【 俺とキーボード 】
◆GfKaM4xGpA




70 :No.18 俺とキーボード 1/4 ◇GfKaM4xGpA:08/03/16 21:14:10 ID:XP4qbfqC
「……あれっ?」
 顔はディスプレイに向けたまま、軽快にキーボードを叩く指が止まる。
一階の、おそらくリビングから物音がした。それは十七年間この家で暮らしてきた俺だから分かる音。
食器棚左辺、上から二番目。スプーンとフォークの入った棚を引いた音だ。
しかし、日付もとっくに変わって、そろそろ短針が三を指そうとしている。こんな時間にそこを開ける必要が
あるだろうか。だからこそ覚えた違和感だ。
「どっちかが寝惚けてるのか?」
 父母兄弟で構成された四人家族。しかし弟は修学旅行で先日から長野に飛んでいる。つまり今家にいるのは三
人だけということになる。
そこに、先ほどの物音である。俺はゆっくりと椅子から立ち上がり、ドアの前で寄って聞き耳を立てた。
木質の摺れる音がした後に、もう一度同じような音がした。
「今度は上から三番目の引き出しを……何かを探しているのか?」
 また、先程より若干ではあるが荒々しくなった行動に疑問が浮かぶ。何か明確な目的があって、その上で物色
しているような。そんな探し方だ。もっとも、そこには俺と家族の箸しか入っていないわけだが。
そんなことぐらい、俺でなくとも家族なら誰でも知っている。
ということは、それ以外。外部の人間がリビングを物色しているということだ。
「まさか、泥棒……!」
 いや待て待て。ウチに限ってそんなことはないだろう。おそらく父親は昨晩、大量にアルコールを摂取してい
たに違いない。あの上機嫌な叫び声から察するに、多分、ビンを三本は空けている筈だ。つまり、更なる酔いを
求めて冷蔵庫を開けたつもりが寝惚けて食器棚を探している可能性もあるわけだ。そうだ。きっとそうだ。
「……って、流石にそれはねえよっ!」
 それに、寝惚けているならもう少し足音が大きいはずだ。
 となればもう一人。母親の可能性だが、これはもう皆無に近い。あの人は父親とは違って規則正しい生活を送
っているし、一緒に飲んでいたとしても自分で自分を制御できなくなるほど飲むとは考えにくい。
 そう考えると、やはり二人ではない。つまり――。
「やっぱり、泥棒……!」
 ここに来て、ようやく事の重大さに気付く。
「何てことだ……。この俺がいながら、部外者の侵入を許すなんて……」
 まさに、失態だ。
 しかし、このまま見過ごすことは出来ない。失敗をいつまでも悔いていてはダメだ。

71 :No.18 俺とキーボード 2/4 ◇GfKaM4xGpA:08/03/16 21:14:27 ID:XP4qbfqC
「そうだ。勢いよくドアをばーんってすればビックリして帰るかも」
 待て待て。それはあまりに危険すぎる。幸いにも、向こうがこちらに気付いている様子はない。となれば相手
の出かたを考えて、作戦を考えることが出来る。
 真っ先に浮かんだのは電話。簡単な話だ。警察に連絡すればいいのだ。しかし先月の中ごろに俺はあまりの需
要の無さから基本料の無駄だと携帯電話を解約してしまっていた。外部との連絡の手段はインターネットのみで
ある。とはいえ、この緊急事態にそんなことも言っていられない。
「くそっ。こんなことならネトゲじゃなくてサバゲをやっておけばよかった!」
 まさかこんな急に実戦になるとは思ってもみなかった。しかも戦場は我が家という、戦闘になったときの被害
を考えれば圧倒的に不利な状況である。大タルと爆薬を調合しても、仕掛けることは出来ないのだ。
「何か、何か武器はないのか……」
 その時、リビングの方からまた一つ物音がした。それは食器棚のどの引き出しを引いた音でもなく、台所下の
調理器具がいくつか入った収納スペースを開ける音だった。
「台所……武装面でも向こうに有利だってのか」
 例えば相手の今もっている武器を取り上げ、窮地に追い詰めたとしても場所は台所。代わりになるものがいく
らでもあるということだ。これは非常に厄介なことになっている。それよりも、相手がこちらの動きにいつでも
対処できるよう動いていることに着目すべきだろう。間違いなく、場数をこなしている。
「俺にも、何か出来るはずだ」
 そう言って部屋中を眺めるが、これといって使えそうなものはない。
「無駄なものは部屋に置かない。そんな真面目さが災いしたな……」
 天井近くまである大き目の本棚。パソコンデスク。その上に置かれたデスクトップとキーボード。こだわりの
マウスは先日買ったもので三万円もしたのだが、この指に吸い付くようなフィット感がたまらない。もちろん、
スピーカーも抜け目なくWAVサウンドで低音と高音を余すことなく堪能できるよう、悩んで買ったものだ。
「パソコン周辺にはちょっと自身があるんだ」
 しかし今は関係ない。
 かと言って他に武器になりそうなものもないため、仕方なくキーボードを手に取る。そして意を決してドアノ
ブに手を伸ばした。
 ゆっくりと、下に聞こえないようそっとドアを押し開ける。我が家は決してしっかりとした造りではないため、
一階に足音が響かないよう慎重に歩かなくてはならなかった。
 早速歩き出すが、廊下のフローリング素材が冷たく、足の指先が一瞬持ち上がる。
(うああ! 冷たい! もうヤダ!)

72 :No.18 俺とキーボード 3/4 ◇GfKaM4xGpA:08/03/16 21:14:45 ID:XP4qbfqC
 何とか階段の前まで辿り着く。しかし、問題はここからだ。
 一歩目。どうにか何事もなく踏み出すことが出来た。しかし安心はできない。築二十五年。いつ音を立てて
軋んでもおかしくはないのだ。
(頼むから、今は踏ん張ってくれよ……)
 二歩目。踏み誤ることもなく順調に進む。
 三歩、四歩と着実に一階へと進んでいく。だからといって決して油断することなく俺は集中していた。
 そして、とうとう階段を音一つ立てずに下りることに成功。一階に到着した。
(我が家も俺も、やれば出来る子なんだな)
 そして早速リビングに向かう。右手には二千円ほどのキーボード。左手はパンツの中である。だからといっ
て別に何かを触っているわけではない。暖かいのだ。
 やはり、リビングには明りがついていた。間違いなく人がいるということだ。
 ここまで慎重に動いておきながら、考えすぎなのではないかなどと頭の片隅で考えていた。しかしこうして
自分の置かれた状況を目の前にしてようやく足が震えてくる。
 それでも今は行くしかないのだ。深夜独特のよく分からないが一人で盛り上がってしまうあのテンションに
近い。逆に、そうでもなければここまで出来なかっただろう。
(おうあぁ。決戦の時だぞ俺……)
 キーボードを握りしめ、震える足で突き進む。相手に気付かれず、尚且つ先制攻撃が必要だ。
「……ぉぉぉ。ぉぉ。ぅぉぉ」
 自然と声が漏れる。不味いと思っても、どうしよもなく声が出る。緊張と高揚で、既に自分が抑えられなく
なっていた。
 もうこうなっては仕方がない。全て、その身を流れに委ねる他なかった。
「うおぉぉぉぉおおおぉおおぉおぉぉぉぉ!!!!!」
 こんなに大声を出すのは、初めてかもしれない。
 とにかく今は倒すしかない。我が家に蔓延る悪を。魔を。敵を。
 断罪するのだ。俺が。この俺が!
 勢いよくリビングに乗り込んだまではいいのだが、そのまま勢い余ってテーブルに突っ込みそうになる。そ
れを両腕を後方に振り回して必死に堪えると、今度は振り回した腕が勢いづいてしまう。安物のキーボードは
無駄に重たく、非力な俺は制御することが出来なかった。
「ぬぉお!?」
 派手に音を立てて割れるガラス。飛び散る破片に目を瞑る。

73 :No.18 俺とキーボード 4/4 ◇GfKaM4xGpA:08/03/16 21:14:59 ID:XP4qbfqC
 何が起こったのか理解するまで数秒。振り回した俺の武器が、食器棚のガラス張りを叩き壊していたのだ。
「ど、どうしたの!?」
 その音を聞きつけ、母親が隣りの寝室から慌てて駆けつける。
「どうした何があった!?」
 父親が寸分遅れてリビングにやってきた。
「え、あ。えっと、あれ?」
 そこには俺と母親と父親。三人しかいない。二人が入ってくるまで、誰も出て行った気配はなかった。
 そしてこの状況。俺の手には鈍器となりうる安物キーボード。辺りにはガラスの破片が当たり一面に飛び散
っている。
 これを見て二人がどう思うか。流石に俺でも分かる。
「たけし……お前……」
「いや、違う。俺じゃない! いや俺だけど、俺じゃないんだよ!」
「引きこもっているだけなら養ってあげられるけど、こんな……」
「ちょっ、泣くな! 違うんだよ!」
「……明日は父さん会社休みだから、一度降りてこい。少し話そう」
「待ってくれ! 俺は、俺は……うわああぁぁぁぁあああぁぁあ!!!!!」
「たけし!!!」
 一角が傷ついたキーボードを片手に、俺は一気に階段を駆け上がる。そして自室に閉じこもった。
「はぁっ……はぁっ……」
 全ては俺の勘違い。何もかもが思い違いで、ただの引きこもりから家庭内暴力問題児に格上げしてしまった。
「畜生……なんてこったい……!」
 興奮も何も覚めやらぬまま、俺は布団に包まって次の夜を待った。陽が昇りまた暮れて。皆が寝静まるのを。
 今日の冒険も失敗も、すべてが無かったことになることを願って。俺は眠った。

 母親のポケットに隠れた、少し分厚い封筒に気付くことなく。


 <了>



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