【 壁を壊す 】
◆nIaM5BwqQ6




2 :No.01 壁を壊す 1/4 ◇nIaM5BwqQ6:08/03/15 11:24:48 ID:xCgaxM4I
 機械人形の『you』は白い部屋で踊っていた。歯車を回し、関節を軋ませ、両腕を広げて優雅に、
白い部屋の中央で軽やかに踊っていた。
 『you』が両腕を広げると2mほどにもなるが、白い部屋はその4倍くらいの広さがある。それほどの
広さがあるのに、その部屋はまるで奥行きというものを感じることができない。窓もなく、ベッドも本棚も
テーブルもない。床と壁、壁と天上の境目を把握することが難しく、時折『you』は体を壁にぶつけることもあった。
 それにしても、この白い部屋はおかしなことばかりだ、と『you』は思っていた。酸素を必要としない『you』にとって、
窓がないことは問題ではないが、照明もないこの部屋は、一体どうやってこの白さを維持しているのだろうか。性能の
高い分析装置を持たない『you』には、この部屋の真実を解き明かすことは難しかった。
 『you』にできることは何もなかった。半永久駆動を持つ『you』に燃料の供給は意味はなく、もちろん経済活動などする
必要はない。思想を深めることもできるが、『you』に与えられた思考回路は唯物論や原子論を基本とした思考形態しか
与えられておらず、それであって、組み込まれている分析装置のレベルは低いのだから、ただこの部屋が異質である。
ただ、どう異質であるかを証明することはできない。そこで終わっている。
 だから、『you』は踊る。唯一組み込まれた最高の回路が踊ることであった。他にも自分にはできることがあるのかもしれないが、
『you』はまるで命じられたかのようにいつまでも踊り続けるのだ。
 何も無い真っ白の部屋で、『you』は華麗なステップを踏む。

3 :No.01 壁を壊す 2/4 ◇nIaM5BwqQ6:08/03/15 11:25:21 ID:xCgaxM4I

 ある日、『you』の腕が壁にぶつかった。時間という概念を与えられなかった『you』に、あるいは腕の変化を上手く把握することができなかったのかもしれない。
 『you』の腕は何千時間に一回のペースで壁にぶつかり、綻び老朽化し、そして今、一つの歯車がとれてしまった。
 『you』は音声認識をすることができたので、自分の駆動音以外の、歯車が落ちるという音を始めて認識し、奇妙に思った。床に落ちた歯車は、なんだか不吉
なものに思えて、おもわず踏みつけようと思ったが、『you』にはそれが意味のないことだと感じ、思いとどまり、拾おうとしたところ、歯車のとれた右腕が鈍い音を
立てて、動かなくなってしまった。
 そして、機能を停止させた右腕から、茶色をした液体が垂れてきて、床に染みをつくった。
 白い部屋の、最初の変化。それは『you』の最悪の変化と共に訪れた。
 広大と感じる白い部屋の中の一つの染み。自身の血とも言える物質。
 その染みをジッと見つめて、『you』はよりいっそう不吉なものが部屋に増えてしまった、と思った。

4 :No.01 壁を壊す 3/4 ◇nIaM5BwqQ6:08/03/15 11:25:54 ID:xCgaxM4I
 片腕を失いながらも、『you』は踊り続けた。勢い良くターンをすると、茶色の液体が壁に飛び、それが遠近感を出し、
徐々に部屋の輪郭がわかるようになった。 とはいえ、それは『you』が想像していたとおり、ただの真四角の、小さな
白い部屋であることには変わりない。
 壁にぶつかるようなこともなくなったが、それは遠近感がわかるようになったというよりは、動きが鈍きなって、あまり
 大きく動けなくなったことの方に理由があった。
 いつしか自分は機能を停止してしまう。いつしか部屋の隅に移動した小さな歯車のように、何も考えず、動かず、白い部屋で佇む。
 そうして、『you』は壊れ去るのだろう。
 ――初めて、『you』に恐怖が襲った。
 茶色の染みがいたるところについた白い部屋。動きの鈍きなった自分。隅におかれた歯車。
 ……なぜ、私を作った者は私に踊ることを教えたのだろう。そして、ならばなぜこの部屋に壁を作ったのだろう。なぜ私は歯車という
自分自身である部品の一部に他者というものを感じているのだろう。――そう、他者! そんなものはデータの一部でしかないはずなのだ。
 『you』は混乱した。機械人形であるはずの自分がなぜこんなにも苦しむのだろう。

5 :No.01 壁を壊す 4/4 ◇nIaM5BwqQ6:08/03/15 11:26:24 ID:xCgaxM4I
 『you』は部屋の中央で、踊りを止めて、掌にある元は自分自身である歯車を見つめていた。
 良く見ると歯車の一部は欠けていて、その残りはいまでも自分の体の中に残っているのだろう。無理やり右腕を動かそうとすると、その一部が他の部品に圧迫されていく感覚がわかる。
 ――しかし、まだ動かせる。
 もうすぐ自分は機能を停止するだろう。こうして踊りを止めているのも、自分の意思ではなく、半永久駆動が、あくまで半であることの証明となっているだけである気がしている。
内的要因には強いが、外的要因には弱かった。そして、それを修復する能力はなかった。
 『you』は踊りを止める。
 『you』はいま自分に何ができるかを考えた。欠けた歯車を見つめる。元は自分自身であり、いつしか恐れられ、忌避され、そして最後に…・・・愛着を持ってしまった存在。
 『you』は歯車を右手に掴むと、掌で強く握り締めた。体に残った歯車の一片が圧迫され、軋みをあげる。あと一度、動かせばそこから右腕全体に影響が出て、完全に瓦解するだろう。
 ――しかし、関係ないどない。
 『you』は残りの燃料を使い、立ち上がった。白い部屋も、いつしか『you』の茶色の液体で様変わりしていた。
 それは、まるで、自分を祝福してくれる絵画のようではないだろうか?
 その白い部屋の、より液体のついた壁の前に、『you』は立った。
 そっと、壁に触れてみる。壁は何も訴えてこない。しかし、我が血は何を物語ろうか?
 『you』は欠けた歯車を強く握り締めた。この外に何があるのか、あるいは何も無いのか、ただ欠けた歯車に思いを込めて、壁に向かって、右腕を振り上げた。



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