【 恋人のルール 】
◆c3VBi.yFnU




126 :No.24 恋人のルール (お題:ルール) 1/5 ◇c3VBi.yFnU:08/03/02 23:29:32 ID:sDUpDDm2
 俺と美紀が付き合い始めて一週間ほど経った頃、俺たちはお互いにルールを課した。
 普通の恋人同士には恐らく無いであろうこの発想は、俺たちが円満に交際を続けるために必要
だったのだ。
 俺は美紀に「絶対に俺の部屋の中に入らないこと」というルールを課した。
 美紀は俺に「昼間以外は一切自分に連絡を取らないこと」というルールを課した。
 このルールを決めたとき、美紀は俺に「私達、絶対に結婚できないね」と言った。確かにそう
だろう、夫婦というのはお互いの時間を共有するものだ。二人のルールはこれを妨げるもの。
「結婚するときは、お互いがルールを破ったときだな」
 薄く笑って、俺は美紀にそう言った。そのときから薄々感づいてはいた。俺たちは永遠に結婚
する事は無いと。これがお互いに最後の恋で最後のチャンスだったとしても、そこに辿り付く事
は無いだろうと。
 お互いに思う所があってこのルールは設けられた。美紀が何を思ってあのルールを課したのか
は分からないが、正直相手の事などどうでもよかった。美紀がルールを守ってくれさえすれば、
あいつが何をしようと俺にはどうでもよかった。
 俺は美紀を、都合の良い話し相手程度の存在だと決め付けていた。そう自分に言い聞かせた。
話し相手が欲しい時にいてくれる喋る人形、そう思う事にした。そうすることで美紀のルールを
守る事ができた。人形にも都合があるのだろうと、無理やり自分を納得させた。
 勿論あいつの事は愛していた。それが堪らなく辛かった。人を愛する事が無ければ、こんな事
をする必要も無いだろうに。何故自分は人を愛するのだろう。愛ゆえに人は苦しまねばならない
という、往年の格闘漫画の言葉を思い出した。
「夜はお仕事があるの。だから、昼間しか電話に出れないのよ」
 それっきり美紀の仕事の話はしなくなった。本当は仕事なのかどうかもわからないが、言及す
るのはやめた。
「いいんだ、誰にも言いたくない事ってのはあるもんだよ」 
 それを知ろうとは思わなかった。知ってしまったら俺も自分を曝け出さなければならないと思
ったから。それだけは嫌だった。そんな事をするくらいなら知らないままでいい。たとえ風俗で
働いているとか、何か危ない事をやっているのだとしても、それは俺の与り知るところではない、
というか、知らなくても良い。
 別れようかと思った。でも独りは嫌だった。我侭だとは自覚しているが、とにかく人との接点
が欲しかった。俺はあまり友好的な性格はしていないが、それでも美紀とは一緒にいたかったのだ。

127 :No.24 恋人のルール (お題:ルール) 2/5 ◇c3VBi.yFnU:08/03/02 23:29:47 ID:sDUpDDm2
最初に美紀と話した時、あぁ、こいつは俺と似たような人種なのだと感じた。独りが好きなのに独りに
なりきれない臆病者。結局は都合の良い関係を求めている、どうしようもないガキのような考え。
 お互いの利益を満たすための、例えるなら欠けたパーツを埋める代用品。それがお互いの存在
価値だったのだ。お互いに必要としていると言えば聞こえはいいが、そんな綺麗事で片付くなら
ルールなんて設けない。
「あなた、趣味とかは有るの? 何事にも無関心のように見えるけど」
 俺は黙った。それはルールに触れる事だった。
「ごめんなさい、ルールに触れちゃったみたいね」
 一瞬で理解した美紀は、それ以来趣味の話はしなくなった。俺の事は勿論、自分の趣味につい
ても一切話さなかった。ルールを設ける事によって、お互いに話のネタが無くなっていく。たま
に連絡を取って話すことといえば、今朝のニュースや昨日のドラマの話題。話が弾む事は無く、
「じゃあ、仕事の時間まで寝るから、おやすみ」
 と美紀が言い出して会話は終わる。今まで三十分と会話が続いた事は無い。途中で会話が途切
れ、気まずい思いをすることもしばしばあった。
 デートなんていう、いかにも恋人らしい事も何回かやった。お互いの好きなものすら知らない
俺たちは、どこかの大きな公園を散歩して、適当なレストランで昼食を摂って帰るという実に在
り来りなものしか出来なかった。それでも美紀は笑っていたので、それなりに楽しんだのだろうか。
 美紀はいつも笑っていた。会話が無くて俺が少し困っていても、その様子をただじっと、微笑
みながら見つめていた。電話越しでも、口元を緩ませているのが分かった。微かに笑い声とも取
れる吐息が聞こえるのだ。
 俺はと言うと、滅多に笑った顔を見せる事は無かった。楽しくなかったわけじゃあないが、笑
う気にはなれなかった。楽しいと思っては駄目だと思った。別れた時の反動が大きくなってしま
う事を俺は恐れた。だから、美紀にもあまり笑ってほしくは無かった。
 美紀の笑顔は、それはもう魅力的で美しかった。顔の造形が特別美しかったわけではなかった
が、普遍的な、安心できる美しさがあった。きっと、世界が平和になったら皆が美紀のような微
笑を浮かべるに違いないと思った。
「笑う事は簡単よ。でも、笑える環境を手に入れることがとても難しいの」
 そう言っていた美紀だから、おそらく俺との関係に満足していたのだろう。特別な事は何もし
てやれなかったが、何もしないことが美紀にとって好ましかったのかもしれない。出来るだけ普
通に過ごす事が、美紀にとっての幸せだったのだ。

128 :No.24 恋人のルール (お題:ルール) 3/5 ◇c3VBi.yFnU:08/03/02 23:30:03 ID:sDUpDDm2
「あなたが笑わなくてもいいの。それを私が楽しいと思えれば、それでいいの」
 恐らく美紀は、人生を楽しむ達人なのだ。お互いに課したルールも、こいつにしてみれば楽し
いものなのだろう。そうでなくては今すぐにでも別れたいと思うだろうし、こんな笑顔は出来な
いだろうから。
「俺は、そんなに笑えないよ」
 そう言ったことがあった。人並みに人生は謳歌しているつもりだが、どうも美紀と俺の笑顔の
質は違うと感じていた。
「おかしなことを言うのね?」
 そう言って美紀はまた笑った。何でそう笑うのかと聞くと、美紀は
「だって、あなた今笑ってる」と言った。
 その時解った、俺と美紀の違いが。自分の口元を押さえて思う。
 俺は、なんて卑しい笑い方をするのだろう、と。
 言い方を変えれば、卑屈な笑いとでも表現するのだろうか。とにかく俺の笑顔は、とても人に
好感を抱かせるものではなかった。どこか自分を蔑んだような、それでいて他人を見下している
ような、そんな下劣な口元を作っている。そんな顔をどこかで見たことがあると思ったら、昨日
見たばかりだった。あの憎たらしい笑いを浮かべているのだと思うと、途端に自分が嫌になった。
そんな男はまともな死に方をしないだろう等と考えていると、またも美紀は笑顔で俺に言った。
「あなたの事はよく知らないけど、それでも私はあなたの笑顔、好きよ」
 どこが、と言いかけて口をつぐんだ。逆に「ありがとう」といって話をはぐらかす。
 それっきり美紀の言葉は忘れることにした。そしてなるべく笑顔を作らないようにした。友人
に「おまえ、なんか怒ってない?」と言われても、「別に」と答えるだけだった。そうする必要
も無いのに、独りのときはなるべく美紀の事を考えないようにした。改めて思い返すと、頭に浮
かぶ美紀の顔はどれも笑っていたのだ。とても辛かった。これでは益々辛くなってしまう。
 別れよう、そう決意した。
 
 翌日、俺は美紀に電話を掛けた。昼間だった。別れようと決意したその後も、俺はルールだけ
は守ろうと思った。それだけが、俺が美紀に見せられる誠意だと思ったのだ。今すぐ会いたい、
そう告げると美紀は、「わかったわ」とだけ言って電話を切った。待ち合わせは午後二時、駅前
の喫茶店で。これが最後のデートになると、美紀は感付いただろうか。

129 :No.24 恋人のルール (お題:ルール) 4/5 ◇c3VBi.yFnU:08/03/02 23:30:17 ID:sDUpDDm2
 時間通りに行くと、美紀は既に店内でコーヒーを飲んでいた。その姿一つとっても綺麗だった。
だがそれも今日で見納め、そう考えると少し残念なような、それでいてほっとするような。とて
も奇妙な感覚だった。
「急だったわね、どうかしたの?」
 相変わらずの笑顔でそう尋ねてくる美紀の顔を、俺はどうしても直視できない。適当な相槌を
打って店内を見回す。平日の午後なだけあって、人は少ない。別れ話をするには丁度よい環境だ
った。意を決し、俺は単刀直入に切り出した。
「別れよう」
 暫く顔を見ることが出来なくて、やっと面を上げたときに目に入ってきたその時の美紀の顔は、
今でも覚えている。
 笑顔だった。いままで見たことも無い笑顔だった。
 笑顔のまま、涙を流していた。
「ごめんなさい……」
 その笑顔も、長くは続かなかった。やがて顔を歪ませ、美紀は顔を伏せた。泣き顔を見られた
くないのだろう。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
 ひたすら謝る美紀に、どう声をかけていいか解らなかった。本来謝るべきは俺のはずなのだ。
俺の身勝手で別れ話を切り出したのだ、責められるべきは俺のはずなのに。それでも美紀は謝り
続けた。
「謝らないでくれ……悪いのは俺なんだ。俺の身勝手なんだよ……」
 そういうも、美紀は謝ることをやめない。
「美紀は悪くないんだ。俺がルールなんて作ったから……普通の恋人同士がすることじゃなかっ
たよな……」
 やがて美紀は口を開いた。
「違うのよ……ごめんなさい……」
「だから、悪いのは俺……」
 そう言うと、美紀は顔を上げ、
「ごめんなさい、もう我慢できない……!」
 今まで見たことも無い笑顔で、大きな声で笑った。

130 :No.24 恋人のルール (お題:ルール) 5/5 ◇c3VBi.yFnU:08/03/02 23:30:37 ID:sDUpDDm2
「あなたがそんなことを気にしてたなんて、全然気付かなかった……フフッ」
「はぁ……」
 ひとしきり笑い終えた美紀は、アイスティーを飲み干して一息つく。俺はタバコに火をつける。
「別れるつもりでここに来たってのに、どうしてこうなるんだか……」
 俺は悪態をついて美紀の顔を見る。美紀は気まずそうに、少しだけ顔を伏せる。だがその顔は
笑っていて、俺は改めて、こいつには敵わないと認識する。
 結論を言うと、俺達は結婚することになった。ルールが破られたのだ。というよりも、無くな
った。お互いに課したルールがなくなったのだ。
 美紀が深夜に連絡を取るなといった理由、それは漫画の執筆だった。それも、所謂百合と呼ばれるもの。
それを美紀は隠していたのだ。美紀は雑誌に連載を持つ漫画家だったのだ。昼間に寝て夜に執筆する。
夜中の方が創作意欲が沸くらしい。では、何故それを俺に打ち明けようと思ったか。
 美紀は俺をとある場所で見かけた。その場所で俺を見た瞬間、美紀はルールが必要ないと思ったのだ。
 俺が見られた場所、それは秋葉原にある同人ショップ。そこで同人誌を吟味している情けない姿を
見られてしまったのだ。それを知ったとき、本当に死にたくなった。俺は所謂隠れオタクで、それを
美紀に知られたくなかった。部屋に入れなかった理由は、推して計るべし。まぁ、いろんなグッズで
溢れかえっている。
 俺は億劫になっていた。以前付き合っていた女性に気持ち悪がられ、それ以来女性を部屋に入れな
いようにしてきた。それは美紀も同じだったらしい。
「バカみたいだな」そう言うと美紀は、笑って「そうね」といった。美紀は一方的に俺の秘密を知って、
それを黙っていたのか。そう考えると不公平な気もするが、それももう帳消しだ。
「じゃあ、何処か行こうか」
 そう誘うと、美紀は笑顔で俺に言った。
「あなたの部屋、見せてくれる?」
 初めて、心の底からこの笑顔が美しいと思った。





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