【 「え?」 】
◆e.eLe5cpyE




6 :No.02 「え?」 1/3 ◇e.eLe5cpyE:08/03/15 15:28:38 ID:xCgaxM4I
 日もとうに落ちて、あたりには静けさと、夜の帳が落ちはじめていた。
 暗さが刻々と増す部屋で、それにも気づかずカタカタとキーボードを打ち込む音だけが響く。
 小さなコタツのテーブルに座り、ノート型のパソコンに向かい一心不乱にキーを叩く男がいた。
 液晶のバックライトだけが煌々と輝き、男の顔を照らし出している。年のころは二十半ばを過ぎた
あたりではあったが、もう何日も剃られたことない顔には無精ひげが雑草のように生え、寝癖も直
されない髪ははね放題なうえ、油ぎって黒々とてかっている。頬はげっそりとこけおちていて、男は
老人のようにすら見えた。
 男は今で言うニート、引きこもりであった。もう一年以上も外にでたことさえないのである。
「できた……」
 男はキーボードを打つのをやめて、山盛りになった灰皿を弄り、吸えそうなしけもくをつまみ出した。
 親のすねをかじっていてはろくにタバコも買えないのである。
 しけもくに火をつけると胸いっぱいに吸いこむ。ニコチンが疲弊した脳に襲い掛かり、ふわふわとし
た安堵感に包まれる。
 男が作り上げたのは小説であった。
 唯一のとりえであった読書という趣味を生かして、小説家になれないだろうかと一念発起したのだ。
 そこで男はパソコンを使いサイトを検索し、さる投稿サイトにたどり着いた。
 才能を試してやるとばかりに何度か投稿をしてみることにしたが、感想らしきものといえば。
">>1を確認しろよ" "三点リーダつかえ" "台詞のあと一行あけるのってエロゲの影響か?" などなどと、
男が望む感想とは程遠いものだった。
 だが、男はめげなかった。小説を書いてみて初めて創造する楽しさ、書くことの快感を知ったのだ。
 これは俺の天職だと、男は自分を奮い立たせ書き続けた。俺には才能がある、こいつらをあっと言わ
せて見せてやると無我夢中になった。
 これほど男が物事に集中したことはなかったかもしれない。
 お題をもらっては短編を作り、投稿する。そんな日々が一ヶ月も続いた。
 ほとんどの作品はまともな感想もつくこもなかったが、時折ちゃんとした感想がつくようになり、男を
大いに励ましてくれた。
 少しづつだが進歩していると確信した男は、この投稿サイトのイベント「週末品評会」に参加してみ
ることにしたのだ。
 そしてついに品評会の御題が出される日がきて、男は自分の全身全霊をかけて小説を書き上げたので
あった。

7 :No.02 「え?」 2/3 ◇e.eLe5cpyE:08/03/15 15:29:15 ID:xCgaxM4I
 書き上げた作品を推敲しながら、いつしか男は自分の人生について思い返していた。
――今まで生きてきていいことなんて一つもなかった。親には迷惑ばかりかけて、自分は生きていてもしか
たない人間じゃないのかと涙した日もあった。このパソコンだってそうだ、親ががんばれと俺の将来のため
にと無理して買ってくれたものだったはずだ。それを俺は時間を潰すつまらない娯楽の為だけに使ってきた。
 男は感極まっていた。自然と涙がほほを伝い落ちる。
 しけもくを灰皿の隅に押し付けて消し、涙を指で拭い取ると、ノートパソコンのマウスを動かしながら、
カタカタとキーを数度打ち込んだ。男はついにできあがった作品を投稿したのだ。
「終わった……」
 男は真っ暗な部屋で一人つぶやいた。やり遂げたという達成感と、喪失感が同時に男を捕らえた。
それは不思議と居心地のいい感覚で、男にとってはじめての感覚であった。
 男はやっと部屋が真っ暗だと気づいたのか、立ち上がり部屋の蛍光灯をつけると、またノートパソコンに
向かった。
 ちゃんと投稿されていたかと心配になってきた男は、もう一度投稿サイトへアクセスしてみることにした。
問題なく男の作品は投稿されていた。ブラウザにうつる自分の小説をなんとなく読み返す。そうしてブラ
ウザをスクロールさせていると、男の投稿より下に新しいレスがあることがわかった。
 自分の作品に対して何かしら感想がついたのかと、期待しながらブラウザをスクロールさせレスを表示させた。
そこには、確かに男への感想がのっていた。
"フライングしすぎだろwww" "やべ新記録のフライングじゃねwwww" "フライングと聞いて飛んできました"
「え?」
 男の口から無意識に声がでた。何を言われているのかさえよく分からなかった。そのままさらに読み進むと。
"これさ、通常作品あつかい?" "通常作品に分類しときましょうかww" "投稿開始日は二日後だぞww" 
 そう、投稿開始日は二日後からだったのだ。
 何度も何度も読み返すうちに、体がわなわなと震えだしてくる。
 男は指先が真っ白になるほど硬く硬く握り締められた拳を、万歳をするように持ち上げると、一気にノートパ
ソコンへと振り下ろした。プラスティックが割れるような音とともに、ノートパソコンが跳ね上がる。それでも
男は両手拳を振り上げては振り下ろし続ける。キーボードの破片で手が切れ血がでようとも、男の拳は止まらな
かった。
 どれほどそうしていただろう、男はもうキーボードを叩くのをやめて、呆然と中空を見つめたまま座っていた。
 突然男は、思い立ったように立ち上がると部屋を出て行く。

8 :No.02 「え?」 3/3 ◇e.eLe5cpyE:08/03/15 15:29:39 ID:xCgaxM4I
 それから浴室にはいり、寒さの残る三月だというのに、冷水のシャワーを頭から浴びた。全身にこびりついた
垢を石鹸とタオルで洗い落とし、油ぎって汚れた髪をシャンプーで洗う。そして雑草のような無精ひげを残らず剃
刀でそり落とした。
 浴室から出ると、しっかりとタオルで水気をふき取り、目にかかるほど伸びた髪を乾かして、櫛を入れて整
える。
 男は部屋に戻ると、長いこと使っていない洋服棚を開けて、成人式の日に着たきりのスーツを取り出した。
 少し体重が増えたのか窮屈になっていたが、なんとかカッターシャツを着て、ネクタイを締める。
 家族がすごしているリビングにスーツ姿で下りていくと、さきほどの物音を聞いていたのか、それとも男の
姿に驚いたのか、口を半開きにした母親が男を出迎えた。
「母さん。今日から俺――ハローワークに行って仕事探すよ」
 男はそれだけいうと、玄関へと向かった。
 自然と男の顔にさわやかな笑顔が浮かぶ、男は思った。
――こんな晴れ晴れとした気分は久しぶりだ。思えば小説家になろうとか、そんな甘い夢ばかりみてた。俺は
きっとノートパソコンを殴りつけるという行為によって、俺自身を殴りつけてたんだ。そしてそんな俺を見事
粉砕したのだ。俺は変われる気がする、いや、きっともう俺は変わったんだ。
 下駄箱から一度しか履かれなかったピカピカの革靴を取り出して、靴紐を緩めていたとき、男の背後から、
母親が駆けつけてくる足音がした。
「良太……」
 男の背中に語りかける母親の声は嗚咽に震えていた。その声を聞いた男もまた目じりが熱くなる。
「母さん、俺がんばるよ……」
 と震える声で男は言った。
 母親が男の背中に向かってこう言った。
「しっかりしておくれよ、こんな時間にハローワークなんてやってないよ……」
「え?」
 時刻はすでに夜の十一時を過ぎようとしてた。



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