【 ビューティフル・ブラック! 】
◆QIrxf/4SJM
138 :No.26 ビューティフル・ブラック!(お題:価値) 1/5 ◇QIrxf/4SJM:08/03/02 23:47:43 ID:sDUpDDm2
近くの駄菓子屋で瓶のコーラを一口飲み、百円玉をばあさんに渡す。
毒にも薬にもなりそうにないコーラ独特の味が、喉を伝って体の内部へと入っていく。コーラは舌だけで楽しむものではないのだ。
ろくにクーラーも効いていない真夏の駄菓子屋で、汗を流しながらコーラを飲んでいる。最高のシチュエーションだ。
完全に飲み干した僕は、足元にあるケースを見た。中にはいろいろな瓶が並んでいて、一つ分だけ空きがある。
けれども僕は首を振り、空き瓶を袖で拭うと、バッグにしまった。
「ありがとね」しゃがれた老女の声だ。
僕はにやりとして手を振り上げた。「また来るよ」
家に戻る途中、僕はバッグから瓶を取り出して太陽に透かして見た。その完成された曲線美と、慣れ親しんだラベルが、コーラである事を示している。
缶と瓶のファンタでは、色がほんの少し違うような気がする。そんなふうに考えながら
コーラの瓶を通してみる自分の家(塗装の禿げかかった安コーポ)は、大きく歪んで分裂していた。
とりあえずドアノブを回して家に入ると、靴箱の上に瓶を置いた。
僕の部屋は整然としているように見えるが、ただ物が少ないだけだ。六畳ほどで、小さなテレビと、それよりも大きいスピーカーが二つ。部屋の端にデスクが一つあって、真ん中に白いテーブルを置いている。
僕はバッグをデスクの横に置き、ステレオのスイッチを入れる。
フラテリスのヘンリエッタが途中から始まった。
"take us for cola"という歌詞がかろうじて聞き取れる。人が歌にしてメロディに乗せるほど、世界にとってコーラは重要なのだ。
僕は冷蔵庫を開けて、ペットボトルのコーラを取り出した。先ほど持ち帰った瓶の中に注ぎ、デスクの上に置く。
フラテリスはもう一度繰り返した。"Buy us some shoes and maybe take us for cola"
「サム・シューズ?」
僕はコーラを一口飲んだ。瓶に注がれたせいで、いくらか炭酸分を失っている。それはそれで、悪くないことだった。
瓶を持って玄関に行く。近場用のサンダル、仕事用のローファーと安物のスニーカー。全部で三足しかない。
僕は先の歌詞を口ずさんでから、「そうだ、靴を買いに行こう」と言った。
その場でコーラを一気に飲み干す。口元を拭い、瓶を綺麗に洗って冷凍庫にしまった。
ノートパソコンを立ち上げ、家の近くに靴屋が無いかどうかをしらべてみた。
自転車でおおよそ十分ほどの位置に靴屋があることがわかる。その隣は、なんと懇意にしている楽器屋だった。
「そういえば、あそこは靴屋だったような気がする」
僕は汗だくになったシャツを脱いで洗濯機に放り込み、クローゼットから新しい一枚を選び出す。
白地にヘッドフォンの絵がついているシャツに着替えた。
スニーカーを履いて、つま先をトンと蹴る。靴箱の上に置いてあるキャップを被り、ドアを開けた。
家を一歩出れば、猛烈な太陽が肌を突き刺してくる。手をかざして空を見ると、でっかい雲一つが浮いていた。
正面のペットショップでは、きれいなお姉さんがせっせと犬の毛づくろいをしている。
139 :No.26 ビューティフル・ブラック!(お題:価値) 2/5 ◇QIrxf/4SJM:08/03/02 23:48:00 ID:sDUpDDm2
自転車にまたがり、楽器店の隣にあるはずの靴屋をめざしてこぎ進める。
駄菓子屋を通り過ぎて、踏切を越える。頬に当たる風が気持ちいい。
ちょっとした坂道を越えて信号を渡ると、寂れた商店街が見えてくる。
僕はその入り口に自転車をとめた。自動販売機でコーラを買い、一本飲み干して缶を捨てる。やはり、瓶で飲むコーラのほうが旨い。
商店街に入って、楽器屋を通り過ぎる。その隣に、小さな靴屋があった。
店の外にはたくさんのローファーが並べられていて、その奥にはスニーカーが少しと、登山靴が少し置いてあった。
「いらっしゃい」
外から靴を眺めている僕を見て、店番が言った。真っ白な髭を生やしたじいさんだ。
店に踏み入れると、ジャズが流れていた。
カウンターの横のほうに、一足のブーツが飾られている。
それを手にとって、眺めてみた。赤茶色で、随分と汚れている。ところどころにすれた跡があり、靴底はかかとの部分が磨り減っている。匂いを嗅いでみると、清潔な芳香剤のにおいがした。
「履いてみてはどうですか?」と店番のじいさんが言った。「中古ですけれどね」
僕は右足の靴を脱いで、ブーツを履いた。大きすぎず、窮屈でもない。
しっかりと紐を結んで、つま先とかかとをそれぞれ一回ずつトンと鳴らしてみた。
「履き心地はいかがです?」
「とてもいいね。いくら?」
「一万四千です」
「わかった。買うよ」
僕はサイフから二万円を出して、じいさんに渡した。
「履いていきたいんだけど、袋貰ってもいい?」
じいさんはにこりと微笑んで、茶色いビニール袋を差し出した。
僕はそこにスニーカーを入れて、左足にもブーツを履く。
「どうもありがとう」
「また来るよ」と言って、僕は店を出た。
商店街を出て、再び自転車にまたがる。スニーカーと違って、ブーツは足首があまり動かないせいかこぎにくかった。
そして何よりも、気温が高く、足元が蒸れた。
家に戻ってブーツを脱いだとき、僕の足は汗でしっとりと濡れていた。
クーラーの電源を入れて、冷凍庫からコーラの瓶を取り出す。そこに水を注いで一気に飲んだ。
それでも足りず、瓶にコーラを注いで飲み干す。
クーラーから冷気が出てきたので、僕はTシャツを脱いで洗濯機に突っ込んだ。
140 :No.26 ビューティフル・ブラック!(お題:価値) 3/5 ◇QIrxf/4SJM:08/03/02 23:48:37 ID:sDUpDDm2
冷たい風はとても気持ちがいい。そのままベッドに倒れこみ、天井を眺めた。
コーラを飲み、靴を買ったことによって、僕は人生において考えうる殆ど全ての事をやり尽くした。
残したことがあるとすればただ一つ、家の向かいにあるペットショップを襲うことだけだ。
しかし、実行に移すためには、まだ太陽が高すぎる。
僕はアラームを五時に設定して、しばしの眠りについた。
目が覚めたとき、僕はとてもハイになっていた。
やり残した最後の一つを消化するのだ。心臓は高鳴り、口元は釣りあがる。
冷水で顔を洗い、Do it yourselfと書かれた黒のTシャツを着る。
とっておきのサングラスをかけて、赤いハットを被った。
瓶にコーラを注いで飲み、一つ景気づける。
「さて、最後の大舞台といきますか!」
僕はポーチの中にコーラの瓶を入れて、ジーンズのベルトループに引っ掛けた。
せっかくだから、さっき買ったブーツを履いて、威勢よく玄関のドアを開けた。
一歩踏み出せば、真向かいの罪深きペットショップが見下ろせる。
僕は親指を立ててペットショップに人差し指を向けた。「バン!」そして、指先に息を吹きかける。
ペットショップの動物たちは、何が何だか分からないまま、ろくでもない人間に売られていく。
僕はこれから、彼らにとってのヒーローになるのだ。そう、キミたちは檻を飛び出して、自由にどこかへ行くといい。
大仰な足踏みで階段を下りて、ペットショップの正面に立つ。
指先でハットの唾を持ち上げ、ニヤリとした。ロックオン。
自動ドアが開き、僕は店の中に入る。
「いらっしゃいませ!」溌剌とした声で、ポニーテールの姉ちゃんが話しかけてくる。
僕はにこりと微笑を返して、辺りの様子を伺った。
そんなに広い店ではない。十数種類の犬と子猫が数匹、檻の中に詰め込まれている。どうやら、犬猫専門のペットショップであるらしい。
一匹一匹、注意深く動物を見て回る。目が大きく、顔の小さい子猫たちは、とても可愛らしい。
あの可愛い姉ちゃんがレジに立った。
僕は微笑を崩さないようにして彼女に近づき、ポケットに手を突っ込んだ。
「――ん?」
ナイフがない。
他のポケットやポーチも探ってみるが、どこにもナイフなんて無い。ましてや銃なんて入っているわけがない。
141 :No.26 ビューティフル・ブラック!(お題:価値) 4/5 ◇QIrxf/4SJM:08/03/02 23:48:59 ID:sDUpDDm2
酷くあせった。武器も持たずに、強盗を成功させた例などあるのだろうか? いや、無い。
「今日はどちらをお探しですか?」
ナイフです、とはさすがに言えなかった。
腹、腰、背中を服の上から押さえてみるが、虚しくも平らである。
女の子は不思議そうに首をかしげて、僕を見ている。
僕は笑顔にならない笑顔を彼女に向け、えへへと言ってみた。
計画は中止だ。相手を脅せるものが無ければ、強盗は成立しない。
「ちょっと、サイフを忘れてしまったみたいで」苦し紛れに僕は言った。
「あら、そうですか」彼女は残念そうな顔をして俯いた。
「それじゃあ、その、また来ますんで」
僕はにこりと微笑んだ。そう、次に来るときは、てめえの動物たちを開放してやるんだぜ。
「お待ちしています」
彼女のステキな笑顔を見て、僕は踵を返した。
その時である。
店が大きく揺れ、爆音が響いた。
正面のドアに、黒い車が突っ込んできたのだ。
ガラスの破片が頬に当たり、血が滴る。
「何だ!」僕は思わず声を上げた。
車から覆面をした男が出てきて、銃をこちらに向けた。
「動くな!」
男の構えるその黒い輝きを目の当たりにしたとき、僕は絶望的な気分になった。ほかにも、このペットショップを狙っている人間がいたということだ。しかも、僕よりも重装備だ。
男が僕の前に立ち、銃の先で顎を突いてくる。「手を上げろ! いいか、そのまま動くんじゃない」
男は女の子の方へ言って、銃を突きつけた。
「鍵だ。檻の鍵を寄越せ!」
「い、いや――」
「口答えをするな!」男が銃で女の子を殴る。「命が惜しければな」
とてつもなく腹が立った。僕は彼と同じ事をしようとしていたわけだが、女の子を殴るようなことは絶対にしないだろう。いわゆる美学というものに反するからだ。
女の子が泣きそうな顔をして僕を見る。
僕は静かに頷いた。(大人しく渡したほうがいい)
彼女は震えながら、ポケットの中から鍵を出して男に手渡した。
142 :No.26 ビューティフル・ブラック!(お題:価値) 5/5 ◇QIrxf/4SJM:08/03/02 23:49:14 ID:sDUpDDm2
「そうだ、それでいい」
男はにやりとして、銃をこちらに向けたまま、檻に近づいた。
なにやらぶつくさ言いながら、僕たちに背を向けて一つ一つの檻を見分している。
僕は女の子を見た。
彼女はとても不安そうな目で、檻を見つめている。ついには泣き崩れてしまった。
「動くんじゃないって言ってるだろう!」男は素早く振り向き、銃をこちらに向けた。「いいか? 大人しくしていろよ?」
僕の向かいにある檻を見終わると、今度は僕の側を見始めた。
ゆっくりと、男が僕に近づいてくる。
「どけ!」男は僕の隣に来て、僕を突き倒した。
僕は尻餅をついた。ポーチが開き、コーラの瓶が転がる。
「おお、こいつだ!」
檻の中に居たのは見たこともない種類の犬だ。
男は下卑た笑い声を上げ、檻の鍵を開けようとする。
女の子のすすり泣く声が聞こえてくる。
(野郎、ブチ殺してやる!)というはっきりとした感情が、心の中に湧きあがってくるのが分かった。
手元には、転がってきたコーラの瓶。僕はそれを握り締めて素早く立ち上がった。
「動くなって言った――」振り向きざま、男が言い終わる前に、僕は思い切りコーラの瓶を振り下ろした。
男の後頭部に直撃し、瓶は華々しく砕け散る。
男は喉の潰れたような声を上げて、床に倒れこんだ。
素早く銃を奪い、男の頭を踏んで銃を突きつける。
「姉ちゃん、コーラが飲みたい!」と僕は言った。
◇◇◇
警察の取調べが終わり、僕と女の子は店の後片付けをした。
「あの犬は何か特別なの?」僕は瓶のコーラを飲みながら彼女に尋ねた。
「ただの犬だけれど」彼女も同じようにコーラを飲んで言う。「そういえば、あの犬ってコーラ色じゃない?」
強盗犯の開けようとした檻を眺めてみる。中には、黒い毛並みで赤い服を着せられた犬が入っている。
「そういえばそうだね」
コーラとはなんとも恐ろしいものだなあ、と僕は感心した。