【 邪な鬼のタンゴ 】
◆0CH8r0HG.A




65 :No.17 邪な鬼のタンゴ 1/5 ◇0CH8r0HG.A:08/03/16 20:53:20 ID:XP4qbfqC
 「覚悟しなさい」
 手に持った日本刀が太陽の光を受けて眩しく輝く。小柄な体には不釣合いな大刀を、そのか細い腕で軽々と大上段へ。
「峰打ちなんて期待しない方がいいですよ? 私は敵には容赦しませんから」
 なんとも恐ろしい言葉だ。後ろで見ていてもそう思う。だからね、舞ちゃん。お願いだからその刀をしまってくれないだろ
うか。大丈夫だよ。そんだけびびらせれば、暫く悪さも出来っこないさ。
「ね、ねぇ舞ちゃん。念の為に聞いておきたいのだけれど、その刀で一体何をどうする気?」
 僕は、一欠けらの期待と大きな不安と深い溜息をもって彼女に聞いてみた。
「知れたこと。眼前の敵を切り捨てるに決まっているでしょう?」
 彼女はこちらを振り向かず、しかし表情を変えていないことは声のトーンで察しがついた。ああ、またかよ……と僕はコメ
カミを押さえる。
 彼女……剣野舞ちゃんは腰まで伸びたサラサラの黒髪がトレードマークの女の子だ。釣り目がちで黒目がちな瞳とちょっと
低めの鼻と百五十にも満たないちっちゃな体で、でかい刀を常に持っている。最近、ツンデレキャラで名を馳せたあの有名な
ラノベのヒロインが実体化したらこんな感じなのだろうとか思う。
 でも彼女はツンデレじゃあない。ツンツン? いやそれも違う。クールなお馬鹿さんというのが一番近いだろうか、っと危
ない! いつの間にやら考えていたことを口にしていたらしい。舞ちゃんが振り返りもせずに僕の鼻の頭に刀を突きつけていた。
「目の前に敵がいなかったら、貴方の鼻は飛んでいたものと思いなさい」
 僕は苦笑いを浮かべ、『敵』に感謝する。でもそろそろこの睨み合いが始まってから結構な時間が経っている。いい加減こ
うしているのも退屈だし、家に帰りたいじゃないか。
「ねぇ、舞ちゃん。そろそろうちに帰らないか? 今日の夕飯はオムライスだよ。舞ちゃんの大好きな、タケノコの入ったオ
ムライスだ。そんな小悪党の……一本や二本放っておいてもいいじゃないか」
 僕の言葉に舞ちゃんの肩がビクッと反応する。次いで背中から伝わってくる逡巡。こういったところは素直に可愛いとか思
えるんだけれど。
「それに、無益な殺生はいけないよ。そもそも作られた彼らに責任は無いんだからさ。むしろ、作った奴らを懲らしめないと。
そう思わない?」
 一分ほどだろうか? 沈黙が続き、冷たい風が二度僕らの頬を叩いた。寒いなぁ。結局、彼女は無言で手に持った刀を龍の
細工が特徴的な鞘に収める。彼女もお腹が減ったみたいだ、と一安心。もしも彼女が宣言どおりに行動していたら、目の前の
敵は真っ二つだっただろう。
「貴方の言うことにも一理あります。今日はこの辺で勘弁してあげましょう」
 最早、敵には興味も無くなったようだ。切り替えの早さは素晴らしいものがあるね、とか言ったらまた刀を抜きそうなので
止めておく。

66 :No.17 邪な鬼のタンゴ 2/5 ◇0CH8r0HG.A:08/03/16 20:53:40 ID:XP4qbfqC
 そういえばタケノコが無かったはずだ。買って帰らないと。僕は歩き出した彼女を小走りで追いかける。
 一度彼女の敵を振り向いて、次からは注意しろよ? 的なニュアンスのウィンク。舞ちゃんと一触即発の状態から開放され
た「電信柱」はさっきよりも高らかに空に伸びていた。

 ドン・キホーテをご存知だろうか? 大人気のディスカウントショップでは勿論ない。スペインの作家ミゲル・デ・セルバ
ンテスが描いた小説で、騎士の物語を読みすぎて現実と本の区別がつかなくなった哀れな男をコミカルに且つ哀愁を漂わせて
描いている傑作だ。
 剣野舞ちゃんを一言で表すとするなら、まさしく彼女は現代のドン・キホーテと言えると思う。何しろ、彼女がこれまで敵
と認識し刀を振り回した対象は、電信柱、小指をぶつけた箪笥、躓いた道端の石ころなど、少なく見積もっても百を越える。
風車(ではなくドラゴン)に挑むドン・キホーテも真っ青だ。
 まぁ、実際に切り刻まれたものは少ない。僕の部屋のテレビと、僕の家の柱くらいかな。ああ、そういえば僕の家の車を廃車
にしたのも彼女だったっけ。それ以外は、僕が自身の素晴らしいフィッシング能力を駆使することによって彼女をコントロー
ルしてきた。
 一番やばかったのは、僕が不良に絡まれたときだ。彼女は普段は滅多に崩さないポーカーフェイスを一変させて、手に持っ
た刀を抜き放った。やばい、人が死ぬと本能的に察した僕は、彼女に笑顔を向けた。
 心配することないよ、ただじゃれているんだからさ、かつあげじゃなくて貸してあげただけだよと僕が言っても勿論納得は
してくれなかった。だから不良どもに言ってやったんだ。おい、仲のいい振りをしないと、彼女に切り刻まれるぞって。刀を
見て不良も怖くなったんだろう。苦笑いを残して逃げてしまった。
 僕は彼女を汚したくなかったんだ。舞ちゃんはそんな僕の気持ちを察したのか、少し頬を赤らめてありがとうって言ってく
れた。僕の忠誠心も立派だろ? 少なくとも、報酬目当てにドン・キホーテに付き従うサンチョよりはよく出来た従者だと思うね。
 ただ、彼女がドン・キホーテと明確に違うのは、彼女は本に影響されたわけでも現実と夢の区別が出来ないわけでもなく、
そのまま天然でこのキャラだってことだ。もしかして、本家よりも性質が悪いかもね。
 何て昔のことを色々考えながら、僕はフライパンを揺すらせた。うんいい感じだ。お米の焼ける香ばしい匂いが鼻腔を突く。
僕の作るオムライスは舞ちゃんの好みに合わせて色々と工夫してある。例えばさっきのタケノコであったり、ニンニクであっ
たり、椎茸の微塵切りであったり。ケチャップライスではなく、トマトソースで炒めあげるんだ。ソースは勿論デミグラ。半
熟の卵を乗せた後で包丁を入れると、トロッとご飯の上に卵が広がるんだ。
 うーん、五月蝿いなぁ。何か騒音が聞こえる。キッチンに立つといつもそうだ。振り向いても舞ちゃんはお行儀良く僕の料
理を待っているのに、どうしたことだろう? 一度、御祓いしてもらった方が良いかも……なんて舞ちゃんに言ったら、きっ
とこの家はバラバラにされちゃうかもしれないな。僕も舞ちゃんも幽霊とかは苦手なんだ。

67 :No.17 邪な鬼のタンゴ 3/5 ◇0CH8r0HG.A:08/03/16 20:53:55 ID:XP4qbfqC
 出来上がったオムライスを二人分、お盆に載せて舞ちゃんと僕の部屋へ。リビングで食べるのは舞ちゃんが嫌がるから止め
たんだ。何よりも、家のテーブルをバラバラにされたら敵わないからね。
「今日は、また少し工夫してみたんだ」
 スプーンを口に運ぶ彼女に声をかける。
 と、舞ちゃんはスプーンを咥えながら、三十秒ほど沈黙。そしてふと思いついたように顔をしかめる。
「……タマネギ」
 正解! と僕は拍手をする。細かく摩り下ろしたタマネギを一緒に炒めたんだよね。ちなみに、舞ちゃんはタマネギが大嫌
いなんだけどああ、そんな怖い目をしないで。
「美味しいですけど、あの忌まわしい物体が入っていると考えただけで、味が落ちてしまいます」
 いつだったか、一緒に料理した時にタマネギを刻んで涙とくしゃみと鼻水が止まらなくなっちゃったんだよ。それ以来、敵
とは認めつつも舞ちゃんはこれだけは切ろうとしない。何とも微笑ましいもんだ。
「タマネギが牙を剥いて襲って来たらどうするのさ」
「貴方を盾にして逃げます。私の愛刀に毒を塗るわけにもいきませんので」
 澄ました顔だ。はいはいお嬢様なんて茶化したくなっちゃうな。サンチョもこんな半ば呆れた、でも楽しい気持ちでドン・キ
ホーテに従っていたのかな? なんて考える。小説や漫画が散らかった部屋の真ん中で、舞ちゃんと二人でオムライスを食べる。
こんなことをしていると、妙にセンチな気持ちになっちゃうね。
 ああ、また騒音だ。なんでこんなにやかましいんだろう? ふと舞ちゃんを見ると、悲しそうな顔をしてじっと僕を見つめ
ていた。何でそんなに悲しそうなのさ。

「一体いつまで」「そろそろ」「いい加減に」「お願いだから」「頼むから」
 僕の夢の中に延々と流れ続けるフレーズだ。それらは、とても不愉快なものなんだけれど、それを耳にした時僕の心に訪れ
る感情は、舞ちゃんの悲しそうな顔を見た時とよく似ている。それはただの苦痛ではなく、僕自身も心のどこかでその言葉に
対して一定の理解を示そうとするんだ。結局、目が覚めた時には僕の心には何も残っていない。そして、舞ちゃんの寝顔を隣
に見つけて安心する。
 どんな物事にも終わりは来る。なんて言葉を僕が彼女から教わることになったのはこの直後のこと。

68 :No.17 邪な鬼のタンゴ 4/5 ◇0CH8r0HG.A:08/03/16 20:54:10 ID:XP4qbfqC
 重い瞼を持ち上げると、目の前に刀を構えた舞ちゃんが立っていた。今度は何を切ろうっていうの? 僕が尋ねると舞ちゃ
んは例の表情で淡々と言った。
「貴方です」
 振り下ろされる日本刀。真っ二つになるベッド。輪切りにされた家電のコード。僕はそのどれよりも、舞ちゃんが僕を殺そ
うと追いかけてきていることに驚いていた。悲しかった。何故?
 舞ちゃんは答えない。料理が不味かったの? からかったりしたから? 僕の夜伽の技が拙いせいですか? いやどれも違
うっぽい。彼女は完全に僕を敵だと認識している。いつもは僕自身がそれに歯止めをかけるんだけど、敵が僕となれば話は別だ。
敵の言葉には耳を貸さないなんて、長い付き合いなんだから分ってる。
 僕は逃げる。ひたすら逃げる。見慣れた町の風景が、信じられない速度で後ろに流れていく。もう大丈夫かなって振り返る
と、すぐそこにはやっぱり刀を持った女の子がすぐ傍に迫っている。やばいと思った瞬間、僕は足元の石ころに躓いて道のど
真ん中に大の字になっていた。

「覚悟はいいですか?」
 彼女はあくまでも淡々と、しかし何か悲しそうに僕に言ってくる。良いわけが無い、と答えても彼女は刀を振り上げるのを止
めない。そっか、ここまでかなんて、あまりにも非現実的なシチュエーションに苦笑する。そもそも、今までも非現実的だった
のに、心地良いからって受け入れてしまっていたのだ。僕は目を閉じて、その刀が落ちてくる瞬間を待つ。

 びしゃっ。顔に生暖かい物が降りかかる。何だこれ。死を前にして異様に静まり返っていた僕の思考が再び動き出す。
 とりあえず、目を開けてみることにしよう。ん? あれ、舞ちゃんは? と思った直後、僕は自身に降りかかった物が何だ
ったかに気付いた。
 血だ。僕のではない。僕のでは無いってことは、勿論持ち主は一人しかいない。何せ、僕の前にいた人間は彼女だけだったの
だから。辺りを見回すと、ああやっぱり。そこには、首を飛ばされたかつては舞ちゃんだったものが道路に黒い血溜りを作って
いた。
「舞ちゃん!」
 僕は急いで彼女に駆け寄る。しかし、勿論返事は無い。何せ首が無いのだから話が出来るはずも無い。真っ赤に染まった自ら
の血で、服装もほとんど分らないほどだ。しかし右手に握った日本刀は明らかに彼女の物だ。小柄な体に日本刀とくればこれは
もう舞ちゃんしかいない。

69 :No.17 邪な鬼のタンゴ 5/5 ◇0CH8r0HG.A:08/03/16 20:54:31 ID:XP4qbfqC
「もう大丈夫。敵は片付けたよ」
 背中から、唐突に声が掛けられる。何だこのトンデモ展開は? 僕にはわけが分からない。敵? 敵って何だよ? 僕はついて
いけない状況と、理由も分らない凶行に、怒りを覚えつつ声の方へと振り返る。
「危なかったね。でも安心して。これからは僕が君を守ってあげる」
 僕っこだ。何故僕っこ? 黒髪ショートで、右手にはでっかい剣を持った僕っこ。左手に舞ちゃんの首を持った僕っこ。
「舞が死んで悲しい? そんなことないよね。だって舞は貴方を傷付けようとしたんだから」
「……舞ちゃんは何で僕に剣を向けたの?」
 ダメだ。頭が上手く回らない。というか、ちょっと理解できないよ。舞ちゃんは昨日まで僕と一緒に暮してたんだぞ。
「それはね。舞が貴方を助けようとしたの。それで、貴方はそれを拒否した。ううん。その助けそのものを貴方が恐怖したからだよ」
 胸を張る僕っこ。うんツルペタだ。難しいことを間違えずに言えて満足したようだ。っていうか僕が拒否? 何のことだよ。
「舞は貴方をここから連れ出そうとしたの。この妄想と現実の狭間から。風車に立ち向かうドン・キホーテのように、ドラゴンに立
ち向かう勇者のように、現実に立ち向かおうとしたの。だから殺したの。だって、貴方は現実が嫌いなんだものね」
 僕っこは、およそそのベビーフェイスには似つかわしくないことをとつとつと語った。舞ちゃんが敵と語った全ての者達は僕を追
いかける現実だと。痛みを感じるたび、不意に現実に引き戻されそうになるのを防ぐ楔が自分達だと。舞ちゃんは自分達にではなく、
僕自身を現実と戦わせようとしたのだと。
 僕っこは舞ちゃんの手から日本刀をとった。うっはぁ刃こぼれだらけだね、と妙に明るい声音で言う。
 ……舞ちゃんは、何故楔を止めたの? 僕が聞くと、僕っこは泣きそうな苦しそうな顔をして言った。
「分んないのかよぉ、馬鹿やろぅ、ニブチン」
 そうか、僕って最低だ。僕は僕っこの手から舞ちゃんの日本刀をもぎ取った。うわぁ怖い。舞ちゃんの血がべっとり突いて怪しい
光を放ってる。でも、これは止めちゃいけない。だって、舞ちゃんはドン・キホーテで僕はサンチョだから。彼女が戦ったのなら、
僕もついていかなきゃいけない。いや、元々は僕の戦いなのだ。
 僕は、逆手に持った日本刀を自分の胸めがけて振り下ろす。

 目を開けると、雨戸の隙間から陽の光が漏れこんできている。ドアを叩く騒音にしか聞こえなかった親の小言ももう慣れっこだ。
 眠い目を擦り、舞ちゃんの刀、目を覚ましたらハローワークに変わっていたそれを手に取ってパラパラ捲る。
 僕は現実に帰ってきた。

 おわり



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