【 癪だから取り替えてみた 】
◆bsoaZfzTPo




144 :No.27 癪だから取り替えてみた (お題:卒業) 1/4 ◇bsoaZfzTPo:08/03/02 23:51:04 ID:sDUpDDm2
 放課後の教室でひとり、私は頭を抱えていた。
 自慢じゃないが、私は優等生だ。十八年生きてきて、居残りで机に向かうというのは初めての
経験だった。
 もちろん、補修や追試ではない。当然、未提出課題の作成でもない。今回の場合、半端に優
等生などやっていたことが逆に仇になったのだ。
 机の上に置かれた二枚の作文用紙は一枚目だけ埋まっていて、残り一枚はまるまる白紙だ。
 作文用紙に並んだ文字は、普段と比べると三割増しで綺麗だ。後で清書すると分かってはい
たが、つい気が張ってしまったのだった。一行目には、その中でも特にきっちりとした字で二文
字書かれている。
 答辞、である。
 こんなものは元生徒会長がやるものだとばかり思っていた。しかし、私にこの大役を依頼した
担任の葉山先生は、手の空いてる奴がやるもんだと言って、肩を揺らして笑った。
 卒業式まであと数週間、センター試験が終わったと言っても、多くの生徒はまだ気を抜くわけ
には行かない時期だ。推薦で合格が決まっている人間にやらせるというのは、確かに至極まっ
とうな判断だと思う。推薦を取れる生徒は、生活態度もそれなり以上に真面目だろうから、そう
そうはずれもないだろう。
 上原、頼む。そう言って葉山先生に頭を下げられてしまっては、断ることなどできなかった。
 しかし今は引き受けたことを後悔しはじめている。白羽の矢を私に立てたのは完全に人選ミス
だとしか思えなくなっていた。
 葉山先生が「詳細については任せるが」と前置きして渡してきたプリントには、答辞にいれなけ
ればならない項目が書かれていた。送辞への礼、保護者や教師への言葉、在校生への激励、
なんていう定番のものばかりだったが、その定番の中にひとつ、ジョーカーが混じっていた。
 学校行事の思い出、というのがそれだ。
 私は弓道部に所属している。一応、それなりに上手かった。結果は残せなかったが、全国大
会にも駒を進めたし、国体の選手にも選ばれた。
 問題は、そういった大会の開催時期が、体育大会や文化祭といった大きな学校行事と丸かぶ
りしていたことだ。応援合戦の練習は出れず、文化祭の準備は手伝えず、その間何をしていた
かと言えば、顧問の指導を受けながらひたすら弓を引いていた。
          

145 :No.27 癪だから取り替えてみた (お題:卒業) 2/4 ◇bsoaZfzTPo:08/03/02 23:51:24 ID:sDUpDDm2
 おかげで行事の当日もいまいち乗り切れず、印象深い思い出にはなっていない。それに、ほ
とんど当日しか顔を出さなかった私が「楽しかった文化祭」などと言っても、同じクラスの人間か
らすると腹立たしいものにしかならないだろう。
 一、二年生のころは普通に参加していたが、クラスごとに並んだ三年生をずらりと並べて、一
年二組が作ったお化け屋敷の話をするというのもおかしな話だ。
 そういうわけで、私は完全に行き詰っていた。
 推薦入試で書いた小論文なんかの方が、よほど悩まずに書けていたのではないだろうか。

 もう一度はじめから読み直せば、勢いで何か言葉が出てくるかもしれないと、作文用紙に視線
を戻したが、ずいぶん文字が読みにくくなっている。延々と悩んでいるうちに、すっかり日が傾い
てしまったようだった。
 電気をつけようと立ち上がったところで、教室の戸が音を立てて開いた。
「調子はどうだ?」
 戸を閉めるついでに教室の電気をつけたのは、葉山先生だった。
 電気をつけるという目的を失って、私は再び椅子に腰を下ろした。
「はい、ちょっと今行き詰ってます」
 正直に言うと、葉山先生の片眉が少し上がった。
「国語は得意だったろう。見せてみろ」
 葉山先生の教え方が上手いからだと、うっかり言いそうになったが、寸前でこらえた。本人相
手に言ってもお世辞にしか聞こえない。
 作文用紙一枚。四百文字足らずをざっと読みきって、葉山先生はふーん、と小さくうなった。
「上手く書けていると思うが……。ということは、続きが思いつかないのか?」
 私はうなずいた。
「さまざまな行事でたくさんの思い出を作りました。特に思い出に残っているのは」
 最後に書いた行を葉山先生が読み上げた。私は体育大会とも、文化祭とも続けることが出来
ず、ずっと悩んでいたのだ。
 少し考えるようにしていた葉山先生が、顔をゆがめた。
「上原。もしかしてお前、学校嫌いだったのか」
「え?」

146 :No.27 癪だから取り替えてみた (お題:卒業) 3/4 ◇bsoaZfzTPo:08/03/02 23:51:40 ID:sDUpDDm2
 思わず聞き返してしまった。けれど、そう思われても仕方ない。
 こんなところで行き詰っては、学校に思い出などない、と言っているのと同じようなものだ。
「ち、違います。友達もいましたし、部活は楽しかったです。授業だって、好きな科目はいくつも
ありました」
 たとえば、国語とか。
 ただ、三年生の学校行事にはほとんど参加していないのだと説明した。
 すると葉山はひとつうなずいて言った。
「だったら、無理に学校行事の思い出を書く必要ないぞ」
「え、でも」
 目が作文用紙の横に行く。そこには、確認用に置いておいた、例のプリントがある。葉山先生
の視線も同じく移動して、プリントを見つけたようだった。
「ああ、それか。単に教頭の趣味なだけだよ。原稿のチェックするのは俺だから、気にしなくて良
い」
 葉山先生は気楽そうに笑った。私はてっきり、葉山先生が作ったのだと思っていた。
「最初に、詳細は任せるって言ったろう。上原がこの学校を出て行くにあたって、残していきたい
ことを、言っておきたいことを書けば良いんだ。陰険な葉山がだいっ嫌いでした、なんて書かれ
てたらさすがに困るけどな」
 葉山先生は、肩を揺らして笑った。気の利いたことを言ったと思ったとき、そうやって大きな声
で笑うのが、葉山先生の癖だということを私は知っていた。
 葉山先生の言葉で気が楽になったのか、私はその後一時間足らずで下書きを完成させた。
確認のために葉山先生に見せたところ、望ましい表現、ということで数箇所を訂正された。少し
不満だったが、それが葉山先生の仕事なのだから仕方ないと思うことにした。

147 :No.27 癪だから取り替えてみた (お題:卒業) 4/4 ◇bsoaZfzTPo:08/03/02 23:51:55 ID:sDUpDDm2
「――在学中、私は何よりも部活動に打ち込んでいました。大会の練習を最優先して、学校行
事への参加がおろそかになったこともありました。私はそこまで打ち込めるものを高校生活の
中で見つけられたことを誇りに思います。そして、なかなか参加できなかった私の分まで行事の
準備に励み、私の大会の応援までしてくれた友人たちを持てたことを、何よりうれしく思います。
 最後になりましたが、一人として同じ青春を過ごすことのない私たちを、優しく、ときには厳し
く、見守り導いてくださった先生方。本当に、お世話になりました。ありがとうございます。
 平成十八年、三月四日。三年一組、上原佐和子」
 ぺこりと頭を下げる。
 振り向いて席へ戻る私の背中を拍手が追ってきた。
 どうにか、間違えずに読むことが出来たことにほっとする。
 私が読み上げた答辞の背には、本来あるはずのものがない。葉山先生が達筆な字で書いて
くれた「答辞」という文字がそうだ。
 だから、葉山先生だけは気づいたかもしれない。この紙は、下書きの方だということに。
 もし気づいたなら、今頃苦虫を噛み潰したような顔をしているかもしれない。後で叱られるかも
しれない。
 でも、そうしたら言ってやろう。ちゃんと「葉山先生」と書かれた部分は「先生方」に変えて読み
ましたよ、と。
 そうして、肩を揺らして大きな声で笑ってやるのだ。

     <了>



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