【 TOP OF THE WORLD 】
◆YaXMiQltls




170 :No.32 TOP OF THE WORLD(お題:卒業) 1/5 ◇YaXMiQltls:08/03/03 00:49:17 ID:gz2gM+N8
 壇上の桜は三月だというのに満開をとうにすぎ、卒業証書を受け取る生徒の傍らではらはらと花びらを
舞い散らせるのが卓也にはさっきからどこか滑稽に思え、こらえていた笑いが鼻から漏れた。どうして俺
はこんなくだらない催しに参加しているのだろう。ふと湧いた疑問は厳かな時間の中で次第に膨らんだが、
卓也には前生徒会長としての最後の仕事が残っていたことを思い出した。
「卒業生代表答辞、西村卓也」
 卓也には自らが発した「はい」という返事がむなしく感じられた。それは確かに儀礼の一部にすぎなか


ったが、「はい」という語句の持つ肯定的な力が卓也の許す以上に体育館内に響いたような気がしたのだ。
卒業生の通り道として設けられた座席中央の通路を歩きながら、卓也は当然のように不安や緊張をまった
く感じてはいなかった。「当然のように」というのがまた不思議で、そういえばさっきまで答辞のことなど
すっかり忘れていたのだった、と気づくと、ついに可笑しさは声となって外へと溢れた。
 しかし卓也の笑い声に気づいた参席者は居なかった。それは卓也の笑い声より一寸先にそれとは比べ物
にならないほどに大きな怒声が体育館に響いたからだった。重ねて体育館後方のドアがこれ以上ないほど
に威勢よく開けられ、怒声の主であるバットを振りかざしながら入ってきた男子生徒に驚いた参席者の、
悲鳴を含むざわめきが館内を包んだのだった。
 卓也の笑い声が大きくなったのは、後ろを振りかえるまでもなく乱入者が亮二だとわかったからだった。
そして騒がしい背後を一度も振りかえらぬまま、壇上へ続く階段を上った。
「上等じゃ、コラー!」
 ほとんど意味のない言葉をまき散らしながら、亮二は中央の通路を闊歩していった。何人かの生徒が指
笛や拍手で亮二を迎えたが、大方は呆気にとられているか、こそこそと周りと話を始めていた。男性教師
が何人か亮二に向かっていったが、亮二がバットを振り上げると彼らは距離をとり、生徒たちを乱入者か
ら離すことを優先し始めた。しかし亮二をなだめ生徒を避難させようとする彼らの声は空虚に響き、男が
亮二だと気づいた生徒たちが手拍子をつけながら亮二コールをし始めると、興奮は亮二の同級生だけでな
く彼を知らない下級生にまで伝染し、あっという間に大合唱が起こった。亮二を囲んでいた教師は熱狂し
た男子生徒たちに押さえ込まれ、亮二の壇上までの道を塞ぐものは何も無くなった。
 彼らの協力に大声で礼を述べたあとで、亮二が顔をあげた先の壇上には卓也が立っていた。亮二は一瞬
目を見開いたが、すぐに何を考えているのかわからないような落ちついた笑みを浮かべ、タイミングの偶
然を喜ぶと同時に呪うように短く口笛を吹いた。

 卒業式を明日に控え昼から体育館では在校生が準備に勤しんでいたが、彼らより幾分空に近い屋上の屋
上は、地上の喧騒とは無縁だった。ほんの十何メートルの距離がここを地上ではなく空の領域へと隔て、

171 :No.32 TOP OF THE WORLD(お題:卒業) 2/5 ◇YaXMiQltls:08/03/03 00:49:38 ID:gz2gM+N8
雲と同じような緩やかな時間の中に置いていた。だから卓也と亮二は空の中に寝ていたと言えるのかもし
れないかった。
「あったかくなってきたな」
「春だからな」
 卓也と亮二が示し合わせてここへやってきたのは三年間で初めてのことだった。そしてここへ来ること
自体がもうこれで最後になることを二人とも知っていた。
「つまんなかったな、三年間」
「そうだな」
 たまに交わされる言葉が続くことがないのは、しゃべることがなかったからだ。二人は同じクラスだっ
たが特別親しいわけでなかったので特に思い出話もなかった。ゆえに明日が今生の別れとなる可能性も大
きかったが、だからといってこれからも連絡を取り合おうとはどちらとも思ってはいなかったし、相手が
そう思っていないことも互いに理解していたので、社交辞令すら無意味だった。つまり彼らはこの場だけ
の関係だった。友人と呼ぶべきかはわからないが、彼らは同盟を結んでいた。
「なあ、明日さ、俺、卒業式乗り込もうと思うんだけど。バットかなんか持って」
「いいんじゃね?」
「卓也もやる?」
「やんねーよ。俺そんなキャラじゃないし、明日答辞読まなきゃいけないし。生徒会長さんだから」
「そういやそんなんやってたな、おまえ」
 天上の太陽は、二人が出会った日から何も変わっていなかった。二人の視界をすっと雀が横切った。そ
の雀は冬のあいだに仲間から聞いた海を見に行こうとして、春を待って今朝飛び立ったのだった。

 片岡亮二は入学当初から目立っていた。入学式の最中に一人席を立ちあくびをしながら体育館を後にし
たときから、彼は全生徒の注目を浴びることになった。加えて同じ中学から進学してきた者たちが広めた、
亮二の数々の破天荒な言動の噂が尾ひれをつけ、生徒たちから畏れられる存在になっていったのを、本人
は案外おもしろがっていたのだろうと、卓也はあとになって思った。
 入学して二月ほど立った頃、一学期の中間テストの結果が発表され、各々の氏名が順位とともに廊下に
張り出された。掲示板を一瞥すると、卓也は掲示板に群れる生徒たちから足早に離れた。行き先に屋上を
選んだのは、人がなるべくいないところへ行きたかったからだ。
 七月並みの気温だというその日、世界の頂点から下界を撃つ太陽を妨げるものは何もなかった。街が日
光に圧されて地面にめりこんでいた。卓也もまた例外でなく屋上の端の手すりにもたれたまま、背中に受

172 :No.32 TOP OF THE WORLD(お題:卒業) 3/5 ◇YaXMiQltls:08/03/03 00:50:02 ID:gz2gM+N8
ける太陽の熱さから逃れることができなかった。チャイムが鳴ると、屋上に数人居た生徒たちは皆教室へ
と戻っていったが、卓也が動けなかったのは彼が世界の一部と化していたからだった。結果的に卓也は入
学して初めて授業をサボることになった。
「なにやってんの?」
 不意に聞こえた声に卓也は振り向くが、屋上には誰も残っていなかった。
「こっちだよ、こっち!」
 声は校舎内へ下る階段の方から聞こえたが、やはり誰もいなかった。
「上!」
 見上げると、その階段のある建物部分の上に一人の男子生徒が立っていた。暑いのか制服を脱いで、上
半身はTシャツ一枚の体が風に揺れていた。
 開いたドアの取っ手に足をかけ、そのままドアの上に登り、壁の上に手をかけて上がる。男子生徒に言
われたままに卓也が建物を登ると、彼は卓也の顔を覗き込んだ。
「なんか見たことある気がする」
「……同じクラスなんだけど。西村卓也、って言っても覚えてないだろうけど」
「うん、初耳。俺は片岡亮二」
「知ってる」

 亮二は教室でほとんど誰とも喋っていなかった。教室に居てもまず寝ていたし、そもそもいないことも
多かった。亮二に関する噂も手伝って、亮二のそうした行動は周囲には俺に近づくなという意思表示だと
認識されていたし、そもそも亮二に自分から近づきたいと思う輩はそうはいなかった。たまに誰かが話し
かけても、「俺寝たいんだけど」とか「そういう気分じゃないんだよね」とか返事をすればいい方で、大抵
は話しかけられても無視していた。だから卓也には笑顔で人懐っこく話しかけてくる目の前の男が亮二だ
とはにわかには信じがたかった。
「俺、高いところ好きなんだよね。なんていうか、人がゴミのようだ、って感じ?」
 そう言いながら亮二が指を指した先は隣校舎で、どの窓にも同じような授業風景が映っていた。伸ばし
た手を傾け親指を立てると亮二は小さく「バンッ」と言い、口元にあてた指先に息を吹きかけた。卓也が
笑うと「笑うところか?」と即座に亮二が突っ込んだが、卓也は笑うのを止めなかった。
「ごめんごめん、なんか雰囲気違くて。片岡ってもっと無愛想でクールなやつだと思ってたから」
「ああ、あれはキャラ作ってるから」
「なんで?」予想外の亮二の返答に卓也は再び吹き出して聞き返した。

173 :No.32 TOP OF THE WORLD(お題:卒業) 4/5 ◇YaXMiQltls:08/03/03 00:50:16 ID:gz2gM+N8
「なんでって言われてもなー。あんまり関わりたくないんだよね、他のやつらとさ」
 亮二の目線は先ほどの隣校舎へと向けられていた。
「じゃあなんで俺に話しかけてきたの?」「それはなんか、……何君だっけ?」「西村」「じゃあ西村が、な
んつーか、こっち側のやつだって気がしたから」「こっち側?」「そう、こっち側。だから俺側っていうか、
言い換えれば仲間みたいな感じ?」「授業サボるやつ同盟みたいな感じか」「違うよ、そんなやついっぱい
いるじゃん、そうじゃなくて。さっき西村あそこでずっとぼーっとしてただろ、その背中の哀愁みたいな
ものを俺はビリビリと感じ取って、瞬時にこいつは仲間だって悟ったわけよ」「意味わかんねーよ」「え? 
めちゃめちゃ意味わかるじゃん」「いや、わかんねー」「えー。じゃあさ、なんでさっきあそこに居たの? 
俺ずっと見てたけど30分くらい微動だにしなかったじゃん」「それは……テストの結果を見てなんつーか」
「悪かったんだ?」「良かったんだよ、学年一位だった」「はあ?」「……」「ふーん。やっぱり仲間だよ」
「……頭いいやつ同盟?」「ちげーよ、俺授業聞いてなかったからテストほとんどわかんなかったし真面目
に受けたってたぶん平均行くか行かないかくらいだと思うし」「じゃあ何同盟?」「てか同盟ってなに?」
「いや仲間っていうからなんとなく」「うーんそうだなー……じゃあ屋上の屋上同盟で」「屋上の屋上って?」
「ここのこと」「答えになってねーし」「だいたいニュアンスとしては合ってると思うんだけどなあ」
 太陽はすでに傾いていた。窓際の席で授業を受けていた一人の女子生徒がノートに映る影が小さく動い
ているのに気づいてふと外を見たとき、影の正体である二人の少年が隣校舎の屋上ではしゃいでいたのだ
が、太陽のまぶしさのせいで彼らを見ることは出来なかった。彼女は手をあげて教師にカーテンを引くこ
との許可を得た。

「俺、けっこう卓也のこと好きだったよ」
 屋上の屋上で、亮二は言った。屋上の屋上同盟の会合は予定なしの不定期開催ながら、ほとんど丸三年
続いた。結局三年間一匹狼を続けた亮二と卓也とが教室で話すことはほとんどなかったので、偶然同じ時
間に二人が授業をサボったときに屋上で二人が居合わせればやっと開催の運びとなるうえ、そもそも授業
をサボることのない卓也がたまたまサボったときに亮二も偶然サボっているという確率自体が相当低いは
ずだが、二ヶ月に一度くらい二人は屋上ではち合わせた。それはいつもよく晴れた暖かい日の午後だった。
「亮二さー、おまえヤンキーなんだから、暴力事件起こして退学になるとかすれば面白かったのに」
「進学校のヤンキーなんてこんなもんなんだよ。卓也こそ頭いいんだから、うちの学校初の東大生とかな
ればおもしろかったのに」
「二流校の優等生なんてこんなもんなんだよ」
 それが普通なのだ。結局のところ彼らもまた同じなのだ。

174 :No.32 TOP OF THE WORLD(お題:卒業) 5/5 ◇YaXMiQltls:08/03/03 00:50:31 ID:gz2gM+N8
 頭上を流れていく雲は、一体どこへ行くのだろうか。丸い地球をこのまま流れ続けたらまたこの空に戻
ってくるのだろうか。亮二が問うと卓也が答えた。たぶんどこかで雨になって地上に落ちるんだろう。い
つかまた蒸発して空へ上って雲になるんだろう。だから結果的にどこへも行かないんだろう。
「つまんねーな」
「そんなもんだって」
 太陽はまぶしくそれなりに暖かかったが、冬の名残の中で校庭の桜はまだつぼみすらつけていなかった。
開花のころにはもう二人はこの学校にはいない。

 亮二は壇上へ上がると、講演用の机を挟んで卓也と向かい合った。亮二の真剣さに、卓也は笑いをこら
えられなかった。それを見て、亮二が屋上の屋上でしか見せたことのない笑みを浮かべた。
「壊しにきたよ」
「知ってる」
 同じクラスとはいえ生徒会長と問題児が親しそうに会話しているのを見て、生徒たちは、特に彼らと同
じクラスの生徒たちはは驚いていた。歓声が覚め、ふと壇下を見た卓也の目に映ったのは、一様にこちら
を見つめる二千の瞳だった。彼らは皆同じ服を着ていて卓也にはここからではまったく区別がつかなかっ
たが、卓也たちもまた壇下に下りれば彼らの一員となることは明白だった。
「君、そこを降りなさい!」
 一人の教師が壇上に上ってこようとするのに気づき卓也は我にかえった。
 突如、卓也は屋上の屋上同盟の意味を理解した。ああ、こういうことだったのか。それはあまりに稚拙
で馬鹿馬鹿しい理解の仕方であったが、卓也には今そうすべきだと思われた。卓也は机に手をつくと小さ
くジャンプして机上に登った。
「何してんだよ。逃げるぞ!」
 卓也の行動を見て亮二が起き上がろうとする卓也の手を取ったが、卓也はその手を逆に引っぱり返した。
「屋上の屋上同盟だろ?」
 卓也の目に迷いはなかった。バットを教師の方へ突き刺しながら睨み教師の動きを止めた亮二は、つか
まれた右手を引っぱり上げようとする卓也に委ね、二人は壇上の机の上に立った。それから向かい合って
大声で笑い合ったあと、互いの目が合うと真剣な面持ちを取り戻し、示し合わせたかのように下界の下界
へ向かい同時に大声で叫んだ。雄叫びとともに卓也が拳を掲げ亮二がバットを振り下ろした刹那、彼らは
確かに世界を制していた。



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