【 七曲六助の異常な愛情etc 】
◆AyeEO8H47E




28 :No.08七曲六助の異常な愛情etc.(1/5) ◇AyeEO8H47E :08/03/16 07:14:14 ID:s+TJTZKM
 オーリューニーディーズラーブ、ファッファファラファー、オーリューニーディーズラーブ、イエー。 
 機嫌よく鼻歌を歌いながら、狭い路地を自転車で進む七曲六助(ななまがりろくすけ)。そう、彼は最高に機嫌がよかった。
なぜ機嫌がいいのかは、彼にしかわからない。それは雨が上がって空に虹がかかっていたせいかも知れないし、今朝の占いで、
彼の血液型(※O型)が一位だったせいかもしれないし、彼が大好きなナタリー・ポートマンが夢の中に現れたせいかもしれない。
もちろん、私にもわからないのだが、何となくそういった些細なことが原因であったような気がしてならない。彼は気まぐれな男だった。
 ラブイズオールユーニー!(ラブイズオールユーニー!)と一人二役で輪唱パートをこなし、脳内で盛大なファンファーレが鳴り響いて
いたとき、背後からやって来た黒塗りのボルボがクラクションをプッ、プーと二度、挑発的に鳴らしながら彼の脇を猛スピードで追い抜き、
その瞬間、タイヤが地面の水溜りをはねた為、大量の泥水が彼に降り注いだ。オーイエー。彼はそう呟くと自分の、若かりし頃の
アル・パチーノを彷彿させるような品のある顔に貼りついた濡れた髪の束を、ピアニストのように細く長い指でかきあげ、車の方を
見やった。運転席と助手席に中年の男の後頭部が一個ずつ。パンチパーマと、オールバック。こちらを振り返る素振りは全くない。
ボルボは、路地の先にある、広い道路と交わる交差点に差し掛かると、右折するために速度を落とした。
 ラーブ、ラーブ、ラーブ。一通り歌い終わった彼は、また同じ歌を最初から歌い始めた。彼のお気に入りの歌なのだ。歌いながら彼も
路地を抜け交差点に出ると、広い道に渡された横断歩道は渡らずに、そのまま車道を突っ切って、右折のタイミングを計って交差点の
ど真ん中に停車しているボルボの所まで、ゆらりゆらりと自転車をこいでいった。突然車道の真ん中に突っ込んできた自転車に対向車線の
車は慌てて急ブレーキを踏み、あわや彼を轢き殺すかというギリギリのところで所で、派手な音を立てて止まった。危ないじゃないか
コノヤロウ。窓から身を乗り出した運転手はもっともなことを言うが、しかしその声は彼の耳には届かない。対向車たちの罵声、野次、
クラクションその他一切を全く気にする様子もなく、彼は右折しようとしていたボルボの前に自転車を止めると、運転席側にまわり、
車内を覗き込み、夏のひまわりのような笑顔で窓ガラスをコッ、コン、と二回、叩いた。運転席にいたパンチパーマ。彼の名を鈴木宗一郎
(すずきそういちろう)と言う。鈴木は彼を見て少し驚いた様子を見せたが、それでもパワーウィンドウを下ろした。
「こんにちは」
 七曲六助はさわやかに切り出した。ずぶ濡れなのが残念だ。しかしパンチパーマは、一般人にはちょっと真似できないような恐ろしい
形相で彼を睨み付けている。その表情は確かにかなり恐ろしいのだが、どことなくカニに似ていた。
「実は、そこの路地で、あなた方の乗った車が水溜りの水をはねましてね。それが僕にたっぷりとかかっちゃったんですよ、ええ」
 泥水の雫が額から流れ、頬を伝い、顎先からポタリと落ちる。
「あ、いえいえ、いいんですよ、クリーニング代なんて受け取れません。こういうのって、ある程度はしょうがないことですし」
 七曲六助は慌ててそう付け足したが、もちろんパンチパーマは何も言っていない。
「ただ」
 ここでほんの少し、七曲六助はこの先を言っていいものかどうかためらう様な素振りをみせたが、意を決して言った。
「狭い路地では、スピードに気をつけたほうがいいですよ」
 ニッコリと彼は笑った。最初に言ったとおり、彼は最高に機嫌が良かったのだ。

29 :No.08七曲六助の異常な愛情etc.(2/5) ◇AyeEO8H47E:08/03/16 07:14:56 ID:s+TJTZKM
「てめえ、いかれてんのか」
 凄味を利かせてパンチパーマは言い、七曲六助の泥水に濡れた髪を引っつかむとボルボの窓のフレームに頭を叩き付けた。額から血が
噴き出し、彼のスラッと高い鼻や、少しこけた頬や薄く結ばれた唇を真っ赤に染めた。七曲六助は多少ふらつきを感じないでもなかったが、
それでもその水泳選手のように均整の取れた体を再び真っ直ぐに伸ばして、パンチパーマを見据えた。そして言った。
「あなたには少し、愛が足りないみたいだね」
 彼のあまりのタフさに言葉を失っているパンチパーマの両目を、七曲六助の右手の親指と中指が襲う。親指が右目に、中指が左目にそれ
ぞれめり込んだ。眼球が一瞬たわみ、そして弾ける感触。「ぎええええええええ」とパンチパーマが叫ぶと同時に、二人のやり取りを表情
一つ変えずに見ていた助手席のオールバックが、懐から拳銃を取り出し、七曲六助に銃口を向けた。それを見た七曲六助は瞬時に目に突っ
込んでいた右手を振りパンチパーマの頭をオールバックの銃にぶつけた。発射された銃弾はフロントガラスを貫き、歩道にいた憐れな通行
人に命中する。「ぐふっ」腹を押さえてその場にうずくまる通行人。足元に血の池が広がる。辺りは蜂の巣をつついたような騒ぎになり、
人々は我先にその場から逃げ出した。
 オールバックの名を、山崎次郎丸(やまざきじろうまる)と言う。山崎はパンチパーマの頭をぶつけられて拳銃を取り落とし、拳銃は
パンチパーマの足元に滑り落ちた。山崎はすかさず車外へ飛び出し、足首に付けていた予備の拳銃を取り出して、七曲六助に銃口を向ける。
しかし、その隙に七曲六助は眼窩に指を突っ込んだままの右手で強引にパンチパーマの体を窓からひっぱり出し、指を引き抜いて今度は右
腕でパンチパーマの首っ玉を抱え、さらに左手で山崎の落とした銃を拾って、パンチパーマを人質に取り、その背後に身を隠した。とんで
もない腕力と敏捷性である。二人はボルボのバンパーを挟んで対峙した。
「鈴木を放せ」
 山崎はとても落ち着いた声で言った。眼鏡の奥の鋭い眼光が七曲六助を捉える。銃口はいささかの震えもなく、ピタリと静止している。
「イヤだね」
 七曲六助は痛みでガクガク震えているパンチパーマの肩口から顔を覗かせて答える。パンチパーマのこめかみにグリグリと、銃口を押し
付ける。発砲したばかりの銃身はまだ熱く、こめかみの肉がジュゥ、と焼ける音がする。
「お前のような一般人が我々に手を出して、只で済むと思っているのか」
 山崎が言う。
「おまえらなあ」
 そう言って七曲六助は泥水と血にまみれた自分の服を眺めると、突然、ヒッ、ヒッ、グヒッとしゃっくりのような音を出したかと思うや、
次の瞬間大声で泣き出した。
「おっ、おかっ、おかあしゃんに買ってもらった服なのにぃ、ヒッ、グシッ、うええええええ」
 そんな彼の様子を見て、山崎は、ほんの少し眉をしかめたが、それでもやっぱり全く落ち着いて、銃口を一ミリも動かさず言った。
「鈴木を放すんだ」
「うるしゃい!ぶっ殺してやる!」

30 :No.08七曲六助の異常な愛情etc.(3/5) ◇AyeEO8H47E:08/03/16 07:15:30 ID:s+TJTZKM
 このままでは鈴木が死んでしまう、と山崎は考える。一か八か、パンチパーマの肩口から覗く七曲六助の顔面めがけて発砲するかどうか
で迷っているとき、ボルボのトランクからくぐもった声が聞こえてきた。
「……ぁ……ぅ……」
「すいませんボス、よく聞こえません」
 山崎が声を張り上げる。しかし、視線は七曲六助から全く外れない。この山崎次郎丸という男、生まれてこの方三十五年、一度も慌てた
ことがない。  
「……っ……ょ!」
 トランクの中の人物はどうやら怒っているらしい。
「もう少しそこで我慢していてください。今出ては危険です」
 山崎の忠告も虚しく、どういう仕組みなのかボルボのトランクは内側からガバリと開いた。果たして中から現れたのは美しい少女だった。
彼女がトランクから降り立つと、腰まである長い金髪が風になびき、七曲六助の所まで花のような良い香りが漂ってきた。ノースリーブの
ワンピースがとてもかわいらしい。彼女はスカートの裾をパタパタとはたくと、少女趣味に内装されたトランクの中から、白い日傘を取り
出して、バサリと開き、優雅に肩にかけた。中世の王女が絵画の中から抜け出してきたようだった。七曲六助は、泣きやんだ。
「ボス、危ないって言ったでしょう」
 山崎は少女に向かって言った。そう、彼女こそは鈴木と山崎が所属する八葉誠心会七代目会長、八葉・リュシエンヌ・ヘンリエッタ
(はちよう・りゅしえんぬ・へんりえった、ルーシーって呼んでね♪)である。
「山崎! こんな所でいつまでチンタラしてるのよ! 幹部会サボってイタリア行くためにわざわざせっまいトランクの中に隠れていたって
言うのに。これで組のヤツ等に追いつかれて旅行できなくなったりしたら、許さないわよっ!」
 山崎は七曲六助に注意を払いながらジリジリとトランク側へ回りこみ、八葉・リュシエンヌ・ヘンリエッタ、略してルーシーの前に回り
こんだ。しかし、七曲六助はもう山崎のことなど全く気にしていなかった。
「ボス、旅行は中止です。鈴木が人質に取られています。うかつに手は出せません。危険ですからトランクにお戻りください」
 山崎はルーシーに状況を簡潔に説明した。
「だからさぁ、そのボスってのやめなさいよね。お嬢様、とかもっと気の利いた言い方があるでしょ」
 そういいながら彼女は再びトランクの中に手を伸ばし、その細腕には似合わない口径の大きな銃を取り出して、おもむろにパンチパーマ
の眉間を撃ちぬいた。パンチパーマの頭はスイカのように砕け散った。もう彼をパンチパーマと呼ぶことはできない。
「ほら、これで人質はいなくなったわ」
 トランクに銃を放り込んで、ルーシーは無邪気な笑みを山崎に向けた。
 七曲六助は飛び散る脳漿を浴びながら、日傘を片手に銃をぶっ放すお姫様の姿に見とれていた。彼はこの瞬間、完全に恋に落ちた。
 男は誰でも理想の女性像というものを持っているものだが、時としてそれは現実の女性とはかけ離れた幻想である。そういう人間は現実
に直面した時、自分の理想を修正するなり現実に妥協して受け入れるなりしてうまくやって行くのだが、七曲六助は現実と幻想の折り合い

31 :No.08七曲六助の異常な愛情etc.(4/5) ◇AyeEO8H47E:08/03/16 07:16:04 ID:s+TJTZKM
をつけることができない人間だった。美男子である彼に二十年間彼女がいなかったのはそのためだ。彼は幻想の世界の住人だった。しかし
今、目の前に彼の一風変わった幻想を体現した女性が現れた。この瞬間、彼の幻想は現実となった。彼は銃を地面に捨てた。
「あの!」
 七曲六助が緊張を隠しきれない声で話しかける。山崎が引き金を引こうとするが、ルーシーは手を振ってそれを制止した。
「何かしら?」
 太陽の輝きのようにまぶしい笑顔でルーシーが答える。
「お名前は何と言いますかっ!?」
「八葉・リュシエンヌ・ヘンリエッタよ。ルーシーでいいわ。あなたは?」
 何て素敵な名前なんだ、本当にお姫様なのかも知れない、と七曲六助は思う。しかし、名前を聞かれて七曲六助は怯んでしまう。小学生
の頃、数人の友達に名前のことでからかわれて泣かされて以来(その友達は後で全員砂場に首まで埋めたが)、名前を名乗るのが何となく
恥ずかしくなってしまっていた。
「なっ……七曲、六助といいます」
「あら、変わったお名前なのね。でも素敵じゃない」
 ルーシーに名前を褒められて、七曲六助は有頂天になる。そして、勇気を振り絞る。
「その、る、ルーシーさん!」
 何かしら、という表情をするルーシー。
「……僕と、結婚してください!」
 彼は少し長く幻想の世界に住みすぎた。現実で踏まなければならない何段かのステップを踏み外した。
「イヤよ」
 当然といえば当然の彼女の返事。しかし七曲六助には彼女の返答が理解できない。なぜなら生まれてきてから一度も、女性に願い事を
断られたことがないからだ。
「どうして!?」
「だって、私まだ十五だもの」
 悪戯っぽくルーシーは笑う。「それに」といいながらまたトランクの中をまさぐる彼女。取り出したのは、サブマシンガンだった。
「私、暴力振るう男の人って、苦手なの」
 幾千もの弾丸が七曲六助の体に降り注ぐ。彼の常人離れした強靭な肉体も、さすがに弾丸には叶わない。腕に、脚に、体に、弾がめり込
むのを感じながら彼は思った。ああ、これだよ。この時を待っていたんだ。本当にルーシー、あなたは僕の理想通りの人だ。愛の告白をさ
れ相手にマシンガンを乱射する女なんて世界のどこを探しても他にいないよ。ああ、これが現実だなんて信じられない。それにしてもあの
トランクの中には一体どれだけの武器がしまってあるんだろう。ああ、本当に素敵だ――
 ここまで考えていたとき、弾丸の一発が彼の脳幹に命中し、七曲六助は絶命した。

32 :No.08七曲六助の異常な愛情etc.(5/5) ◇AyeEO8H47E:08/03/16 07:16:42 ID:s+TJTZKM
「とんだ変態ね、まったく」
 ルーシーは死体と化した七曲六助の、勃起した股間を脚で蹴った。
「ボス、お怪我はありませんか」
 と、尋ねる山崎の方を向いて、ルーシーはふくれっ面をしてみせる。
「だ、か、ら。ボスはやめてっていってるでしょう?お嬢様か、……何なら、ルーシーって呼び捨てにしてくれてもいいけど」
 なぜか赤面しているルーシーに対して、相変わらず落ち着き払って山崎次郎丸は問うた。
「なぜ、鈴木を撃ったんです?」   
 山崎の質問にルーシーはちょっと驚いた。自分の命令に逆らったことなどない男だったからだ。自分が黒と言えば、白いものでも
黒と言う男だったからだ。ルーシーの行動の是非を問うようなこの質問に、だから彼女は、少し驚いた。
「邪魔だったからよ。私の命が危なかったから、彼には死んでもらった。命に代えて私を守るのがあなたたち末端構成員の仕事でしょ?
当たり前のことじゃない。何、あのいやらしいスケベオヤジを殺したことがそんなに不満なの?」
 山崎は黙っていた。実際彼女の言うとおりだった。人質に取られてボスの身を危険にさらすなど、間抜けもいいところだ。消されても
仕方ない、山崎はそう思った。
「ねえねえ、そんなことより今からでも二人でイタリアに行かない? まだ警察も来ていないし、後始末は幹部たちに任せてさあ」
 そう顔を輝かせて擦り寄ってくるルーシーの胸に、先ほど使わずじまいだった予備の拳銃の銃口を当てると、山崎は引き金を引いた。
パーン、と乾いた音が響き渡る。弾丸が彼女の心臓を貫いて、白い日傘はハラリと地に落ちた。
「山崎、あなたは……」
 そう言って微かに笑うとルーシーは両腕で山崎の肩を掴み、ずるずると崩れ落ちていった。やがて、八葉・リュシエンヌ・ヘンリエッタ
は絶命した。
 山崎次郎丸は鈴木の、頭のない死体の側へ歩み寄ると、血の池の中に膝を付き、やがて警官隊や救急車が集まってくるまで、ずっとそう
していた。

  ◇

 山崎次郎丸は生まれてこの方、慌てたことがない。そしてこれから先もないだろう。しかし、彼がボルボの側で七曲六助の名を耳にした
時は、常に一分間に六十回を規則正しく叩くことで有名な彼の心拍が、毎分六十二回ほどまでに高まった。
「七曲家に手を出してしまったのなら、ウチもどの道、長くなかったな」
 刑務所の一室で、山崎次郎丸は呟く。
「特にあの母親。ありゃ端的に言って、ちょっと異常だね」



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