【 旅の女神 】
◆InwGZIAUcs




186 :No.35 旅の女神 (お題:旅) 1/4 ◇InwGZIAUcs:08/03/03 01:05:07 ID:gz2gM+N8
「旅の女神のご加護がありますように」
 街の門番が告げた、旅の安全を願う祈りに見送られ、その馬車は街を発った。
 天気も良く、朝露も乾く暖かな日差しはまるで彼らを祝福しているようだ。
 だがその願いも虚しく、馬車は突如の災難に襲われる。

「ゥオオオオオォォォォォォォォ!」
 獣の咆哮が響き渡る。薄暗い真昼の森街道に突如魔物が現れたのだ。
 大人五人分ほどの重量がありそうな魔物は、見境なく馬車へと向かい地面を蹴った。
 馬車から慌てて飛び出した御者に、乗り込んでいた旅行者達は散り散りに逃げようとするが、
その鋭く強靭そうな魔物の角からは到底逃げられそうにはない。
「早く逃げて!」
 悲痛な人々の叫び声を一喝したのは魔物を見据え立つ女の声だった。
 魔物と馬車の間に立ちはだかるにはひどく頼りない細い体をした女が発したものだと気づいたのは、
ほんの数人もいなかっただろう。
 次の瞬間、女の薄い青の長髪がふわっと持ち上がる。
「立ちはだかるイージスの盾よ」
 女の呟いた呪文は、その前方に大きな光の輪を紡ぎだした。
 それでも魔物はその光へと構わずに突進する。
 魔物が光の輪に衝突すると、その巨漢がぶつかると同時、雷が落ちたような轟音と光が辺りを強く照らした。
 五感を熾烈(しれつ)に刺激する光と音の中、女はもう一度呪文を呟いた。
「貫くグングニルの槍よ」
 魔物を捕らえていた光の輪は、光輝く槍へと姿を変えて魔物を貫く。今度こそ視界全てを埋め尽くす光。
 断末魔を上げる間もなく、魔物は光とともに消えていった。 
 

 馬車を修繕している間、つい先ほど圧倒的な魔力で魔物を撃退した彼女は、街道の脇の岩に座っていた。
 すると、黒い僧衣に身を包み一見して僧侶と分かる、中肉中背の若い男が彼女に話しかけた。
「隣……よろしいでしょうか?」
「どうぞ」

187 :No.35 旅の女神 (お題:旅) 2/4 ◇InwGZIAUcs:08/03/03 01:05:26 ID:gz2gM+N8
 女はニッコリと微笑み隣を譲る。
「失礼。えー、私はファウスと申します。重ねて失礼ですが、お名前をお聞きしても良いですか?」
「メリッサと申します」
「メリッサさんですか。とても高名な魔法使い様とお見受けしますが?」
「いえ、各地を転々と旅するただの魔法使いです。あなたは高名な僧侶様ですか?」
 悪戯っぽく笑いながらメリッサはファウスに尋ねた。
「いえいえ、私は僧侶と名乗るのもおこがましい破戒僧ですよ」
 その言葉と共に手におさめていた金色の逆十字をチラリと見せた。信仰するはずの神を裏切り、
教えに反した印である。
「……その、なぜ――」
 メリッサは言葉を詰まらせ、気まずそうに顔を歪めた。
 初対面の人に大分失礼な事を聞きそうになったと、彼女は自分を胸中で叱咤する。
「いえ、気にしないでください。それより、貴女はそれほどのお力をお持ちなのに、何故旅などされているのですか?」
「……えーと」
「あ、失礼。では、私からお話しましょうか……」
 気を使わせた事に慌てたメリッサを、ファウスは柔らかい笑みで遮った。
「私も以前は神を血眼で信じる子羊の一人でした。しかし、信仰の厚さなどものともせず、
私の住んでいた街は凶暴な魔物によって滅ぼされてしまいました。家族も、恋人も……血を吐くほど祈りを捧げても神はいない。
時は戻せない。そして私は神を憎むようになりました……」
 一息を置き、ファウスは「よくある話です」と、はにかんで言い締めました。
「そうでしたか……」
「ええ、真に信じるべきは目に見える存在だと理解したのです」
 辺りは相変わらず馬車を修繕する金属音と、小鳥の鳴き声、乗車客の世間話などが聞こえる。
 馬車がまた動きだすにはもう少し時間がかかるようだ。
「私は……旅が好きなんです。旅先での出会いが、別れが、そして再開が……すごく好きなんです」
「ははは、そうですか」
「もう旅が私の生活になってしまっていますよ」
「いやはや……こんな話をご存知ですか? 旅の始まり、必ず街では旅の女神のお祈りをする。その女神は実在した人物だ。
あなたのように旅好きで、旅先で人々を助け、人々の旅を守る女神のような旅人がいると噂され、
やがて最後には旅途中の事故で死んでしまった……旅の女神」

188 :No.35 旅の女神 (お題:旅) 3/4 ◇InwGZIAUcs:08/03/03 01:05:42 ID:gz2gM+N8
「本当に私みたいですね……私も事故には気をつけ――」
「貴女のことですよ?」
 メリッサの声は、声音が一段と低くなったファウスの冷淡な声に遮られた。
「え?」
 鋭い視線がメリッサを射抜く。
「今の貴女は人間ではない。世界各地人々の感謝するという気持ちと、生前強力過ぎた魔力が生み出した残留思念……いわば
幽霊のようなものです」
 スッとファウスは立ち上がり、メリッサの正面に回りこむ。
「何を言って――」
「貴女は今日のように旅人を助け、いつの間にか旅人に紛れ消えている……それだけの存在なのです」
 まるでその場だけ凍ったかのようにメリッサは感じていた。
「貴女は祝福された存在だ。生きている人間を助ける女神だ。だが、快く思わない人間もいるのですよ……」
 メリッサはファウスの言葉に縛られるようで身動きが取れなかった。
 いや、実際に動くことができなかった。
「無理ですよ? 私の言葉はそのまま呪詛となり、あなたを縛っています。本来祝福された存在であるあなたは通常の僧侶では
縛ることはできません。私のように闇に身を落としたものでないと……」
 彼の言うとおり、破戒僧が扱う魔法にメリッサは動きを封じられていた。
「傭兵団。貴女がやたらと旅者や馬車を助けたりするから、彼らの仕事はめっきり減ってしまったそうなのですよ?
そして私のような破戒僧に依頼が来るのです……女神を殺して欲しいと」
「あ……あ……」
 メリッサは理解する。
「私は……もう生きていない……?」
 メリッサは理解する。自分の存在はとても儚いものであると。
「やっと会えました。貴女を探す為に私の趣味も旅になってしまいそうでしたよ。さて、申し訳ありませんが、
死んだ貴女の自己満足のために、食い扶持を稼げない傭兵団の身にもなってあげて下さい……さようなら」
 ファウスとは丁寧にお辞儀をし、顔を落とす。
 逆十字から黒い光があふれ出る。メリッサを包み込もうとその光は見る見る彼女を包んでいく。
 その時、声を出すこともやっとの彼女から言葉が零れ落ちた。
「ごめんなさい……」
 黒い光に溶けていくメリッサに、ファウスは顔を上げ目を見張った。

189 :No.35 旅の女神 (お題:旅) 4/4 ◇InwGZIAUcs:08/03/03 01:05:57 ID:gz2gM+N8
「……憎まないのですか?」
「私はただ、笑顔を守れる力を持っていたから守っていただけ……それが嬉しくて。でも私の視界は狭かったんだよね?
だから……ごめんなさい」
 ファウスは歯痒さを抑えようと手に力を込める。
 憎まれながら消えられたほうがずっと気持ちは楽なのだ。
 世界を憂いながら消えていくメリッサに、ファウスの心中に小さな波紋が広がっていく。
「あなたも……自分を責めないで。私は本当は居ない存在だったのから……」
 ファウスがメリッサに言葉を返す前に、彼女は木漏れ日の指す太陽へと消えていった。
「……私は後悔など――」


 薄汚い酒場の一角。
「マジで仕事が増えやがったぜ! よ、この女神殺し! ほらよ、報酬だ」
 一人の傭兵がからかうようにファウスの肩を叩いた。
 金貨がパンパンに詰められた重い袋を受けとった彼は、「ああ、では」と一言呟き、踵を返した。
 さっさと立ち去ろうとする彼を傭兵が問いかける。
「魔物に襲われた恋人さんはそのお金で救えそうかい? 高名なお医者様を呼ぶんだろ?」
「今度こそ本当に神様に見放されたかもしれない……だから駄目かもしれないです。だから――」
 そこまで言って、彼は言葉を遮り力なく微笑んだ。
「へ? お前神様なんて前から――」
 ファウスは傭兵の一人が言い終える前に立ち去ろうとしたが、その傭兵に肩を掴まれる。
「待てよ! 次の仕事だ!」
「もう仕事はいりません。では」
「は? 仕事なしでお前これからどうするつもりだ? おい!」
 ファウスは答えず再び歩き出す。今度は止まらなかった。彼の手に常に握られていた逆十字はもう、無い。
「だから、もう一度私は――」


 とある森街道の途中。人が二人座るのに丁度よい岩の傍らに、金色の十字が添えられたお墓が、
旅行く人を見守るように佇んでいた。   



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