【 おそすぎた告白の行方は 】
◆D7Aqr.apsM




149 :No.28 おそすぎた告白の行方は (お題:告白) 1/5 ◇D7Aqr.apsM:08/03/02 23:55:06 ID:sDUpDDm2
 車のドアが開かれ、幼さの残る脚がきれいにそろえられて歩道へおりる。由佳里は残暑の空気を
ゆっくりと吸い込んだ。市街地を見下ろす丘。なだらかな坂道がパノラマのように広がっている。山手から
街に向けて吹き下ろす風が、白い夏生地のワンピースを揺らした。肩に届かないこげ茶の髪が、頬に
まとわりつく。由佳里はじっと道ばたに置かれた自動販売機を見つめた。
――きた。
 夏。真昼の日差しに目を伏せる。蝉の声、渡る風に揺れる草木の音に混じって、カラン、コロンという音が
聞こえてきた。何気ない風を装って、由佳里はその音の方を見やる。そこにいたのは、剣道着を着た人影だった。
白い生地に濃紺、六三四模様の刺し子が目に涼しい。年の頃は由佳里と同じだろう。長すぎも短すぎも
しない、品よく切りそろえられた髪。鹿のように大きく黒い瞳と日に焼けた肌。黒い袴の裾から、白木の下駄が
見え隠れする。
 気づかれないように、目をそらす。自動販売機のアクリルのパネルに写る姿を、商品を選ぶふりをしながら
由佳里はじっと見つめる。
――斉藤さん、こんにちわ。
 心の中でつぶやく。由佳里の内なる声に気づくはずもなく、その人は竹刀袋を背負いなおし、歩を進めた。
由佳里はその竹刀袋につけられた名札に、『斉藤 六年』と見事な筆文字で書かれているのをしっている。
 電子音が響く。がたん、と音がすると、アイスティーの缶が差し出された。
「由佳里様、そろそろ行かないとレッスンに間に合いません。発表会前ですから、遅れない方がよろしいかと」
 意外な程に冷えた缶をいつも通り受け取りながら、由佳里は車内に戻った。ひんやりとした空気。ドアが静かに
閉められる静かに走り始めた車はあっと言う間に由佳里の待ち人を追い越す。その姿が見えなくなると、由佳里は
鞄からレッスン用の譜面を取りだした。ピアノの教師は厳しい。軽く目を閉じ、見えない鍵盤の上に指を滑らせ始めた。

 由佳里が斉藤に気づいたのは、一ヶ月ほど前の事だった。
「番傘とはめずらしいですね」運転手のたわいもない一言。雨の中、剣道着に番傘をさした斉藤の姿があった。
自分の家に離れの茶室や蔵がある由佳里は、おそらく一般的な小学六年生よりも和風に近い暮らしをしていた。
和装の人に会う事も多い。しかし、番傘をさしたその姿は、まるで時代絵から若武者を抜き出したように凛として、
由佳里の目を奪った。
「きれいね」
 思わずつぶやいたのを思い出すと、いまでも首筋まで赤くなる。それ以来、この道を通る度に、由佳里は斉藤の
姿を探す。時に自動販売機で飲み物を買うふりをしながら、後ろ姿を見送る、という事を繰り返した。その短い時間は、
厳格にしばられた由佳里の暮らしの中で、数少ない楽しみの一つになっていた。

150 :No.28 おそすぎた告白の行方は (お題:告白) 2/5 ◇D7Aqr.apsM:08/03/02 23:55:24 ID:sDUpDDm2
 いつか、話をすることができたらなにを話そう。空を滑るように動き、見えない鍵盤を叩いていた指がとまる。
そんな事を考えながら、由佳里はベージュ色に染められた柔らかい革のシートに身を沈めた。 

 街の中心にある大きな公園。木々の梢を透かし日の光が降る小道を、由佳里は歩いていた。
剣道の市大会があるらしい、という事を知ったのは、一週間前。声をかけるどころか、応援する事だって
できないかもしれない。それでも由佳里は斉藤がどんな風に剣道をするのか、それを知りたいと思っていた。
「あー! もう! 斉藤先輩の試合、始まっちゃうぞ!」
 耳に飛び込んでくる名前に、由佳里は思わず振り返った。道の脇にある茂みががさがさと揺れ、その中から男の子が
飛び出してくる。後からもう一人、髪が茂みの枝に引っかかるのを気にしながら、女の子が出てきた。濃紺の剣道着。
袴の下から小さな運動靴が顔をのぞかせている。
「斉藤さん、ってもしかして刺し子の剣道着を着てる人?」
 突然かけられた声に、二人はきょとんとした表情で由佳里の顔を見上げた。
「そう。すっごく強いのよ?」
 女の子は自慢げに胸を張って応えた。男の子は会話を交わす二人にじりじりとしている。
「いそげよ。試合みれなくてもいいのかよ」
 言い放つと女の子の手を取り、走り始める。由佳里も小さなカップルの後を追った。

 体育館は、竹刀の打ち合わされる乾いた音と、気合いの声で満たされていた。見学席にあがると、先についていた
女の子が由佳里を手招きする。
「見学はここからなの。斉藤先輩は――あそこ。白!」
 少し離れた所にある試合場に、白いリボンを背中に垂らした姿があった。刺し子の剣道着。応援の声が絶えず
かけられていた会場が、いつしか、しんと静まり返る。
 一瞬の交錯。
 何かが爆発するような音が、体育館の空気を貫いた。思わず耳を覆ってしまった由佳里は、赤いリボンをつけた
剣士がうなだれるのを見て、斉藤の勝ちを知った。審判らしい人々が高々と白い旗を掲げる。
「……きれい」
 由佳里は胸の前で両手を握りしめ、目を見開いていた。
 試合場全体が吠えるような歓声に包まれる。中央に二人の剣士が向かい、礼をする。その後、試合場から退き、
面を外すと、手ぬぐいを頭に巻いた日に焼けた顔があらわれた。面を小脇にかかえ、高々と拳を突き出して
同じ道場の仲間の所へ帰っていく。 その中から、一人、少女が駆け出した。ポニーテールに結った黒く、長い髪。

151 :No.28 おそすぎた告白の行方は (お題:告白) 3/5 ◇D7Aqr.apsM:08/03/02 23:55:46 ID:sDUpDDm2
白い上下の剣道着は、まるで時代劇に出てくる、少しおてんばなお姫様のようだった。斉藤とその少女が言葉を交わす。
 そして、剣士は少女と抱き合った。まるで、恋人同士のように。

 胸の前で握りしめていた手の甲に、ぽたり、と滴が散る。
「あれっ?」 
 由佳里は小さく声を上げていた。由佳里は試合場に背を向け、廊下へ小走りに出ていく。試合場とは違い、ひんやりとした
空気が身体を包む。
 涙にゆがむ景色を振り払うように、強く目をこする。泣くつもりはなかった。泣く理由すらよくわからなかった。それでも
あふれてくる涙を抑えることができない。今朝はあんなにいろいろなものでいっぱいだった心が、空っぽになってしまったような、
大切な何かをなくしてしまったような感覚が、由佳里の体の中で渦巻いていた。
――だめ。
 廊下にトイレのマークを見つけ、駆け込んだ。淡いピンクの空間。一番奥の個室に入り、鍵をかける。扉を背によりかかると、
試合場の喧噪は遠くなっていた。小さな鞄からハンカチを取りだし、両手に強く握り込む。その中に顔をおしつけ、涙を封じ
込めるかのように由佳里は泣いた。
 ふられたわけじゃない。告白どころか、知り合ってもいない。
 けれど。
 自分が胸の中に持っていた気持ちは――たぶん好意だったであろうものは、口に出す機会さえ奪われてしまった。
 その気持ちのやり場のなさに、儚さに、由佳里は涙を流していた。
 顔を仰向かせる。素っ気ないオフホワイトの天井。外へ出なくてよかった、と由佳里は思った。泣きながら明るい青空を
見上げるなんて辛すぎる――。
 入り口の扉が開けられる音がした。悪いことをしている訳ではない。しかし、小さな嗚咽を隠すように、由佳里は何度か
水を流した。かすかに消毒薬の匂いがする空気をゆっくりと吸い込み、吐き出す。そうしていても、涙はぽろぽろとこぼれ、
夏向けの生地で仕立てられたワンピースに染みをつくっていった。扉の外で手洗い用の水が流される音。
「大丈夫ですか?」
 由佳里が背を預けている扉が小さくノックされる。
「大丈夫、です。すみません」
 ひときわ強く、ハンカチで目を押さえる。もう一度水を流し、その音に紛れ込ませるようにゆっくりと大きく息を吸った。鍵を
スライドさせ、扉を開く。握りしめていたハンカチをもう一度畳み直すふりをしながら、個室から出た。
「よかった。――お節介だったかな」
 扉の外にいた人は、水に濡らしたタオルを片手に、剣道着をはだけさせて汗を拭っていた。六三四模様の青が、

152 :No.28 おそすぎた告白の行方は (お題:告白) 4/5 ◇D7Aqr.apsM:08/03/02 23:56:09 ID:sDUpDDm2
鮮やかすぎるほどに由佳里の目を射抜く。
 は、とも、ふ、とも言えない声が口から漏れた。身体から力が抜けていく。
「大丈夫? 医務室にいく?」
 完全に膝が床につく前に、由佳里は身体を支えられていた。目の前にはだけた剣道着。試合の余韻からか、汗を
拭われた肌はほんのり桜色に染まっている。
「志織! 試合終わったんだからブラつけなさいよね! あたしは姉として恥ずかしい――あれ? どうしたの?」
 扉を開けてポニーテールの少女が入ってくる。白い剣道着。さっき試合場で斉藤と抱き合っていた少女だった。
「な、何でもありません。大丈夫です」 
 あわてて立ち上がる。きょとんとした様子で由佳里を見つめる二人に、向き直った。
「あの、私、丘の道でよくすれ違うんですけど、――覚えてないですか?」
 少し考えて、斉藤はああ、と頷いた。
「自動販売機でよくジュースを買ってる?」
 由佳里はこくり、と頷いた。
「久遠由佳里です。と――友達になってください」
 由佳里はハンカチを握りしめていた手を斉藤へ向かって差し出した。
 日に焼けた、意外なほどほっそりとした手がしっかりと握り返す。
  
* * * * * * * * * * * * *

 期末試験の最終日。電車の中は、結露した窓から差し込む午後の光で薄ぼんやりと明るい。平日の昼下がり。
田舎のローカル線には、ほとんど人が乗っていない。長い焦げ茶の髪に光が戯れ、いっそうその色を明るく見せる。
 由佳里はボックスシートに座り、窓の外を眺めていた。所々雪が残る景色も、もうすぐ見納めになるだろう。電車が減速
し、停車駅のホームへ滑り込んでいく。ドアが開くと濃紺の制服を着た、由佳里とは別の高校の学生達が乗り込んできた。
「有紀ちゃん、志織。こっち」
 乗り込んできた友人に小さく手を振る。学校指定のコートをきちんと着込み、竹刀袋を肩から下げた志織と、完全に校則
違反のダウンジャケットを前を開けて着た有紀が腰を下ろす。電車はまたコトコトと小さく揺れながら加速をはじめた。
「ねえねえ、由佳里の初恋っていつ? どんなだった?」
「由佳里、なんとかいってやってくれ。この馬鹿、試験が終わってからこっち、この話題ばかりだ」
「だって、志織に聞いたらさ。『ない』とかって。愛想ないんだもの。――ね、由佳里は?」
 由佳里は友人達の様子を見て、思わず吹き出してしまった。

153 :No.28 おそすぎた告白の行方は (お題:告白) 5/5 ◇D7Aqr.apsM:08/03/02 23:56:30 ID:sDUpDDm2
「どうして突然、初恋の話なの?」
「なんかね、雑誌にあったのよ『初恋がその後の恋愛観に大きな影響を与えてる』って。で、気になったからさ」
 由佳里は少し小首を傾げて思い出すふりをしながら、前に座る志織を見た。志織はほとほとうんざりした様子で
窓の外を見つめている。涼やかなまなざしは、あのころと変わっていない。あのとき由佳里がしていた勘違いは、志織に
明かされないままになっている。
 出会いの後、久遠由佳里と斉藤志織は何度か手紙や電話のやりとりをつづけていた。中学で偶然、同じクラス
になり、有紀と出会う。その後三人は連れだって歩くようになり、そして同じ高校に進学した。剣道部の志織。
図書委員の由佳里。そしてどこにも属さず、遊び人然としている有紀。違いすぎる三人は、それぞれが思い思いに
好きなことをしながらも、強くつながっている友人同士だった。そしてそのつながりは、高校の半ばで由佳里が別の高校へ
転校した現在も続いている。

 ふと、由佳里はかすかに夏の空気の匂いをかいだ気がした。
――たぶん、そう。
 無くしてしまったと思っていた本が、ひょっこりと姿を現した時のように。由佳里はあの日の気持ちを思い出していた。
行き場を失っていた気持ちは、時に丸く削られて、もう十分に思い出になっている。それでも。
「ねえ、志織?」
 ん? と何気なくこちらを向く志織の手を握りしめ、胸の前に引き寄せた。
「な、なに?」
「好きよ」
 ずる、と志織が椅子から落ちそうになる。ちょっと、と慌てて座り直し、距離をとろうとする志織に由佳里は詰め寄った。
半ば跪くようにして、おとぎ話の中で、王子が姫にプロポーズをするかのように、志織の顔を見上げる。
「好き。本当に。大好き。ラブレターを書くとしたら、便せんなんかじゃおさまらなくて、ノートに何冊にもなって、多分小説
みたいになるわ。いつまでも書き終えられないかもしれないから、もしかしたら渡すことはできないかもしれないけれど、
でもきっと最後はハッピーエンドにするから。必ず、そうするから。だから――」
 志織は迫られるまま、由佳里の瞳から目をそらすことが出来ずにいた。
「あー。由佳里嬢? ……ちょっと落ち着いて。ね?」
 有紀がやんわりと割ってはいる。中空を見つめたまま動けずにいる志織の手を放し、由佳里は席に座り直した。 
「……そんなわけだから、まだ初恋の結果はわからないの」
――どんな風に話そうかしら。
 由佳里はどこから話したものか、と考えながら、にっこりと笑った。



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