【 朱と緑と 】
◆Xenon/nazI




38 :No.10 朱と緑と 1/4 ◇Xenon/nazI:08/03/16 19:05:55 ID:XP4qbfqC
「ちょっと、あんたたち」
 騒々しい放課後の教室に、凛とした声が響く。
 声を発したのはこのクラスの委員長、木村伊織だった。
 ガムテープを丸めたボールと新聞紙を丸めたバットで室内野球をしていた男子児童たちは、うんざりとした顔
で野球を中断する。
「こっちは掃除してるんだから、散らかさないでよね」
 手に持ったほうきをビッ、と突き出して男子児童たちを睨む。
「掃除なんてしてもどうせまた汚れるんだから、だったら別にしなくってもいいじゃんかよ」
 ガムテープ製のボールをもてあそびながら伊織の前に立ちはだかったのは男子児童たちの中心的な存在である、
狩野明という男子児童だった。
「じゃああんたは、ご飯食べてもどうせまたお腹が空くんだから、別にご飯食べなくってもいいのよね? 今度
おばさんに会ったらそう言っておくから」
 明と伊織は家が近所で、幼稚園時代からの付き合い――いわゆる幼馴染というものである。
「は、ばっかっじゃねーの? ご飯食べなかったらお腹が空くじゃんか」
 この二人は事ある毎に対立し、このクラスの一種の名物のようになっていた。
 睨み合っている二人をよそに、男子児童たちはそれぞれ帰り支度を開始する。
「馬鹿はあんたでしょ、掃除しなかったら教室が汚れるじゃないの。大体、明は散らかしすぎだし壊しすぎなの。
こないだも窓ガラス割って先生に怒られてたでしょ」
「うっせーな、形あるものはいつか必ず壊れるんだよ!」
 投げやりな感じで言い放つ明の頭を、伊織はほうきで叩く。
「ってーな、何すんだよ!」
「今時三文小説でもそんな台詞見かけないわよ。もっとマシな台詞を考えなさい」
 俺たち先に帰るなー、と帰り支度を終えた他の男子児童たちは教室を出て行く。
 明はおう、また明日なーと答え、『マシな台詞』を真面目に考え始める。
「……よしわかった! 壊す事でしか手に入らないものもあるんだよ……これでどうだ!」
 しばらく考えた後自信満々に言い放つ明だったが、伊織の視線は冷たい。
「二点。あ、もちろん百点満点でね」
 他の女子児童が集めたゴミや埃をチリトリに集めながら、伊織は答えた。
「何でそんなに低いんだよ!」
 不満全開といった表情で明は抗議する。

39 :No.10 朱と緑と 2/4 ◇Xenon/nazI:08/03/16 19:06:11 ID:XP4qbfqC
「窓ガラスを割った明は何を手に入れたのかしら? 先生からのお説教くらいなものでしょ」
 伊織は答えながらチリトリのゴミをゴミ箱に捨てた。
 それが掃除終了の合図であり、伊織はほうきとチリトリを、他の児童も各々の掃除道具をロッカーにしまう。
「わかったら、もっと物を大事にしなさいよ」
 帰り支度を始めながら伊織がそう言うと、しかし明は悪びれた風もなくにやにやとしていた。
 そんな明の様子に、伊織の顔が曇る。
 何かおかしなものを見る時のような、不安と心配の混ざった表情だった。
「お前委員長なのに、何も知らねーんだな」
 そう言う明の表情は、再び自信満々といった感じである。
 今度はどう切り返せばいいのかわからず、というより明の言っている事の意味がわからずに伊織は首を傾げた。
「ちょっと付き合えよ、いいものやるから」



「ねぇ、どこに行くつもり?」
 帰り道、しかしいつもの通学路ではない道を歩きながら伊織は不安そうな声を漏らす。
 しかし明はそれには答えず、いいからついて来い、としか言わない。
 こうなった時の明には何を言っても聞かない事をわかっている伊織は、仕方なく明に続いて歩く。
 しばらく歩いて二人が辿り着いたのは、古ぼけた小屋だった。
 それは何かの店のようだったが、看板の塗装がはげていて何の店なのかは伊織にはわからなかった。
「よし、着いたぞ」
「着いたって……ここ、何のお店なの?」
 入り口はガラス張りの引き戸になっているが、店内は暗く、何を売っているのかは見る事が出来ない。
「入ればわかるって」
 そう言って、慣れた様子で明は引き戸を開ける。
 明はそう言ったものの、店内に入っても伊織はここが何の店なのか今一つわからなかった。
 気味の悪い蛙のおもちゃや、色とりどりのお菓子たち。
 駄菓子屋、という言葉は伊織の頭の中にはなかった。

40 :No.10 朱と緑と 3/4 ◇Xenon/nazI:08/03/16 19:06:27 ID:XP4qbfqC
 店の奥は少し高くなっており、畳が敷いてある。
 古ぼけたレジのようなものは置いてあるが、店員らしき人影は見当たらない。
「ねぇ、何だか不気味なんだけど……誰も居ないし」
 そう言った伊織の顔を、驚いた様子で明が見つめる。
「お前、駄菓子屋も知らないのかよ。それでも委員長か?」
 委員長である事と駄菓子屋を知らない事には当然何の因果関係もないのだが、自分が知らない事を明が知って
いたという事実が悔しくて伊織は何も答えなかった。
 まぁいいや、と言って明はガラス張りの冷蔵庫からラムネを取り出す。
「おばあちゃん、ラムネ一本もらってくね! 百円置いとくから!」
 明は大声で店の奥に向かってそう言って、ポケットから取り出した百円玉を畳の上に置いた。
「ほら、出るぞ」
 そう言って明は駄菓子屋を出る。
 伊織は困惑の表情を浮かべたまま、明に続く。
「……ねぇ、いいの?」
「いいんだよ、いつもの事だし」
 心配そうな伊織とは対照的に明は得意げに答えた。
 伊織が悔しかったのと同様に、明もまたちょっとした優越感に浸っていた。
 店の前にあるベンチの前で、慣れた手つきで明はラムネを開ける。
 プシュ、と小気味のいい音がして溢れてくるラムネを、こぼさないように明は飲み始める。
 伊織はベンチに座ると明を見上げ、明の言った『いいもの』とは何だったのかを考え始めた。
 今のところ、どちらかというと不安や悔しさといった『いいもの』とは対極にあるものしかもらっていない。
 それこそが『いいもの』だと言うのであれば大した皮肉屋であるが、明がそんな方面に頭が回る事はないのを
伊織は知っているのでそれはないとかぶりを振る。
 ふと気がつくと、沈み始めた太陽が二人を朱に染め上げるような時間になっていた。
「結局、いいものって何なの?」
 いくら考えても答えが見つからず、ついには諦めて伊織は問い掛けた。
 すると、ちょうどラムネを飲み終えた明の表情が笑顔になる。
「今やるよ」
 そう言って、明は手にしたラムネの空き瓶を振り上げた。
 伊織が静止する間もなく、明はそのままラムネの瓶を叩きつけた。

41 :No.10 朱と緑と 4/4 ◇Xenon/nazI:08/03/16 19:06:40 ID:XP4qbfqC
 ガラスの割れる甲高い音が、伊織の鼓膜を刺激する。
「ちょっと、何してるのよ!」
 伊織は思わず大声で怒鳴った。
 そんな伊織には構わず、明は割れた瓶の残骸の中から何かを拾い上げた。
 それをTシャツの裾で拭い、伊織に差し出す。
「ほら、やるよ」
 それは、緑色に透き通ったビー玉だった。
 夕日が反射して、きらりと光る。
「壊す事でしか手に入らないもの、あっただろ?」
 明は胸を張ってそう言った。
 その表情は自慢げで、とても晴れやかだった。
 しばらく驚いた表情だった伊織は、にっこりと笑ってそのビー玉を受け取る。
「八点ね。危ないから、ちゃんとこのガラス片付けなさいよね?」
「何だよそれ! 人がせっかく……」
 伊織は嬉しそうにビー玉を夕日にかざす。
「ビー玉がキレイだから、今回は十点満点にしといてあげる」
 明に聞こえるか聞こえないかの小さな声で、そう呟いて。
 完。



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