【 ファーストベイビー 】
◆KARRBU6hjo




70 :時間外1 ファーストベイビー 1/5 ◇KARRBU6hjo :08/03/10 00:21:42 ID:6Ck9b2Lv
「あのね、スガノさん。出来ちゃったみたいなの」
 部屋に入ってくるなり、テトラはそんな事をのたまった。
 頬に手を当て、彼女はにへらとだらしなく笑っている。おそらく語尾にはハートマークが付いているだろう。
 しかし私には意味が分からない。疑問から顔を上げ、彼女の顔を凝視する。
 何を勘違いしたのか彼女は「きゃー」などと声を上げ、手で顔を覆いながら頬を染めた。
「……何が出来た」
「んもう、分かってるくせにぃ」
 彼女は嫌らしい笑みを浮かべながらひらひらと手を振る。
 まぁ、確かに、その言葉が意味する事は今も昔も変わらないだろう。つまりは、そういう事である。
 だが、その、何と言うか。
 私には、身に覚えがなさ過ぎる。
「何故出来る」
 私が極めて真剣に問うと、彼女は頬を染めたまま目を泳がせてこう言った。
「寝てる間に犯らせてもらったから」
「よしテトラ、其処を動くな」
 取り合えず全力で張り倒した。

 するすると移動する直方体の整備機の脇を通り抜け、私は早足で研究室へと向かう。
 行き交う人々が私を見る目は様々だ。あからさまな嫌悪の視線もあれば、下卑た羨望の視線もある。どちらにしろ気分のいい物ではない。
 大きく数字が書かれた白い壁の前に立つ。ぢぢ、という音と共に個人情報が照合され、目の前の数字がスライドする。

「おめでとう。祝福するよ。君たちは我々の偉大なる第一歩だ」

 サカギはまるで待ち構えていたように両手を広げて、部屋に入ってきた私を出迎えた。
「彼女の検査をしたのはお前か」
「うん。実に有意義だった。今の時代、胎児なんてのは中々見れるもんじゃないからね」
「どうして私に教えなかった」
「君を驚かせたいからと彼女に言われてね。しかし、その分だと余程動揺しているみたいじゃないか。白衣が裏返しだ」

71 :時間外1 ファーストベイビー 2/5 ◇KARRBU6hjo:08/03/10 00:22:19 ID:6Ck9b2Lv
 私は慌てて服装を正す。今日に限っては、人々の視線には別の物も混じっていたらしい。
「君のそんな様子を見れただけでも役得だね。彼女の作戦に参加した甲斐があったというものだ」
 サカギはそう言ってにやにやと笑う。私は溜息を吐いて、改めて目の前の男に向き合った。
「それで、実際の所どうなんだ」
「うん。少し調べさせてもらったけど、間違いなく君の子供だよ。妊娠二ヶ月といった所だね」
 二ヶ月。少なくとも二ヶ月前には、彼女は眠っている私を襲っていたらしい。頭が痛くなった。
「どういう気分だい? 彼女との子供っていうのは」
「……正直、よく分からん」
 大体、私には行為をした記憶がない。それさえあれば覚悟の一つもするだろうが、今回は全て彼女の一存だ。
 それが突然子供が出来たと言われても、私としては困惑するしかない。
 そんな私の言葉を聞いた途端、サカギは膝を叩いてげらげらと笑い出だした。
 笑われる事は承知した上での発言だったが、こうも遠慮なく笑われると流石に腹が立つ。
「うん、まぁ、色々厄介だよねぇ。覚悟も何もあったものじゃない」
 多少落ち着いたのか、サカギは涙を拭きながら私に向き直る。
「しかし、本当に厄介な話だ。デリケートな部分なのに、まさかこういう形で来るとはねぇ」
 サカギの言い方には、何やら妙な含みがあった。
「何の話だ」
「分からないのかい? 君らしくもない。ああ、でも、当事者なら当然かもしれないね。というより、考える事を避けているのかな」
 彼は急に真剣な顔をして、近くの壁に寄りかかる。それは既に紛れもない学者の顔だった。
「君に二つ注意点がある。どちらも極めて重要な事だ。よく聞いて欲しい」

 我々人類が故郷の星を捨て、宇宙を放浪する旅に出てから既に久しい。
 この船の中でも既に何度か世代交代が行われ、最早我々の中にはかつて星の大地を踏みしめていた記憶のある者はいない。
 しかし、発達した科学技術は宇宙生活でのマイナス要因を全て取り払い、我々は何の不自由もなく箱舟の中で人生を謳歌していた。
 そうして暢気に宇宙の旅を満喫しているうちに、ごく最近になってようやく、生命活動に異常が発生している事に気が付いた。
 それは生物としての致命的な欠陥。X性染色体保持者の激減。
 つまり、女が産まれなくなったのだ。

72 :時間外1 ファーストベイビー 3/5 ◇KARRBU6hjo:08/03/10 00:22:54 ID:6Ck9b2Lv
 原因は不明。治療法も不明。
 ただ時が経つにつれて女の数は減少を続け、ついには冷凍睡眠をしているほんの僅かな人数を除き、完全に女はこの船から姿を消してしまった。
 先を考えず、そして非人道的な方法を取れば、まだ方法はあった。
 クローン精製はその最たる例だったが、長く続ければより深刻な遺伝子異常が発生するとの訴えから取り止められた。
 結局、問題が少しだけ先送りにされるだけで、我々には最初から打つ手は無かったのだ。
 船内は男だらけになり、もういっそ滅んでしまおうという捨て鉢な思想が蔓延し始めた。
 しかし。その消沈しきった宇宙船の中に、ややこしい問題を抱えた一つの有機物が飛来したのである。

 当初、ソレは何だかよく分からない、本当に何だか分からない、蠢く有機物の塊であった。
 船に外壁に張り付いていたのを回収された物体Xは、暇を持て余す船の住民たちを沸き立たせた。
 何せ人類初の宇宙生物との遭遇である。人々は一時的にも暗澹たる自分たちの未来を忘れ、未知の生命に熱狂した。
 ソレは、記録に残る全ての生命とも違った存在だった。分裂によって増殖し、そのどれもが全く違う遺伝情報を持つ。
 身体を構成する物質を自在に変化させ環境に適応し、状況によって必要な器官を作り上げる。
 さらには言語や文化の与え方により、高度な知能をも持ち合わせる事が判明したのである。
 ソレは全ての学者を魅了した。多くの学者たちがソレの研究に明け暮れ、ソレは期待に応え続けた。
 その頃になると、ソレは既に人類と多少の意思の疎通を取れる程に進化していた。
 そして、ある時。一人の学者が、ついにソレに現在の人類の状況を漏らしてしまったのだ。
 このままでは我々は遠からず滅亡する、と。
 ソレが一体どのように、その学者の言葉を理解したのかは分からない。
 だが、その一言は、我々人類の根幹を揺るがす大問題に発展してしまったのである。
 ソレが次に姿を変えたのは、既に姿を消して久しい、人類の雌個体そのものだったのだ。

 ここまで言えば、もう分かるだろう。
 彼女――テトラは、上から四番目に産まれた、最も人間に近い情報を持ったうちの一つであり。
 実験的にある一人の担当者との生活を許された、宇宙からの来訪者の一かけらだった。


73 :時間外1 ファーストベイビー 4/5 ◇KARRBU6hjo:08/03/10 00:23:25 ID:6Ck9b2Lv
 私は研究室を訪れた時以上の早足で、自室への道を急いでいた。
 そこには一人の少女が待っている。彼女の親は人とはとても似つかないが、今の私にとってはそんな事はあまり関係ない。
 半年にも及ぶ彼女との共同生活で、私の中で彼女は掛け替えのないものとなった。
 それで十分なはずだ。子供が出来たというのならば、私は笑って父親となってやればいい。
 寝ている私としていた事は不満だが、それももういい。許してやろう。だから。

 恐れていた事が、既に始まっていた。
 眼前に見える人だかり。目的地への通路をシャッターが遮っている。
 私は迂回して出来るだけ人がいない通路を探し出し、そこのシャッターの厚さを確認する。
 手元にあるのは、研究室に非常用に設置されていた最新のレーザー切断機だ。
 目をむく人々を無視し、私は素早くシャッターを切断する。中に飛び込むと、そこには大量の白い煙幕が燻っていた。

 突然現れた人間の女を目の前にして、学者たちは議論した。
 謎の有機物から変化したソレを、果たして人類という種に迎え入れてもいいものなのか。
 これを無視すれば、人類は遠くない未来に滅ぶ事は目に見えている。
 だが、それでも、得体の知れない存在で人類の血を汚す気か、という者も多くいたのである。
 結局、そのような否定的な意見を押し切って研究は開始されたのだが、勿論全ての人々を納得させた訳ではなかった。
 否定的な意見を持つ者たちの中でも特に過激な一派は、事ある毎に研究施設に襲撃をかけ始めたのである。
 そして、今回の我々の一件は、そんな彼らにとって、最も看過しがたい事の一つだったのだ。

 立ち上る煙の中を私は走る。発生した煙に反応して通路を遮断する防火システムを逆手に取った、彼らのいつものやり口だ。
「我々は誇りある人類の血統を守る者である!」
 一人の男がこちらに背を向けて叫んでいる。
 私は背を低くし、男に素早く駆け寄った。煙幕のお陰で、男は駆けて来る私には気が付いていない。
 レーザーを起動し、銃器を持っていたその右腕を切断する。腕を失くした男がそれに気が付いて何やら喚くが、私は捨て置いてそのまま走る。
 思った通りだ。彼らが警戒しているのは船の警備システムのみであり、一人の個人に襲われる事を想定していない。

74 :時間外1 ファーストベイビー 5/5 ◇KARRBU6hjo:08/03/10 00:24:02 ID:6Ck9b2Lv
 私は多くの棒立ちになっている過激派の男たちを無力化しながら、自室へと向かう。
 情報の速さだけは優秀なようだったが、格闘となると彼らは驚くほど弱かった。
 彼らには覚悟がない。銃で私を狙っても一度も引き金を引く者はいなかったし、私がレーザーを取り出すだけで逃げて行く者もいた。
「貴様は自分が何をやったか分かっているのか! 化け物相手に欲情しやがって!」
 私に向かって叫ぶ男の鳩尾に、思い切り爪先を叩き込む。全くの誤解だ。私は何もしていない。
 煙を大量に吸い込んだためか、走っている間にも頭がぐらぐらと安定しない。
『本当に、彼女が性行為によって子供を得たかどうかだよ』
 酸欠で意識が飛びそうになる。研究室でサカギから聞かされた内容がフラッシュバックした。
『だから、そのままの意味だってば。彼女たちの姿が幾ら人間に近いとはいえ、それはあくまでも近いだけだ。
 彼女たちそのものの生態は未だ謎だらけ。
 例えば彼女はオーラルセックスによって身篭る事が可能かもしれないし、或いは君の抜け毛で受精出来るかもしれない。
 そもそも短時間で自在に体組織を変化させる生命に既存の生物の常識を適用する方が間違っている。
 そういえば、僕たちは彼女に人間の詳細な性行為の仕方を教えたかな?』
「クソッたれ! 何だろうと知るものか!」
 そうだ。そんなものは知った事ではない。
 それが私の血を引いた子供なら、私は父親として、全力で彼女たちを守るだけだ。
 彼らは、私の自室の場所までは把握していなかったらしい。いくつもの扉が強引に破られていたが、私の部屋は無事のようだった。
「テトラ!」
 私は部屋に入るなり叫んだ。無事だ。部屋はまだ荒されておらず、ソファーの後ろには、隠れていたらしいテトラの頭が覗いていた。
「……スガノさん?」
 テトラがおずおずと立ち上がる。その手には、小さな布の包みがある。
「……え?」
「ほら、赤ちゃん」
 彼女はそう言って微笑むと、産まれたばかりの赤子を私に差し出した。

 終



BACK−愛の誕生◆GxqZhYcGx  |  INDEXへ  |  NEXT−ある青年の話◆c3VBi.yFnU