42 :No.11 或る惑い 1/5 ◇Fns/Ve0CS2:08/03/16 19:08:03 ID:XP4qbfqC
言葉がまるで砂のように僕の上を流れていく。掬い上げようと掴もうとする。しかしスルスルと指の間から抜けていく。
セウシルは、反芻するように俯いている。微かに体が奮えている。
彼女は泣いているのかもしれない。その顔はどのように歪むのだろう。彼女を心配する真似をし、覗き込んで見た時、彼女はどのように応ずるのだろうか。
足元の雑誌が我々の動向を見守るように黙している。表紙の、鮮やかな赤と白のコントラストが妙に僕の薄明な心をぼやかす。
――ぼやかす ?一体何を考えているのだろうか。彼女に馳せる想いがまだ残っているのだろうか。
43 :No.11 或る惑い 2/5 ◇Fns/Ve0CS2:08/03/16 19:08:17 ID:XP4qbfqC
『それは思い上がりよ!』
数日前にセウシルに向けた"愛している"に対する彼女の返答だった。それが今更甦っている。
……渇いた反響、真新しい残り香
耳は音しか感じ取れないという。
しかし、それは嘘だ。なぜなら僕の耳は、内部に染み付く臭いを敏感に嗅ぎ取り、それが彼女のものであるということを僕に理解させた。
ぼやかすことはない。それはまるで、魔法のように……。
44 :No.11 或る惑い 3/5 ◇Fns/Ve0CS2:08/03/16 19:08:48 ID:XP4qbfqC
――もう終わりにしましょう
彼女の重厚な声が僕をまるで侮蔑するような衝撃を与えた。
彼女が垂れていた頭を上げた。僕は愕然とした。静寂が世界を支配する。
実に奇怪だ。もし僕が勇躍していたならば一体どうなっていただろうか。
45 :No.11 或る惑い 4/5 ◇Fns/Ve0CS2:08/03/16 19:09:47 ID:XP4qbfqC
『仮定の話は嫌いなのよ…私』
昔、レストランに食事に言った時、そう彼女は笑いながらワインを口に含んだ。僕はその時、「将来結婚したらどうする ?」という旨を、伝えたのだ。
彼女のその言葉を咀嚼し、僕はその後は憮然と黙ることに集中することになった。
その時に、酒の飲めない僕は、ミネラル・ウォータを注文していた。ウェイターが静かに僕のグラスに注いだ時ゆったりとそれは僕のグラスで踊った。透明な液体がゆれるたびに彼女の顔が屈折し表面に映える。
僕がミネラル・ウォータを口に含んだ時、彼女の瞳が無垢であることに気がついた。「やれやれ、何故そこまで純でいられるのだ」僕の呟きに彼女は頬を染めて喜んだ。
しかし今彼女が流す涙は、潤んだその瞳よりも、あのミネラル・ウォータよりも美しいのだ。僕はカラカラになった喉から絞り出すように言った。
「君は本当に奇麗になった」
46 :No.11 或る惑い 5/5 ◇Fns/Ve0CS2:08/03/16 19:10:18 ID:XP4qbfqC
僕は、もうなにもいうことは出来なかった。床下に眠るワインのことを思いだした。冷蔵庫に入っているコーラのことを思い出した。
僕は、彼女への想いはグラスにへばり付く水滴のようなのだとふと感じた。彼女はつまりグラスそのものだったのだ。
僕はその側面の水滴を舐めとるのに必死だったのだ。だから僕は彼女の涙が美しいと思ったのだと感じた。
今、僕は彼女にヒビを作った。紙を梳くような音色を鳴らして、少しずつ割れ始めたいたのだ。
――僕は眼を閉じる。瞼に揺れるひび割れたグラスから少しずつ少しずつ溢れ出すなにかを舐めとるように…僕は啜った。僕たちの関係はそこで終わったのだ。
僕はセウシルの瞳を見据えた。
僕は彼女の涙を飲んだような気持ちになった。――それはまるで魔法のように僕の喉の渇きを潤すのだった。