【 青い波と猛牛と 】
◆/sLDCv4rTY




33 :No.09 青い波と猛牛と 1/5 ◇/sLDCv4rTY:08/03/16 19:04:04 ID:XP4qbfqC
 あれは小五の塾の帰り、橋の下で壁あてをしてるときだったと思う。ぼくが、倉田くんと初めてあったのは。

 ぼくがマック鈴木を真似したフォームでボールをなげていると、自転車で知らない同年代らしき太った男の子が近くにきて、十秒ぐらいぼくがボールを投げるのじいっとみていた。
ぼく見られるのはいやだから帰ろうとしたら、そいつはりょうほうの眉をあげてなれなれしく「なあ野球やってんの? みたことないけど、どこのリトル?」と話しかけてきた。
ぼくはリトル、なんて入ってなかったから、入ってない、といった。そしたらそいつは「そうやろな、めちゃくちゃへたやしお前」と笑って「俺がおしえたるよ」と言った。
ぼくは「いらんよ」といった。どうせ受験勉強の息抜きていどのものだったから、別にうまくならなくてもよかったのだ。

「えー。そんじゃあキャッチボールしよう!」
そいつはそういうとランドセルのなかからグローブを取り出した。「あっちの空き地で壁当てやってたけど、そこ、家建つことになってな、んで、こっちにきたんやけど、な? やろう! キャッチボール!」
そういうと彼はボールを投げた。「おれ倉田。お前は?」
ぼくは、五分ぐらいやったらてきとうなことを言って逃げよう、と思った。
「ぼくは吉野、吉野景。ええと、そっちはどこ応援してんの? 球団な。ぼくは、オリックスやけど」
「おおマジ? パリーグ? おれは近鉄やけどさ、パリーグのファンっておれ、球場以外じゃはじめて会ったよ」
「うわほんと? 近鉄? ぼくも初めて会ったよ」ぼくは、それを聞いてちょっとうれしくなった。
「へへ。なあ、フジイしってる? 近鉄の、キャッチャーの」
「あーしってるしってる」
「あいつな、じつはなあ――」
さいしょは変な奴だとおもったけど、同じパリーグを応援していると知ると、クラスメイトに話しても分かってくれない選手の事を話せて、ぼくは倉田くんとすぐに仲よくなった。
 そのころのパリーグは今のような人気はなくて、例えばぼくらの住んでいる大阪では、巨人ファンと阪神ファンが半分ずつぐらいで、
パリーグのファンはまったくといっていいほどいなかった。
それだから話せることがうれしくて、ぼくらはいろんなことを話した。
けっきょくその日は家に帰るのがおそくなってしまって、父さんに怒られてしまった。
 ぼくが塾から帰る頃と、彼が放課後、校庭で遊ぶのを終えて帰る頃はほとんど同じで、そのあともなんども話したりした。
 彼は近くのリトルリーグのチームに入っていて、キャッチャーで四番を打っているらしかった。
それを聞いて、ちょっと太ってるからなあとぼくがわらうと、彼は、未来のドカベンにサインもらわんでいいんか、といってきて、ぼくらはわらった。

34 :No.09 青い波と猛牛と 2/5 ◇/sLDCv4rTY:08/03/16 19:04:28 ID:XP4qbfqC
 またぼくらは、近鉄とオリックスの応援歌を教えあったりした。
「リトルじゃローズの応援歌を呟いてから打席に入ってんだけどさ、呟いたらなんかめちゃくちゃ打てるきがすんだよ」と言って彼は
"今進め男タフィ この時にすべてかけて 豪快なアーチを 勝利を待つスタンドへ"
というローズの応援歌を特に何回も教えてくれた。
 そのころのローズは、ほんとうにすごかった。ボールを破壊するようなパワーで捉えて、バファローズを勝利に導く。
倉田くんはローズのサインボールを持っていて、ぼくはそれがうらやましくてうらやましくて、
父さんにぼくが当時好きだった谷選手のサインボールをねだったりした(もちろん、もらえるはずがなかったけど)。
ぼくはその当時、受験勉強ばっかりしていたからラジオしか聞けず、インターネットで応援歌を調べて覚えて、谷選手の応援歌を彼に教えた。
 2003年のシーズンが終わり、オリックスは最下位、近鉄は三位という結果に終わった。
ぼくらは、今年は行けなかったけれど来年は、一緒に球場に行こうと約束した。
ぼくらはあのころ、親友だったのかもしれない。

 季節はすぐに冬になった。
 ぼくとキャッチボールをしながら、倉田くんは怒りを口にしていた。
ローズが契約で揉めて、近鉄を出ていくことになったのだ。
「複数年契約ぐらいしてやれよアホが。どんだけローズのおかげで勝ったとおもってんねんってあのアホバカフロント」と近鉄のフロントを罵っていた。
 そのときはローズだけではなく、まさか球団自体がなくなるとは、ぼくらは思いもしなかった。

 機嫌のいいときをみはからって、ぼくは父に、球場に行ってもいい? と聞いてみた。
いままでぼくは球場に行ったことがなくて、きびしい父が許してくれるかが心配だったのだ。
父は、父さんと一緒にならいいぞ、と案外簡単にゆるしてしてくれた。
ぼくは、いつにしようかと迷ったけれど、九月にあるその年の最終戦にした。
それは、今シーズンで一旦、野球とは離れよう、と思っていたからだ。
初めて球場で野球をみて、それからは勉強に集中しよう、と思っていたからだ。
 六年生になって、ぼくが勉強の時間を増やしたせいであまり会えなくなったけれど、あいかわらずぼくは倉田くんといろんな話をした。

 そして六月頃、球界に重大な事件が起こった。今シーズン限りで「大阪近鉄バファローズ」が「オリックス・ブルーウェーブ」に吸収されて、一球団になると発表されたのだ。
 それから、立て続けにいろんなことが起こった。
一リーグ十球団制や選手会のストライキ、ライブドアのバファローズ買収騒動……。

35 :No.09 青い波と猛牛と 3/5 ◇/sLDCv4rTY:08/03/16 19:04:44 ID:XP4qbfqC
そのあいだ、ぼくのあたまには"ブルーウェーブが無くなってしまう"というようなことが駆け巡っていて、ちっとも勉強に集中できなかった。
集中できないままに月日はサラサラとながれて、結局、球団の合併と新球団の設立が決まってしまった。
 それは、選手が合併球団と新球団の二つの球団に分配される……つまり、近鉄バファローズだけでなく、オリックス・ブルーウェーブという球団も無くなるという決定だった。
そしてその合併球団は、オリックス・バファローズという名前になるらしかった。
ぼくは、馬鹿馬鹿しい、と思った。倉田くんも、あのアホどもらが、と怒っていた。
オリックスという名前は何の意味もないし、バファローズという名前も意味がない。
「オリックス・ブルーウェーブ」と「大阪近鉄バファローズ」じゃないといけなかった。
オリックス・バファローズという名前には、なんの意味もなかった。
 無くなることが決まり、みんなが混乱したままに試合は進んでいった。
 そして結局、オリックスは三年連続の最下位が決定し、近鉄も三位に決まり、両球団とも優勝することはできず、残りは消化試合のみになった。
だんだん、両球団の終わる時が近づいていく。ファンの声は虚しかった。
……。
 ついに迎えた最終戦、ぼくは父さんと倉田くんと三人で電車にのり、Yahoo!BBスタジアムに向かった。
電車の中でぼくらは、野球の話をしていた。
「ローズな、あれ、巨人で本塁打打王のタイトルを獲得したって聞いた? やっぱりローズはすごいよなあ」
倉田くんは、今でもローズを尊敬していた。
ぼくと倉田くんは入り口につづく長い列の手前で、また帰るとき会おうと言って、オリックスファンが応援するライト側とバファローズファンが応援するレフト側にそれぞれ別れた。
 球場は、異様な雰囲気に包まれていた。満員でこそ無かったが、スタジアムは熱気であふれていた。
 スターディングオーダーがゆっくりと発表されて、試合が始まった。
一回と二回の内はラジオを聴きながらの応援だったけれど、聴いているうちに、選手たちが泣いている事がわかってしまって、
ぼくは、かなしくなって、ラジオを切った。ぼくたちは、ただおおごえを出しつづけていた。

 試合は、近鉄が鷹野のソロホームランで先制したものの、オリックスも負けじと相川がツーランホームランを打って逆転した。
そのあともオリックスは、将来の中軸候補として期待されていた若手、竜太郎のスリーランホームランとかで得点をかさねていって、
ぼくは知らないおじさんとハイタッチしてよろこびあった。谷選手は足の怪我を押して代打で出たが、ゴロを打ってアウトになった。
最初はみんな、大きく騒ごうとしていた。最後の試合だから、大きく騒ごうとしていた。
けれど、八回頃になって、この球団がなくなってしまうとおもうと、みんなの歓声は悲鳴のようになっていった。みんな喉から大声を絞りだしていた。

36 :No.09 青い波と猛牛と 4/5 ◇/sLDCv4rTY:08/03/16 19:05:00 ID:XP4qbfqC
 そして7-2とブルーウェーブリードの九回、バファローズの最後の攻撃。先頭打者は代打の川口。
しかしオリックス守護神・山口の前に三振し、続く阿部も三振してツーアウト。
選手も、ファンも、その球場にいるだれもが、いつまでも続いてほしいと思っていた。
次は、ここ数試合好調だった星野おさむ。一球を見逃したあと、二球目を叩いたゴロはセカンドのグローブに収まり、ファーストに送られた。スリーアウト。
そうしてオリックス・ブルーウェーブが勝利がきまった。花火が上がって、試合終了を告げた。
おわってしまった。
 グラウンドに近鉄、オリックスの選手が集まってきた。そしてそれぞれの監督や選手会長を何度も何度も胴上げしていた。
優勝もしてないのに、嬉しいことがあったわけでもないのに、彼らは胴上げをしていた。
ぼくは初めてみる胴上げが、こんなかたちになるなんて、おもいもしなかった。
初めて球場でみる野球が、こんなにかなしいものになるなんて、おもいもしなかった。
"ブルーウェーブ""バファローズ"
球場には、ただ、悲しみと熱気だけがあふれていた。

 選手たちはファンをグラウンドの中に入れて、サインや握手をしていた。応援団はいつまでも応援しつづけている。
ぼくはサインをもらう気にはならなくて、応援団に混じって応援をつづけた。父さんは、念のために僕に携帯をもたせてどこかへいった。
応援は長く続いた。
 いつしか倉田くんが、グラウンドを通ってこちらにやってきた。彼の服と帽子は汗と涙で濡れていた。僕もびしょびしょにぬれていた。
倉田くんの少しあとに父さんも戻ってきて、ぼくに青いリストバンドを見せてきた。
そのリストバンドには谷選手のサインが書かれていて、それをぼくに渡すと父さんは、
ぼくと倉田くんの頭を帽子ごとくしゃくしゃと掻き回して、もう帰ろう、と言った。
ぼくはよろこびあったとなりのおじさんに別れのあいさつをした。
塩崎の応援歌を歌っていたおじさんは、ぱっとこちらを向き「よっしゃ、おじさんがキミの分まで応援しといたる。じゃあ、またな」と言うと前を向きなおして、
ふたたび塩崎の応援歌を歌いはじめた。
 最後にぼくはグラウンドを見た。選手たちがサインをしつづけているグラウンドは、緑いろの天然芝がきれいだった。

"さようなら"
 駅の近くの広場ではバファローズファンたちが集まって二次会をやっていて、歴代の選手たちの応援歌を叫んでいた。
もう無くなってしまう球団の応援歌を、全員が死に物狂いで叫んでいた。
そのときのラッパの音はどこか悲鳴に似ていた。

37 :No.09 青い波と猛牛と 5/5 ◇/sLDCv4rTY:08/03/16 19:05:16 ID:XP4qbfqC
 あの試合から三年がたった。あれから、倉田くんとはあまり会わなくなっていったが、以前会ったとき、彼は野球強豪校に推薦入学が決まったといっていた。
ローズみたいにバンバンホームランを打ってやるとつけくわえて、わらっていた。僕は結構、期待していたりする。
 僕は彼と、次のシーズンは案外、オリックスが優勝するんじゃないかとも話した。
僕らは結局、オリックスバファローズを応援している。
 あれから、野球界もいろんなことがあった。
オリックスバファローズは今年、合併後初の最下位に沈んでしまったし、谷選手は若手二人とトレードされて巨人に行った。
あのスリーランホームランを打った竜太郎は楽天に行き解雇された。
あの"フジイ"は楽天にいったがルーキーの嶋にポジションを奪われて、今は二番手キャッチャーに甘んじている。
そして、タフィ・ローズが再び日本球界に戻ってきて、オリックスバファローズに入団した。
ローズは先シーズン、パリーグの選手で二番目に多く本塁打を打ち、来期も四番として期待されている。
 そして僕はというと、私立の中高一貫校(国立には落ちたので)に入って、そこの野球部に入った(ほとんど同好会みたいな部だけれど)

 毎週土曜日、グラウンドの隅でやる紅白戦。僕は打席に入るまえに、いつも呟く。
"また進め男タフィ この時にすべて賭けて よみがえる感動 再びここまで飛ばせ"
ぼくはバッターボックスに入り、みんなには気持ち悪がられているへんなフォームでずっしり構える。
左腕には、青いリストバンド。

しばしの静寂のあと、前田君が振りかぶり、ボールが指をはなれる。

ボールがくる。

フルスイング!

ぼくは、絶対にわすれないだろう。かつて、ぼくらが愛した球団があったことを。
"オリックス・ブルーウェーブ""大阪近鉄バファローズ"
かつて、ぼくらが愛した球団が、あったことを。



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