【 『終末の雨宿り』 】
◆ka4HrgCszg




114 :No.22 『終末の雨宿り』 (雨宿り) 1/5 ◇ka4HrgCszg:08/03/02 22:48:06 ID:sDUpDDm2
 夜の街にざあ、と雨が降っている。
 二週間前、地球の裏側で落ちた隕石。その影響で今、世界中は大規模な天変地異に襲われている。
 しかし、この地域は山に囲まれた盆地になっているため、津波や、木をなぎ倒すような強風もやってこず、影響はまぁ軽
微といえる。とはいえ、全く影響無しというわけでも無く、隕石が落ちた日から空が晴れる事は無くなってしまった。
 場末の高台にある屋根付きのバス停。そこから、俺は眼下の町を見下ろした。町はいつもの何倍もの光で明々と輝いてい
る。クラクションの音やサイレンの音が、雨の音に入り交じって耳まで届く。
 すぐ目の前の道路でも、ヘッドライトを血走らせて通る車が何台かあった。ベンチの隅に置いたラジオは、巨大隕石の接
近を逼迫した口調で伝えている。二週間前に落ちた隕石は、この巨大隕石から分離した欠片だったらしい。その欠片は、フ
ィナーレへと向かう為の序奏曲に過ぎなかったのだろう。俺は最後に、この町の人間達を見下す為だけに、このバス停まで
来ていた。
 忙しく動き回る光を、いい気味だと思いながら見つめる。しばらくそうしていると、ふいに巡回中らしきパトカーがバス
停のすぐ前に止まった。
 ドアが開いて、警官が一人降りてくる。
「……おい君、ここで何をしてるんだ? バスは来ないぞ。自分の足で町に降りてシェルターに避難しなさい」
 と、警官は俺に向かって言った。
 シェルターとは巨大隕石の接近を知って、町の外れに急造で作られた穴倉だ。シェルターなんて大層な呼び名から程遠い、
アリの巣と変わらない代物だった。
 警官は動こうとしない俺を不審に思ったのか、懐中電灯を点けて無遠慮にこちらへ向ける。そして光に照らされた俺の顔
を見て、ハッと息を飲んだ。
 その様子を見て、俺はすぐさま口を開く。
「冤罪ですよ、俺は」
 そう言うと、警官は慌てて表情を取り繕った。
「あ、いや、そうだったな」
 申し訳無さそうに呟く警官の声を聞きながら、俺は自分の膝へと目を落とした。
 一年前、俺はある強姦殺人事件の容疑者として裁判に掛けられた。俺には全く身に覚えの無い事で、もちろん裁判でも無
罪放免となったのだ。が、無実にも関わらず、俺は町中の人間から白い目を向けられるようになった。その事件は全国的な
ニュースであり、こんな狭い町では伝わり過ぎる程に伝わっていたのだ。そして町の人間は、俺に無実の判決が言い渡され
ても、それを信じようとはしなかったのである。
「……それじゃ君も早くシェルターに避難したまえ」

115 :No.22 『終末の雨宿り』 (雨宿り) 2/5 ◇ka4HrgCszg:08/03/02 22:48:22 ID:sDUpDDm2
 硬い口調で言う警官。そのよそよそしい態度には、俺への拒絶の感情が見え隠れしている。この警官も、心の奥底で俺の
事を犯罪者だと思っているのだろう。
 俺はそんな警官に向け露骨に顔をしかめて口を開いた。
「嫌ですね。誰がそんな所へ行くもんですか」
 その答えが意外だったのか、警官は少しみじろいで、懐中電灯の光が一瞬揺れた。
「……何だって? 明日の朝には隕石が落ちてくるんだ、ここに居たら絶対に死ぬぞ」
 義務感からか、警官は必死に引きとめようとした。内心では俺を軽蔑しているだろうに、偽善者。反吐が出そうだった。
「……死ぬ? だからどうしたんですか? 穴倉であなた達と閉じこもるよりは良いですよ」
「なんだと? 君、正気か?」
 警官は、信じられない、というような口調で俺に聞き返す。
 その態度が異様に頭に来て、俺は警官を睨んだ。
「俺は正気ですっ! だって死んだ方が全然マシじゃないですか! あなた達に軽蔑されて生きるよりは全然! 俺は無実
なのに、それなのにあんた達が、あんた達の態度がどれだけ俺を傷つけ、心を踏みにじったか分かってるんですか!?」
 そう俺が叫ぶと、警官は軽くたじろいで沈黙した。ざあざあと、雨の降る音だけが響く。
 それからしばらくの間を置いて、警官は「……勝手にしなさい」とだけ言い捨てると、パトカーに乗って行ってしまった。
 町の方へ降りて行くパトカーを見ながら、俺は一人ポツンと取り残されるのを感じた。ラジオが、全国で避難できるシェ
ルターの場所を次々に挙げて行く。俺は勢いを強める雨の音を聞きながら、眼下で逃げ惑う町の人間達を、いい気味だと思
いながらずっと見下していた。
 その内に段々寒くなってきて、体がガタガタと震え出した。風が出てきて雨が屋根の下に侵入し始める。時々、霧のよう
な水が体に吹き付けられた。ベンチの上で丸まって目を閉じる。体全体が冷たくて、ズッシリ重い。このままでは寒さで死
んでしまうかもしれない。
「……巨大隕石の接近は後六時間となり……」
 ラジオが喋っている。そうだ、俺はどっちみち死ぬんだった。寒さだろうと何だろうと。それならこっちの方が良い。あ
んなヤツらと一緒に助かるぐらいなら、死んだ方が……。あいつらより高い場所で、バカにしながら死んでやる方が……。
 夜が更けるにつれ、雨はジャバジャバと、バケツで水をぶちまけるように激しくなっていった。雨というより、水の塊が
降って来ているような状態だった。跳ね跳んだ水が体に掛かる。しかし、寒さは感じなくなっていた。体の震えもなぜか止
まっている。六時間後、地球は破滅する。もう朝が来る事は無いだろう。俺はどこか無気力にそれを受け止める。そしてた
だ延々と降り続く雨の音を聞きながら、ゆっくりと深い眠りに沈んでいった。

 ラジオから声が聞こえてきた。

116 :No.22 『終末の雨宿り』 (雨宿り) 3/5 ◇ka4HrgCszg:08/03/02 22:48:45 ID:sDUpDDm2
 はしゃいだような声だ。
 目を開けると雨は止んでいる。いや、それどころか青空が見えていた。一気に目が覚めるような、太陽の光。
 朝が訪れていた。
 俺は呆然となる。なぜ、地球がまだ残っているんだろう。そう思ってボンヤリ空を眺めていると、ふとラジオの音が耳に
届いてきた。
「……巨大隕石は地球にぶつかる直前、月と衝突して軌道を逸らし、地球への落下を回避しました! 巨大隕石は月と共に
宇宙の遥か彼方です! 地球は助かりました! 繰り返します……」
 …………月と、衝突?
 俺はもう一度前方の空に目を向ける。空は清廉な空気をたたえて、希望に溢れるように冴え冴えとしていた。太陽は燦々
と照っている。その光が、地上の何もかもを輝かせていた。
「……助かった」
 俺はポツリと呟く。
 その声は清々しい朝の光に吸い込まれる。ラジオからは、はしゃいだような声がずっと繰り返されている。助かったとい
う実感が、体の奥からソロソロと込み上げてくるのを感じた。
「助かった……。助かった……。そうか、……助かったのか! 俺は、地球は、助かったのか! アハハアハハハ!」
 そうと分かって更に青空まで見ると、急におかしくなってしまった。だってまさか助かるなんて。拍子抜けだ。空は青く
澄んでいる。地球は何とも無い。ただ大雨が降っただけの事で、俺達は何を騒いでいたんだろう。
 凄く良い気分だった。生きているという事実だけで幸せだった。俺は大声で笑いながらふと、今月中に引っ越そう、と思
った。どこか遠い所へ。あの事件の容疑者として、顔を知っている人間は確かに多いだろう。しかし、地球滅亡かどうかの
大事があった後なら、きっと俺なんかの印象も薄れているはずだ。大丈夫、そもそも俺は無実だ。この町の人間はそれが分
からないヤツばっかりだが、それも今月中でお別れだ。俺は違う町で、違う人達と、新しい生活を始めよう。
 生まれ変わったような気分。見上げれば、輝く青い空。
 この空はきっと、――俺の再出発を祝福する空に違いない。
 俺はそんな事を思いながら、空を仰いでいた顔を元に戻す。生きている事が嬉しくて、口元には自然笑みが浮かんだ。
 ――ふと、その時。
 視界の隅で、何かが引っ掛かった。
 視界の、端っこ。『それ』は、ベンチの上で横になっている。
 まさ――か。
 全身にチリチリと電流が走っていく。体が、目が、呼吸が、硬直した。ゾワゾワとした何かが、体の奥からせり上がって
くる。本能的な恐怖が、見てはならないと警告した。

117 :No.22 『終末の雨宿り』 (雨宿り) 4/5 ◇ka4HrgCszg:08/03/02 22:49:00 ID:sDUpDDm2
 それなのに俺は、まるで望んでもいないのに、ゆっくりゆっくりと振り向いていく。まるで自分の体でも無いように、勝
手に首が回っていく感じがした。いや、実際そうだったのかもしれない。俺は『それ』を、見たくなかったんだから――。
 ベンチの上に、――――『俺』が眠っていた。
 蝋のように白く、血の気の無い肌。青黒くなった不気味な色の唇。バス停の入り口側の半分だけ、体がびしょびしょに濡
れている。そんな『俺』が、ピクリともせず眠っていた。肺すらも動かさないで。ベンチの上に、動かない『俺』が居る。
 じゃあ、俺は?
「……地球は助かりました! 繰り返します……」
 そんな、バカな。俺がなぜ二人も居る? 誰だ、コイツは誰なんだ。俺はここに居る。ここに、起きている。眠っている
俺は、どうしてこんなに、青い顔をしているんだ? 助かったんだろう地球は。俺達はみんな、助かったんじゃ、なかった
のか?
 ラジオの声が遠くに聞こえる。
 俺はジッと、いつまでも『俺』に見とれている。どれぐらいの時間が経ったのかも分からなかった。時間は止まっている
ような気がした。
 ふいに。甲高いブレーキ音が鳴り響いた。俺がハッと我に返って振り向くと、バス停の前には真っ黒なバスが止まってい
た。どこか霊柩車のような印象を受ける、不吉な色をしたバス。
 その入り口が、空気の抜けるような音を立てて荒々しく開いた。
 俺はしばらくの間、ポカンと見とれていた。しかし、ハッと気が付いて、バスに乗らなければいけない、と思った。
 フラフラとそのバスの入り口に向かって歩き出す。そのバスは窓まで真っ黒に塗りたくられており、外からでは中の様子
が全く分からない。それでも足を止める事無く、俺はバスの入り口へと進む。
 バスに乗る直前、何となく首を巡らせて全体を見た。……と共に、唖然となる。バスは途方も無いほどに長い。何十メー
トル、いや、百何十メートル……。
 バスのステップを上がる。長いバスの席は全てギッシリ埋まっていた。乗客はみな虚ろな表情をしている。俺はその顔を
一つ一つ見ながら、空いている席を求めて後ろへ進んで行く。歩きながら乗客の顔を一つ一つ眺めていく内、心にフッと違
和感を覚えた。
「まさか……」
 俺が呟く。その声に反応したように、乗客はこちらに視線を向け、すぐにサッと逸らす。
 軽いめまい。世界がグラグラ揺れている。全身が震えて吐き気がした。ふらつく足で、それでもなんとか後ろへ後ろへと
進んでいく。
 虚ろな目をした男、女。子供。中年。年寄り。しかしこれは……。コイツらは……。
「あぁ、やっぱり……! どうして!」

118 :No.22 『終末の雨宿り』 (雨宿り) 5/5 ◇ka4HrgCszg:08/03/02 22:49:17 ID:sDUpDDm2
 一番後ろの席。そこまで来て、やっと空いている席が一つ見つかった。
 そしてその隣には――。
 昨日の夜に見た、あの警官が座っていた。
「何であんた達が……、この町の人間が、何でこのバスに乗っているんだ!?」
 この町の人間は地下シェルターに避難したはずなのに……。いや、それどころか巨大隕石なんて降って来なかったはずな
のに……。
 俺がワナワナと震える。突然、警官が後ろを指差した。俺はつられてそちらに視線を向ける。最後尾のそこは大きな黒い
窓が張ってあり、そのフィルター越しに外が見えた。
「え……?」
 そして、言葉を失った。
 眼下に見えていた町が、――消えている。山に囲まれた盆地の中からは、何もかもが無くなっていた。
 その代わりそこには、なみなみと水が張られていた。それが太陽の光を反射して、大地に青空を写し出している。
 盆地は――大きな湖になっていた。
 町が一つ、水の底に沈んでしまっていた。……地下シェルターの、掘られていた場所も。
「水圧に耐え切れなくなったのか、いきなり入り口が吹き飛んでな。後はもう一瞬の出来事だ」
 と、警官が淡々と簡潔に説明する。
 俺はフッと膝から力が抜けた。その場に崩れ落ちる。それから顔を上げて、車内を見回した。
 町の人間達は、席から顔を出して俺を冷然と見つめている。ただひたすら冷ややかに。
「俺は……、俺は! お前らとだけは死んでも一緒になりたく無かったのに!!」
 その叫びに、誰も何も答えなった。代わりに車内にブザーが鳴り響く。
 遠くで入り口の扉が、音を立てて閉まるのが聞こえた。
 バスは――ゆっくりと走り始めた。





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