【 きっと単位はもらえない 】
◆cwf2GoCJdk




82 :No.21 きっと単位はもらえない 1/5 ◇cwf2GoCJd:08/03/17 00:48:24 ID:790BJHKA
 広大な敷地面積の真ん中あたりにある巨大な建物がカトリーヌ女学園である。カトリーヌ女学園はもとはカトリック系だとか、プロテスタント系だとかささやかれていたが、その真偽を知っている者はほとんどいない。やたらと重厚な教育理念にしてもおなじである。
 そしてどこにでも春が訪れるようにカトリーヌ女学園の校舎にも春が訪れ、ひとりの教師から成績優秀な生徒二名、シノとシズクに年度末の課題が設けられた。
「あなたたちにはある星に行ってもらいます。そこで起こっている重大な問題をひとつ片付けてくるのです。できなければ、ペナルティを与えます」
 目の前の温厚そうな婦人から目をそらさずに、シノがいった。
「ペナルティは明らかに不平等ではないですか? わたしたちは優等生だから選ばれたのに、そのせいでそれに傷がつくと?」
 老婦人はほほえみをくずさずに、「いえいえ、まさか。成功すればいいのですよ。チャンスだとお思いなさいな。成功すれば、あなたたちの評価はうなぎのぼり、その星の住人からのお礼だってもらえるにちがいありません。ま、それはたぶん、学園が没収することになりますが。
『成績優秀』の『優等生』なんですから、失敗するなんてこれっぽっちも思っていませんよ、わたしは」ふたりを見て、「それに美人だしね」といった。
 このわざとらしいお世辞を聞いて、ふたりはありとあらゆる反論は無意味だと確信し、そのあとは素直に彼女のいい分に従った。
 たしかに理不尽じみてはいるけれど、学校で行われていることなんて理不尽でないほうがめずらしいくらいだし、老婦人の言葉にも多少の真実が含まれているではないか。そう、成功すればいいのだ。
 ということで三日後の早朝に出発することが決まり(宇宙船を使うならどんな講義でも一ヶ月以上前から申請しなければならないのは周知の事実だ)、「おみやげよろしくね」といった老婦人を無視して、ふたりは寮に帰った。
 とくになんの不都合もなく出発の日は訪れた。だれもがとうのむかしに乗り飽きている宇宙船に乗り込み、なにかと話しかけてくる担任の老婦人をうっとうしく思いながら、早朝の不機嫌さでふたりは宇宙に飛び立った。
 シノとシズクの星をながめるロマネスクな趣味は三十回目くらいの宇宙旅行ですでに枯れてしまっているので、彼らは読書したり、ティッシュの空き箱をいじったりして暇をつぶした。

 その星のたったひとつの大陸を納めているのが皇帝【破壊王】であった。生来の残虐性はそれほどでもないのだが、物事を破壊せずにはいられないという困った性癖を備えており、その問題には田舎の小学生でさえ頭を抱えていた。
 異星人の来訪をこころよく迎えた国の重役たちは、「問題を解決して進ぜよう」というありがたい言葉を信用した。そしてあれよあれよという間に来客は宮殿に迎え入れられた。
 宮廷の門は山のように大きく、まったく実用的ではないのではと思わせた。上流階級らしき案内人は、その服装にぴったりの優雅な足取りで門に近づいていき、ぶつかると思った一瞬後には消え失せてしまった。
 これはいったいどういうことかと驚いたふたりがおそるおそる近づくと、門から案内人の顔だけがにゅっと飛び出たので、シズクは尻餅をついた。
「おや、失礼。説明してなかったですね。これは映写してるだけの門で、飾りなんです。物体は王様がすぐ壊してしまうので……これも例外ではないんですがね……いちいちこんな巨大な門を作ってもいられないので、しかたないのです」
 三人は巨大な階段(の残骸)を経て、王様が知らないという非常階段を使って王室に向かった。
 八階まできたところでようやく「おつかれさまでした」と案内人がいった。王室内、その広大な空間の隅のほうで、破壊王はなにかに一所懸命になっていた。すぐにパンッという破裂音がしたので、おそらく風船を壊して遊んでいたのだろう。
 高価そうな小箱を脇に構える玉座のまわりをうろうろする破壊王は機械の体で、来客が視界にはいると奇怪な声を上げ、近くで見ると猪八戒に似た姿態であった。
「うひょー、よくぞこられた! 使えないけらいどもが昇降機を直さないせいで、さぞや苦労したであろう? 壊したのはわがはいだが」
 これまで沈黙を守っていたシズクがシノにいった。
「あの、前からふしぎに思っていることがあるんです。この星で――ここだけじゃなくほかの星でもそうなんだけど、どうしてそろいもそろって現代口語で話が通じるのでしょうか」
 これはいかにも文系らしいな、とシノは思い、「さあ、偶然じゃない?」と深遠な数学的思考に裏打ちされた結論を返した。

83 :No.21 きっと単位はもらえない 2/5 ◇cwf2GoCJd:08/03/17 00:49:08 ID:790BJHKA
「わが国の財政はわがはいの悪癖で――」と王様の長ったらしい言葉はもちろん、まったく聞いていなかった。
「それに星間戦争のようなのが起こったという記録もなく、おおむね異星人同士が友好的なのはなぜ? 条約があるから? その条約はだれによって守られているのかしら?」
「きみはまさか、SF小説とか読むのか? あんな三文文学読んでいる人間ははじめてみたよ!」とやや侮蔑のこもった目を向け、「童話が好きな人間は妖精やら動物が話したりしないのを知ってるのに、これだからSF好きというのは――」
「ちょっと待ってよ。可能性としてありえたことじゃないですか。だいたい、わたしはサイエンス・フィクションのファンではありません。あんなオタク文学に興味はないし、そういうあなたは〈三文〉ですらない文学も読んだ経験がないんじゃない?」
「で、あるからして、王様、やはりここは――」と大臣。
「ふん、小説なんて読んだってしかたがないさ。あんなもの有害なだけだ」
「あらあら、数学なんていう机上の空論に夢中な人にいわれたくありませんわ」
「――それで、この者たちが失敗したときにはどんな処遇を?」との声で、口論が止まった。
「ちょ、ちょっと。どういうことですか?」とシズク。大臣は当然のように、
「王様の期待をうらぎったとなればしかたがない。王様は繊細で、ひどく傷つきやすいのである。しかし、あなたがたはこの上なく『優秀』とのこと。この問題を解決するなど、朝飯前なのでしょう?
 安心してください。成功した際の報酬は惜しみません」といった。
 玉座の脇の趣味がわるい小箱を手に取り、「たとえばこれは国宝級の品ですが、成功した暁にはもっともっとすごいものですらいといません」シノとシズクはこれをほとんど聞いていなかった。
 ふたりは顔を見合わせた。「どうやら嵌められたようだぞ」とシノがいった。「あのばあさん、非常に面倒なところによこしてくれたじゃないか。あの生粋のサディストはどうしてもわたしたちを失敗させたいらしい」
「なんでそんな必要があるんです? そうなると先生の立場も危うくなるんじゃない? だって、あの人には得がないもの」
「だから得≠ネんて関係ないんだって。あれはたぶん、わたしかきみ――いや、両方か――を落第させたいんだよ。
ペナルティ≠ニいうのはきっと留年のことだな。身の安全を考えるなら逃げたほうがいいけど、あのばあさんの術中にはまるのは癪だと思わない?」
「うーん……なんだかそんな気がしてきたような」
「まあ失敗したら、そうだな。シズク、友人のためと思ってやつらに体を献上してくれ」
「人の貞操をなんだと思ってるのよ!」
「わがはいに異種交配の趣味はない」と話を聞いていたらしい王様がいった。
「ましてそなたらのような種となると……ああ、考えるのもきもちわるい……。だがせめてその身体は破壊させてもらおう。いや、異星人の精神崩壊というのも見てみたいな……」
 その女性を醜い生物に拒絶されたくらいでは彼女の自尊心はびくともしなかったので、シズクは素直に後半の台詞に震えることができた。

「えー、ごほん。それではこれから、わたくしめらができるかぎりのことをやってやろうと思うしだいでございますが、その前にお聞きしなければならぬことがあります。
 王様の破壊癖がどのようにして培われたものかという点と、いままでにどんなものを破壊してきたのかという点でございます。
 前者を問う理由はいうまでもありません。精神疾患は原因を突きとめ、それをとりのぞくことがいちばんの治療法であるからです。
 後者を問う理由はこれも簡単、王様の破壊癖がどれほど強大なものかを理解するためでございます。
 われわれが異国より持って参りました機械等は山のようにございますが、情報がなければあんなものはなんの役にも立たないのです。それはつまり、われわれにとって重要なのは問題いかんではなくアルゴリズムであるからで――」
 シノの長広舌に早速飽きた王様とその臣下たちは、演説に割ってはいった。
「王様の破壊癖は生来のものでございます」と着こなしのすてきな貴人がいった。

84 :No.21 きっと単位はもらえない 3/5 ◇cwf2GoCJdk:08/03/17 00:55:08 ID:Cegf/ica
「そう、わがはいは生まれついてのクラッシャーなのだ」と王様がなぜか得意げにいった。
「王様はさまざまなものを破壊してきたので、それを逐一述べることなどとてもとても……」と王様が乳飲み子の時分から老人であったけらいのひとりがいった。
「たしかあれは生後五ヶ月のころでしたか、おしゃぶりを壊しましてなあ。いま思えば、あれがはじめての破壊でしたなあ」としみじみむかしを語りだすと、横からだれかが、
「いえいえ、王様は生まれおちたそのときから破壊を伴っていたのですよ。その愛らしさから、厳格なご両親がいつもお顔を崩されていたのですから」といい、「よせよせ、照れるわ」と王様が耳をまっかにして恥ずかしがっていた。
 シノとシズクはこの茶番はなんなのだろう、とあっけにとられた。われにかえった王様がほおを染めたまま仕切り直した。
「えー、そう、そうである。わがはいはいろいろと壊してきたのである。それは物体にとどまらず、慣習の破壊や、伝統ある法律、あるいはそう、最近では既成概念の破壊≠ネぞにもとりくんでおる」
 シノがあからさまにばかにした口調で、だが声は小さく「おい、いまのを聞いたかい?既成概念の破壊≠ニきたもんだ! わたしたちはこの哲学者相手にどうすればいいんだろうね」
 シズクがいった。
「なるほど。ということはどうでしょう、王様の破壊への欲求を破壊≠オてみては?」
 破壊王は露骨に不機嫌な表情になって(もしかしたらその星ではごきげんな表情かもしれないが)、「おぬしはわがはいを愚弄しておるのか?」声の調子でシズクをひるませ、
「そんなとんちでなんとかなるなら、よそ者に恥をさらしたりせぬわ!」ともっともなことをいった。
「言葉の力を過信してるあたりは、なんとも文系らしいね」とシノがいやみをいった。「じゃあなんとかしてくださいよ、数学者さん」と意気消沈のシズクがいった。シノは「よし、まかせろ」といって、退室していった。
「まさか逃げるのでは?」とその場のだれもが考えたが、数分もするともどってきた。「宇宙船にこれを取りに行ったんだよ」とひとりごちて作業していく。
 彼女が持ってきたのは組み立て式のインスタント性格変異装置であった。彼女たちにはその場で用法にあった機械を作る技術も材料もないので、汎用的な効果が期待できる機械をいくつも宇宙船に積んでいたのであった。
 できあがった箱は成人男性四人ほどがはいれる高さと幅があり、きらきらと光るイルミネーションが不器用に巻かれていた。
「さあ、これにはいって」とシノがいう。王様は渋面を作り、断固拒否する態度であったが、とうとう臣下たちに引きずられる形で不気味な個室に入室した。ドアが閉まると同時に、すばやくかんぬきを掛ける。そこでシノは説明不足に思いいたって、
「えーと、これを使うともしかしたら王様の問題のない部位の人格まで相当変化する可能性がありますが」
「べつにかまわん」と箱のなかでギャーギャーさわぐ破壊王尻目に、けらいのひとりが答えた。
「いいのかなあ。サディストがマゾヒストになっちゃったような例もあるけど」
「いや、わしの長年の経験によると、サドとマゾには密接な関係性が……」と演説の用意をしたものの、だれも興味を示していないのに気づいて、その哀れな老人はふりあげた手をおろした。
貴人が「べつにいいから、早くやってください。サドとかマゾとかはどうでもいいんです」
「アイデンティティの問題を考えるなら、けっこう重大な問題なのに。ねえシズク、もしあしたからマゾヒストが生まれなくなるとしたら、きみはそれをジェノサイド〈大量虐殺〉だと思うかい?」
「いいえ、ぜんぜん」
 機械のうなり声は王様の叫び声をまったく気にさせないほどであった。やがて振動が収まってきて、かんぬきを外すと、倒れこむように王様が出てきた。精気を吸われつくしたようにぼろぼろになっていたが、臣下たちは些細なことだと感じていた。
 大臣がおそるおそる「王様? は、破壊衝動はいかがなものでしょう?」とたずねると、「もうそんなのどうでもよいわ……」と王様が答えた。
 その瞬間はまさに狂喜乱舞、屋根がはち切れんばかりの騒ぎであったが、長くはつづかない。破壊王はぶつぶつと「わがはいは確率論の実証のために生きているのではない」とかいいはじめたのだ。
 破壊王はその資質のひとつであった哲学的気質が増大され、経験よりは知識を、行動よりは思索を重んじる人間に変貌した。しまいには絶対的唯我論に行きついて、
「この世にはわがはい以外存在しないのであるから、わが夢のなかの住人たるものどものためになぜこれまた夢のなかで骨を折らねばならん? なにをやってもいいではないか。重要なのはわがはいの意思力≠ナはないか」

85 :No.21 きっと単位はもらえない 4/5 ◇cwf2GoCJdk:08/03/17 00:57:51 ID:790BJHKA
 彼の理論でいえば彼の夢のなかにしか存在しない住人に向かってそう語ったのであった。
「これでは王様がまったく使い物にならん!」と老人がなげいた。しかしシズクは真実を語るときの口調で、「でも、前よりはいいんじゃないかしら。だって、すくなくともマイナスのことはしないわけでしょう?」と前向きなことをいった。シノが同意して、
「それもそうだな。うん、一理ある。ということで国宝級とやらは報酬としていただこう」
「ばかをいうな! この国が傾いてしまうわ! 王様にはまだ後継者もおらんのじゃし!」その言葉には臣下たち全員が同意したので、多数決という民主主義的原則から考えて、ふたりは王様をもとにもどさざるを得なかった。
 シノとシズクは小声で相談した。「まずいぞ。こんな無理難題を押しつけられるとは思わなかったから、大したものはもう持ってきてない」
「ちょっとやめてくださいよ。なんとかしなきゃ。だってこれ、できなかったら……」
「よくて留年かな。わるければ、殺されるんだろうなあ。まあでもほら、乙女の誇り、純潔を保ったまま死ねるから、ある意味大往生ではないか」
「絶対イヤです」とシズクはいった。決意を固めるように小刻みにうなずくと、二度の性格改変で憔悴しきっている破壊王をもういちど装置のなかにいれた。
「ちょっと」とシノがとがめるいとまもなく、シズクがめちゃくちゃにスイッチを押す、というよりは叩いた。細かい入力の順番など、あらゆる行為に精密さが要求される機械に対するそれには、とても穏和なお嬢様とは思えない迫力があった。
 素人目にもやけくその行為だったので、シズクはシノが抑止する前にとりおさえられた。
 がたがたと箱が大きく揺れ、尋常でない慟哭をあげたかと思うと、ボンッ、という聞こえのわるい音がした。あちこちから煙が出て、イルミネーションは光らなくなった。
 出てきた王様はとくになにも変わっていないようであったが、すこしのあいだほうっておかれたことに耐えきれなくなり、涙を流しながら手首を切った。
「ああ、わがはいは世界に絶望してしまった」との台詞から唯我論の迷宮から抜け出せたことは確認できたが、どうやら王様はナルシストの傾向がめだちはじめ、周囲の興味を引くために絶えず手首を切ったり、ベランダを好んだりするようになった。
 性格変異装置が壊れたため王様をどうにもできなくなり、シノとシズクは地下牢に入れられた。

「ちょっと気になったことがあるんだけど、いっていい? 異星人はおおむね友好的で、あたしたちと言葉も通じる。でも、どうしてあたしたちはいまだに宇宙服が必要なの? どこでも。酸素濃度が無害な範囲だったしても、まったくかまわないと思いません?」
 シノが答えた。
「しかたないさ。あのね、彼らがああいう形態だからここの環境が人間にあわないのではなくて、ここの環境が人間にあわない、というかこんなふうになってるから、彼らの身体構造やらがすこしずつ地球の生き物たちとちがってきてるんだよ。
 われわれの言葉が通じて、敵対もしないのなら、その星も人間が心地よい環境であるべきだ、なんてのは人間中心主義的な考えだね」
 これらは完全に現実逃避のための会話であった。鉄格子のなかからシノがいった。
「わたし、帰ったら担任のミセス・オーティスに復讐してやる……って思ってたんだけどなあ。やっぱり逃げておくべきだったと思う?」
 鉄格子のなかからシズクがいった。
「ペナルティを覚悟して? 結果論では、そうですね」ややあって、「こう、『ババーン!』とヒーローが助けてきてくれたり、しませんよね」
「ざんねんだけど、少年漫画でもないから絶望的だ」
 とうとう空はしらじらとあけ、ふたりの処刑の時間が近づいてきた。臣下数名が地下牢にやってきた。その第一声はまったく意外なものであった。
「貴公らはどんな魔術を使ったのだ?」
 わけのわからぬまま牢から出され、混乱した頭で貴人の話を聞いた。

86 :No.21 きっと単位はもらえない 5/5 ◇cwf2GoCJdk:08/03/17 00:58:58 ID:790BJHKA
 破壊王は並みのナルシストではなかった。破壊寸前の装置がめちゃくちゃな信号を送ったせいで、これ以上はないというほどのサディストにもなり、同時にマゾヒストでもある、ある種の怪物になっていたのだった。
 そこに生来の性質である破壊衝動が加わって、王様の内部で非常な混沌が起こった。
 王様のマゾヒズムを満足させられるほどのサディズムを持つものは王様以外におらず、そのことを王様が知っていたのは彼が聡明だからではない。自分以外にはなんの興味も持てない強烈なナルシシズムがあったからである。
「わがはいは満足のためにはわがはいをいたぶることしか道はなく、なのにわがはいにいたぶられることができないなんて、なんたるかわいそうなわがはい! これは解決できる問題であろうか? 否! 不可能! こんな不幸な知的生物が宇宙開闢以来いたであろうか?
 いったいどうすればいいのだ! もはやまわりに聡明なものはなく、わがはいは頼れる者がいない。つまり、結局は自分で自分をいたぶり、またいたぶられるという、形而上学的空論しか道は残っていないではないか。
 いくらわがはいでもそうするしかないとは! あるいはもうすでに、わがはいは手首を切るくらいしかできないのではなかろうか?」
 思考が鋭敏に進んでいき、彼はそのナルシシズムとサディズムとマゾヒズムと破壊衝動の混合を哲学者の声で処理した結果、自分自身を破壊しつくさねばならぬという結論に至った。
 そしてそれは装置で増幅された意思の力と、短時間で何度も破壊王という人格が変容された事実によって比較的容易に実現した。
 たとえば記憶のメカニズムにしても、ある不幸な記憶だけを消去したり改変したりするよりは、勇気を出して過去を捨て去ってしまうほうがよほど簡単だからである。

「約束の報酬はくれますよね。あれがいいな。国宝級っていってた趣味のわるいやつ」シノは玉座の脇に大事そうに置かれている拳ほどの小箱を指さした。
「ええ、もちろん。よろしければ、もっといろいろなものも差し上げます。異国では価値のあるものでも、ここではありふれている、といったことは多いですから。ただ……」と貴人は言葉を濁した。
「ただ?」
「あの小箱はやめたほうが。いえ、差し上げることはまったくかまわないのですが、あれはあけないほうがいいです。この国を救ってくださったあなた方だからこそいうのです。たしかに多大な価値の品ではあるのですが……」
「なにがはいってるのかな?」
「それはわたくしの口からは、とても」
 シノとシズクは宇宙船に運びきれないほどの報酬をうけとり、絶え間ないお世辞と賛美の言の葉に酔いしれ、すがすがしい気分でこの星を飛び立った。
 そして、破壊衝動が大きすぎたため、ついに自らを壊してしまい、まさに生まれ変わった破壊王。人格が再形成された彼は、優れた統治能力と平和を愛すことのできるすばらしい心を持っていたので、だれからも愛される王になった。
 宮廷の庭に毎年咲き誇る水仙の花は、ユリシーズ帝国が今年も安泰であることをものがたり、とうとう「宇宙でもっとも幸運な星人たちの星」と宇宙連盟から表彰されるほどになったのであった。

「一時はどうなることかと思ったけど、なんとかなりましたね」とシズク。「いくらかもらっちゃっても、課題成功の証明には十分すぎる報酬ですし」
「うん。それに、これで当初の目的も達成できそうだ」
「目的ってなんです?」
「オーティスのばあさんに報復しなくちゃ! こんなひどい目にあわされたんだ! 鉄板の上で土下座でもしてもらわなきゃおさまりがつかないよ」
「やめておきましょうよ、そんなの」
「だって、このままだと泣き寝入りだぞ? こんなこと甘受していいのか?」
「もちろんそんな気はありません。だから、もっといい方法があるじゃないですか。あなたがわざわざもらってきたその金ピカの小箱を、おみやげとして彼女にわたしてあげましょう」





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