【 ストロベリー 】
◆D8MoDpzBRE




50 :No.13 ストロベリー 1/5 ◇D8MoDpzBRE:08/03/16 19:12:59 ID:XP4qbfqC
 朝はまぶしい。意識がフワフワと漂っている水際の辺りから一気に光の海に放り投げられたみたいで、目がく
らんでしまう。遠くで目覚まし時計が鳴っていて、どうやらこいつが私を叩き起こした犯人なんだな、と知る。
「待て、この真犯人」
 などと言いながら、音のする方向を半開きのまぶたで睨みつけるけれども、目覚まし時計が逃げるわけでは
ない。無論、私が念ずるだけで目覚まし時計の方からこっちに来てくれたり、自動的に停止してくれるほどお人
好しでもないようだから、私はよっこらしょっと起き上がって停止ボタンを押す。
 中学生ともなれば、このくらいの早起きは朝飯前なのだ。
「ユリ! 朝ご飯できたよ」
 ホラね、文字通り朝飯前でしょ。
 私は階段の下に向かって「ハイハイ」と怒鳴り返して、とりあえずパジャマから制服に着替える。制服はできる
だけ可愛く着こなさなければいけない。一日の勝負は、ここで大半が決するのだ。スカートの丈とかが超重要で、
ニーソとバランスが取れてなかったりしたら死亡確定。逆にスカートが短すぎて中身がたまに垣間見えたりする
けど、これは名誉の戦死に近いものがある。どちらにしても死にたくないっちゃあ死にたくはないが、どうせ死ぬ
のなら二階級くらいは特進したい。
 私は朝ご飯を食べるのが早い。テレビのフードファイター系番組とかの影響ではないけれど、カレーくらいなら
ば飲み物として扱える自信がある。小食だし。ここ重要。
 そんな私だから、朝食を完食するのにほとんど時間を要さなかった。乙女は忙しいのだ。生き馬の目を抜いて
もお釣りが来る。
「アンタ最近早いわね。なんかいいことでもあったの?」
「お母さんには関係ないよっ」
 私は外野からの雑音をシャットアウトする。
 これから歯を磨いて顔を洗って髪をセットして少しばかりの化粧をしなければならない。乙女は忙しいのだ。こ
れはとても大事なことだから何度でも言う。
「あら、ユリじゃない。おはよー」
「お姉ちゃん、今頃起きたの? そんなことじゃ置いてかれるよ、時代に」
「時代ねぇ」
「そうそう」
 私はさっさと洗面所での身支度を済ませると、時代遅れのお姉ちゃんを放置して玄関へ向かった。お姉ちゃ
んは高校生のくせして私より先に起きてきたためしがない。ある意味うらやましい人種だ。
 さあ、家の外へ飛び出したらもうここは戦場だ。本来この辺はいろんな人たちが行き交ういわゆる通学路なん

51 :No.13 ストロベリー 2/5 ◇D8MoDpzBRE:08/03/16 19:13:26 ID:XP4qbfqC
だけれど、まだ少しフライイング気味な時間帯だから人通りも少ない。冬なんかだとまだ薄暗いくらいの時間だ
から、まあ当たり前だ。
 並木の通りを走った。春先の朝の、少し冷たいくらいの温度が好きだ。走り疲れて立ち止まって一息ついたと
きなんかに、身体は温かく火照っているのに吸い込む空気がのど元を冷やす、あの感じは癖になる。
 さてと、さてさて。私のお目当てというか楽しみというか、いつもこんな時間に登校する理由がそろそろ現れる
頃だ。私は少し身構えて、歩道の脇にあるバス停に並ぶフリをしながら待つことにした。本当にバスが通りかかっ
たときにこれをやり過ごすのがまた難しいのだ。
「あっ、伊澤先輩。おはよーございます!」
 ようやく現れたのは、我らが東中陸上部の伝説的ランナーにして、先月、惜しまれながら中学校を卒業された
先輩の伊澤嘉彦さんだ。先輩は必ずここでバスに乗る。
「ユリちゃん、今日も早いね」
「えへへ」
 やっぱり間近で見る先輩は格好いい。身長が高くて、肩幅とかその他の部分も全部均整が取れているという
か格好いいのだ。
「先輩! 高校はどうですか!」
「フツーだよ。ただね、陸上部のレベルは半端無く高い。ユリちゃんも来年入学するべきだよ」
「うわー、マジ行きたい」
 別にレベルの高い陸上部に入りたいわけじゃないんだからね! でもね、先輩の通ってる高校、結構成績が
良くないと入れないみたいなんです。そんな文武両道な先輩は凄い。
「あ、バスが来たみたい」
「次のにしません?」
「ん?」
「あ、何でもありません」
 私はこちらへトロトロと向かってくるバスを睨みつけた。無論、私が念じたところでバスが遠ざかったり爆発し
たりはしない。世の中は思いの外安全にできているのだ。
 バスがバス停に止まった。「じゃあね」と手を振りながら、先輩が乗り込んでいく。毎回先輩がバスに乗り込んで
いくシーンで私は泣きそうになる。やばい、私先輩のこと好きすぎる。
 戦地に赴く恋人を見送るときの心境で、私は遠ざかるバスに手を振った。静かな街に低い排気音を響かせな
がら、そのバスは朝靄の影に徐々にその姿をくらませていく。私は一人取り残されて、底冷えのするバス停で立
ち尽くす。バスは交差点の角で左に折れて見えなくなってしまった。

52 :No.13 ストロベリー 3/5 ◇D8MoDpzBRE:08/03/16 19:13:40 ID:XP4qbfqC
 さて。
 朝の部活が始まるまで後一時間くらいある。早く起きすぎたのだ。いくら乙女だからといって、一日中忙しいと
いうわけではない。そもそも今日のメーンイベントは既に終わっているので、残りの一日は惰性で過ごさなけれ
ばならないことになる。忙しいのは一日の始まる、本当に一瞬だけだ。
 私は深いため息をついた。春に鳴いていそうな小鳥のさえずりが聞こえたけれど、それが何という鳥なのか
は知識のない私には分からなかった。

「ユリ、それは告っちゃったほうがいいよ」
「えー、無理無理」
「そもそも、なんで先輩が卒業する前に告らなかったのか、って話だよね」
 いやいや、告白なんて心臓がおかしくなるから絶対に無理です、って身振り手振りを交えて訴えるのだけれど、
同級生たちは耳を貸してはくれない。
 大概、この手の恋の相談を他人に持ちかけるとこういう流れになるのだ。まあ、それが分かってて相談を持ち
かけるのは私だし、つまり結局私も心の奥底では先輩に告白したいと思っているのかも知れない。背中を押し
て欲しいだけなのだ。ホントかよ。
「自分を追い込まなきゃ」
「もう十分追い込まれてるよ……このどうしようもない気持ちに」
「うるさいうるさい! 例えばこうするのよ。伊澤先輩と一緒にバスに乗り込むとか。そうしたらもう逃げ場はない
でしょ」
 確かに逃げ場はない。私も先輩も逃げられない。しかも、その時間帯ならまだ乗客も少ないから密室で二人き
りになる可能性もある。いや、運転手を含めると三人か。
「いや、運転手が……」
「運転手は関係ないから」
 どうやら議論は私が告白するという結論に落ち着きつつあるようだ。まあ、いつも大体そうなる。もっとも一度
も実行できたためしはないけれど。

「お、おはよーございます、伊澤先輩」
「あ、ユリちゃん。今日も早いね」
「エヘ……エヘヘ」
 今日の私は完全武装だ。スカートはいつもより若干短めに。勝負パンツは見せパンとしても機能するハイパー

53 :No.13 ストロベリー 4/5 ◇D8MoDpzBRE:08/03/16 19:13:55 ID:XP4qbfqC
ストロベリージャム2号(イチゴ柄)。女、高瀬ユリ、本日は色々な意味で玉砕覚悟です。ええ。
「あ、先輩! バスが来ましたよ」
「そうだね」
 いつものように市営バスがトロトロと近づいてくる。いくら私が念じたところで、彼らは法定速度を超えてやって
きたりはしない。公僕なのだ。こういう生殺しみたいなことをされると私のハートが先にへたってしまう。
 ようやくバスの入り口のドアが開いた。私は意を決して立ち上がり、先輩よりも早くバスの乗降口の階段に大
股に足をかけて乗り込んだ。まずは二階級特進だ、おめでとう!
 私は先輩がちょうどいいシートに腰掛けるのを待ってその辺をウロウロと立っていたのだけれど、車内はガラ
ガラなのに先輩はいつまで経っても座席に腰掛けようとはしなかった。陸上部のエースだけに、足腰の鍛錬のつ
もりなのだろうか。こういうストイックなところも大好きだ。病気かも知れない、お互いに。
「って言うか、何でユリちゃんがバスに乗ってるんだい」
「あれ、間違っちゃったみたい。エヘヘ」
 いきなり痛いところを突かれた。少し旗色が悪い。
「ところで先輩は、その、イチゴとバナナはどっちが好きですか?」
「え?」
 しまった。何を言っているんだ、私。焦るとろくなことを言わないようだから、少し黙っているべきなのかも知れ
ない。
「イチゴかな、どっちかと言うと」
 ここで私は顔をふさいだ。血液が顔に逆流して真っ赤になったのが分かったからだ。先輩にパンツを見られた
という思いは確定的となり(まあ、見せたのは私だけど)、そんなパンツまで見せ合った仲になったのだから嫁に
もらってもらわないと困る。そういえば、私はまだ先輩のパンツは見ていない。もう訳が分からない。
「その、先輩。今日は特別に言いたいことがあって、その、あのですね」
「ちょっと待って、ユリちゃん。落ち着いて」
 妙に先輩がソワソワし始めた。なにやら辺りをうかがうような素振りを見せたが、こんなガラガラの車内には私
たちとその他の背景(一人のおじいさんと運転手)しかいない。先輩がいくら挙動不審になっていたとしても、もう
ここは行くしかない。
「先輩、す、す、」
 とまあ、私が目一杯の勇気と愛の言葉を振り絞っているところに、バスの扉が開いた。
「高瀬さん」
「はい」

54 :No.13 ストロベリー 5/5 ◇D8MoDpzBRE:08/03/16 19:14:09 ID:XP4qbfqC
「はい」
 事態を飲み込むまでに、数秒を要した。
 どうやら、「高瀬さん」という呼びかけに対して返事をした人間が私以外にもう一人いて、バスの中には私と先輩
とお姉ちゃんとその他の背景が乗っているようだった。普段、先輩が私のことを「高瀬さん」とは呼ばないことを思
い出すのに、さらに数秒を要した。
「ユリ、なんでアンタがここにいるのよ」
「お、お姉ちゃんこそ」
「私は高校に行くのに必要だから」
 理路整然としていて、私に勝ち目はなかった。先輩とお姉ちゃんの仲については知る由もなかったが、この時
点で私は圧倒的な敗北感にさいなまれていた。私の知らないところで先輩とお姉ちゃんが知り合いだったと言う
こともショックだったし、そのお姉ちゃんが先輩の手を取って二人がけの座席に移動したところで、なんて言うか
死のうと思った。
 お姉ちゃんにしても先輩にしても、なんで私に黙っていたのだろう。人が悪い。悪すぎる。
 結局、私は次のバス停で降りた。泣きながら。イチゴのパンツも悔しくて泣いていたはずだ。
 この時、私は詩を書こうと思った。ブロークンハートが織りなす切ないポエムを。結局その気持ちはその場限
りのものだったようで、その日一日過ごして家に帰ってきた頃には全て綺麗さっぱり忘れていた。

「ただいま」
 と言って帰宅を果たした私を待っていたのは、姉からの謝罪の言葉だった。
「ごめんね、伊澤君とのこと言ってなくて。でも、アンタがそういう気持ちだったって知らなかったから」
「そういう気持ちって……私、まだ先輩には何も言ってない」
「そうね、ごめんね」
 私は、さっさと学校からの宿題をこなして、お風呂を手短に済ませて夕食を食べて、つまりやるべきことは全
部やってベッドに就いた。いつもと変わらない。そして目覚まし時計を、いつもより少し早くセットした。もうバス
停には通わない。先輩とさようならするわけじゃないけれど、でも忘れようと思う。
 そして少し早く起きた分、朝ご飯を作ろうと思う。今まで訳の分からない理由で早起きをする私に対して文句
一つ言わずに朝ご飯を作ってくれたお母さんのために。ブロークンハートでも、私の心はまだ壊れたわけじゃな
い。乙女にいじけている暇などないのだ。



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