【 可奈子 】
◆0CH8r0HG.A




132 :No.25 可奈子 (お題:愛) 1/5 ◇0CH8r0HG.A:08/03/02 23:40:58 ID:sDUpDDm2
 相原可奈子をたったの一言で形容するとしたら、最も相応しいのは『律儀』という言葉だろう。
 多少垂れ目気味ではあるが、生まれつきカーラーを必要としない睫毛がその瞳を縁取り、高めの鼻の下には白い歯
と厚めの唇が特徴的な口。それらがバランス良く配置されており、控えめに言ってもかなりの美人である。
 また、大きくはないが形の良い胸とモデル顔負けの頭身すら持ち合わせた、ある意味一つの理想を体現しているか
のような女性であった。にもかかわらず、彼女の最も大きな特徴はルックスではなくその律儀な性格だったのである。

 例えば、こんなことがあった。彼女が友人と買い物をしている最中に、財布の中身を間違えて足りなくなった。そ
の際、友人は軽い気持ちで十円を貸したのだ。別に返さなくてもいいと友人は言ったが、可奈子は絶対に明日返すから、
と真面目な顔で首を振った。次の日は学校が無かったにもかかわらずだ。しかし、可奈子はわざわざ電車で友人の家に
十円を返しに行ったのである。
 他にも、待ち合わせの時間に秒単位も間違えずに来る、パンを半分あげると言われて定規を取り出すなど、小さな口
約束であろうと、病的にこだわり守ろうとしたのだ。
 その逆もまた然り。小さな口約束の一つ一つにまで病的なこだわりを見せるものだから、付き合いづらいと感じる者
も多かったのである。
 ただ、そんな変わり者ではあっても、ルックスがルックスなだけに、やはり可奈子は男子に人気があった。告白をさ
れたのも一度や二度では無い。
 しかし、彼女はその律儀さ故に、気を許す人間を作ることを極力避けようとする傾向があった。親しい人間と約束を
交わした際に生じるプレッシャー、ともすれば彼女にとって強迫観念に近いとも言えるこの重圧を非常に不快に思って
いたのだ。
 親しくない人間ならば、頼みごとをされてもなんの引け目も無く断ることが出来る。不必要な約束を交わす必要も無い。
 だからこそ、彼女は恋人を作ることはおろか友達に関してもそう簡単には気を許さなかった。これは彼女なりの誠意
と自己防衛の手段だったのである。
 何人もの男達が彼女に挑戦し、そのほとんどが尽く玉砕の憂き目に遭った。彼女の言葉は率直であるが故にとても辛
辣であったから、繊細な年頃の少年の心は深く傷つけられることも多かったろう。つまり、そうすることで可奈子は自
分への告白が徒労に終わることを周囲に示していたのである。
 だが、そんな中で彼女のことを決して諦めようとしない一人の少年がいた。
「ねぇ、相原先輩。僕と付き合ってよ」
「イヤです。貴方のように、いつもへらへら笑っている男性と付き合うつもりはありません」
 少年の名は与田総一郎。彼もまた、ルックスにおいては非凡なものを持っていた。
「へらへらって、酷いなぁ。せめてニコニコとか、楽しそうとか、笑顔がステキとか……」

133 :No.25 可奈子 (お題:愛) 2/5 ◇0CH8r0HG.A:08/03/02 23:41:17 ID:sDUpDDm2
「へらへらはへらへらです。何がそんなに楽しいのか知りませんが、私は貴方に付き纏われていることを非常に不快に
思っています。いい加減、諦めてください」
 にべも無い。彼が可奈子に初めて告白したのは、もう三ヵ月以上も前のことだ。
 大学に新入生が入る度、何度か告白責めに遭う可奈子であったが、大抵は五人ほどをフった時点で沈静化する。「彼
女は無理だ」と勝手に諦めてくれるようになるからだ。
 しかし、今年に限っては少し事情が違った。新入生の中に一人の例外が混じっていたからである。
「でもさぁ。僕と付き合うときっと楽しいと思うよ? 相原さんってば、とっても綺麗なのに男の子と付き合ったこと
無いでしょ?」
「私が貴方の告白に返事をしてから、もうすでにどれだけの時間が経ったことでしょう? その間に私が感じた精神的
ストレスに対する慰謝料を請求したいくらいです」
 総一郎は今まで可奈子がフってきた男達とはかなり毛色が違っていた。というのも、この三ヶ月の間可奈子に散々に
扱き下ろされてきたというのに、一向に諦める気配が無いのだ。総一郎とて、かなりの数の女性徒に告白をされている
はずだ。その中には決して可奈子に劣るとは思えないような可愛い女の子もいたのであるが、彼も彼女と同様にその全
てを断っていたのである。
「僕は先輩じゃなきゃだめなんですよぅ。御願いだから付き合ってください。一週間、いや三日付き合えば僕のことが
好きになっているはずです」
「例え十年付き合おうが百年付き合おうが、貴方を好きになる可能性なんてこれっぽっちも生まれませんね。それに、
たとえ一分だろうと一秒だろうと、貴方と付き合うつもりはありません」
 足を速めて歩く可奈子を、微笑みながら追いかける総一郎。
「百年って、流石に死んじゃってますよ。酷いなぁ。死んでも僕と付き合いたくないって言いたいんですか?」
「有体に言えばそうですね。いえ、仮に死んでくれるのだとしたら、三日くらいなら付き合ってあげてもいいですよ?」
 いい加減、可奈子もうんざりしていたのだろう。その口からはいつにも増してきつい言葉がこぼれ出た。しかし、
総一郎はそれを聞いて、待ってましたと言わんばかりに笑みを深くしたのである。
「言いましたね、先輩? 約束ですよ?」
 
 大学も夏休みに入り、総一郎の姿を見かけることもなくなる。可奈子は、久しぶりに訪れた平穏な時間を、学生マン
ションの自室にて一人楽しんでいた。今の可奈子にとって、男女交際なんて考えられないことだった。
勿論、将来的に一生独身で過ごしたいなどと考えているわけではなかったが、現状では異性との親しい付き合いなどと
いうのは興味が無いのだ。それよりもむしろ、何事も無くただゆっくり流れる時間を一人で楽しんでいたい。大学の友
人にはこの考えを理解出来る人はいないらしい。

134 :No.25 可奈子 (お題:愛) 3/5 ◇0CH8r0HG.A:08/03/02 23:41:33 ID:sDUpDDm2
「恋愛……。そんなに良いものなのでしょうか」
 ピンポーン。不意にチャイムが鳴る。この部屋を訪ねる友人には心当たりが無かった。
「宅急便でーす」
 やはりそうかと可奈子は思うが、反面小さな疑問も過ぎる。両親からは特に連絡も無かったし、一体何だろうか? 
「はーい」
 玄関を開け荷物を受け取る。と、差出人を見て可奈子の表情が変わった。
――与田総一郎
 また、あいつか……と不快な感情が沸いて出る。自分の最も好きな時間を邪魔されたのだ。宅配人の顔を一瞥、総一
郎が友人と何事かを仕組んだのかと勘繰ったが、どうやら本物の業者らしい。
「受け取り拒否は出来ますか?」
 念のために聞いてみる。その業者は多少困った顔をした後、妙な紙切れを差し出した。
「受け取りを拒否なさろうとされたら、見せるように言われましたが……」
 折りたたまれた小さなメモ帖の切れっ端を見せられる。そこには短く
――これでダメなら諦めますから、お願いします
 結局、可奈子は荷物を受け取ることにした。何があろうと、可奈子は総一郎に絆されることなど無い自信があったか
らだ。判を押して荷物を部屋の中に。業者は安堵したようで、ありがとうございましたと笑顔で帰っていった。

「何これ……。反則です」
 ダンボールを開けた瞬間、可奈子は天井を仰いだ。なんとも苦々しい、不条理なことを受け止めざるをえない顔をしている。 
 箱一面に棘を取り払った薔薇の花が敷き詰められている。そしてその中央、強烈に存在を主張するとある物体に可奈
子は視線を戻した。高くシャープな鼻、天然の鋭角眉、閉じられた瞳からは女の子が羨むような睫毛が零れ、口元は心
なしか微笑んでいるように見える。総一郎の生首だった。
「まさか、本当に死ぬなんて……」
 可奈子は自分の迂闊さを呪った。死んだら三日間付き合う、なんてまさか本気にするとは……というか本気で実行す
るとは思わなかったのだ。出来もしないと高をくくって妙な約束をしてしまったことが腹立たしかった。生首を見ても
悲鳴をあげることが無かったのも、恐怖よりも腹立たしさが勝ったからである。
「警察には……言えないですね。言ったら約束を破ることになるし」
 警察に持っていけば、この奇妙な事件を調べる為に、と言うよりも当然のこととして遺体は遺族の元へ帰ることにな
るだろう。しかし、それでは約束を守れない。自分と付き合うために死を選んだのだから、こちらも約束を果たす必要
があると可奈子は思っていた。

135 :No.25 可奈子 (お題:愛) 4/5 ◇0CH8r0HG.A:08/03/02 23:42:06 ID:sDUpDDm2
「まぁ、三日の辛抱ですしね。それまでは彼女になってあげますよ、総一郎君」
 可奈子は出来るだけ優しく総一郎を抱き上げると、そっと髪を撫でた。

 総一郎を取り出して分かったことがあった。薔薇の花の下に、渡されたのと同じ紙のメモが入っていたのだ。それには、
総一郎の趣味、食事の好み、行きたい場所などが事細かに書かれていた。
「旅行は却下です」
 テーブルの上に置いた総一郎に聞こえるように言う。それを聞いて、残念そうな表情をした気がするが、可奈子は無視。
「食べたいもの……肉じゃが。肉じゃがって結構簡単なんですよ? 総一郎君って見た目よりも古いのですね」
 冷蔵庫を一度振り返る。つい最近野菜の残りはすでに使ってしまったことを思い出し、一つ嘆息。
「買い物行くしかないですね」
 やはり連れて行ってくれ、という顔をしている気がする。
「見つかったらお終いですよ? それでもいいのですか?」
 総一郎に確認する。とても嬉しそうだ。仕方なしに、いつも使っているトートバックではなく、大き目のナップザ
ックを取り出す。
「埃っぽいですけど、我慢してくださいね。……なんて聞くこと無いですよね」

 鞄を背負って自転車をこぐ。夏特有の生暖かい風が、可奈子の頬を撫でては後ろに流れていく。
 近所の商店街までは、約五分といったところか。地面の凹凸を拾って背中のナップザックが揺れるたび、可奈子は
総一郎のことを考えた。
「あれだけ顔が良いのだから、凄くもてるでしょうに」
 ナップザックがそれを否定するように、一つ揺れた。

 肉じゃが。生首のリクエスト通りに作っている自分に少し苦笑する。
「お口に合うかどうか分かりませんけど」
 少し大きめの椀に盛り付ける。客用茶碗など、親が泊まりにきたとき以来使ったことはなかった。
 総一郎の前に並べると、何故か不満そうな顔をしているように見える。
「手が無いのにどうやって食べるのか……ということでしょうか?」
 可奈子はスプーンを取り出すとそれで肉じゃがを一掬い、総一郎の方を見た。
 やりたかったこと……はい、アーン。メモに書いてあったのを思い出して、可奈子は頬を少し赤く染めた。ドラマ
や漫画で見たことはあった。だが、それを見るにつけ、馬鹿馬鹿しさを感じていた可奈子にとって、恥ずかしくてたまらなかった。

136 :No.25 可奈子 (お題:愛) 5/5 ◇0CH8r0HG.A:08/03/02 23:42:24 ID:sDUpDDm2
「や、約束だからですよ? それに、貴方は手が使えませんし、非常時だから仕方なくですからね?」
 はいはい、と意地の悪い笑みを浮かべる総一郎。
「はい、あーん……」
 総一郎の唇が肉じゃがの汁で汚れる。勿論、その口は開かない。
「馬鹿みたいですね、私」
 
 それから二日間、総一郎との共同生活は続いた。メモにある料理を作り、あるいは二人で買い物に行く。
 総一郎の好む映画を見た後で、可奈子が好きなドラマを見た。総一郎の趣味や好みを知るたびに、可奈子の胸には
言いようの無い甘い気持ちと、それとは逆の暗い気持ちが湧いてくるのを感じた。
「総一郎。そろそろご飯にしましょうか?」
 当然、首は答えない。
「今日で三日目ですね。約束は果たしましたけど」
 首も少しずつ嫌な匂いを出し始めていた。オーデコロンを二度付けたが、その臭さは隠せるものでもない。
「何か言ってください総一郎。まぁ、無理なことは分かっていますけど……」
 この三日の間に、可奈子は総一郎を呼び捨てするようになっていた。彼への不思議な感情が自然にそうさせたのだ。
しかし、その思いが強くなればなるほど、可奈子は総一郎の表情を読めなくなっていく。そして、それがただの首で
あると、嫌でも実感するのだ。
「何で死んじゃったんでしょう、何て……私のせいですよね」
 
 可奈子は警察に連絡した。警察が来るまでの間に、首を元のようにダンボールの中にそっと戻す。その表情はもう
全く読めない。その首はすでに総一郎ではなくなっていたのかもしれない。
「さよなら、総一郎」
 そう言う頬を一筋、涙が伝った。可奈子は総一郎の頬を優しく撫でると、その唇にゆっくりと顔を落としていく。

「は……」
 総一郎は目を開けた。どうやら随分と長い夢を見ていたようだ。とても不思議な夢だったように思う。
「もう十秒寝ておけば、可奈子先輩のキスが……」
 何とも悔しそうにその顔が歪む。
「可奈子先輩から……ってのが重要なんだよなぁ。この人がそんなことをしてくれるんだろうか?」
 そう言って薔薇の花ビラの上にいる可奈子の首を見た。



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