだ。
僕の履いているジーンズは、磨り減っていて、ところどころに穴が開いていた。右のポケットは死んでいるが、左はまだ生きている。
ステンレスのピックを左ポケットに突っ込み、レスポールを背中にさげた。
黒いブーツの紐を結んで、僕は家を出た。
106 :No.26 ライオット・ガレージ・パンクス 3/5 ◇QIrxf/4SJM:08/03/17 01:37:53 ID:Cegf/ica
日は沈みかけている。空の半分は赤く、もう半分は黒い。
ガラスの破片や、コンクリートの砂利を踏みながら、荒廃した街を歩く。機能している街灯など一つもない。
方向によっては、復旧の進んでいる金持ちの巣窟に出ることも出来る。小奇麗な修道院に乗り込み、彼女を連れ出す事だってできる。
けれども、僕はレスポールから伝わってくる方角に体を向けたまま歩き続けた。
今夜こそは、赤いギターの女を見つけだせる。そんな予感が、レスポールから伝わってくるのだ。
ポケットに入れたピックを握り締める。
大きなビルの残骸を通り過ぎた。十年前は十二階建てだった成金たちのビルだ。今では三階から上が崩れ落ち、内部は大穴が開いていて雨を凌ぐことも出来ない。
僕はビルの前に落ちているコンクリート片を広い、はみ出した鉄筋を引き抜いてみた。コンクリートは脆くなっていて、力は要さない。
鉄筋は十五センチほどの長さだった。僕はその先を持って、思い切り前方に投げつける。
乾いた音を立てて地面に転がる。その先には、同じように廃墟が続いていた。
僕は背中にさげたレスポールは、小刻みに震えていた。僕はネックを掴んで、震えを止めてやる。
「近いんだな?」レスポールに語りかけるが、返事は無い。あたりまえのことだ。
僕は真っ直ぐ歩みを進めた。太陽は完全に沈み、辺りはすっかり暗くなった。
視界の端に小さく、修道院が見てとれた。反対側には成金たちの巣窟がある。どちらもまばゆいほどの明かりが灯っている。
レスポールの震えが強くなる。五弦のペグが、激しく回転しはじめた。
本当に近くまで来ているのだと実感する。僕は思い切り石ころを蹴飛ばした。
「廃墟であればあるほど、音はよく歪む」
それは前方から聞こえてきた。子宮から響くような、艶のある声がする。
僕はレスポールのベルトを外し、両手でネックを掴んだ。「出たな」
乱暴に地面を踏む音。鋭いヒールが、転がった砂利を潰しているのだ。
「私を探していたのだろう?」
声と同時に、僕は女の姿をはっきりと見た。黒革のベルトで赤いギターを肩からさげている。
女はなんのためらいもなく僕のそばに歩み寄り、顔を近づけて頬を撫でた。真っ赤なネイルと唇。
僕は一歩下がった。
女は口元をつり上げて蔑むような目で僕を見ると、ヒールで小さく地面を鳴らす。「怖気づいたかい? ボウヤ」
惹かれてはいけない。確固たる憎しみを抱き、再生不能に陥るまで叩き潰すのだ。
「僕は、」レスポールが震える。僕はそれをしっかり握り締める。そして、声を絞り出す。「お前を殺しにきた!」
僕は大きくレスポールを振り上げ、女に飛び掛った。
甲高い笑い声を上げて、女が一歩下がる。
空を切ったレスポールのソリッドボディは、地面に激突する。はっとして後ろを見れば、女が赤いギターを僕に向かって振り下ろしていた。
107 :No.26 ライオット・ガレージ・パンクス 4/5 ◇QIrxf/4SJM:08/03/17 01:38:10 ID:Cegf/ica
僕は歯を食いしばった。ピックアップが唸りを上げる。
腕を思い切り振り上げ、赤いギターをレスポールで受け止める。
ギター同士がぶつかりあい、くぐもった音を立てる。衝撃で一弦が切れた。
僕は何とか体勢を保ち、飛び退いた。女は速くも二振り目を僕に向けていたのだ。速すぎる。
「守ってばっかりじゃあ、自慢のレスポールも壊れちまうよ」女は口元を歪め、毒々しいほどに真っ赤な唇で言う。
僕は奥歯をかみ締め、後退を続けた。
振り回すには、ソリッドボディのギターは重すぎる。軽々と振り回すあの女が滅茶苦茶なのだ。
ネックで赤いギターを受け止め、一歩下がったところでコンクリート片に足が引っかかった。体勢が崩れる。
倒れさまに車庫が見えた。そのまま地面に転ぶ。素早く起き上がると、車庫に逃げ込んだ。
車の後ろに隠れ、女が来るのを待つ。
「逃げるとは、関心しないねえ」女はこの状況を愉しんでいるようだった。レスポールも、僕の体も震えている。左ポケットのピックをしっかりと握り締めた。
女がギターを振り回し、目の前の車が吹き飛ぶ。
とんでもない力だ。しかし、ひるんではいけない。レスポールのネックを握り締め、女に向かって振り下ろす。「お前に、そのギターは相応しくない!」
いとも簡単に女は避ける。レスポールが車庫の壁を破る。
大きく開いた壁の先には修道院がある。僕は壁を越えて走った。いちいち体勢を立て直さないと、女に勝つことは出来ない。
「私から逃げられると思うな!」女が追いかけてくる。
建物の中に逃げれば、壁を破壊して歩み寄ってくる。車は盾にならない。助けを呼ぶなんて論外だ。
遠かったはずの修道院が、間近に迫っていた。僕は数回レスポールを振り回しただけで、後は逃げ回っている。こんなはずじゃない。
「どうした? 逃げ場なんて端から無いんだよ」女は静かに笑った。
気迫に押されて後ずさる。背中が修道院の壁にぶつかり、それ以上は進めなかった。
肩を揺らして息をする。目の前でにやついている女を睨みつけた。
「ボウヤみたいな馬鹿な子、私は好きだよ」肩に担いだ赤いギターのネックが、鋭く光った。
ギターが振り下ろされる。僕はレスポールを持ち上げて、ネックで受け止めた。
ぎりぎりと押される。力では勝てそうも無かった。
なんとか受け流すものの、体は耐え切れずに転んでしまった。
力の余った赤いギターが、大きな音を立てて、修道院の壁を砕く。
起き上がろうにも、うまく力が入らない。
「さあ、遊びもおしまいだよ。ボウヤ」
女は低く唸り、ゆっくりとギターを振り上げていく。
修道院の壁の奥に、修道女たちの姿が見えた。一人が立ち上がり、僕を見ている。彼女がヴェールを外し、裾を破る。真っ黒な髪の毛が揺れる。こちらに向かって走り出す――。
108 :No.26 ライオット・ガレージ・パンクス 5/5 ◇QIrxf/4SJM:08/03/17 01:38:27 ID:Cegf/ica
僕は咄嗟に左ポケットからピックを取り出し、女の顔目掛けて投げつけた。ステンレスの三角形が女の目に突き刺さる。
短く悲鳴を上げて、女が後ずさった。
僕は立ち上がってレスポールで殴りかかった。
赤いギターと、黒いレスポールが激突する。
「レスポールは、」僕は言った。暴力的な殺意をもって、女を抹殺するのだ。「この程度では壊れない!」
レスポールの震えが止まる。ピックアップが大きな唸りを上げた。
赤いギターが宙を舞う。競り勝ったのだ。
女の脳天にレスポールを叩き込む。受け止めるギターはない。確実な手ごたえがあった。
もう一度殴り、女が地面に倒れた。まだ殴り足りない。女は全てを持っていた。それを、何一つ例外なく叩き潰すのだ。
何度も殴る。女が言葉にならぬ呻き声を漏らし、両腕で顔を守っている。僕は容赦なくレスポールを打ち続けた。
一発ごとに手が痺れていった。殴って何回目なのかすらもわからなくなってくる。信念だけはかろうじて残っている。『お前にそのギターは相応しくない』
「もうやめなさい!」
凛とした声がした。
僕は振り向く。
ヴェールを外した、黒髪の修道女が立っている。彼女は赤いギターを持ち、ゆっくりと僕に近づいてきた。
レスポールから手を離す。全身の力が抜けた。
倒れる僕の体を、彼女が支えてくれる。
彼女の顔を見たくて首を上げようとしたが、動かなかった。力を使い果たした。そういういことだ。
「ほら、これ、あなたのでしょ」赤いギターのネックが、僕の頬に当たる。ひんやりとして冷たかった。
安心しきった僕は、彼女に身を預けた。あたたかい毛布にでも包まれているようだ。
「ちょ、ちょっと!」
僕の体重を支えきれず、二人で地面に倒れる。
僕は彼女に覆いかぶさったまま、黒髪に触れた。久しぶりだ。
「やっと、ヴェールを脱いだね」と僕は言った。